SIDE スバル
ロズワール領へ続く街道を、竜車と騎乗した兵士たちが進んでいた。白鯨討伐の興奮も、夜が明ける頃には随分と落ち着いていた。代わりに身体を支配しているのは、戦いの疲労と、これから待ち受けるものへの緊張だ。俺も例外ではなく、パトラッシュの背で何度目になるかわからない欠伸を噛み殺していた。
「……眠そうだね、ナツキ・スバル」
「うっせ。誰のせいで余計な気疲れしてると思ってんだ」
隣を進むユリウスへ顔を向けると、案の定、涼しい顔で微笑まれた。
「私の存在が君の睡眠にまで影響を及ぼしているとは、光栄と言うべきかな」
「嫌味か!?」
「まさか。純粋な感想だよ」
「絶対嘘だろ……」
こいつはユリウス・ユークリウス
王城で俺をボコボコにした張本人である。本人は嫌味を言っている自覚がないのだろうが聞いてる側からしたらたまったもんじゃない。
なんでこいつがここにいるのか。
それは数分前まで遡る。
「それで卿らはいつまでここにいる?」
「そりゃァすぐにでもっていきたいところなんだがな。」
「手が足りないか」
「ああ…」
「なら兄ちゃん。うちらが本命の方で活躍したるわ。」
「リカード!本命ってなにかわかってんのか?」
「魔女教とこと構えるんやろ?商人の情報甘く見とったらアカンで?おっとやっと来よったか」
そういい、リカードは前を見る。それにつられて、俺も見るが目を疑った。
「なんであいつがここに!」
「なんでとは言ってくれるね」
そう、鉄の牙の半数と共にさっそうと現れたのだ。
ユリウスと話していると、どうにも調子が狂う。王都での一件がなければ、もう少し普通に接することもできたのかもしれない。いや、それでもこの気障な態度には腹が立っていた気がするが。
「ガッハッハ! なんや兄ちゃんら、あのあとやのに元気やな!」
リカードの笑い声が飛んできた。鉄の牙の団長は、あれだけの戦いを終えたというのに、疲れなど微塵も感じさせない。いったいどういう身体の構造をしているのか、一度じっくり調べてみたいものだ。
「元気なんじゃなくて、こいつがいちいち絡んでくるんだよ!」
「ほう。私としては、君の方から話しかけてくることが多いように思うが」
「そういうとこだよ!」
俺の抗議を聞いて、リカードがますます笑う。周囲の団員たちまでつられて笑い始め、なんとも締まらない行軍になっていた。もっとも、そんな空気も悪くない。白鯨との戦いで、俺たちは確かに一つの大きな壁を越えた。その実感が、こうして共に進む仲間たちの間に残っているのだろう。
だが、これから相手にするのは白鯨とは別の意味で厄介な連中だ。魔女教。あの狂った大罪司教の姿を思い出すだけで、背筋が冷たくなる。
「……スバル殿」
ヴィルヘルムさんが、馬を寄せてきた。
「そろそろ、メイザース領に入ります。ここからは周囲への警戒を強めた方がよろしいでしょう」
「……はい。お願いします」
俺は頷き、前方へ視線を向けた。見慣れた景色が少しずつ近づいてくる。何度も通った道。何度も目にした森。そして、その先にある小さな村。アーラム村。その名前を心の中で呟いた途端、胸の奥が強く締めつけられた。あの村で何が起こるのか、俺は知っている。だからこそ、今度は絶対に間に合わせなければならない。
◇◇◇
村が見えてきた頃、先行していた鉄の牙の団員が戻ってきた。
「団長! 村の入口に人影が複数! 武装している者もいます!」
「おう? 魔女教か?」
「いえ、村の住人と思われます。ただ、こちらをかなり警戒している様子で……」
その報告に、俺は眉を寄せた。いくら魔女教が迫っているとはいえ、村の人たちからすれば、突然武装した集団が押しかけてきたようにしか見えない。しかも、鉄の牙の面々は獣人が多く、見慣れない人間にとっては相当な迫力がある。
「俺が話してくる!」
俺はパトラッシュを進ませ、隊列の先頭へ出た。村の入口には、見覚えのある顔が何人も並んでいた。村長をはじめとする大人たちが、こちらを警戒するように立っている。その後ろには、怯えた表情の子供たちも見えた。
「おーい! みんなー!」
俺が大きく手を振ると、村人たちの間にざわめきが広がった。
「……スバル?」
「スバルじゃないか!」
「おう! 久しぶり!」
俺はパトラッシュから飛び降り、村長のもとへ駆け寄った。
「いやー、急に大人数で来ちまって悪い! でも安心してくれ! こいつらは敵じゃねえから!」
「そ、それはわかったが……いったい何事なんだ?」
村長は、俺の背後に並ぶ兵士たちへ不安げな視線を向けた。
「実はな、ちょっと事情があって……」
そこまで言いかけたときだった。
「――随分と賑やかな帰還だな、おい」
聞き覚えのある声が、村の奥から響いた。俺は反射的に顔を上げた。人垣の向こうから、一人の男が歩いてくる。長身の身体に、見慣れた不敵な笑み。腰には愛用の鞭を携え、その隣には金髪の小さな少女が寄り添っていた。
「……エリス!」
思わず声が弾んだ。
エリス・フォン・フェンウィック。王国近衛騎士にして、エミリアの騎士。そして、俺が誰よりも尊敬している男だった。
「よう、スバル」
エリスは片手を上げ、いつものように偉そうに笑った。
「随分と大所帯で帰ってきたじゃねえか。王都で傭兵団でも雇ったのか?」
「いや、それが聞いて驚け! 俺たち、白鯨を倒してきたんだよ!」
「…………あ?」
エリスの足が止まった。隣のベアトリスも、目を丸くしている。
「……今、なんつった?」
「だから、白鯨! あの四百年も暴れ回ってた、でっけえ魔獣! あいつを倒したんだって!」
俺は、思わず胸を張った。ようやく言えた。ずっと、こいつに伝えたかった。俺だって、やれるんだって。俺だって、誰かの役に立てるんだって。
エリスはしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……マジかよ」
「マジだって!」
「……ハッ」
エリスの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「やるじゃねえか、スバル」
「……!」
たった、それだけだった。けれど、その言葉が胸の奥へ深く染み込んでくる。こいつに認められたかった。ずっと、そう思っていた。
「……へへっ。だろ?」
俺は、照れくささを誤魔化すように笑った。
「まあ、俺一人で倒したわけじゃねえけどな!」
「当たり前だろ。お前一人で白鯨倒せるんなら、俺の出番なんざねえよ」
「そこはもうちょい褒めてくれてもよくない!?」
「褒めただろ、今」
エリスは、心底面倒くさそうに肩を竦めた。
「まったく、面倒な奴なのよ」
ベアトリスが呆れたように呟く。
「おう、ベア子! 久しぶり!」
「誰がベア子かしら!!!ベティーは別に、お前の帰りなんて待ってなかったかしら」
「はいはい、そういうことにしとくよ!」
「なっ……! 勝手に納得するんじゃないのよ!」
いつものやり取り。それが、どうしようもなく嬉しかった。……帰ってきたんだ。俺は、ようやくそう実感した。
◇◇◇
「――エリス!」
不意に、背後から声が響いた。振り向いたエリスの視線が、俺の後方へ向けられる。そこにいたのは、ユリウスだった。いつものように背筋を伸ばし、落ち着いた足取りでこちらへ歩いてくる。その顔には、どこか親しげな笑みが浮かんでいた。
「久しぶりだね、エリス」
「おう、ユリウス。お前も来たのか」
エリスは、まるで昨日も会っていたかのような気軽さで片手を上げた。
「相変わらずだね。少しは落ち着いたかと思ったのだが」
「ハッ。お前こそ相変わらず堅苦しいな。肩凝らねえのか?」
「生憎と、慣れているよ」
「そりゃご苦労なこった」
二人は、顔を見合わせて笑った。……なんだろう。なんか、ものすごく腹が立つ。
「……おい、エリス」
「あ?」
「お前、こいつと仲いいの?」
「ん? ああ、まあな」
俺はユリウスを見た。ユリウスは、涼しい顔で微笑んでいる。
「彼とは、近衛騎士として長い付き合いがあるからね」
「……へえ」
俺は、何とも言えない声を漏らした。……そうだった。エリスも、こいつも、同じ近衛騎士なんだ。考えてみれば、知り合いであっても何ら不思議じゃない。だが、それでも何となく納得がいかない。
「……なんか、納得いかねえ」
「何がだよ」
「いや、別に……」
俺が口を尖らせると、エリスは怪訝そうに眉を寄せた。
「……お前ら、何かあったのか?」
「……まあ、色々と」
「なるほど。彼とは少々、意見の相違があってね」
「少々で済ませるなよ!」
俺が噛みつくと、ユリウスは困ったように笑った。エリスはそんな俺たちを交互に見て、やがて呆れたように鼻を鳴らした。
「……くだらねえ」
「くだらなくねえよ!」
「今はそんなことしてる場合じゃねえだろ」
その一言に、俺は口を閉じた。エリスの表情が、少しだけ変わっていた。
「……で、スバル」
「……ん?」
「お前、何しに帰ってきた?」
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「何しにって……決まってんだろ! 魔女教をぶっ潰しに来たんだよ!」
「……魔女教?」
エリスの眉が、ぴくりと動いた。
「おう! この領地を狙ってるんだ! だから、クルシュさんたちと協力関係を結んで、兵隊も連れてきた!」
エリスは黙って俺を見つめた。その沈黙に、俺は首を傾げた。
「……エリス?」
「……お前、それは誰に断ってやった?」
「……え?」
「聞こえなかったか?」
エリスの声が、わずかに低くなった。
「リアの領地に、勝手に兵隊連れてきた理由を聞いてんだよ」
俺は、思わず目を見開いた。
「……いや、待てよ! 勝手にって、ちゃんと手紙送っただろ!」
「……手紙?」
「ああ! クルシュさんとの同盟のことも、魔女教のことも、全部書いた!」
エリスはしばらく俺を見つめていた。そして、面倒くさそうに頭を掻いた。
「……白紙の紙切れなら届いたぞ」
「…………は?」
今度こそ、俺は言葉を失った。
「……何?」
「だから、白紙だったって言ってんだよ。エミリア様宛ての親書だ。中身は何も書かれてなかった。悪戯にしちゃ笑えねえぞ」
「……そんな、馬鹿な」
俺は、思わず呟いた。そんなはずがない。確かに書いた。クルシュさんとの同盟のことも、白鯨討伐のことも、魔女教のことも。全部、伝えたはずだった。
「……いや、待ってくれ! 俺は確かに――」
「落ち着け、スバル」
エリスが、静かに言った。
「お前が何か考えて動いたのはわかる。だから話は聞いてやる」
「……!」
「だがな」
エリスは、俺を真っ直ぐに見据えた。
「リアの意思を置き去りにして話を進めるなら、俺はお前の味方はできねえぞ」
その言葉が、胸に突き刺さった。……違う。そうじゃない。俺は、エミリアを助けたくて、エリスたちを守りたくて、だからここまで頑張ってきたんだ。
「……俺は」
言葉が、うまく出てこなかった。白鯨を倒した。クルシュさんたちと協力関係を結んだ。魔女教を倒すために、これだけの仲間を連れてきた。全部、エミリアたちを守るためだった。それなのに。
「……俺は、ちゃんと……」
喉の奥が、ひどく苦しかった。
「……スバル」
エリスが、俺の名前を呼んだ。その声は、先ほどまでより少しだけ柔らかかった。
「別に、お前が悪いって決めつけてるわけじゃねえよ」
「……え?」
「手紙が白紙だった理由なんざ、俺にもわからねえ。だが、こっちに何も伝わってなかったのは事実だ」
エリスは、肩を竦めた。
「だったら、今から説明すりゃいいだろ」
俺は、しばらくエリスを見つめていた。……ああ、そうか。こいつは、俺を責めたいわけじゃないんだ。ただ、知らないことを知ろうとしている。それだけなんだ。
「……わかった」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「……全部、話すよ」
「おう」
エリスは、不敵に笑った。
「最初からそうしろってんだ」
◇◇◇
それから、俺たちは村の集会所へ場所を移した。エリスとベアトリス。ヴィルヘルムさんとユリウス。そして、リカードをはじめとする鉄の牙の面々。村長も同席し、今後の対応について話し合うことになった。
俺は、これまでの経緯を説明した。白鯨の出現情報を提供し、クルシュさんたちと交渉したこと。アナスタシアさんたちからも協力を得たこと。そして、魔女教がこの領地を狙っていること。もちろん、死に戻りのことは話せない。だから、説明できない部分も多かった。それでも、エリスは途中で口を挟むことなく、最後まで話を聞いてくれた。
「……なるほどな」
話し終えた俺に、エリスは静かに頷いた。
「大体わかった」
「……信じてくれるのか?」
「は?」
エリスは、心底不思議そうな顔をした。
「なんで信じねえんだよ」
「……いや、だって」
「白鯨を倒したってのは、こいつらが証人だろ。クルシュとの同盟も、ユリウスやあの爺さんがいる。疑う理由がねえ」
エリスは、当然のように言った。
「それに、お前がわざわざ嘘ついてまで兵隊連れてくる意味もねえだろ」
「……!」
「ただし」
エリスは、指を一本立てた。
「魔女教がこの領地を狙ってるって話については、まだ確認が必要だ。お前の情報が正しいとしても、敵の数も配置もわからねえ。そこを曖昧にしたまま突っ込むのは馬鹿のやることだ」
「……ああ」
「それと、リアには俺から話を通す。勝手に話を進めて、後から全部決まりましたじゃ、あいつも困るだろ」
「……そうだな」
俺は、ゆっくりと頷いた。……そうだ。俺は、エミリアを守りたかった。でも、守ることばかり考えて、本人の意思を確認することを忘れていたのかもしれない。
「……悪かった、エリス」
「ん?」
「……ちょっと、焦ってた」
エリスは、しばらく俺を見つめていた。そして、鼻を鳴らした。
「……ハッ。今さらだろ」
「……え?」
「お前が焦ってんのなんざ、見りゃわかる」
そう言って、エリスは立ち上がった。
「だが、よくやったな」
俺は顔を上げた。
「白鯨討伐に、クルシュとの同盟。簡単にできることじゃねえ」
エリスは、俺の肩を軽く叩いた。
「胸張っとけ。お前がやってきたことは、ちゃんと意味がある」
俺は思わず俯いた。……駄目だ。そんなこと言われたら。俺は、こいつに認められたくて、ずっと頑張ってきたんだから。
「……へへっ」
俺は、何とか笑った。
「……当たり前だろ」
「おう。なら、次も頼むぜ」
「……次?」
エリスは、不敵に笑った。
「魔女教をぶっ潰すんだろ?」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「……ああ!」
「だったら、最後までやり切れ」
エリスは、当然のように言った。
「できねえ仕事なら、最初から振らねえよ。お前ならできる。だから任せる。それだけだ」
俺は、しばらく言葉を失った。……ああ。こいつは、いつだってそうだ。無茶を言う。でも、不可能なことは言わない。俺にできると信じたから、任せてくれる。その信頼が、何よりも嬉しかった。
「……任せろよ、エリス」
俺は、力強く頷いた。
「絶対に、魔女教をぶっ潰してやる!」
エリスは、満足そうに笑った。
「……ハッ。いい返事だ」
その隣で、ベアトリスが呆れたように溜息を吐いた。
「……まったく。男二人で暑苦しいのよ」
「おい、ベティー。お前も手伝えよ」
「当然かしら! ベティーはエリスの契約精霊なのよ!」
「なら決まりだな」
エリスは、楽しそうに笑った。俺も、つられて笑った。
……大丈夫だ。今度こそ、全部うまくいく。
そう思えた。