自分の席の前でラムとレムがスバルと仲良く談笑しているのを薄めに見ながら、エリスはサンドイッチを口へ運ぶ。
昨日今日で来たばかりだというのに、随分と馴染んだものだ。
特にラムとは妙に馬が合うらしい。
もっとも、仲がいいというよりは一方的に玩具にされているようにも見えるが。
「それでバルス。結局あなたは何ができるの?」
「そのバルスって俺のこと!? いつの間にそんなお目目が潰れそうなあだ名が!?」
「質問に答えなさい、バルス」
「聞けよ!」
桃色の少女の容赦ない言葉に、スバルが机を叩く。
「俺にだって色々できるぞ! 裁縫、筋トレ、ゲーム、ネットサーフィン――」
「後半は何を言っているのか分からないわ」
「俺もこっち来てから役に立たないことに気付いたよ!」
「お前、本当に何しに来たんだ?」
エリスの呆れた声にスバルが振り返る。
「好きで来たんじゃねぇよ!」
「じゃあ帰ればいいだろ」
「帰り方が分かってたら苦労してねぇ!」
「面倒くせぇ奴だなぁ」
「理不尽!」
エリスが笑う。
そんなやり取りを見ながら、エミリアも小さく笑っていた。
「でも、スバルはこれからどうするの?」
その問いに、スバルの動きが止まる。
「これから?」
「うん。怪我が治るまではここにいてもいいと思うけど、その後のこと」
「あー……」
言われてみれば何も考えていなかったらしい。
腕を組んで唸るスバルを見ながら、ロズワールが優雅にカップを傾ける。
「今回の一件ではぁ、君にはエミリア様を助けてもらったからねぇ。望みがあるなら、可能な範囲で叶えてあげてもいいよぉ?」
「マジで?」
スバルの目が輝く。
そして、その視線がエミリアへ向く。
エリスの目が細くなった。
「……おい」
「待て待て! まだ何も言ってねぇだろ!」
「顔に出てんだよ」
「エリー、暴力はダメよ?」
エミリアから釘を刺され、エリスは舌打ちする。
「ちっ」
「今本気で舌打ちした!?」
「それでぇ? ナツキ・スバル君。君の望みは何かなぁ?」
ロズワールに促され、スバルは少し考える。
やがて何かを決めたように顔を上げた。
「――俺をここで雇ってくれ」
一瞬。
食卓が静かになった。
「……は?」
最初に声を上げたのはエリスだった。
「だから、ここで働かせてほしい」
「金なら他にもっと貰えるだろ」
「金じゃねぇんだよ」
「なら何だ?」
スバルはちらりとエミリアを見る。
「俺、こっちのこと何も知らねぇからさ」
文字も。
常識も。
金の価値も。
この国のことすら。
何一つ知らない。
「だったらここで働きながら覚えていくのが一番いいだろ。それに――」
スバルが笑う。
「世話になった分くらい返したいしな」
「……ふーん」
エリスは頬杖をついた。
少なくとも嘘を吐いているようには見えない。
「いいんじゃない?」
エミリアが嬉しそうに言う。
「私も賛成。スバルには助けてもらったもの」
「リアがそう言うなら僕も賛成かな」
「ベティーには関係ないのよ」
「ベア子も素直じゃねぇなぁ」
「その呼び方をやめるのよ!」
「ぐぼっ!?」
再びスバルが椅子から消えた。
「朝から元気だなぁ」
「エリスが止めるのよ!」
「嫌だよ。面白ぇし」
「エリー!」
「へいへい」
結局。
ナツキ・スバルは、ロズワール邸で使用人として働くことになった。
※ ※ ※ ※ ※
「――遅ぇ」
「待て! 待ってくださいエリス先生!」
屋敷の中庭。
エリスは木陰に寝転びながら、庭を走り回るスバルを眺めていた。
「あと……何周……?」
「二十」
「増えてねぇ!?」
「口動かす余裕あんなら三十」
「横暴だ!」
「四十」
「行ってきます!」
再び走り出す。
その様子を見ていたエミリアが呆れたようにエリスを見る。
「もう、エリー。スバルはまだ怪我が治ったばかりなんだから」
「本人が鍛えてくれって言ったんだぜ?」
「限度ってものがあるでしょ?」
「死にゃしねぇよ」
「そういう問題じゃないの!」
頬を膨らませるエミリア。
エリスは面倒そうに片目を閉じた。
スバルが屋敷で働き始めて数日。
家事については壊滅的――というほどではないが、決して褒められたものではなかった。
ラムには、
『バルス、雑巾一つ満足に絞れないの?』
と罵られ、
レムには、
『スバル君、そこはレムがやりますので』
と仕事を奪われ、
それでも本人は妙に楽しそうに働いている。
そして仕事が終われば、エミリアから文字を習い。
なぜかエリスに戦い方を教えてくれと頼み込んできた。
「おーい、スバル」
「ぜぇ……ぜぇ……なんだよ……」
「もういいぞ」
「マジ!?」
「ああ。こっち来い」
地面へ大の字に倒れ込むスバル。
エリスは立ち上がり、その横まで歩いていく。
「で、どうだった?」
「何が……?」
「自分の体だよ」
「死ぬほどしんどい」
「そうじゃねぇ」
エリスはスバルの腹を軽く蹴る。
「ぐぇ」
「体力はそこそこ。筋力も見た目よりある」
「だろ? 俺、引きこもりのくせに筋トレだけは――」
「でも弱ぇ」
「…………」
スバルの顔が引きつる。
「そこはもう少しオブラートに包もうぜ?」
「事実だからな」
エリスはしゃがみ込む。
「足運びも知らねぇ。間合いも分からねぇ。殺気にも鈍い。相手が何してくるかを見る癖もねぇ」
「ボロクソじゃねぇか」
「だから――」
エリスは自分の腰に巻いてある鞭へ触れた。
「俺やラインハルトみてぇなのを基準にするな」
スバルが黙る。
「お前がエルザみたいなのと正面からやり合ったら、十回やって十回死ぬ」
「…………」
「百回なら百回だ」
「増やすなよ」
「千回――」
「もういいわ!」
エリスが笑う。
「まあ、お前にはお前の戦い方があるだろ」
「俺の?」
「ああ」
エリスは何でもないように言う。
「盗品蔵でエミリアを庇った時、お前はエルザの狙いを当てただろ」
スバルの表情が僅かに固まった。
「……偶然だよ」
「そうか?」
「ああ」
妙に返答が早い。
エリスはそれを少しだけ不思議に思った。
しかし――、
「なら運が良かったんだな」
それだけ言って立ち上がる。
「運?」
「ああ」
エリスは当然のことのように笑った。
「運ってのは馬鹿にできねぇぜ?」
腰の鞭を抜く。
「どんだけ強かろうが、運が悪けりゃ死ぬ」
軽く手首を振った。
――パンッ!
遥か先。
庭の端に立っていた木の枝だけが、音を立てて落ちた。
スバルの頬が引きつる。
「逆にどんだけ弱くても、運さえありゃ生き残る」
「……経験談?」
「いいや」
エリスは笑う。
「俺は生まれてこの方――」
鞭を腰へ戻す。
「運が悪かったことなんざ、一度もねぇからな」
「うっぜぇぇぇぇ!」
スバルの叫び声が庭に響いた。
少し離れた場所からそれを見ていたエミリアが笑う。
そんな、なんでもない一日だった。
※ ※ ※ ※ ※
「スバル君。今日は村へ買い出しに行きます」
「村!?」
レムの言葉にスバルが飛び上がる。
「ついに来た! 異世界村イベント!」
「何を言っているのか分かりませんが、荷物持ちとして同行してください」
「任せろ! 荷物持ちだろうが何だろうが、外出できるなら大歓迎だ!」
「騒がしいですね」
そう言いながらも、レムの表情は以前より幾分柔らかい。
「エリーも行く?」
エミリアが尋ねる。
中庭の椅子に腰掛けていたエリスは、本から目も上げない。
「行かねぇ」
「即答ね」
「ガキのお使いについてってどうすんだよ」
「誰がガキだ!」
「お前だよ」
「同い年くらいだろ!」
「精神年齢の話だ」
「反論できねぇ!」
エリスはページをめくる。
「レムがいりゃ問題ねぇだろ」
「もちろんです」
「だとよ」
「もう」
エミリアは呆れたように笑った。
「じゃあスバル、ちゃんとレムの言うこと聞くのよ?」
「俺は子供か!」
「バルス。間違っても泥を食べないように気を付けなさい」
通りすがりのラムが言う。
「なんでそんなに変人扱いなんだよ!」
「?バルスは変人でしょ?」
「ひでぇ!」
エリスはその会話を聞きながら、僅かに笑った。
「行ってこい」
「あいよ!」
スバルが手を振る。
レムと並んで、屋敷から離れていく。
何の変哲もない光景。
エリスはすぐに視線を本へ戻した。
――その日の夜。
屋敷は静まり返っていた。
エリスも自室で眠りについている。
エミリアも。
ベアトリスも。
ラムも。
レムも。
そして――ナツキ・スバルも。
月だけが静かにロズワール邸を照らしている。
誰も異変には気付かない。
スバルの呼吸が少しずつ荒くなっていく。
「……ぅ」
喉を押さえる。
息ができない。
身体が熱い。
それなのに指先は恐ろしいほど冷たい。
「な……んだ……これ……」
ベッドから転がり落ちる。
助けを。
誰か。
エミリア。
レム。
ラム。
ベアトリス。
――エリス。
声を出そうとしても、喉から漏れるのは掠れた吐息だけ。
視界が暗くなる。
何が起きているのか分からない。
誰に殺されたのかも分からない。
ただ一つだけ分かる。
――死ぬ。
「……ざっ、けんな……」
ここまで来たのに。
今度こそ。
上手くいっていたのに。
震える指が床を掻く。
しかし、誰にも届かない。
そして。
ナツキ・スバルの心臓は――、
静かに、その鼓動を止めた。
※ ※ ※ ※ ※
爽やかな風が通り抜け、小鳥たちがさえずる。
気持ちのいい朝。
「――――」
エリスは眠っている。
何も知らず。
何も覚えていない。
ただ――。
ほんの一瞬だけ。
眠るエリスの眉間に、
深い皺が寄った。
それだけだった。
リハビリついでにAIつかってみた