月光る夜   作:案院運

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今回はスバルの描写オンリー


王選11

 

SIDE スバル

 

 朝の王都は、今日も騒がしかった。

 

 石畳を叩く馬車の音。通りを行き交う商人たちの声。店先から漂ってくる焼きたてのパンの匂い。

 

 何も変わらない。

 

 昨日も、一昨日も、その前も。

 

 この街は、俺がどんな気持ちでいようと、いつも通りに朝を迎える。

 

「……はぁ」

 

 窓枠に肘をつき、大きくため息を吐いた。

 

 王都に残ってから、もう何日が経っただろう。

 

 フェリスの治療は順調だった。

 

 身体の痛みも、以前に比べれば随分とましになっている。

 

 けれど。

 

 心の方は、どうにもならなかった。

 

『スバルは、私のためって言いながら、自分のためにやってるだけだよ』

 

 エミリアの言葉が、今も耳に残っている。

 

「……わかってるっつーの」

 

 小さく呟く。

 

 本当は、わかっていなかった。

 

 何が正しくて、何が間違っていたのか。

 

 今になっても、うまく整理できない。

 

 ただ一つ、はっきりしていることがある。

 

 俺は、エミリアを傷つけた。

 

 そして。

 

『立てるか、スバル』

 

 差し出された手。

 

 エリスの顔。

 

 あいつにまで、ひどいことを言った。

 

「……あー、もう!」

 

 頭をかきむしる。

 

「なんでこう、俺って奴は……!」

 

 その時。

 

「スバルくん?」

 

 背後から声がした。

 

 振り向くと、レムが扉の前に立っていた。

 

「……レム」

 

「おはようございます。朝食の準備ができていますよ」

 

「ああ。ありがとな」

 

 笑顔を作る。

 

 レムも、いつものように微笑んだ。

 

 その笑顔が、今は少しだけ眩しかった。

 

     ◇◇◇

 

 治療を終えた午後。

 

 俺はクルシュ邸の廊下を歩いていた。

 

 フェリスには、無理な運動をするなと釘を刺されている。

 

 わかっている。

 

 わかっているのだが。

 

 何もしないでいると、余計なことばかり考えてしまう。

 

「……ん?」

 

 廊下の向こうから、聞き覚えのある声がした。

 

「ですから、街道の状況が――」

 

「承知している。しかし、今は軽々しく兵を動かせる状況ではない」

 

 クルシュの声だ。

 

 誰かと話しているらしい。

 

 俺は足を止めた。

 

「……街道?」

 

 何となく、耳を澄ませる。

 

「メイザース領へ向かう商人の一部が、予定を変更しているようです」

 

「理由は?」

 

「詳しくは不明ですが、街道付近で不審な動きがあるとの噂が」

 

 メイザース領。

 

 その言葉に、心臓が跳ねた。

 

 ロズワールの領地。

 

 エミリアたちがいる場所だ。

 

「……おいおい」

 

 嫌な予感がした。

 

 胸の奥が、ざわつく。

 

 俺は思わず、扉へ近づいた。

 

「すみません!」

 

 勢いよく扉を開ける。

 

 室内にいたクルシュと、その傍らに立つヴィルヘルムがこちらを見た。

 

「ナツキ・スバル?」

 

「今の話、どういうことですか!?」

 

 自分でも、声が大きくなっているのがわかった。

 

「メイザース領って……エミリアたちがいるところですよね!?」

 

 クルシュは少しだけ眉をひそめた。

 

「……聞いていたのか」

 

「すみません。でも、教えてください!」

 

 俺は一歩踏み出した。

 

「何か、起きてるんですか?」

 

 クルシュは、しばらく俺を見つめていた。

 

 それから、静かに口を開く。

 

「現時点では、確かな情報ではない」

 

「でも……!」

 

「不審な者の目撃情報がある。それだけだ」

 

 不審な者。

 

 その言葉が、妙に引っかかった。

 

 胸の奥が、冷たくなる。

 

 何かが、おかしい。

 

 理由はわからない。

 

 ただ。

 

 このまま放っておいてはいけない。

 

 そんな気がした。

 

     ◇◇◇

 

「スバルくん、落ち着いてください!」

 

「落ち着いてられるかよ!」

 

 部屋へ戻るなり、俺は荷物をまとめ始めた。

 

 レムが慌てて駆け寄ってくる。

 

「まだ治療も終わっていません!」

 

「そんなの、どうでもいい!」

 

「どうでもよくありません!」

 

 珍しく、レムが強い声を出した。

 

 俺は思わず手を止める。

 

「……レム」

 

「スバルくんのお身体が、心配なんです」

 

「……わかってる」

 

「それなら……」

 

「でも、行かなきゃいけねえんだよ」

 

 拳を握る。

 

「エミリアたちに、何かあったら……」

 

 言葉が詰まる。

 

 エミリア。

 

 ラム。

 

 ベアトリス。

 

 そして、エリス。

 

 あいつらがいる。

 

 エリスがいるなら、きっと大丈夫だ。

 

 そう思いたい。

 

 あいつは強い。

 

 俺なんかとは比べものにならないほど。

 

 でも。

 

 それでも。

 

「……何か、嫌な感じがするんだ」

 

 レムは、しばらく黙っていた。

 

 やがて、静かに頷く。

 

「……わかりました」

 

「レム?」

 

「レムも、一緒に行きます」

 

 その言葉に、俺は目を見開いた。

 

「……いいのか?」

 

「はい」

 

 レムは、まっすぐ俺を見つめた。

 

「スバルくんが行くなら、レムも行きます」

 

「……ありがとな」

 

 俺は、小さく笑った。

 

 けれど。

 

 その時の俺は、まだ知らなかった。

 

 この選択が、どれほど残酷な現実へ繋がっていくのかを。

 

     ◇◇◇

 

 馬車の準備は、思ったよりも難航した。

 

 街道を通る商人たちは、皆どこか落ち着かない様子だった。

 

 御者を探しても、メイザース領へ向かうと聞いた途端に顔をしかめる者がいる。

 

「……なんなんだよ」

 

 俺は歯噛みした。

 

 時間がない。

 

 理由もわからないのに、そんな焦りばかりが募っていく。

 

 ようやく一台の馬車を見つけ、交渉を始めた時だった。

 

「お兄さん、その方面に行くのかい?」

 

 声をかけてきたのは、商人らしい男だった。

 

「ああ。そうだけど」

 

「だったら、気をつけな。最近、あの辺りは妙な噂が多い」

 

「妙な噂?」

 

「黒い服を着た連中を見たとか、夜中に森の方から変な声がしたとか……まあ、どこまで本当かは知らねえが」

 

 黒い服。

 

 森。

 

 嫌な予感が、さらに強くなる。

 

「……魔女教」

 

 ぽつりと、言葉が漏れた。

 

 商人の顔色が変わった。

 

「お、おい。滅多なこと言うもんじゃねえぞ」

 

「……悪い」

 

 俺は口を閉じた。

 

 魔女教。

 

 この世界に来てから、何度か耳にした名前。

 

 危険な連中。

 

 狂信者。

 

 そして。

 

 エミリアを、忌み嫌う者たち。

 

「……くそ」

 

 嫌な想像が、頭から離れなかった。

 

     ◇◇◇

 

 夜。

 

 馬車の中で、俺は眠れずにいた。

 

 レムは隣で静かに目を閉じている。

 

 外では、車輪が規則正しく音を立てていた。

 

 俺は、膝の上で拳を握る。

 

 エリスがいる。

 

 あいつがいれば、大丈夫。

 

 何度も、そう言い聞かせた。

 

 けれど。

 

 もし、あいつでも守りきれなかったら?

 

 もし、何かが起きていたら?

 

 もし。

 

 俺が、もっと早く動いていれば。

 

「……っ」

 

 頭を振る。

 

 考えるな。

 

 まだ、何も起きていない。

 

 何も、わかっていない。

 

 それなのに。

 

 胸の奥で、何かが警鐘を鳴らし続けていた。

 

「……エリス」

 

 小さく、名前を呼ぶ。

 

「頼むから……みんなを守っててくれよ」

 

 返事はない。

 

 当然だ。

 

 あいつは、遠く離れた屋敷にいる。

 

 きっと今頃、いつものように笑っている。

 

 ベアトリスと喧嘩して。

 

 ラムに嫌味を言われて。

 

 エミリアと、何でもない話をして。

 

 そんな日常が、まだ続いていると信じたかった。

 

 俺は、目を閉じた。

 

 眠れない夜が、静かに更けていく。

 

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