月光る夜   作:案院運

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聖域6

 

SIDE エリス

 

 肩にかかった重みがずれたところで、目を開けた。窓から差し込む光が、向かいの壁を薄く照らしている。夜の間は気にならなかった木目や、床板の継ぎ目に溜まった細かな埃まで見えていた。どうやら、思っていたより長く寝ていたらしい。背もたれに預けていた頭を起こすと、首の後ろがわずかに軋んだ。

 

 椅子で寝るのは慣れている。とはいえ、どんな姿勢でも快適というわけではない。肩を回そうとして、そこで隣にもうひとつ重みがあることを思い出した。

 

 ベティーが、俺の腕を抱えたまま眠っていた。

 

 昨夜は確か、肩へ寄りかかっていたはずだ。いつの間にこうなったのか、袖を掴んでいた手は肘の辺りまで回り込み、頬は俺の上腕へ押しつけられている。細い指を一本ずつ外そうかとも思ったが、その前に小さな眉間へ皺が寄ったので、やめた。起きてもいないくせに、こういう時だけは察しがいい。

 

「……お前、それで首痛くならねえのかよ」

 

 返事はなく、規則正しい寝息が続く。俺は動かせる方の手で髪を軽く整え、扉へ目を向けた。リアの眠っている部屋は静かだった。夜中に何度か衣擦れや低い話し声は聞こえたが、慌ただしく人が出入りすることはなかったはずだ。少なくとも、ラムに叩き起こされた覚えはない。

 

「お目覚めでしたか」

 

 声の方を見ると、廊下の先にラムが立っていた。片手には畳まれた布を載せ、もう片方の手で小さな盆を支えている。俺とベティーを順に眺めた後、その目がすぐ横の空になった茶器へ向いた。

 

「お部屋をご用意できなかった覚えはありませんが」

 

「こいつに言え。離さなかったんだよ」

 

「起こして差し上げればよろしかったのでは」

 

「お前、それで機嫌直す役までやってくれんのか」

 

 ラムは答えなかった。その沈黙で十分だったので、俺もそれ以上は追及しない。代わりに、リアの部屋を顎で示した。

 

「中は」

 

「何度か目を覚まされましたが、その都度、お休みになっています。先ほどお顔を拭かれましたので、もう起きていらっしゃるかと」

 

「具合は」

 

「昨夜よりは落ち着いておいでです。ただ、ご本人のお言葉だけで判断なさらない方がよろしいでしょうね」

 

「だろうな」

 

 平気かと聞けば、リアは大抵、平気だと答える。どう見てもそうは思えない時でも、とりあえずこちらを安心させようとする癖がある。ラムも十分承知しているらしかった。盆を近くの台へ置き、部屋へ入る前に俺を見る。

 

「朝食を召し上がれるか、伺ってまいります」

 

「ああ。……お前、寝たのか」

 

「必要なだけは」

 

 俺の方も同じ質問をされれば似たような返事をするので、強くは言えなかった。ラムが扉を叩き、返ってきた声を待ってから中へ入る。その音でようやく目を覚ましたのか、腕に触れていた頬がもぞりと動いた。

 

「……何を、騒いでいるのよ」

 

「朝だ」

 

「見ればわかるかしら……」

 

 目を擦りながら顔を上げたベティーは、そこで自分の姿勢に気づいたらしい。俺の腕を抱えている手と、こちらの顔を交互に見る。それから、何事もなかったように指を解き、背筋を伸ばした。

 

「……椅子の座り心地が悪いのよ」

 

「そうかよ。俺の腕はどうだった」

 

「聞いていないかしら」

 

「いや、抱えてたから」

 

「黙るのよ」

 

 朝から元気なことだ。頬を膨らませるベティーの頭へ手を置き、立ち上がる。今度こそ肩を回せた。少々固まってはいるが、動かせばすぐに戻る程度だ。

 

 その時、扉の向こうでリアが笑った。

 

 大きな声ではない。ラムと何か話して、その返事に少し笑ったらしかった。俺は伸ばしかけていた腕を下ろし、扉へ目を向ける。隣のベティーも同じ方を見ていたが、何も言わなかった。

 

 しばらくして、扉が開いた。

 

 ラムの後ろから顔を出したリアは、髪を整え、昨夜よりはしっかりと足を運んでいた。目元にはまだ少し赤みが残っている。それでも、こちらを見つけた時の表情は、昨夜、墓所で見たものとは違っていた。

 

「おはよう、エリー。ベアトリスも」

 

「ああ。寝れたか」

 

「うん。……二人とも、ずっとここにいてくれたの?」

 

「こいつが腕を離さねえからな」

 

「余計なことを言うなかしら!」

 

 横から袖を引かれる。リアは一度ベティーを見て、それから俺の腕へ視線を移し、困ったように笑った。

 

「エリー、ちゃんと休めた?」

 

「お前が心配することじゃねえよ。飯は食えそうか」

 

「食べる。お腹、空いたもの」

 

 答える声は明るかった。少なくとも、食事の話を聞いただけで顔を曇らせるようなことはない。ラムへ目をやると、小さな頷きが返ってきたので、俺もそのまま歩き出す。隣へ来たリアの歩調に合わせて速度を落としたが、今日は自分の足で歩かせた。

 

 曲がり角の手前で、スバルと鉢合わせた。

 

 あちらもこちらへ来るところだったのだろう。俺たちの姿を見ると足を止め、まずリアへ視線を向けた。それから、ひどく大袈裟に片手を上げる。

 

「おはよう、エミリア。朝から会えるなんて、今日はいい日になりそうだぜ」

 

「おはよう、スバル。……昨日は、ごめんね」

 

「おっと、その挨拶は昨日の分で打ち止め。今朝は普通におはようだけで十分です」

 

 リアが何か言いかける前に、スバルが笑って続ける。わざとらしいほど軽い声だったが、少なくとも、昨夜のことをここで長々と蒸し返すつもりはないらしい。俺が見ていることに気づくと、こいつは一瞬だけ視線を寄越し、小さく頷いた。

 

「エリスも、おはよう。ベア子もな」

 

「朝から騒々しいのよ」

 

「これでも音量は控えてる方なんですが!?」

 

「なら、そのまま保て。飯にするぞ」

 

 歩き出すと、スバルも隣へ並んだ。リアへ向ける視線が少々多い。気になるのはわかるが、そう何度も顔色を窺われれば、あいつだって気づくだろう。肘で軽く小突くと、スバルは一瞬こちらを見てから、前へ向き直った。

 

 用意された朝食は、湯気の立つ汁物とパン、それにいくつかの簡単なおかずだった。豪勢とは言えないが、朝から食うには十分だ。俺たちが席につく間に、ラムが器を並べていく。リアは目の前に置かれたものへ礼を言い、匙を手に取った。

 

 すぐには口へ運ばなかった。

 

 器の中を眺め、湯気へ一度息を吹きかけてから、ようやく少しすくう。飲み込むところまで見届け、俺もパンを取った。向かいではスバルが妙に真剣な顔で汁物を混ぜている。食事を見張る役は一人で足りるので、机の下で靴先を当ててやると、こいつは慌てて匙を口へ運んだ。

 

「……熱っ」

 

「落ち着いて食えよ」

 

「今の、お前がやらせたようなもんだろ……」

 

 小声の抗議に、隣のベティーが呆れた息を吐く。リアはそのやり取りを見て、少し笑った。俺はパンをちぎり、汁へ浸す。食卓に並ぶものが減り、器の触れ合う音が重なるにつれ、朝は普段の形に近づいていった。

 

 だから、リアが匙を置いた時も、最初は腹がいっぱいになったのだと思った。

 

「……今日、もう一度、墓所へ行こうと思うの」

 

 スバルの手が止まった。ラムは水差しを持ったまま、静かにリアへ顔を向ける。ベティーも口元へ運びかけていた茶器を下ろした。俺はパンを飲み込んでから、リアを見る。

 

「今日か」

 

「うん。まだ、最初の試練も越えられてないもの。このまま、何もしないわけにはいかないでしょ」

 

 声は震えていなかった。少なくとも、本人はそうならないように話している。背筋を伸ばし、膝の上で手を重ねる姿は、昨日の朝にも見たはずのリアだった。

 

 だが、器の縁へ添えられていた指には、まだ白くなるほど力が入っていた。

 

「寝たばっかだろ」

 

「もう朝よ。ちゃんと眠ったし、ご飯も食べたわ」

 

「半分な」

 

「……これから、残りも食べるもの」

 

 リアが器へ目を落とす。俺はその先を追わず、椅子へ深く座り直した。今から食事の量を競わせても仕方がない。パンをもうひとつ押しつける代わりに、膝へ片手を置いた。

 

「何で今日なんだ」

 

「何で、って……みんな、待ってるもの。村の人たちだって、早く帰りたいに決まってるし、私がいつまでも立ち止まってたら……」

 

「お前はどうしたい」

 

 リアの口が止まった。

 

 問いが聞こえなかったわけではないらしい。こちらを見たまま、唇をわずかに開いている。俺は急かさず、その視線を受け止めた。

 

「待ってる連中の話は、その後だ。お前は、もう一度入りたいのか」

 

「……私がやらなくちゃ」

 

「それは今聞いた」

 

 少し言い方が強かったかもしれない。だが、リアが他人の事情を並べるたびに頷いていたら、いつまで経っても同じところを回ることになる。責任を感じているのはわかる。ここへ来た時から、そのつもりだったことも知っている。それでも、昨日のあいつを抱えて戻ってきた俺としては、それだけ聞いて送り出す気にはなれなかった。

 

 リアの目が一度伏せられる。膝へ下ろされた手が、服の上で重なった。

 

「……怖い、わ」

 

 小さな声だった。隣でスバルが体を動かしかけたが、言葉は挟まなかった。

 

「昨日のこと、考えようとすると……うまく、できなくて。思い出したくないって思うのに、考えないようにしても、頭の中からいなくならないの」

 

 リアはゆっくりと言葉を選んだ。器から立つ湯気はもう薄い。俯いた銀色の髪が頬へ落ち、それを払う手が途中で止まる。俺は手を伸ばしかけ、やめた。今は、話し終わるまで待った方がいい。

 

「また同じところへ行くのかもしれないって思ったら、怖い。……行かなくていいって言われたら、きっと、ほっとすると思う」

 

 そこまで言ってから、リアは顔を上げた。

 

「でも、できないままにしたくないの。昨日、何もできなかったから、もうやらないって……そうやって決めちゃうのも、嫌」

 

 俺は頷いた。ようやく、あいつ自身の言葉が聞けた気がした。

 

「なら、そっちを先に言えよ」

 

「……うん」

 

「怖えのも、入りたくねえのも、またやりてえのも。言うたびに話が違ってたって、別に構わねえだろ。昨日と今日で気分が変わることくらいある」

 

 リアが困ったように眉を寄せる。簡単な話に聞こえすぎたのだろう。俺は匙を取り、冷めかけた汁をひと口飲んでから続けた。

 

「今ここで、今日一日分の気持ちまで決めとく必要あんのか。飯食って、少し歩いて、それからまだ行く気なら話せ」

 

「……止めないの?」

 

「今すぐ立って向かうなら止める」

 

「そうじゃなくて……また、行くこと」

 

「お前が考えて決めたことまで、何でも俺が取り上げてどうすんだよ」

 

 リアの視線が俺の顔を探る。心配されていることはわかっているのだろう。だからこそ、何を言えば俺が頷くのか、探しているようにも見えた。俺はその視線を少し睨み返した。

 

「俺が納得しそうな返事を作んな。聞いてんのはお前の話だ」

 

「……もう。エリーって、すぐわかっちゃうんだから」

 

「わかりやすい顔してるからだろ」

 

 リアは頬を膨らませかけ、それから力を抜いた。膝の上の手が解け、再び匙へ伸びる。ひと口すくい、今度はさっきほど時間をかけずに口へ運んだ。

 

 それだけのことだったが、俺も少し肩の力が抜けた。

 

 向かいのラムが、空きかけた器へ水を注ぐ。その音が途切れたところで、スバルが口を開いた。

 

「エミリア。……俺も、話しときたいことがある」

 

 リアが顔を上げる。スバルは匙を器の横へ置き、机の上に何も持っていない両手を載せた。昨夜みたいに指を組んだりはしなかった。その代わり、背中を伸ばし、まっすぐリアを見る。

 

「昨日、墓所で倒れてただろ、俺」

 

「……うん。エリーが、連れてきてくれたって」

 

「あの時、俺も試練を受けてたんだ」

 

 リアの指が止まった。

 

 匙を握ったまま、スバルを見つめている。驚いたのだろう。その目が少しだけ大きくなり、次いで、隣にいる俺へ向いた。俺は頷くだけに留めた。こいつの話を、俺が途中から引き取る気はない。

 

「スバルも……?」

 

「ああ。最初は、何が起きたのか全然わかんなかったんだけどさ」

 

「それじゃ……昨日、倒れてたのは、私を助けに来てくれたから……?」

 

「そこは気にしなくていい。俺が勝手に入ったんだし」

 

 スバルが一度だけ首を振る。普段ならもっと言葉を足し、リアが気にしなくなるまで軽口を続けるところだ。今日はそうしなかった。机に置いた指先をわずかに曲げ、それから続ける。

 

「俺は……最初のは、終わった。越えられた、と思う」

 

 部屋の中が静かになった。

 

 外では誰かが歩いている。遠くから人を呼ぶ声も聞こえる。だが、食卓に座る誰も、しばらく器へ手を伸ばさなかった。

 

 リアの匙の先から、汁が一滴落ちた。

 

「……そう、なの」

 

 返事は、ほんの少し遅れた。

 

 スバルが頷く。リアはそれを見て、ゆっくり匙を器へ戻した。金属が縁へ触れる音が、妙にはっきり聞こえる。

 

「すごいね、スバル」

 

 笑っていた。

 

 昨夜、俺に気を遣って作りそうだと思った顔が、今、目の前にあった。口元はちゃんと上がっている。声も、相手を褒める時の柔らかさを保っていた。それなのに、机の下へ戻った手が、また服を握っている。

 

「私、あんなふうに……なっちゃったのに」

 

「エミリア、それは――」

 

 スバルが身を乗り出しかけ、途中で止まった。

 

 俺はこいつを見た。昨夜、話したことを思い出したのかもしれない。スバルはすぐに大丈夫だと言う代わりに、口を閉じ、一度だけ息を吸った。

 

「……お前が見たもの、俺は知らねえから」

 

 リアの笑みが、わずかに揺れた。

 

「俺のは、俺の昔のことだった。しんどいところもあったけど、最後は話せたんだ。……でも、それでエミリアのことまでわかったみたいには、言えねえ」

 

 言い終えたスバルの指が机を擦る。落ち着いて喋ろうとしているのはわかった。相手を励ます言葉なら、こいつはいくらでも思いつくだろう。それを今はひとつずつ確かめてから、口へ出しているようだった。

 

 リアは何も言わなかった。代わりに、膝に置いた手をゆっくり開き、掌を見下ろした。

 

「……私、ちゃんと覚えてないところも、あるの」

 

 その言葉で、俺は背を起こした。

 

「どこからどこまでが、私の知ってることなのか……考えようとすると、ごちゃごちゃして。知ってるはずなのに、わからなくて。でも、怖かったのは、覚えてる」

 

 途切れた声の後で、リアが唇を結ぶ。

 

 俺は目の前の器へ手を添えた。すっかり冷めている。昨夜から、あいつに水を飲ませ、食事をさせ、眠ったことを確かめてばかりいた。そうやって普段の形へ戻せば、少しずつ話せるようになると思っていた。実際、今は話してくれている。

 

 だからこそ、ここで続きを急ぐ気にはならなかった。

 

「……そこまででいいぞ」

 

 リアがこちらを見る。

 

「今、無理に並べ直すな。喋ってて苦しくなるなら、止めろ」

 

「でも……」

 

「聞いてる。忘れねえから」

 

 昨夜と同じような返事をした。リアもそれに気づいたらしい。目元が少し緩み、今度は小さく頷いた。

 

 その向こうで、スバルは俯いていた。

 

 俺は一度、こいつへ目を向ける。自分が話したせいでこうなったとでも考えているのかもしれない。だが、何も言わずにいれば済む話でもなかった。試練を受けたことも、越えたことも、いずれ伝えなければならない。それをリアがどう聞くかまで、俺たちの都合で決めることはできなかった。

 

「……教えてくれて、ありがとう」

 

 先に口を開いたのはリアだった。

 

 スバルが顔を上げる。リアは膝の上から手を出し、机の端へ置いた。その指先はまだ少し落ち着かなかったが、声はさっきよりもはっきりしていた。

 

「スバルが何も言わないでいて、後から知ったら……私、きっと、もっと変なことを考えちゃってたと思う」

 

「エミリア……」

 

「でも、ごめんね。今、上手に喜べないの。すごいなって思うのは、本当なんだけど」

 

 スバルの眉が寄る。それでも、リアが話し終えるまでは待っていた。

 

「ちょっとだけ……どうして、私はできなかったんだろうって、考えちゃう」

 

 最後の方は、掠れた声だった。

 

 スバルの手が動く。机の上を少し進み、それから止まった。俺はその動きには口を出さず、リアの横顔を見る。自分で言った言葉に傷ついたような顔をしていた。相手を困らせたくなかったのだろう。それでも、笑って飲み込む代わりに、ここへ出してくれた。

 

「……うん」

 

 スバルが頷いた。

 

「今すぐ喜んでくれなくても、いい。俺も、どう話せばいいか、ずっと考えてたけど……うまい言い方、見つかんなかった」

 

 リアの指先が、わずかに動く。

 

「だから、今みたいに言ってくれ。黙られると、俺、勝手にわかったつもりになりそうだから」

 

 言ってから、スバルは少しだけ苦く笑った。自覚があるなら、昨日よりはましだろう。俺は冷めた器から手を離し、椅子へ背を預け直した。

 

 リアはしばらくスバルを見ていた。それから、小さく頷く。

 

「……うん。私も、ちゃんと言うようにする」

 

 すべてが片づいたわけではない。リアの顔色が急によくなるわけでも、スバルが気の利いた答えを見つけたわけでもなかった。それでも、二人とも相手から目を逸らさずにいられた。

 

 机の端で、ベティーが茶器を置く。

 

「話し込むのもいいけれど、食事を放っておくのは感心しないのよ」

 

 全員の視線が、そちらへ向いた。

 

 ベティーは少々不機嫌そうな顔で、まだ半分ほど残っているリアの器を示す。続いて、ほとんど手をつけていないスバルのパンへも目を向けた。

 

「食べるつもりがあるなら、食べるかしら。冷めたからといって、料理の方から口へ入ってはこないのよ」

 

「……そう、ね」

 

 リアが匙を取り直した。

 

「ごめんなさい。せっかく用意してもらったのに」

 

「温め直しましょうか」

 

 ラムの問いかけに、リアは一度器を見てから頷いた。

 

「……お願いしても、いい?」

 

「もちろんです」

 

 返事を聞いたラムが、器を下げる。自分から頼んだことに、リアは少し落ち着かない顔をしていた。俺は残っていたパンを二つに割り、片方を自分の皿へ、もう片方をスバルの皿へ置いた。

 

「お前も食え」

 

「何で俺の方がでけえんだよ」

 

「残してた分だろ。文句言う前に口動かせ」

 

「食ってる時にも動くんですけどね、口って」

 

「なら、その使い方で頼むのよ」

 

 ベティーにまで言われ、スバルが観念したようにパンを齧る。リアが口元へ手を添えた。今度の笑いには、さっきほどの無理は見えなかった。

 

 ラムが戻ってくるまで、少し時間があった。スバルはその間にパンを半分ほど平らげ、ベティーは茶を飲み直す。俺も残りの食事を片づけた。

 

 窓の外を人影が通る。朝の支度を済ませ、どこかへ向かう足音だった。リアはそれを目で追いかけたが、今度はすぐに席を立とうとはしなかった。

 

「……エリー」

 

「あ?」

 

「ご飯を食べたら、少し、外を歩きたい」

 

「いいぞ」

 

「墓所じゃなくて。……村の方を」

 

 俺は頷いた。

 

「歩いて、それから考えるんだろ」

 

「うん」

 

 リアの返事を聞いて、スバルが顔を上げる。何か言いたげだったが、こちらから先回りして聞くことはしなかった。こいつは口元についたパンの欠片を指で取り、それからリアを見る。

 

「俺も、一緒に行っていいか?」

 

 リアはすぐには答えなかった。

 

 その短い間、スバルの背中が少しだけ強張る。俺は黙って茶器へ手を伸ばした。リア自身が返事をするまで、待てばいい。

 

「……うん。一緒に行こ」

 

 やがてそう答えると、スバルは目に見えて肩の力を抜いた。

 

「おう。じゃ、食うか」

 

「今さら始めんな。さっきから食えって言ってんだろ」

 

「決意を新たにしただけだっつの」

 

 言い返しながら、スバルが残りのパンへ手を伸ばす。ちょうど戻ってきたラムが、リアの前へ温め直した器を置いた。新しい湯気が立ち上がる。リアは両手を添えて礼を言い、今度は冷める前に匙を入れた。

 

 俺は隣のベティーへ目を向ける。あちらもこちらを見上げていて、目が合うなり、何か言いたげに顎を上げた。

 

「何だよ」

 

「散歩へ行くなら、ベティーも行くのよ」

 

「置いてくなんて言ってねえだろ」

 

「先に言っておいたかしら」

 

「はいはい。わかったよ」

 

 頷くと、ベティーは満足したように茶器を持ち直した。

 

 リアが汁を飲み、スバルがパンを噛む。ラムは空いた皿を重ね、俺の前に残っていた器へ手を伸ばした。食べ終わったかと目で聞かれたので、それを渡す。

 

 外へ出るには、まだ少し早かった。俺は背もたれへ体を預け、リアが残りの朝食を食べ終えるまで待つことにした。

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