SIDE エリス
魔女教との戦いが終わり、ようやく一息つけるかと思った矢先に、今度は避難民の護送だ。まったく、騎士というのも随分と忙しい仕事らしい。もっとも、誰かに命じられてやっているわけでもない以上、文句を言う筋合いはないのだが。
火魔石を積んだ竜車の一件も無事に片付き、アーラム村の周辺にはようやく落ち着きが戻り始めていた。とはいえ、村人たちをそのまま帰宅させるわけにもいかない。魔女教徒が完全に排除されたことを確認し、負傷者の治療や被害状況の調査を終えるまでは、まだ相応の時間が必要だった。
「エリー、こっちの人たちは準備ができたみたい」
「おう。なら順番に乗せろ。怪我人を先にして、動ける連中は後回しだ。荷物なんざ最悪置いていきゃいい」
俺の指示に従い、避難民たちが竜車へと乗り込んでいく。中には不安そうな顔をしている者もいたが、俺が目を向けると慌てて頭を下げる者が少なくなかった。別にそこまで畏まる必要もないのだが、どうにも俺の顔を見ると緊張する奴が多いらしい。
「……エリス、相変わらず偉そうなのよ」
隣に立つベティーが呆れたように呟いた。
「偉そうじゃねえ。偉いんだよ」
「自分で言うことじゃないかしら」
「事実を言って何が悪い」
そう言って笑うと、ベティーは小さくため息をついた。もっとも、その手はしっかりと俺の袖を掴んでいる。どうやら文句を言いながらも、離れるつもりはないらしい。
少し離れた場所では、スバルが討伐隊の連中と何やら話し込んでいた。今回の戦いでは随分と働いたようだが、本人はまだ落ち着かない様子であちこちを走り回っている。まったく、少しは休めばいいものを。
「おい、スバル! いつまで働いてやがる。そろそろ出発するぞ!」
「わかってるって! こっちももう終わる!」
振り返って手を振るスバルを見て、俺は鼻を鳴らした。以前ならあいつが何かを仕切っているだけで不安になったものだが、今では周囲の連中もそれなりに信用しているらしい。白鯨を討ち取った功績というのは、やはり大きいようだ。
もっとも、俺からすればまだまだ危なっかしいところだらけだが。
◇◇◇
王都へ向かう竜車の中は、思っていた以上に静かだった。エミリアは窓の外を眺め、ベティーは俺の隣で本を読んでいる。スバルも珍しく大人しくしていたが、疲れているというより、何か考え事をしているようだった。
「……そういや、レムの奴はもう王都に着いてんのかな」
不意にスバルが口を開いた。聞き覚えのない名前に、俺は片眉を上げる。
「レム?」
「ああ。白鯨戦のあと、フェリスにドクターストップかけられてさ。負傷者と一緒に先に戻ったんだけど……」
「……スバル?」
エミリアが不思議そうに首を傾げた。
「その、レムって……誰のこと?」
スバルの表情が固まった。
「……は?」
「ごめんなさい。私、その人のこと知らなくて……」
「いやいや、ちょっと待ってくれよ。レムだよ、レム! 青い髪のメイドで、ラムの妹の!」
スバルは慌てた様子で説明を始めたが、エミリアの表情は変わらない。どうやら本当に心当たりがないらしい。俺も記憶を探ってみたが、そんな名前のメイドがいた覚えはなかった。
「……ラムに妹なんざいたか?」
「エリスまで何言ってんだよ! いたじゃねえか! 屋敷で一緒に働いてたろ!?」
「知らねえもんは知らねえ。ベティー、お前はどうだ?」
「知らないかしら。ラムに妹がいるなんて聞いたこともないのよ」
その瞬間、スバルの顔から血の気が引いた。先ほどまでの騒がしさが嘘のように消え、ただ呆然と俺たちを見つめている。どうやら冗談では済まない話らしい。
「……嘘だろ。なんで……なんで誰も覚えてねえんだよ……」
スバルは頭を抱え、何かを思い出そうとするように目を閉じた。俺はその様子を眺めながら、少しばかり考える。こいつがこんなくだらない嘘をつくとは思えない。だが、俺たち全員が同じ人間を忘れているというのも、普通ならあり得ない話だった。
「おい、スバル。最後にそいつを見たのはいつだ?」
「……白鯨討伐のあとだ。フェリスが診察して、王都へ戻るように言って……」
「だったら王都で確かめりゃいい。ちょうど向かってるところだろ」
「……エリス」
「ここで騒いだところで何も変わらねえ。俺たちの記憶がおかしいのか、お前の記憶がおかしいのか、それとも別の何かがあるのか。まずは調べるしかねえだろ」
俺がそう言うと、スバルはしばらく黙り込んだあと、小さく頷いた。納得したわけではないだろうが、少なくとも少しは落ち着いたらしい。俺はそれ以上追及せず、窓の外へ視線を戻した。
白鯨に魔女教ときて、今度は記憶の異常か。随分と面倒なことが続くものだ。
◇◇◇
王都へ到着した俺たちは、まず負傷者と避難民の受け入れを済ませた。治療が必要な者は医療施設へ運ばれ、その他の者たちも一時的な滞在先を確保することになった。エミリアは村人たちの様子を気にかけていたが、ひとまず大きな混乱は起きていない。
そして、その日のうちにクルシュ邸を訪れることになった。スバルがどうしても確かめたいことがあると言い張ったためだが、俺としてもクルシュたちの無事は確認しておきたかった。
屋敷に案内された俺たちを迎えたのは、普段とは明らかに様子の違うフェリスだった。
「……よく来てくれたにゃ、みんな」
「おう、フェリス。随分としけた面してんじゃねえか」
「……エリスは相変わらずだね」
「当たり前だろ。で、クルシュはどうした?」
俺が尋ねると、フェリスは一瞬だけ視線を伏せた。その反応を見て、どうにも嫌な予感がした。
「……クルシュ様は、今ちょっと大変なことになってるんだにゃ」
案内された応接室には、見慣れた緑髪の女性が座っていた。クルシュ・カルステン。白鯨討伐を率いた王選候補者の一人であり、今回の戦いにおける重要な協力者だ。しかし、その表情には以前のような凛とした鋭さがなく、どこか戸惑ったような色が浮かんでいた。
「……申し訳ありません。皆様とは、以前にお会いしたことがあるのでしょうか?」
その言葉に、スバルが息を呑んだ。エミリアも驚いたように目を見開く。俺はしばらくクルシュを見つめたあと、フェリスへ視線を向けた。
「……説明しろ」
「クルシュ様は、記憶を失ってしまったんだにゃ」
「記憶を?」
「うん。王都へ戻る途中で襲撃を受けて……フェリちゃんたちが駆けつけたときには、もう……」
フェリスは俯き、拳を握り締めた。普段のふざけた口調は鳴りを潜めており、その表情からは悔しさが滲み出ている。
「治癒魔法でも治せないの。身体には大きな異常がないのに、記憶だけが戻らないんだよ……」
「……襲撃した奴は?」
「魔女教の大罪司教。『強欲』と『暴食』……そう聞いてるにゃ」
その瞬間、スバルが勢いよく身を乗り出した。
「暴食……!? おいフェリス! レムは!? レムはどうなったんだよ!」
「……レム?」
フェリスが首を傾げる。それを見たスバルの表情が、再び凍りついた。
「お前まで……」
「スバルきゅん……?」
「お前が診たんだろ!? 白鯨戦のあと! マナが消耗してるからって、王都に戻れって言ったじゃねえか!」
「……ごめん。フェリちゃんには、何のことだか……」
「くそっ……!」
スバルが歯を食いしばる。俺はそんなスバルの肩を掴み、椅子へ座らせた。気持ちはわからんでもないが、ここでフェリスを責めたところで何かが変わるわけでもない。むしろ、こいつ自身もクルシュのことで相当に参っているようだった。
「落ち着け、スバル。怒鳴ったところで思い出すわけじゃねえ」
「だけどよ……!」
「わかってる。だから今は話を聞け」
俺はフェリスへ向き直った。記憶を失ったクルシュ、誰にも覚えられていないという少女、そして襲撃に関わった大罪司教。ここまで揃えば、無関係と考える方が難しい。
「で、その襲撃で他に何があった?」
フェリスは一瞬ためらったあと、静かに口を開いた。
「……実は、もう一人いるんだにゃ」
「もう一人?」
「うん。クルシュ様とは違って、目を覚まさない子が……」
スバルが顔を上げた。その目には、先ほどまでとは違う切迫した光が宿っている。
「……どこだ。その子、どこにいるんだよ!」
◇◇◇
案内された部屋の寝台には、一人の少女が横たわっていた。青い髪に小柄な身体、そして安らかな寝顔。俺には見覚えのない少女だったが、その姿を目にした瞬間、スバルは迷うことなく駆け出していた。
「……レム!」
寝台の傍らに膝をつき、少女の手を握り締める。その声は震えていた。まるで、ようやく見つけた大切なものが、今にも目の前から消えてしまうことを恐れているかのように。
「レム……おい、レム! 起きろよ……!」
返事はない。少女はただ、静かに眠り続けている。スバルが何度呼びかけても、その瞼が開くことはなかった。
「……なんでだよ。白鯨、倒したじゃねえか……魔女教だって……全部、うまくいったはずだろ……!」
俺は黙ってその光景を見ていた。目の前の少女が何者なのか、俺にはわからない。だが、スバルにとって大切な存在であることだけは、嫌というほど伝わってきた。
「……フェリス。治せねえのか?」
「……今のフェリちゃんには、無理だよ」
「そうか」
俺は寝台へ視線を戻した。スバルは少女の手を握ったまま、俯いている。まったく、胸糞悪い話だ。勝ったと思ったら、今度はこんな仕打ちか。随分と性格の悪い奴がいるらしい。
「……スバル。そいつを起こす方法は、まだわかってねえだけだろ」
「……え?」
「治せねえって決まったわけじゃねえ。だったら探しゃいい。それだけの話だ」
スバルが顔を上げた。俺はそんな奴を見下ろしながら、軽く肩をすくめる。何をそんなに絶望しているのやら。治す方法がわからないなら探せばいいし、それでも見つからなければ別の手段を考えればいい。少なくとも、ここで立ち止まっている理由にはならないだろう。
「お前が諦めねえなら、俺も手伝ってやるよ。こういう面倒事は、さっさと片付けるに限るからな」
「……エリス」
「それに、俺の知り合いをここまで追い詰めた奴がいるってのも気に食わねえ。そいつには一度、きっちり落とし前をつけてもらわねえとな」
俺がそう言うと、スバルはしばらく黙り込んだあと、小さく頷いた。まだ立ち直ったわけではないだろう。それでも、先ほどまでのようにただ絶望しているだけではなくなったらしい。
◇◇◇
その後、俺たちは王都に数日滞在することになった。負傷者の治療や避難民の保護、帰還のための準備など、片付けなければならない仕事が山ほど残っていたからだ。
エミリアは避難民たちの様子を見て回り、俺はその護衛と各所への連絡を担当した。ベティーは相変わらず俺の傍を離れようとせず、スバルは時間を見つけてはレムの眠る部屋へ足を運んでいた。
クルシュの記憶は戻らず、レムも目を覚まさない。魔女教の大罪司教が関わっていることはほぼ間違いないようだったが、その所在も能力も不明なままだった。
やがて負傷者の治療が進み、避難民の帰還準備も整ったことで、俺たちはメイザース領へ戻ることになった。もっとも、全員がすぐに帰れるわけではなく、重傷者については引き続き王都で療養することになっている。
出発前、スバルはもう一度レムの眠る部屋を訪れた。俺はその様子を少し離れた場所から眺めていたが、今度は声をかけることなく待つことにした。
「……レム。絶対、起こしてやるからな」
そう言って少女の手を握るスバルの表情には、まだ悲しみが残っていた。それでも、その目には確かな決意が宿っている。ならば、これ以上俺が何かを言う必要もないだろう。
◇◇◇
メイザース領へ戻った頃には、空がすっかり夕焼けに染まっていた。竜車を降りて屋敷を見上げると、数日前まで当たり前だった景色が、妙に懐かしく感じられる。
「……さて、と。ようやく帰ってきたわけだが」
俺は大きく伸びをした。王都での滞在は思っていた以上に忙しかったが、収穫がなかったわけではない。少なくとも、何が起きているのか、その輪郭くらいは見えてきた。
「エリー」
隣から声をかけてきたエミリアへ視線を向ける。彼女は屋敷の方を見つめながら、どこか不安そうな表情を浮かべていた。
「ロズワールとラム、まだ帰ってきてないんだよね」
「ああ。どうやらそのようだな」
「村のみんなも、聖域に避難したままだし……」
「だったら迎えに行きゃいいだろ。いつまでも向こうに置いとくわけにもいかねえしな」
「……うん。そうだね」
エミリアが小さく頷く。俺としても、聖域とやらには以前から少々興味があった。ロズワールがわざわざ足を運ぶほどの場所だ。何かしら面白いものがあるに違いない。
「おい、スバル。いつまでしけた面してやがる。次は聖域だぞ」
「……わかってるよ」
「なら結構。いつまでも立ち止まってんじゃねえ。お前にはまだやることがあるんだろ?」
スバルは一瞬だけ目を伏せたあと、小さく笑った。
「……ああ。そうだな」
「はっ、ようやくいつもの顔に戻ってきたじゃねえか」
「お前に言われたくねえよ」
「ほう? 随分と生意気な口を利くようになったな」
「誰の影響だと思ってんだ!」
「知らねえな。少なくとも俺じゃねえだろ」
「絶対お前だよ!」
久しぶりに聞くスバルの騒がしい声に、エミリアが小さく笑った。ベティーは呆れたようにため息をつきながら、俺の袖を引っ張っている。
「エリス、そろそろ中に入るのよ。ベティーは疲れたかしら」
「はいはい。ったく、わがままな精霊様だな」
「誰がわがままなのよ!」
そんなやり取りを交わしながら、俺たちは屋敷へと足を踏み入れた。白鯨を倒し、魔女教を退け、それでもなお片付かない問題は山ほど残っている。記憶を失ったクルシュ、眠り続けるレム、そして聖域へ向かったまま戻らないロズワールとラム。どれも一筋縄ではいかない問題なのだろう。
だが、だからどうした。
面倒事がいくつ重なろうと、俺のやることは変わらない。目の前に立ちはだかるものがあるなら、まとめて蹴散らしてやればいいだけだ。
俺は口元に笑みを浮かべ、屋敷の奥へと歩き出した。
次は聖域か。
さて、今度はどんな面倒事が待っていることやら。