月光る夜   作:案院運

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白鯨〜怠惰20

 

SIDE スバル

 

 アーラム村の広場に広げられた地図を前に、ナツキ・スバルは腕を組んでいた。

 

 ケイティから押収した地図には、村を取り囲む森や岩場、今ではほとんど使われなくなった旧街道など、いくつもの場所に赤い印が記されていた。いずれも人目につきにくく、ある程度の人数が身を潜めるには都合のいい場所ばかりだ。内通者が持っていたという事実を考えれば、魔女教徒の潜伏地点と見て間違いないだろう。

 

 そして、その中に『指先』がいる可能性は極めて高い。

 

 魔女教大罪司教『怠惰』ペテルギウス・ロマネコンティ。あの狂人は、肉体を失った際に魂を移すための予備の器を用意している。指先と呼ばれる特別な配下がそれだ。前の周回ではペテルギウスの肉体を滅ぼすところまで辿り着きながら、最後の最後でスバル自身が憑依され、全てが台無しになった。

 

 自分の意思とは無関係に身体が動き、自分の口からあの男の声が漏れ出す。

 

 思い出すだけで吐き気がした。

 

 何より、その結末を終わらせるため、ユリウスに自分を殺させてしまったことが胸に重く残っている。あんなことは二度と御免だったし、何も覚えていないユリウスに同じ役目を押しつけるつもりもなかった。

 

 だからこそ、今回は最初から逃げ道を塞ぐ。

 

「……っちゅうわけで、リカードのおっさん。頼めるか?」

 

 スバルが地図を差し出すと、目の前の大男はそれを受け取り、赤い印の位置を確かめた。

 

「ふむ……なるほどなぁ。こいつらが、さっき言うとった『指先』っちゅう連中か」

 

「ああ。全部が当たりとは限らねえけど、魔女教徒が潜んでる可能性は高い。ペテルギウス本体を倒しても、指先が残ってたら終わらねえんだ」

 

「そら厄介な話やな。せやけど、潜んどる場所がわかっとるんなら話は早い。ワイらが先に叩いたらええだけや」

 

 リカードは牙を覗かせて笑った。豪快な態度とは裏腹に、その目は地図の位置関係を冷静に追っている。各地点の距離や周辺の地形、そこへ向かう経路を確かめているのだろう。鉄の牙を率いる団長だけあって、戦いに関する判断は早かった。

 

「できれば一斉に仕掛けてほしい。連絡を取られて逃げられたら面倒だからな」

 

「わかっとる。ミミとティビーにも動いてもらうか。あいつらなら多少離れた場所でも問題あらへんし、ほかの連中も分けたらまとめて叩けそうや」

 

「ミミとティビー?」

 

「うちのミミはうちの副団長や。ティビーはその弟や。もう一人へータローっちゅう弟もおるけどそっちは白鯨でへばってしもうてな。腕は確かやから安心しとき」

 

「へえ。副団長とその弟ふたりか。」

 

「おう。まあ、会うたらわかるわ」

 

 リカードは何やら楽しそうに笑ったが、スバルは特に気に留めなかった。それよりも重要なのは、指先を一人残らず始末できるかどうかだ。

 

「とにかく頼む。できれば一人も取り逃がしたくねえ」

 

「任せとき。ほんで、兄ちゃんらはどないするんや?」

 

 リカードがスバルと、その隣に立つユリウスへ視線を向ける。

 

 スバルは即答した。

 

「作戦会議だ」

 

「……作戦会議?」

 

「ああ。大罪司教相手に、俺とユリウスだけで突っ込んでも勝てるとは限らねえからな」

 

 一瞬の沈黙のあと、リカードが腹の底から笑い声を上げた。

 

「ガッハッハ! そらそうやな! いくら兄ちゃんらでも、大罪司教相手に二人だけっちゅうんは無茶な話や!」

 

「笑い事じゃねえっての! だからお前らに指先を任せてる間に、俺たちは本体をどう仕留めるか考えるんだよ。必要なら鉄の牙の力も借りる。白鯨のときみたいに、使える手は全部使うつもりだ」

 

「ええやんけ。白鯨んときもそうやったけど、兄ちゃんはよう頭が回るなぁ」

 

「……いや、俺自身は大したことできねえからさ」

 

 スバルは苦笑した。

 

 剣を握ったところでユリウスには遠く及ばず、魔法の腕も頼りない。強大な敵を相手に真正面から勝負できるような力など、自分にはない。それは王都での決闘でも、白鯨との戦いでも嫌というほど思い知らされてきた。

 

 だが、だからといって何もできないわけではない。

 

 自分にしかわからない情報がある。自分にしか果たせない役割がある。そして、自分にはできないことを成し遂げてくれる仲間がいる。

 

 その力を借りればいいのだ。

 

「ま、俺も少しは成長したってことだろ」

 

「ええことや。ほな、こっちは任せとき。兄ちゃんらもしっかり頭使うんやで!」

 

「おう。頼んだぜ!」

 

 リカードは地図を片手に踵を返し、鉄の牙の団員たちを呼び集めた。ほどなくして広場には威勢のいい声が響き、各部隊への指示が飛び交い始める。潜伏地点への経路を確認し、装備を整えた傭兵たちが次々と村を離れていった。

 

 その姿を見送りながら、スバルは小さく息を吐く。

 

「……さて、と」

 

「我々も始めようか、スバル」

 

 隣に立っていたユリウスが声をかけた。

 

「ああ。こっからが本番だ」

 

 二人は広場の隅にある空き家へと向かった。

 

     ◇◇◇

 

 机の上には、周辺の地形を記した別の地図が広げられていた。

 

 スバルはその上に小石を並べ、ペテルギウスの行動を思い返していた。前の周回では奴を追い詰めるところまでは成功した。しかし、最後の最後で憑依を許し、全てを台無しにしてしまった。今度は同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。

 

「まず、ペテルギウスの能力について整理したい」

 

「聞こう」

 

「奴は見えない腕を使う。しかも一本や二本じゃねえ。何本も同時に操って、こっちを攻撃してくるんだ」

 

「不可視の攻撃、か」

 

 ユリウスは難しい顔をした。

 

「厄介だね。攻撃の軌道が見えないとなれば、防御も回避も容易ではない」

 

「だろうな。しかも、普通の人間には見えねえ」

 

「……普通の人間には?」

 

 ユリウスが顔を上げる。

 

 スバルは一瞬だけ口を閉じた。

 

 自分には見える。それをどう説明するべきか、まだ答えは出ていなかった。魔女との関係を疑われる危険もあるし、そもそもなぜ見えるのかをスバル自身が理解していない。

 

「……俺には見えるんだよ。理由は聞かねえでくれ」

 

 ユリウスはしばらくスバルを見つめた。

 

「……わかった。君がそう言うのなら、今は追及しない」

 

「助かる」

 

「しかし、それならば君が攻撃を見極め、私が対処するという方法も考えられるね」

 

「ああ。けど、俺が口で説明してたんじゃ間に合わねえ。だから、お前の精霊術で何とかできないかと思ってさ」

 

「……なるほど」

 

 ユリウスは顎に手を当てた。

 

「私の精霊と君の感覚を繋ぐことができれば、視覚情報を共有できる可能性はある。通常の使い方ではないが、試してみる価値はあるだろう」

 

「マジか!」

 

「ただし、成功する保証はない。それに、たとえ攻撃が見えたとしても、全てを防げるとは限らない」

 

「……だよな」

 

 スバルは頷いた。

 

 前の周回で見たペテルギウスの攻撃は、決して生易しいものではなかった。見えざる手の一本一本が凄まじい力を持ち、数も多い。いくらユリウスが優れた騎士でも、真正面から全てを相手取るのは危険だろう。

 

「だから、奴をこっちの都合のいい場所に誘い込む」

 

 スバルは地図の一点を指差した。

 

 村から離れた岩場だった。

 

「ここなら周りに人がいねえ。森の中みたいに見通しが悪いわけでもないし、奴が暴れても村人を巻き込む心配が少ない」

 

「……確かに、戦場としては悪くない」

 

「だろ? あとは奴をどうやって誘い出すかだ」

 

 ユリウスは地図を見つめ、しばらく考え込んだ。

 

「ペテルギウスが君に強い関心を示すという話だったね」

 

「ああ。あいつ、俺のことを妙に気に入ってやがるんだ」

 

「……それは、喜ぶべきことではないだろうね」

 

「当たり前だろ! あんな奴に好かれて嬉しいわけあるか!」

 

 思わず声を荒らげると、ユリウスは小さく苦笑した。

 

「失礼。だが、その執着を利用できる可能性はある」

 

「……俺が囮になるってことか」

 

「危険な役目だ」

 

「わかってる」

 

 スバルは即答した。

 

「けど、俺が奴を引っ張り出せるなら、それが一番手っ取り早い。もちろん、一人で突っ込むつもりはねえよ」

 

 白鯨戦のときもそうだった。

 

 自分にできることを見極め、できないことは仲間に任せる。そうして初めて、強大な敵に勝つための道筋が見えてくる。

 

「指先の討伐が終わるまでは動かねえ。リカードたちが戻ってきたら、状況を確認して、必要な戦力を整える。それからペテルギウスを誘い出す」

 

「……堅実な判断だね」

 

「だろ? 俺だって、いつまでも無茶ばっかしてるわけじゃねえんだぜ」

 

「それは少々、疑わしいところだが」

 

「おい!」

 

 ユリウスは微笑んだ。

 

 その顔を見た瞬間、スバルの脳裏に前の周回の記憶が蘇った。

 

 自分を殺した男。

 

 いや、違う。

 

 自分の願いを聞き届けてくれた男だ。

 

 ユリウスは何も覚えていない。あのとき、どんな思いで剣を振るったのかも、今の彼には存在しない出来事だ。それでも、スバルの胸には確かに残っている。

 

「……なあ、ユリウス」

 

「何だい?」

 

「今度こそ、ちゃんと勝とうぜ」

 

 ユリウスは一瞬、不思議そうな顔をした。

 

 しかし、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。

 

「ああ。必ず」

 

 差し出された手を、スバルは強く握り返した。

 

     ◇◇◇

 

SIDE エリス

 

 竜車の車輪が、乾いた街道を規則正しく叩いていた。

 

 アーラム村を離れた王都方面の避難隊は、今のところ何事もなく進んでいた。数台の竜車には村人たちが分乗し、乗り切れなかった者たちはその周囲を歩いている。突然住み慣れた村を離れることになった不安からか、会話は少なく、時折子供の泣き声が聞こえる程度だった。それでも混乱が起きていないのは、護衛にあたる者たちが目を光らせていることに加え、エミリアが出発前に村人たちへ丁寧に事情を説明していたからだろう。

 

 俺は列の先頭寄りを歩きながら、周囲の森へ目を向けた。

 

 街道の両脇には背の高い木々が並び、風が吹くたびに葉が擦れ合う音がする。今のところ不審な気配はない。魔女教徒が待ち伏せている様子もなければ、妙な魔力の反応も感じられなかった。

 

 とはいえ、安心するにはまだ早い。

 

 相手は魔女教の大罪司教だ。何を仕掛けてくるかわからない以上、こちらも警戒を解くわけにはいかない。

 

「……ったく。朝っぱらから面倒なことになったもんだ」

 

 思わず零した愚痴に、頭上から呑気な声が返ってきた。

 

「エリスがそんなこと言うなんて、珍しいね」

 

「あ? 俺だって面倒なもんは面倒だって言うぞ」

 

「ふふっ、そうだったね」

 

 ふわりと降りてきたのは、灰色の毛並みを持つ小さな猫の姿をした精霊だった。

 

 パックは俺の肩に腰を下ろすと、長い尻尾をゆらゆらと揺らした。

 

「それにしても、君も忙しいねぇ。王都から戻ってきたと思ったら、今度は魔女教の大罪司教だなんて」

 

「別に俺が戦うって決まったわけじゃねえだろ。スバルたちが何とかするって言ってたしな」

 

「……スバル、か」

 

 パックは少しだけ目を細めた。

 

「そういえばエリス、スバルとは仲直りしたのかい?」

 

「……あ? 仲直り?」

 

「ほら、王都で喧嘩したって聞いたけど」

 

 俺は思わず眉を寄せた。

 

「喧嘩ぁ? 俺、あいつと喧嘩なんかしたか?」

 

「……え?」

 

「いや、あいつの行動が騎士としてどうなんだって聞いただけだろ。別に喧嘩したつもりはねえぞ」

 

 パックはしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて小さく吹き出した。

 

「……ふふっ。なるほど、君らしいね」

 

「なんだよ」

 

「いや、スバルも大変だなぁって」

 

「はぁ? あいつが勝手に難しく考えてるだけだろ。俺は別に、あいつのこと嫌いになったわけじゃねえし」

 

 そもそも、あのとき俺が言ったのは至極当たり前のことだ。王選の場で感情に任せて騒ぎを起こし、エミリアの意思を置き去りにしてまで自分の正しさを押し通そうとした。だから、あいつの行動は本当に騎士としてのものなのかと問いかけた。それだけの話だ。

 

 スバルがどう受け取ったのかは知らないが、少なくとも俺の中では、それで話は終わっている。

 

「……それに、白鯨まで倒しやがったんだろ?」

 

「そうみたいだね」

 

「大したもんじゃねえか。俺がいねえ間に随分と面白えことやってんじゃねえの」

 

 思わず笑みが浮かぶ。

 

 あいつが何をどうやって白鯨を倒したのか、詳しい話はまだ聞けていない。だが、あの魔獣が何百年もの間、数え切れないほどの人間を殺してきた存在であることぐらいは知っている。そんな化け物の討伐にスバルが大きく貢献したというのだから、驚くなという方が無理な話だった。

 

「……嬉しそうだね」

 

「あ?」

 

「スバルが活躍したこと」

 

「そりゃそうだろ。友達が大仕事やってのけたんだぞ。喜ばねえ理由があるかよ」

 

 俺がそう答えると、パックは一瞬だけ目を丸くしたあと、楽しそうに笑った。

 

「……うん。そうだね」

 

「なんだよ、気色悪い」

 

「いやいや。君らしいなぁって思っただけさ」

 

 パックはそう言って、俺の肩からふわりと浮かび上がった。

 

 そのとき、竜車の窓から聞き慣れた声が飛んできた。

 

「エリー!」

 

 振り返ると、エミリアが窓から顔を覗かせていた。

 

「そんなところで何してるの?」

 

「見りゃわかるだろ。護衛だよ、護衛」

 

「それはわかってるけど……ずっと歩いてたら疲れちゃうでしょう?」

 

「俺を誰だと思ってんだ」

 

「もう、そういうことじゃなくて」

 

 エミリアは少し困ったように眉を下げた。

 

「たまには休んでほしいって言ってるの」

 

「……はいはい。わかったよ」

 

 そう答えると、エミリアは満足そうに微笑んだ。

 

 その隣から、今度は金髪の少女が顔を出す。

 

「まったく、エリスは少しぐらい人の言うことを聞くべきなのよ」

 

「お前まで何だよ、ベティー」

 

「エミリアが心配してるんだから、素直に休めばいいかしら」

 

「……お前、俺が休んだら休んだで文句言うだろ」

 

「そ、そんなことないのよ!」

 

 ベティーは頬を膨らませた。

 

 その反応に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「……ったく。わかったって。少ししたら乗るから」

 

「約束なのよ!」

 

「はいはい」

 

 ベティーはようやく納得したのか、窓から顔を引っ込めた。

 

 その様子を見ていたパックが、くすくすと笑い出す。

 

「ベティーもすっかり君に懐いたねぇ」

 

「昔からあんなもんだろ」

 

「そうかな? ボクにはずいぶん変わったように見えるけど」

 

「……気のせいだろ」

 

 適当に答えると、パックは何やら意味ありげな笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、そういうことにしておこうか」

 

「……うぜえ猫だな」

 

「おやおや、ひどい言い草だ」

 

 そんなやり取りをしていると、前方から一人の老人が歩み寄ってきた。

 

 ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア。

 

 白鯨討伐に参加した剣鬼であり、今は俺たちとともに竜車隊の護衛を務めている男だ。

 

「エリス殿」

 

「あ? 爺さんか」

 

「少々、お話をしてもよろしいでしょうか」

 

「構わねえよ。どうした?」

 

 ヴィルヘルムは俺の隣へ並び、しばらく街道の先を眺めていた。

 

 相変わらず姿勢のいい爺さんだ。歩き方一つ取っても無駄がなく、剣を抜いていない今でさえ、隙らしい隙が見当たらない。なるほど、剣鬼と呼ばれるだけのことはある。

 

「……そういや爺さん、白鯨をぶっ殺したんだってな」

 

「ええ。長年の悲願を、ようやく果たすことができました」

 

「……十四年だったか?」

 

「はい」

 

「そりゃ長えな。で、どうだった?」

 

「どう、とは?」

 

「仇を討った感想だよ」

 

 ヴィルヘルムはしばらく沈黙した。

 

 その視線は、どこか遠くへ向けられている。

 

「……不思議なものです。あれほど望んでいたはずなのに、今はただ、静かな気持ちでおります」

 

「……そうかよ」

 

「仇を討ったからといって、失ったものが戻るわけではありません。ですが……ようやく、妻に顔向けができるようになった気がします」

 

 俺はしばらく黙っていた。

 

 十四年。言葉にするのは簡単だが、それだけの年月を一つの目的に費やすというのは、並大抵のことではない。ましてや、その目的が妻の仇討ちとなれば、なおさらだろう。

 

「……だったら、今度は自分のために生きりゃいい」

 

「……はい?」

 

「十四年も仇討ちに使ったんだ。残りの人生ぐらい、好きにしろよ」

 

 ヴィルヘルムは一瞬だけ目を見開いた。

 

 それから、静かに笑った。

 

「……実に、貴殿らしいお言葉ですな」

 

「褒めてんのか、それ」

 

「もちろんです」

 

 俺は鼻を鳴らした。

 

 まったく、年寄りの考えることはよくわからない。

 

 しばらく二人で歩いていると、ヴィルヘルムが再び口を開いた。

 

「それにしても、あの戦いでは驚かされることばかりでした」

 

「あ?」

 

「白鯨の巨体、消滅の霧、そして三体に分かれた姿。長年追い続けてきた私でさえ、知らぬことが多かった」

 

「……三体?」

 

 俺は思わず顔を向けた。

 

「おいおい、白鯨ってのは分裂すんのかよ」

 

「ええ。あの魔獣は戦いの途中、三体へと分かれました。もっとも、その全てが本体というわけではありませんでしたが」

 

「……へえ。そりゃ厄介だな」

 

「はい。討伐隊も一時は混乱に陥りました。しかし、スバル殿が本体を見抜き、我々を導いてくださったのです」

 

 その名前に、俺は思わず眉を上げた。

 

「……スバルが?」

 

「ええ」

 

 ヴィルヘルムは穏やかな表情で頷いた。

 

「あの方がいなければ、我々は白鯨を討つことができなかったでしょう」

 

「……ほう」

 

 俺は思わず口元を緩めた。

 

「詳しく聞かせろよ、爺さん」

 

 ヴィルヘルムは静かに頷いた。

 

 そこから語られたのは、俺の知らないスバルの姿だった。

 

 白鯨の出現を予測し、クルシュ陣営とアナスタシア陣営を動かして討伐隊を編成したこと。白鯨の霧によって仲間が消え、混乱が広がる中でも、諦めずに勝機を探し続けたこと。そして、フリューゲルの大樹を倒すという大胆な策によって、白鯨を地上へ引きずり下ろしたこと。

 

 どれも、俺の知っているスバルからは想像しにくい話だった。

 

 いや、違う。

 

 あいつなら、やりかねない。

 

 そう思った。

 

「……はっ。あの馬鹿、随分と派手にやったじゃねえか」

 

「ええ。実に見事な采配でした」

 

「それで? 最後は爺さんが斬ったんだろ?」

 

「はい。スバル殿たちが作ってくださった好機を、私がいただきました」

 

 ヴィルヘルムは静かに微笑んだ。

 

「長年の悲願を果たせたのは、あの方のおかげです」

 

 俺は思わず笑った。

 

「はっはっは! あいつ、俺がいねえ間に随分と面白えことやってんじゃねえか!」

 

 王都での一件など、今さらどうでもいい。

 

 俺が言ったことを、スバルがどう受け取ったのかは知らない。だが、あいつがその後も諦めずに進み続け、白鯨討伐という大仕事を成し遂げたのなら、それで十分だ。

 

 むしろ、誇らしいぐらいだった。

 

「……あいつ、少しは騎士らしくなったじゃねえか」

 

 思わず零した言葉に、ヴィルヘルムが目を細めた。

 

「……スバル殿とは、親しい間柄なのですか?」

 

「……あ?」

 

「いえ。貴殿があの方の話をされるとき、随分と楽しそうに見えますので」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「……まあ、友達だよ」

 

「友達、ですか」

 

「ああ。馬鹿で、弱くて、すぐ無茶しやがる。見てて腹立つことも多いけどな」

 

 俺は小さく笑った。

 

「……けど、あいつは諦めねえんだよ」

 

 ヴィルヘルムは何も言わなかった。

 

「どんだけボロボロになっても、どんだけ無理だって言われても、最後には立ち上がってきやがる。普通なら投げ出すようなことでも、あいつは馬鹿みてえに食らいつく」

 

 それは、俺が以前から知っているスバルの姿だった。

 

 何か特別な力があるわけでもない。剣の腕が立つわけでもなければ、魔法の才能に恵まれているわけでもない。

 

 それでも、あいつは自分にできることを探し続ける。

 

 そして、今回もそうしたのだろう。

 

「……だから、まあ」

 

 俺は口元を緩めた。

 

「あいつは、俺の自慢の友達だよ」

 

 ヴィルヘルムは静かに微笑んだ。

 

「……よい友をお持ちですな」

 

「……まあな」

 

 俺は短く答えた。

 

 そのとき、竜車の窓から再び声が飛んできた。

 

「エリー! ヴィルヘルムさん!」

 

 エミリアだった。

 

「二人とも、ずっと歩いてるでしょう? 少し休憩しない?」

 

「リア、お前さっきも同じこと言ってただろ」

 

「だって、心配なんだもの!」

 

 エミリアは頬を膨らませた。

 

 その隣から、ベアトリスも顔を出す。

 

「エリス! いい加減に乗るのよ!」

 

「……お前ら、揃いも揃ってうるせえな」

 

「エリスが言うことを聞かないからなのよ!」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「……はいはい。わかったよ」

 

 そう言って竜車へ近づくと、ベアトリスは満足そうに頷いた。

 

「最初からそうすればいいかしら」

 

「ったく……」

 

 俺は苦笑しながら、竜車の縁へ手をかけた。

 

 その様子を見ていたヴィルヘルムが、静かに笑みを浮かべる。

 

「……どうやら、貴殿にも頭の上がらぬ方々がいらっしゃるようですな」

 

「……うるせえよ、爺さん」

 

 そう返すと、ヴィルヘルムは珍しく声を立てて笑った。

 

 街道には、相変わらず穏やかな風が吹いていた。

 

 竜車の車輪が規則正しく地面を叩き、村人たちの話し声が遠くから聞こえてくる。魔女教徒の襲撃に備えているとは思えないほど、平穏な時間だった。

 

 俺は竜車の中へ身体を滑り込ませると、当然のように隣へ寄ってきたベティーの頭を軽く撫でた。

 

「……で、リア。何か用か?」

 

「用がないと呼んじゃ駄目なの?」

 

「別にそうは言ってねえだろ」

 

「ふふっ、ならよかった」

 

 エミリアは嬉しそうに笑った。

 

 その笑顔を見て、俺は小さく肩をすくめる。

 

 まったく。

 

 魔女教だの大罪司教だの、面倒なことばかり起こりやがる。

 

 だが、少なくとも今は、この穏やかな時間を守ってやりたいと思った。

 

 それが、俺の騎士としての仕事なのだから。

 

     ◇◇◇

 

SIDE スバル

 

 リカードたちを送り出してから、まだそれほど時間は経っていなかった。

 

 ユリウスとの作戦会議を終え、必要な準備を整えたスバルは、村の広場で地図を眺めていた。ペテルギウスを誘い込む場所、そこまでの経路、万が一の際に撤退する方向。考えなければならないことは山ほどあるが、何より重要なのは、指先の殲滅が完了するまで本体に手を出さないことだった。

 

 前の周回で味わった、あの不快な感覚。

 

 自分の身体を他人に奪われるという経験は、二度と御免だった。

 

「……あとはリカードのおっさんたち次第か」

 

「そうだね。彼らならば問題なく任務を遂行してくれるだろうが、相手が魔女教徒である以上、油断はできない」

 

 隣に立つユリウスが答えた。

 

 スバルは頷き、空を見上げる。

 

 太陽はまだ高い位置にあった。日暮れまでは十分な時間が残されているとはいえ、だからといって悠長に構えているわけにはいかない。エミリアたちはすでに村を離れ、王都方面へ向かっている。できることなら、日が暮れる前に全てを終わらせたいところだった。

 

「……しっかし、まだ時間かかるよなぁ」

 

「そうとも限らないよ」

 

「へ?」

 

「彼らは優秀な傭兵団だ。戦力を分散し、奇襲を仕掛けることができれば、我々が思っている以上に早く決着がつく可能性もある」

 

「……そういうもんかね」

 

 スバルが首を傾げた、そのときだった。

 

「おーい! 兄ちゃんらぁ!」

 

 聞き覚えのある豪快な声が、広場の向こうから響いてきた。

 

 振り返ると、そこには大きな体を揺らしながら歩いてくるリカードの姿があった。その後ろには鉄の牙の団員たちが続いており、誰もが戦闘を終えたばかりとは思えないほど余裕のある表情を浮かべている。

 

「……え?」

 

 スバルは思わず目を瞬かせた。

 

「……いや、ちょっと待て。早くね?」

 

「ガッハッハ! なんや兄ちゃん、遅い方がよかったんか?」

 

「いやいやいや! そういうわけじゃねえけど! だって、もう全部終わったのか!?」

 

「おう。地図に印のあった場所は全部回ったで。潜んどった連中も、まとめて片づけたわ」

 

「……マジかよ」

 

 スバルは呆然とした。

 

 確かに、リカードたちが優秀な傭兵団であることは知っている。白鯨討伐戦でも、その実力は嫌というほど見せつけられた。だが、それにしたって仕事が早すぎる。

 

「……お前ら、どんな速度で動いてんだよ」

 

「そら、仕事が早いんが取り柄やからな!」

 

 リカードは牙を見せて笑った。

 

「それに、兄ちゃんが場所を教えてくれたんが大きい。魔女教徒っちゅうても、不意を突かれたら案外脆いもんや」

 

「……なるほどな」

 

 スバルは大きく息を吐いた。

 

 指先の殲滅は完了した。

 

 これで、ペテルギウスの逃げ道を一つ潰せたことになる。

 

「……助かったぜ、リカードのおっさん」

 

「礼は全部終わってからにしとき。まだ大将が残っとるんやろ?」

 

「ああ」

 

 スバルは頷いた。

 

「……次は、ペテルギウスだ」

 

 そう答えたところで、広場の向こうから何やら騒がしい声が聞こえてきた。

 

「お兄さん! お兄さん! こっちこっちー!」

 

「お姉ちゃん、そんなに引っ張らなくても逃げませんよ」

 

「だって、この人すっごく怪しいんだもん!」

 

「だから! 何度も申し上げていますが、僕は魔女教徒ではありませんってばぁ!」

 

 スバルの身体がぴたりと止まった。

 

 聞き覚えのある声だった。

 

 いや、正確には、今の自分が聞いたことのないはずの声。

 

 前の周回で、確かに耳にした声だった。

 

「……まさか」

 

 振り返った先には、二人の小柄な獣人と、その間で半ば引きずられるように連れてこられた青年の姿があった。

 

 茶色の髪に、どこか頼りなさそうな顔立ち。商人らしい服装をした青年は、必死に自分の無実を訴えている。

 

 オットー・スーウェン。

 

 前の周回で、スバルとともに竜車に乗っていた行商人だった。

 

「……オットー」

 

 思わず名前が口から漏れた。

 

 しかし、青年はスバルを見ても、何の反応も示さなかった。

 

 当然だ。

 

 オットーにとって、ナツキ・スバルという男は、まだ出会ったことのない赤の他人なのだから。

 

「……ん?」

 

 スバルは慌てて口を閉じた。

 

 危ない。

 

 うっかり知り合いのように話しかけるところだった。

 

 その間にも、二人の獣人はオットーを引っ張りながら、こちらへ近づいてくる。

 

「リカード団長ー! 怪しい人、捕まえたよー!」

 

「お姉ちゃん、まだ魔女教徒と決まったわけではありません」

 

「えー? でも、すっごく怪しかったよ?」

 

「……ですから、確認が必要だと言っているのです」

 

 片方は元気いっぱいの少女。もう片方は、落ち着いた口調の少年だった。

 

 どちらも獣人特有の耳と尻尾を持ち、見た目はまだ幼い。とても戦場を駆け回る傭兵には見えなかった。

 

 スバルは思わず目を丸くした。

 

「……え、ちょっと待って。何この子たち」

 

「ん? ああ、紹介しとらんかったな」

 

 リカードが笑った。

 

「こっちがミミで、そっちがティビーや。二人とも、うちの副団長やで」

 

「……副団長?」

 

 スバルは二人を見た。

 

 そして、もう一度リカードを見た。

 

「……え?」

 

「なんや?」

 

「いやいやいや! ちょっと待てって! こんなちっちゃい子が傭兵!? しかも副団長!?」

 

「ちっちゃくないよー!」

 

 ミミが元気よく反論した。

 

「ミミ、すっごく強いんだから!」

 

「お姉ちゃん、初対面の方にいきなり大声を出すのはどうかと思いますよ。」

 

「えー? だって本当だもん!」

 

 ティビーは小さくため息をついた。

 

「……申し遅れました。鉄の牙副団長、ティビーです。こちらは姉のミミです」

 

「ミミだよー! よろしくね、お兄さん!」

 

「……お、おう。よろしく」

 

 スバルは何とも言えない顔で挨拶を返した。

 

 白鯨討伐戦で鉄の牙の実力は十分に見てきたつもりだったが、まさかこんな幼い子供たちが副団長を務めているとは思わなかった。

 

 しかも、リカードの様子を見る限り、二人の実力を疑っている様子はまったくない。

 

「……この世界、ほんと見た目で判断できねえな」

 

「何か言ったー?」

 

「いや、何でもねえ!」

 

 スバルが慌てて首を振ると、ミミは楽しそうに笑った。

 

 そんなやり取りの横で、オットーがとうとう我慢の限界を迎えたらしい。

 

「あのぉぉぉ!!」

 

「うおっ!?」

 

「そろそろ僕の話も聞いていただけませんかねぇ!? 先ほどからずっと申し上げていますが、僕はただの行商人なんですよ!」

 

 オットーは涙目になりながら訴えた。

 

「街道を通っていただけなのに、突然この方たちに囲まれて! 魔女教徒だとか何とか言われて! 挙げ句の果てには、ここまで連れてこられたんです!」

 

「だって怪しかったもん!」

 

「怪しくありませんってばぁ!」

 

「確かにこの方の行動には不審な点がありましたが、まだ確証はありません」

 

「ほら! そちらの方もそう仰ってるじゃないですか!」

 

「……ですので、もう少し詳しく事情を伺う必要があります」

 

「結局疑われてるじゃないですかぁ!」

 

 スバルは思わず吹き出した。

 

 あまりにも見覚えのある反応だった。

 

 前の周回でも、この男はよく喚き、よく慌て、そして何かと不運な目に遭っていた。

 

 もっとも、本人にとっては笑い事ではないのだろうが。

 

「……あー、ちょっといいか?」

 

 スバルが口を挟むと、オットーがこちらを向いた。

 

「……はい? 何でしょうか?」

 

「いや、俺はナツキ・スバルってんだけどさ。あんた、行商人なんだよな?」

 

「ええ。オットー・スーウェンと申します。しがない行商人ですが……」

 

「なるほど。じゃあ、魔女教徒とは関係ねえってことでいいんだな?」

 

「当たり前でしょう!?」

 

 オットーは即答した。

 

「そんな恐ろしい連中と関わりがあるわけないじゃないですか!」

 

 スバルは小さく頷いた。

 

 前の周回で知っている相手とはいえ、今のオットーが自分を知らない以上、いきなり馴れ馴れしく接するわけにはいかない。

 

 それでも、この男が魔女教徒ではないことは確信していた。

 

「……リカードのおっさん。そいつ、たぶん本当にただの行商人だぜ」

 

「ほう?」

 

「魔女教徒なら、こんなに堂々と自分の身分を名乗って騒がねえだろ。少なくとも、今のところ怪しい証拠は出てねえんだろ?」

 

「……まあ、せやな」

 

 リカードは顎を掻いた。

 

「持ち物も調べたけど、商売道具ばっかりやったしな」

 

「だったら、解放してやってもいいんじゃねえか?」

 

 リカードはしばらく考え込んだあと、大きく頷いた。

 

「……せやな。ミミ、ティビー。その兄ちゃんはもうええで」

 

「えー? ほんとー?」

 

「お姉ちゃん、団長の判断ですよー!」

 

「はーい!」

 

 ミミが元気よく返事をすると、オットーはようやく解放された。

 

「……た、助かった……」

 

 その場にへたり込んだオットーは、深いため息をついた。

 

「まったく……今日は本当に厄日ですよ……」

 

「まあまあ。無事だったんだからいいじゃねえか」

 

 スバルが声をかけると、オットーは顔を上げた。

 

「……ナツキさん、でしたっけ?」

 

「ああ」

 

「助けていただいて、ありがとうございます。正直、どうなることかと思いましたよ」

 

「気にすんなって。困ったときはお互い様だろ?」

 

「……はは。そう言っていただけると助かります」

 

 オットーは苦笑した。

 

 その顔を見て、スバルは少しだけ胸が温かくなるのを感じた。

 

 前の周回では、最後まで上手くいかなかった。

 

 だが、少なくとも今は、こうして無事に再会できている。

 

「……ところで、オットーさん」

 

「はい?」

 

「悪いんだけど、もう少しこの村で待っててもらえねえかな?」

 

「……え?」

 

「ちょっと片づけなきゃならねえことがあってさ。終わったら、また話したいんだ」

 

 オットーは怪訝そうな顔をした。

 

「……まあ、構いませんけど。どうせ今日は商売になりそうもありませんし」

 

「助かる!」

 

「……その代わり、今度こそ変な騒ぎに巻き込まないでくださいよ?」

 

「善処する!」

 

「それ、絶対に信用できない返事ですよね!?」

 

 スバルは笑って誤魔化した。

 

 そして、広場の向こうに立つユリウスへ視線を向ける。

 

 指先の殲滅は完了した。

 

 村人たちも、すでに避難を始めている。

 

 太陽はまだ高い。

 

 日が暮れるまでには、十分な時間が残されていた。

 

 残るは、ペテルギウス本体のみ。

 

「……よし」

 

 スバルは小さく呟いた。

 

「今度こそ、全部終わらせてやる」

 

 その言葉に、ユリウスが静かに頷いた。

 

 魔女教大罪司教『怠惰』ペテルギウス・ロマネコンティ。

 

 長く続いた因縁に、今度こそ決着をつけるときだった。

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