SIDE スバル
夕暮れの王都に、鉄の音が響いていた。
鎧が擦れ合う音。馬具を締め直す音。荷台へ積み込まれる武器や物資の音。 カルステン公爵邸の中庭は、普段の静けさが嘘のような騒がしさに包まれている。
俺はその光景を眺めながら、思わず息を吐いた。
「……すげえな」
並んでいるのは、武装した兵士たちだけじゃない。 荷を積んだ竜車。武器を点検する騎士。医療道具を運び込む者たち。
そして、その中心には、白鯨を討つために集められた討伐隊の姿があった。
白鯨。
三大魔獣の一角。
四百年もの間、人々を恐怖に陥れてきた怪物。 あいつを倒すために、これだけの人間が集まっている。
……いや。 集まってくれたんだ。
「スバルくん」
背後から声がした。 振り返ると、そこには青い髪の少女が立っていた。
「レム」
「準備はよろしいですか?」
「おう。バッチリ……って言いたいところだけど、正直ちょっと緊張してる」
俺が苦笑すると、レムは柔らかく微笑んだ。
「レムも同じです」
「……お前も?」
「はい。ですが、不思議と怖くはありません」
「……なんで?」
レムは少しだけ頬を赤らめた。
「スバルくんと一緒だからです」
「……っ」
……ああ、もう。 こいつは。
「……そういうの、反則だろ」
「ふふ。そうでしょうか?」
レムは楽しそうに笑った。 その笑顔を見て、俺は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
……大丈夫だ。
少なくとも、今は一人じゃない。
◇◇◇
「――諸君!」
凛とした声が、中庭に響き渡った。
クルシュ・カルステン。
王選候補者にして、カルステン公爵家の当主。 彼女が姿を現すと、それまで騒がしかった中庭が一瞬で静まり返った。
「これより、我々は白鯨討伐へ向かう」
その言葉に、兵士たちの表情が引き締まる。
「白鯨は、長きにわたり人々を苦しめてきた魔獣だ。数多の命を奪い、数多の悲しみを生んできた」
クルシュはゆっくりと兵士たちを見渡した。
「だが、今日。その歴史に終止符を打つ」
力強い声だった。
「恐怖を抱くことを恥じる必要はない。だが、我々は恐怖に屈するために集ったのではない」
クルシュが剣を抜く。夕陽を受けた刃が、赤く輝いた。
「我々は勝つためにここにいる!」
「「「おおおおおおお!!!」」」
地鳴りのような歓声が上がった。 俺は思わず息を呑んだ。
……すげえ。
たった一人の言葉で、これだけの人間の心を動かす。
これが、王選候補者。 これが、クルシュ・カルステン。 ふと、エミリアたんの顔が浮かんだ。
……あいつも、いつか。
こんなふうに、大勢の人間の前で胸を張って立てるようになるんだろうか。
いや。 きっと、なる。エリスも、そう信じてるはずだ。
◇◇◇
出発の合図が響いた。兵士たちが次々と馬へ跨がり、竜車が動き始める。俺とレムも、用意された竜車へ乗り込んだ。
「……いよいよだな」
「はい」
レムは静かに頷いた。 車輪が回り始める。
王都の門を抜ける頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
街道の先には、どこまでも続く道。
その向こうに、今夜の戦場が待っている。
……白鯨。待ってろよ。 今度こそ、お前を倒してやる。
◇◇◇
夜。
討伐隊は、フリューゲルの大樹付近へ到着した。巨大な樹木が、暗い空へ向かってそびえ立っている。その姿は、まるで大地から生えた巨大な塔のようだった。
「……でっけえ」
俺は思わず呟いた。
以前、この場所を通った時にも見たはずなのに、改めて間近で見ると、その大きさに圧倒される。
「スバルくん」
レムが隣へ並んだ。
「……ここが、決戦の場所なのですね」
「ああ」
俺は頷いた。
「……間違いない」
ここに、白鯨が現れる。 俺はそれを知っている。誰にも説明できない方法で。 誰にも理解してもらえない理由で。
……けれど。 今は、それでいい。 俺が知っていることを、使えるだけ使えばいい。
◇◇◇
到着後、討伐隊はすぐに布陣を始めた。 兵士たちが持ち場へ移動し、竜車が所定の位置へ並べられる。荷台からは、巨大な魔法石砲が運び出されていた。 その傍らでは、技師たちが慌ただしく最終確認を行っている。
「……これが、夜払いか」
俺は巨大な砲身を見上げた。
金属製の筒に、複雑な魔法陣が刻まれている。
その威圧感は、俺の知っている大砲と大差なかった。
「スバル殿」
声をかけてきたのは、ヴィルヘルムだった。
「おう、ヴィルヘルムさん」
「少々、お時間をいただけますかな」
「ああ。もちろん」
俺はレムに目配せし、ヴィルヘルムの後について歩き出した。 少し離れた場所。 大樹の影が落ちるところで、老剣士は足を止めた。
「……改めて、礼を申し上げたい」
「……え?」
「貴殿がもたらした情報がなければ、今回の討伐は実現しなかったでしょう」
ヴィルヘルムは深く頭を下げた。
「……ちょ、ちょっと待って下さいよ!」
俺は慌てて両手を振った。
「そんな、頭下げられるようなことじゃありませんて!」
「いいえ」
ヴィルヘルムは静かに首を振った。
「私にとっては、何よりも大きな意味を持つことなのです」
その表情には、普段の穏やかさとは違うものが宿っていた。
……執念。
いや。
もっと深い、何か。
「……ヴィルヘルムさん」
「はい」
「……絶対、勝ちましょう。」
俺は拳を差し出した。ヴィルヘルムは一瞬だけ目を見開いた。そして。
「……ええ」
静かに微笑み、俺の拳へ自らの拳を合わせた。
「必ず」
◇◇◇
準備が進む中、俺は少し離れた場所で一人、夜空を見上げていた。
星が瞬いている。その下で、兵士たちが慌ただしく動いている。
……エミリアたん。
今頃、何してんだろうな。屋敷に戻って、ちゃんと話したかった。
俺が何をしてきたのか。 何を考えて、ここまで来たのか。
全部。
けれど、時間がなかった。白鯨の出現まで、もう猶予はない。
だから、クルシュさんに頼んで親書を送ってもらった。
エミリアたんにも、ロズワールにも、事情は伝わっているはずだ。
……たぶん。
「……エリス」
俺は小さく呟いた。
あいつなら、どうするだろう。きっと、こんな時でも平然としてるんだろうな。あの余裕たっぷりの顔で。
『お前、そんな顔して勝てると思ってんのか?』
……なんて。言いそうだ。
「……はは」
思わず笑いが漏れた。エリスは、すげえ奴だ。 強くて、自由で、誰に対しても物怖じしない。口は悪いし、態度もでかい。
でも。あいつが何かを成し遂げれば、周りの人間はそれを覚えている。
エミリアたんも、ベア子も、ラムも。
みんな、あいつを信頼してる。
……俺は。
俺が積み上げてきたものは。 死に戻るたびに、消えていく。誰も覚えていない。俺がどれだけ必死だったのか。 何を失って、何を乗り越えたのか。……誰も。
「……っ」
俺は拳を握りしめた。
……いや。
違う。 今は、そんなこと考えてる場合じゃねえ。今回こそ。今回こそ、ちゃんと残すんだ。 誰にも消されない。
俺が、ここにいた証を。
「……見てろよ、エリス」
俺は空を見上げた。
「今度は、俺の番だ」
◇◇◇
「――スバルくん!」
レムの声が響いた。 振り返ると、彼女がこちらへ手を振っている。
「そろそろ、配置につく時間だそうです!」
「おう!」
俺は大きく頷いた。歩き出す。フリューゲルの大樹の周囲では、兵士たちが最後の準備を進めていた。
クルシュが指揮を執り、ヴィルヘルムが剣を確かめる。
フェリスは医療班の配置を確認している。
そして。
俺たちも、その輪の中へ加わった。
……白鯨。
待ってろよ。四百年も好き勝手してきたツケ。今夜、まとめて払わせてやる。俺は懐へ手を伸ばした。そこには、一つの小さなミーティアがある。白鯨が現れる時刻を知らせる、俺だけの切り札。
……もうすぐだ。
俺は深く息を吸い込んだ。夜の冷たい空気が、肺へ流れ込む。
そして。
静かに、目を閉じた。