月光る夜   作:案院運

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白鯨〜怠惰17

 

SIDE エリス

 

 アーラム村に戻ってきた討伐隊を迎えたのは、安堵と困惑の入り混じった村人たちの視線だった。武装した兵士たちが村へやってきたと思えば、今度は森へ向かい、半日も経たずに帰ってきたのだ。事情を知らない連中からすれば、何が起きているのかさっぱりわからねえだろう。もっとも、俺としてはそんなことよりも、先頭を歩いてくる黒髪の男の顔つきの方が気になっていた。

 

「よう、スバル。随分と早かったじゃねえか」

 

「おう! 聞いて驚け、エリス! 魔女教の大罪司教、ぶっ倒してきたぜ!」

 

「ほう?」

 

 胸を張って報告するスバルの後ろでは、ユリウスが苦笑しながら肩をすくめていた。あいつがそんな顔をしているということは、どうやら嘘でも大袈裟な話でもないらしい。俺はスバルの頭から足先までを一度眺め、目立った怪我がないことを確かめてから口を開いた。

 

「やるじゃねえか。で、そいつは確実に死んだんだろうな?」

 

「おうよ! ユリウスがばっちり仕留めた!」

 

「僕一人の手柄ではないよ。彼の情報がなければ、あれほど迅速には片づかなかっただろうね」

 

「へえ。お前ら、随分仲良くなったじゃねえか」

 

「なっ!? 別に仲良くなんかねえよ!」

 

 スバルが即座に噛みつく。俺はその反応がおかしくて笑い、ユリウスも口元を緩めた。王都であれだけ派手にやり合った二人が肩を並べて帰ってくるとは、世の中わからねえもんだ。もっとも、スバルの顔には疲労の色が濃く、戦いが楽なものじゃなかったことくらいは見て取れた。

 

「エリス、エミリア様は?」

 

「リアなら村の連中と避難の相談をしてる。お前が魔女教を倒したって聞きゃ、喜ぶだろうよ」

 

「……そっか」

 

 スバルは一瞬だけ目を伏せ、それから照れくさそうに笑った。その表情に何か言いかけたが、結局やめておく。俺がわざわざ口を出すまでもなく、こいつは自分の足でここまで来たんだからな。

 

 だが、俺たちが勝利の余韻に浸っていられたのは、そこまでだった。

 

「――エリス様!」

 

 村の入り口から駆け込んできた鉄の牙の団員が、息を切らして叫んだ。

 

「西側の街道で不審な連中を確認! それと、避難用の竜車の積荷に妙なものが見つかったそうです!」

 

「……妙なもの?」

 

「火魔石の疑いがあるとかで、今、確認を進めています!」

 

 俺は舌打ちした。大罪司教を倒したというのに、まだ厄介事が残ってやがるらしい。スバルとユリウスが顔を見合わせるのを横目に、俺は村の西側へ視線を向けた。

 

「ユリウス、スバル。積荷の方はお前らに任せる。俺は村を見てくる」

 

「わかった。こちらは僕が責任を持って確認しよう」

 

「おう! エリスも気をつけろよ!」

 

「誰に言ってんだ、馬鹿」

 

 軽く手を振って踵を返すと、隣を歩いていたベティーが不満そうに鼻を鳴らした。

 

「まったく、面倒事ばかり増えるかしら」

 

「そう言うなよ、ベティー。退屈しなくて済むだろ?」

 

「ベティーは別に退屈してないのよ。エリスと静かに過ごせるなら、それで十分かしら」

 

「へえ。可愛いこと言うじゃねえか」

 

「なっ……! そういう意味じゃないのよ!」

 

 顔を赤くしたベティーをからかいながら、俺は村の西側へ足を向けた。空にはまだ陽が残っている。嫌な予感がするには、少々明るすぎるくらいだった。

 

     ◇◇◇

 

 最初の異変は、村外れの家屋から上がった悲鳴だった。続いて、何かが砕ける音と、鉄の牙の団員たちの怒号が響く。駆けつけた俺の目に飛び込んできたのは、黒衣の男たちが民家の扉を蹴破り、中から逃げ出してきた村人を追い回している光景だった。

 

「……おいおい。随分と派手な訪問じゃねえか」

 

 俺が声をかけると、男たちが一斉に振り向いた。顔を覆う布の隙間から覗く目は、まともな人間のそれとは思えないほど血走っている。魔女教徒。説明されなくても、見りゃわかる。

 

「――邪魔をするなァ! 我らが勤勉を阻む者は――」

 

「うるせえ」

 

 鞭を振るう。乾いた破裂音とともに先頭の男の足首を絡め取り、そのまま横へ引き倒した。後続が躓いたところへ踏み込み、もう一人の顎を蹴り上げる。二人が地面へ転がる間に三人目が短剣を抜いたが、そいつの腕を鞭で打ち据え、武器を落とさせた。

 

「人んちの扉を壊すなら、せめて修理代くらい置いてけよ」

 

「――殺せェッ!」

 

「話の通じねえ連中だな」

 

 男たちが一斉に襲いかかる。数だけなら十人を超えていたが、動きに統率はなく、互いの進路を塞ぎ合っている始末だった。俺は鞭を短く持ち直し、正面の一人を殴り倒すと、横から振り下ろされた刃を半歩退いて躱した。そのまま相手の手首へ鞭を巻きつけ、身体ごと引き寄せて後ろの連中へ叩きつける。

 

「――アクラ」

 

 陽魔法によって身体能力を引き上げると、足元の土が弾けた。視界の端で敵が剣を構えるより早く懐へ入り込み、柄を握る指を蹴り飛ばす。さらに背後へ回り込もうとした男へ鞭を走らせ、膝を払って転倒させた。派手に動き回る必要もない。こいつら程度なら、間合いに入れさせなきゃ済む話だ。

 

「エリス、左かしら!」

 

 ベティーの声に従って身体を捻る。直後、俺がいた場所を黒い短剣が通り過ぎた。どうやら屋根の上にも潜んでいたらしい。俺は舌打ちし、左手を掲げた。

 

「――ミーニャ」

 

 空中に紫色の結晶が生まれ、鋭い先端を屋根へ向ける。放たれた結晶は瓦を砕きながら男の足元へ突き刺さり、逃げ道を塞いだ。驚いて飛び退いたところを、ベティーの陰魔法が追いかける。

 

「――ミーニャ!」

 

 無数の結晶が屋根の縁を穿ち、男は足場を失って地面へ転がり落ちた。俺はそいつの襟首を掴み、気絶させてからベティーを振り返る。

 

「いい腕だな、ベティー」

 

「当然かしら。誰の精霊だと思ってるのよ」

 

「俺のだろ?」

 

「……っ! わ、わかってるならいいのよ!」

 

 そんなやり取りをしている間にも、鉄の牙の団員たちが駆けつけ、倒れた魔女教徒を次々と拘束していった。だが、騒ぎはこれだけでは終わらなかった。村の中央からも悲鳴が上がり、さらに反対側の街道では黒煙が立ち昇っている。どうやら連中は、最初から複数の方向へ分かれて襲撃するつもりだったらしい。

 

「……ちっ。ベティー、中央へ行くぞ」

 

「わかったかしら!」

 

 俺は鞭を握り直し、村の中心へ向かって走り出した。

 

     ◇◇◇

 

 中央広場へ到着したとき、最初に目に入ったのは氷の壁だった。村人たちを背後に庇うようにそびえ立つそれは、魔女教徒の攻撃を防ぎ、広場の入り口を塞いでいる。そして、その壁の前には銀髪の少女が立っていた。

 

「――リア!」

 

「エリー!」

 

 俺の声に振り向いたリアの肩の上で、小さな灰色の猫が尻尾を揺らした。

 

「やあ、エリス。随分と騒がしいことになってるね」

 

「パックか。珍しく仕事してんじゃねえか」

 

「ひどいなあ。ボクはいつだってリアのために働いてるよ」

 

「二人とも! おしゃべりしてる場合じゃないわ!」

 

 リアに叱られ、俺とパックは揃って肩をすくめた。どうやら、こっちもそれなりに切羽詰まっているらしい。氷壁の向こうでは黒衣の男たちが武器を振り回し、何とか突破口を作ろうとしていた。数は二十人ほど。しかも、広場の反対側からは別の集団が近づいている。

 

「エリー、村の西側は?」

 

「片づけた。こっちも俺がやるから、お前は村人を――」

 

「嫌よ」

 

 予想外の返事に、俺は眉を上げた。リアは真っ直ぐにこちらを見つめ、いつになく強い口調で続ける。

 

「私も戦うわ。村の人たちを守るのは、私の役目でもあるもの」

 

「……へえ」

 

「エリーが守ってくれるのは嬉しい。でも、私だってみんなの力になりたいの。お願い、一緒に戦わせて」

 

 俺はしばらくリアの顔を見つめ、それから小さく笑った。こいつがこういう目をするときは、何を言ったところで引かねえ。だったら、わざわざ止める理由もない。

 

「いいぜ。好きにしろ」

 

「……本当?」

 

「ああ。ただし、無茶はすんなよ。お前が怪我でもしたら、後で俺がパックに殺される」

 

「もちろんだよ、エリス。リアに傷一つつけたら、ボクは君を許さないからね」

 

「怖え怖え。ベティー、聞いたか? こいつ俺を脅してきやがった」

 

「エリスが余計なことを言うからかしら」

 

 ベティーまで呆れたように言うものだから、俺は苦笑するしかなかった。だが、そんなやり取りの間にも、敵は氷壁を迂回して広場へ入り込もうとしている。俺はリアの頭を軽く撫で、鞭を構えた。

 

「じゃあ、やるか」

 

「うん!」

 

「ベティー、俺の右を頼む」

 

「任せるかしら」

 

「パックはリアを見てろ。俺が前を潰す」

 

「言われなくても、そのつもりさ」

 

 俺は地面を蹴った。アクラで強化した脚力が身体を前へ押し出し、魔女教徒たちの視線が一斉にこちらへ集まる。先頭の男が剣を振り上げたが、その手首を鞭で打ち据え、武器を落とさせた。続けて鞭を振り抜き、二人目の足を払う。倒れた男を飛び越えながら三人目の胸へ蹴りを叩き込み、勢いのまま敵陣の中央へ踏み込んだ。

 

「――なっ、何だこいつは!?」

 

「近衛騎士だよ。覚えとけ」

 

 名乗るほどの相手でもねえが、せっかく聞かれたんだから答えてやる。俺は鞭を振るい、周囲の男たちをまとめて牽制した。敵の刃が届くより先に鞭の先端が走り、手首や足首を打ち据えていく。何人かが距離を取って魔法を使おうとしたが、そいつらには左手を向けた。

 

「――ミーニャ」

 

 紫色の結晶が空中に生まれ、魔女教徒たちの足元へ降り注いだ。地面に突き刺さった結晶が進路を塞ぎ、慌てて飛び退いた男たちの動きを乱す。そこへベティーが追加の結晶を放ち、逃げ道を完全に断った。

 

「エリス、奥にまだいるかしら!」

 

「見えてる!」

 

 俺は鞭を振り抜き、結晶の隙間から飛び出してきた男を地面へ叩きつけた。さらに背後から迫る気配へ身体を向けようとした、その瞬間、足元を冷気が駆け抜ける。

 

「――お願い!」

 

 リアの声とともに、地面から氷の柱が突き出した。俺へ斬りかかろうとしていた男たちの足元が凍りつき、その動きが止まる。続けてパックが小さな前足を振ると、冷気の渦が広がり、敵の武器をまとめて氷で覆った。

 

「おっと。リアに近づくのは遠慮してもらおうかな」

 

「助かるぜ、パック!」

 

「どういたしまして。でも、あとでちゃんとお礼はしてね」

 

「魚でも買ってやるよ!」

 

「それは魅力的な提案だね」

 

 軽口を叩きながらも、パックの魔法は正確だった。村人のいる方向へは冷気を流さず、敵の足元だけを凍らせていく。リアもその動きに合わせて氷の壁を作り替え、逃げ遅れた村人たちが広場の奥へ避難できるよう通路を確保していた。

 

 俺はその光景を横目で見ながら、思わず口元を緩めた。以前のリアなら、これほど多くの人間に見られながら魔法を使うことを躊躇ったかもしれねえ。だが、今のこいつは違う。村人たちの視線を恐れるより、目の前の誰かを助けることを優先している。

 

「……いいじゃねえか、リア!」

 

「えへへ! エリーもすごいわ!」

 

「当たり前だろ。誰だと思ってんだ」

 

 俺が笑うと、リアも嬉しそうに笑い返した。その直後、広場の反対側から新たな魔女教徒たちが姿を現したが、今度は鉄の牙の団員たちが横合いから突撃し、敵の足を止めた。ヴィルヘルムの剣閃が黒衣の男を一人斬り伏せ、リカードの大剣が別の一団をまとめて吹き飛ばす。

 

「ガハハハ! こっちにも獲物を残しとけや、兄ちゃん!」

 

「遅えんだよ、犬っころ!」

 

「誰が犬っころや! せめて立派な獣人言わんかい!」

 

 リカードの怒鳴り声に、俺は思わず笑った。どうやら、これでようやく片がつきそうだ。広場へ押し寄せていた魔女教徒たちは次々と倒され、残った連中も鉄の牙によって拘束されていく。俺は最後の一人を鞭で引き倒し、周囲を見渡した。

 

「……終わりか?」

 

「少なくとも、この広場に敵はいないようですな」

 

 ヴィルヘルムが静かに答えた。俺は頷き、鞭を腰へ戻した。

 

「なら、村人の確認だ。まだ逃げ遅れてる奴がいるかもしれねえ」

 

「承知しました。私も兵を回しましょう」

 

「頼むぜ」

 

 そう言って振り返ると、リアが村人たちに囲まれていた。子供たちが彼女の手を握り、助けてくれたことへの礼を口にしている。リアは最初こそ戸惑っていたが、やがて嬉しそうに微笑み、一人一人の頭を撫でていた。

 

 その肩の上で、パックが満足そうに尻尾を揺らしている。

 

「よかったね、リア」

 

「……うん。みんなが無事で、本当によかった」

 

「お前もよくやったな」

 

 俺が声をかけると、リアは振り向いて笑った。

 

「エリーも! ベアトリスも、ありがとう!」

 

「ベティーはエリスのために働いただけかしら」

 

「素直じゃねえな、お前は」

 

「うるさいのよ!」

 

 ベティーが俺の腕を叩く。そんな様子を見て、リアが小さく笑った。パックも楽しそうに目を細めている。

 

 だが、まだ仕事は残っていた。村の各所で戦闘が起きた以上、怪我人や逃げ遅れた連中がいるかもしれねえ。俺はリアとベティーを連れ、村の家々を回ることにした。

 

     ◇◇◇

 

 村人たちの安否確認を終えた頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。幸い、重傷者はほとんどおらず、家屋の被害も修理できる程度で済みそうだった。鉄の牙の団員たちが負傷者の手当てを進め、ヴィルヘルムたちが周辺の警戒を続けている。これなら、ひとまず村は大丈夫だろう。

 

「……ふぅ。ようやく落ち着いたな」

 

 俺が肩を回すと、隣のリアが小さく息を吐いた。

 

「うん……。でも、本当にみんな無事でよかった」

 

「お前もよくやったよ。村の連中も喜んでたじゃねえか」

 

「……えへへ。そうかな?」

 

「ああ。少なくとも、今日のお前を見て文句を言える奴はいねえだろ」

 

 リアは照れくさそうに笑った。そんな彼女の肩で、パックが満足そうに目を細める。

 

「そうだね。今日のリアは、とっても立派だったよ」

 

「パックまで……もう!」

 

「褒められ慣れとけよ、リア。これからもっと増えるんだからな」

 

 俺がそう言うと、リアは少し驚いたように目を瞬かせ、それから嬉しそうに頷いた。ベティーも俺の隣で小さく息をつき、ようやく戦いが終わったことを実感しているようだった。

 

 俺は何気なく周囲を見渡した。村人たちの間を鉄の牙の団員が行き交い、少し離れた場所ではリカードが大声で部下たちに指示を飛ばしている。ヴィルヘルムの姿も見える。ユリウスは積荷の件を調べているはずだ。

 

 そこで、ふと気づいた。

 

「……そういや、スバルはどこ行った?」

 

 何気なく口にした問いに、答える者はいなかった。リアが不思議そうに首を傾げ、ベティーも周囲を見回す。

 

「スバル? そういえば、さっきから見てないわね」

 

「ベティーも知らないかしら」

 

「……あいつ、また勝手にどっか行きやがったのか?」

 

 俺は呆れたように息を吐いた。まったく、少し目を離すとすぐこれだ。どうせまた、何か厄介事に首を突っ込んでいるんだろう。

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