SIDE エリス
聖域の夜は、思っていた以上に静かだった。王都のように夜更けまで灯りが絶えないわけでもなく、ロズワール邸のように使用人たちが廊下を行き交う気配があるわけでもない。日が落ちれば家々の窓から漏れる明かりも一つ、また一つと消えていき、やがて集落全体が深い闇の底へ沈んでいく。遠くで虫の鳴く声が聞こえ、時折、森を渡る風が木々を揺らしていた。そんな場所で、俺たちは夕食を終えたあとも、ロズワールから聞かされた話について考えていた。聖域を閉ざす結界。混血の者たちを外へ出さない仕組み。そして、それを解くために必要だという墓所の試練。どれもこれも、聞けば聞くほど胡散臭い話だったが、少なくともここに暮らす連中が自由に外へ出られないというのは事実らしい。
「……私、やってみようと思うの」
そう口を開いたのは、リアだった。
食卓を囲んでいた面々の視線が、一斉に彼女へ向けられる。リアは少しだけ緊張したように両手を膝の上で握っていたが、その紫紺の瞳はまっすぐ前を見据えていた。
「試練のこと、まだ全部わかったわけじゃないけど……ここにいる人たちが困っているなら、私にもできることがあるかもしれないでしょう?」
「……リア」
俺は椅子の背にもたれたまま、その顔を眺めた。予想通りの答えだった。こいつは昔からそうだ。誰かが困っていると聞けば、自分にできることを探そうとする。たとえ、それが自分にとってどれほど大変なことなのか、まだわかっていなかったとしても。
「……エリーは、どう思う?」
リアがこちらを見た。
俺は肩をすくめた。
「お前がやりてえなら、やりゃいいだろ」
「……いいの?」
「あ? 何がだよ」
「だって、危ないかもしれないし……」
「そりゃそうだろ。何もかも安全だって保証されてるわけじゃねえからな」
俺は一度言葉を切り、リアの目を見た。
「けどよ、だからって俺がお前の代わりに決めることじゃねえだろ。お前が考えて、お前が決めたんなら、俺はそれを尊重する」
「……エリー」
「ただし、無理だと思ったらさっさと引き返せ。意地張ってぶっ倒れるような真似はすんなよ」
「……うん!」
リアは嬉しそうに頷いた。その表情を見て、俺は小さく笑う。
「それに、何かあったら俺がどうにかしてやるよ」
「……うん。ありがとう、エリー」
そのやり取りを聞いていたスバルが、勢いよく身を乗り出した。
「もちろん俺もいるからな、エミリアたん! 困ったことがあったら、何でも言ってくれよ!」
「ふふっ。ありがとう、スバル」
「おう! 任せとけ!」
胸を張るスバルの隣で、オットーが小さく溜息をついた。
「……皆さん、随分と簡単に言いますね。試練って、そんな気軽に挑んでいいものなんでしょうか」
「何だよ、オットー。お前、怖いのか?」
「怖いに決まってるでしょう! 正体もわからない試練ですよ!? 普通はもっと慎重になるものです!」
「まあ、そりゃそうだな」
「……えっ?」
オットーが目を丸くした。
「エリスさんが僕の意見に賛成するなんて……」
「お前、俺を何だと思ってんだ?」
「……言っても怒りません?」
「内容によるな」
「じゃあ言いません!」
俺は思わず笑った。どうやら、こいつの中で俺の評価は相当に低いらしい。もっとも、今さら訂正する気もなかったが。
「……とはいえ、オットーの言うことにも一理あるのよ」
隣に座っていたベティーが口を開いた。
「試練というからには、それ相応の負担があるはずかしら。何が起こるかわからない以上、油断は禁物なのよ」
「……ベアトリス」
リアが少しだけ不安そうに眉を下げる。ベティーはそんな彼女を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「別に、やめろと言っているわけではないのよ。ただ、無茶をしてエリスに余計な心配をかけるんじゃないかしら」
「おい、俺を引き合いに出すなよ」
「事実なのよ」
「……ったく」
俺は苦笑した。まあ、ベティーなりにリアを心配しているのだろう。こいつは素直じゃないから、こういう言い方になるだけだ。
その後、ロズワールから墓所の場所と試練について改めて説明を受け、俺たちは日が完全に落ちるのを待つことになった。墓所の試練は夜に始まるらしい。昼間に入っても意味がないというのだから、随分と面倒な仕組みだ。もっとも、魔女が関わっているという話を聞けば、そんな理屈の通らない決まりがあっても不思議ではないのかもしれない。
そして、夜。
俺たちは集落を離れ、森の奥にある墓所へ向かった。
先頭を歩くのはリア。その少し後ろに俺とスバルが続き、さらに後方にはベティーとオットーの姿があった。ガーフィールも同行していたが、相変わらず不機嫌そうな顔をしている。どうやら、俺が一緒にいることが気に食わないらしい。
「……おい、近衛騎士サマ」
「あ?」
「テメェ、まさか試練まで受けるつもりじゃねェだろうな」
「受けねえよ。資格がねえんだろ?」
「……わかってんならいい」
「何だよ。俺が受けたら困んのか?」
「……チッ。うるせェな」
ガーフィールは顔を背けた。俺は小さく笑い、その背中を眺める。こいつはどうにもわかりやすい。強がっているくせに、何かを隠しているときほど口数が増える。もっとも、今はそれを追及するつもりもなかった。
やがて、森の奥に古びた建物が見えてきた。
石造りの入口は長い年月を経て風化し、壁面には苔がびっしりと張りついている。周囲の木々が覆いかぶさるように枝を伸ばし、まるで森そのものが建物を隠そうとしているかのようだった。入口の奥には深い闇が広がり、外からでは内部の様子を窺うことができない。
「……ここか」
俺は建物を見上げた。
なるほど、確かに普通の場所ではない。周囲に漂う魔力の流れが、明らかに他とは違っている。自然に生まれたものではなく、何者かの意思によって組み上げられた仕掛け。しかも、相当に古い。少なくとも、俺が普段扱う魔法とは根本的に性質が異なっているように感じられた。
「……エリス」
ベティーが小さく声をかけてきた。
「あ?」
「……ここでは、あまり無茶をしない方がいいのよ」
「何だよ。珍しく弱気じゃねえか」
「弱気ではないのよ。ただ……」
ベティーは一度言葉を切り、墓所へ視線を向けた。
「……嫌な感じがするかしら」
俺はその横顔を見た。いつものように不機嫌そうな表情ではあったが、どこか落ち着かない様子が見て取れる。何かを知っているのか。それとも、単にこの場所の魔力が気に食わないだけなのか。
「……わかったよ」
俺はベティーの頭に手を置いた。
「何かあったら呼べ。無茶はしねえ」
「……本当かしら?」
「信用ねえな」
「普段の行いなのよ」
「はっ。違いねえ」
ベティーは小さく溜息をついた。
その間に、リアは墓所の入口へ進んでいた。スバルが慌てて声をかける。
「エミリアたん! 大丈夫か?」
「……うん。ちょっと緊張するけど、大丈夫よ」
「無理すんなよ。何かあったら、すぐ戻ってこいよ!」
「ふふっ。ありがとう、スバル」
リアは微笑み、次いで俺へ視線を向けた。
「……エリー」
「あ?」
「……行ってくるね」
「おう」
俺は口元を吊り上げた。
「胸張って行ってこい。お前なら大丈夫だ」
「……うん!」
リアは大きく頷き、墓所の奥へと足を踏み入れた。
その背中が闇に呑まれていく。
俺は入口の前に立ち、しばらくその様子を見守っていた。やがて、完全に姿が見えなくなると、周囲には再び静寂が戻ってきた。
「……さて」
俺は腕を組んだ。
「どれくらい待ちゃいいんだ?」
「……試練の内容によるらしいぜ」
スバルが答えた。
「人によって時間も違うって話だし、しばらく待つしかねえんじゃねえか?」
「面倒くせえな」
「お前、そればっかだな」
「事実だろ」
俺は鼻を鳴らした。
それからしばらく、俺たちは墓所の前で待ち続けた。森を渡る風が冷たくなり、虫の鳴き声が一段と大きくなる。オットーは落ち着かない様子で何度も入口を見つめ、スバルも腕を組んだり解いたりしながら、じっとしていられない様子だった。ベティーは俺の隣に立ち、黙って本を抱えている。ガーフィールだけは少し離れた場所に腰を下ろし、退屈そうに欠伸をしていた。
だが、時間が経つにつれて、俺は違和感を覚え始めた。
「……おい」
俺は墓所へ視線を向けた。
「……何だよ、エリス」
「妙だな」
「……妙?」
「ああ。さっきから、中の魔力が落ち着かねえ」
俺の言葉に、ベティーが顔を上げた。
「……エリスも感じるのかしら」
「おう。何かが動いてる。しかも、あんまりいい感じじゃねえ」
スバルの表情が変わった。
「……エミリアに何かあったってことか?」
「わからねえ。けど、いつまでも待ってる場合じゃなさそうだな」
俺は一歩、墓所へ向かって踏み出した。
「……おい、待てよ!」
ガーフィールが立ち上がった。
「テメェ、何するつもりだ!」
「見りゃわかんだろ。リアを迎えに行くんだよ」
「ふざけんな! 資格もねェ奴が勝手に入ったら――」
「うるせえな」
俺は振り返った。
「俺はリアの騎士だ。あいつに何かあったかもしれねえってのに、外で指くわえて待ってろってか?」
「……ッ!」
「悪いが、そいつぁ無理な相談だ」
ガーフィールが歯を食いしばる。だが、俺はそれ以上相手にせず、墓所へ向き直った。
「……スバル」
「……おう」
「行くぞ」
「……ああ!」
スバルが隣へ並んだ。俺たちは互いに顔を見合わせ、小さく頷く。
「……エリス」
背後からベティーの声が聞こえた。
俺は振り返った。
「何だ?」
「……気をつけるのよ」
その表情は、いつになく真剣だった。
俺は笑った。
「心配すんな。すぐ戻る」
そう言い残し、俺たちは墓所の中へ踏み込んだ。
内部は、外から見た以上に暗かった。壁面には古い文字が刻まれ、足元には細かな砂埃が積もっている。長い年月を経ているはずなのに、空気は不思議と澱んでいなかった。むしろ、何かに満たされているような奇妙な感覚がある。俺は周囲を警戒しながら、奥へと進んだ。
「……エリス」
「あ?」
「……なんか、変じゃねえか?」
「今さらかよ」
「いや、そうじゃなくて……」
スバルは額に手を当てた。
「……頭が、妙に重いんだよな」
俺は足を止めた。
「……おい、スバル?」
「……っ、くそ……!」
スバルの身体が揺れた。
俺が腕を伸ばすより早く、奴は膝をつき、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「……スバル!」
俺はすぐに駆け寄り、身体を抱き起こした。呼吸はある。脈も正常だ。だが、いくら呼びかけても目を覚まさない。まるで、何者かに意識だけを奪われたかのようだった。
「……チッ。何だってんだ、ここは」
俺は周囲を睨みつけた。
そのときだった。
『――やあ』
声が聞こえた。
女の声だった。若く、澄んだ声。だが、どこか人を食ったような響きがある。
『随分と面白い客人が来たものだね』
俺は顔を上げた。
「……誰だ?」
『そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。少し話がしたいだけだよ』
「姿も見せねえ奴の言葉を、どう信用しろってんだ?」
『ふふっ。なるほど。噂通り、なかなか気の強い男のようだ』
「……噂?」
『ああ。君のことは、少しばかり興味があってね』
俺は眉を寄せた。
声の主は姿を現さない。それどころか、どこから声が聞こえているのかさえわからなかった。周囲の魔力が微かに揺らぎ、墓所の空気そのものが別の何かへ変わっていくような感覚がある。
『……どうだい? 少し、お茶でも飲んでいかないかい?』
「……は?」
『せっかくの機会だ。君と話してみたいことがあるんだよ』
「……俺は忙しいんだ。茶なんか飲んでる暇はねえ」
『そう言わずに。君の大切な人たちに危害を加えるつもりはないよ』
「……信用できねえな」
『ふふっ。手厳しいね』
女の声が楽しそうに笑った。
『……けれど、君ならきっと気に入ってくれると思うよ』
その瞬間、視界が白く染まった。
俺は反射的に腕を上げた。だが、光は眩しいわけではなかった。むしろ、周囲の景色そのものが塗り替えられていくような感覚だった。足元の石畳が消え、冷たい墓所の空気が薄れていく。代わりに、柔らかな風と草の匂いが鼻をくすぐった。
気づけば、俺は見知らぬ草原に立っていた。
「……あ?」
目の前には、白いテーブルと二脚の椅子が置かれている。テーブルの上にはティーポットとカップが並び、湯気の立つ紅茶が用意されていた。そして、その向こう側には、一人の少女が座っていた。
雪のように白い髪。黒い衣服。整った顔立ちに、どこか底の知れない瞳。少女は俺を見るなり、楽しそうに口元を緩めた。
「やあ。ようこそ、ボクの茶会へ」
俺は周囲を見回した。
「……どこだ、ここは」
「ボクの夢の中、とでも言えばいいかな。正確には少し違うけれど、君にはその説明で十分だろう」
「……ふうん」
俺は少女を見た。
「で、お前は誰だ?」
少女は嬉しそうに微笑んだ。
「ボクの名前はエキドナ。強欲の魔女、エキドナだよ」
俺は一瞬だけ目を細めた。
「……魔女?」
「そう。驚いたかい?」
「いや」
俺は肩をすくめた。
「随分と若い魔女だなと思っただけだ」
「……ふふっ!」
エキドナは楽しそうに笑った。
「面白いね、君は。普通ならもっと驚いたり、恐れたりするものなんだけど」
「驚いたところで何か変わんのか?」
「……なるほど。実に合理的だ」
エキドナは頷き、向かいの椅子を指さした。
「まあ、座りたまえ。せっかくの茶会だ。立ち話というのも味気ないだろう?」
「……俺はさっさと戻りてえんだが」
「そんなに急がなくても大丈夫だよ。ここで過ごす時間と、外の時間は同じではないからね」
「……へえ?」
俺は少しだけ考え、椅子へ腰を下ろした。少なくとも、今すぐスバルやリアに危害が及ぶわけではないらしい。それなら、目の前の魔女が何を考えているのか、少し探ってみるのも悪くない。
「……で、俺に何の用だ?」
「単純な好奇心さ」
エキドナは紅茶を一口飲み、微笑んだ。
「君のような存在は、なかなか珍しいからね。特に……あの子と契約しているという点が」
「……あの子?」
「ベアトリス」
俺は眉を寄せた。
「……お前、ベティーを知ってんのか?」
「知っているとも」
エキドナは当然のように答えた。
「何しろ、あの子を創ったのはボクだからね」
俺は一瞬だけ黙った。
「……は?」
「だから、ベアトリスはボクが創り出した人工精霊なんだよ」
「……おいおい」
俺は思わず額を押さえた。
「マジかよ」
「大真面目さ」
エキドナは楽しそうに笑っている。俺はしばらくその顔を眺めたあと、小さく息を吐いた。
「……なるほどな。そりゃ、ベティーがお前のことを知っててもおかしくねえわけだ」
「……おや?」
エキドナが興味深そうに首を傾げた。
「君は、あの子からボクの話を聞いているのかい?」
「詳しくはな。けど、あいつが何かを待ってたことくらいは知ってる」
「……ふむ」
エキドナの瞳が細められた。
「なるほど。あの子は君に、どこまで話したんだろうね」
「さあな。そこは本人に聞けよ」
「ふふっ。そうだね」
エキドナはカップを置き、俺を見つめた。
「それにしても、君は随分とあの子を気に入っているようだね」
「当たり前だろ。俺の契約精霊だぞ」
「……契約精霊、か」
エキドナはその言葉を面白がるように繰り返した。
「全く君は、『娘さんをボクにください』とか言った方がいいんじゃないのかね?」
「……は?」
俺は思わず顔をしかめた。
「何でそうなるんだよ」
「いやなに、ボクはあの子を創った存在だからね。母親のようなものだと思ってくれて構わないよ」
「……母親?」
「そう。だから、娘を連れていく男には、それ相応の挨拶が必要なんじゃないかと思ってね」
エキドナは楽しそうに微笑んだ。
俺はしばらくその顔を眺めたあと、深く溜息をついた。
「……お前、変な奴だな」
「おや、ひどい言われようだ」
「いや、だってそうだろ。精霊と契約するのに、いちいち親の許可がいるなんて聞いたことねえぞ」
「ふふっ。確かにそうだね」
エキドナは愉快そうに笑った。
だが、俺は笑わなかった。
「……で、一つ聞いていいか?」
「もちろん。何でも聞いてくれたまえ」
「お前、ベティーの母親みてえなもんなんだろ?」
「そうだね」
「だったら、何であいつを四百年もあんな場所に置き去りにした?」
エキドナの笑みが、わずかに止まった。
俺は構わず続けた。
「禁書庫で一人、誰かが来るのを待ってたんだぞ。何百年もだ。あいつがどんな気持ちで過ごしてたか、お前は考えたことあんのか?」
「……ふむ」
エキドナはゆっくりとカップを置いた。
「なかなか鋭いところを突いてくるね」
「鋭いも何も、普通に考えりゃおかしいだろ」
「……そうだね。君の言うことにも一理ある」
エキドナは微笑んだ。
だが、その笑みは先ほどまでとは少し違っていた。優しげでありながら、どこか温度がない。目の前の少女が人間とは異なる存在であることを、改めて感じさせるような表情だった。
「ただ、ボクにはボクなりの考えがあったんだよ」
「……考え?」
「そう。あの子には、果たしてどんな結末が待っているのか。それを知りたかったんだ」
「……は?」
俺は眉を寄せた。
「お前、それだけのために……?」
「それだけ、とは言い切れないけれどね」
エキドナは穏やかに答えた。
「知りたいという欲求は、ボクにとって何よりも大切なものなんだよ」
俺はしばらく黙っていた。
なるほど。
こいつは、そういう奴か。
「……お前、母親には向いてねえな」
「……ふふっ!」
エキドナが笑った。
「ずいぶんと率直だね」
「事実だろ」
「否定はしないよ」
エキドナは楽しそうに肩をすくめた。どうやら、俺の言葉に腹を立てた様子はない。それどころか、むしろ面白がっているようにさえ見える。
「……それで、君はあの子をどうするつもりなんだい?」
「どうするって?」
「ベアトリスのことさ。君と契約した以上、あの子はもう禁書庫に縛られてはいない。これから先、どんな道を歩むことになるのか……ボクとしても興味があるんだよ」
「……そんなもん、ベティーが決めることだろ」
「……おや?」
エキドナが首を傾げた。
「君が決めてあげるわけではないのかい?」
「何で俺が決めんだよ。あいつは俺の契約精霊だが、俺の持ち物じゃねえぞ」
「……なるほど」
エキドナの瞳が、わずかに細められた。
「実に興味深い考え方だね」
「普通だろ」
「君にとっては、そうなのかもしれないね」
エキドナは静かに笑った。
そして、少しだけ身を乗り出した。
「……それで、娘のことは幸せにしてくれるのかい?」
俺は即答した。
「当たり前だろ。俺の隣にいる奴を不幸にするつもりはねえよ」
エキドナが、ぴたりと動きを止めた。
ほんの一瞬だった。
だが、先ほどまで何を言っても楽しそうに笑っていた魔女が、初めて予想外の答えを聞いたような顔をした。
「……なるほど」
エキドナはゆっくりと微笑んだ。
「……あの子が君を選んだ理由も、少しわかった気がするよ」
「……そうかよ」
俺は肩をすくめた。
「まあ、あいつがどう思ってるかは知らねえけどな」
「ふふっ。そういうところも含めて、なのかもしれないね」
エキドナはカップを持ち上げた。
俺はその姿を眺めながら、小さく息を吐いた。
強欲の魔女。
その名に相応しく、こいつは何かを知りたがっている。人の感情も、選択も、結末も、すべてを興味の対象として眺めているような女だ。だからこそ、簡単に信用するわけにはいかない。
だが、少なくとも一つだけ、はっきりしていることがあった。
ベティーは、もう一人じゃない。
四百年の間、誰かを待ち続けていたあいつは、今は俺の隣にいる。
それだけは、どんな魔女が相手だろうと変わらない。
「……さて」
俺は椅子から立ち上がった。
「そろそろ帰してもらおうか。リアとスバルが心配なんでな」
「おや、もう帰るのかい?」
「ああ。茶はうまかったが、俺にはやることがある」
「……ふふっ。残念だね」
エキドナは微笑んだ。
「また会えるといいな、エリス・フォン・フェンウィック」
「……さあな」
俺は口元を吊り上げた。
「次会うときゃ、もう少しマシな話を聞かせてくれよ」
「……善処しよう」
エキドナが笑った。
その瞬間、草原の景色がゆっくりと薄れていく。白いテーブルも、紅茶の香りも、柔らかな風も、すべてが遠ざかっていく。
俺は目を閉じた。
そして、再び目を開いたとき――そこは、薄暗い墓所の中だった。
足元には、気を失ったままのスバルが倒れている。
「……ったく」
俺は小さく溜息をついた。
「変な魔女に捕まっちまったな」
俺はスバルの身体を抱き起こし、周囲を見回した。
リアは、まだ見つかっていない。
ならば、やることは決まっている。
「……さて、姫様を迎えに行くか」
俺はスバルを背負い直し、墓所の奥へと歩き出した。