「──見事な勝利だ」
飯綱丸が拍手によって私を称える。それは明確な御前試合の終了を示していた。緊張の糸が途切れ、大きく息を吐く。
「....称えられるような戦闘ではとてもありませんでしたよ。彼女が本気を出したのは最後の一瞬だけ、勝利法も....褒められたやり方ではありません」
彼女の本気を引き出し、その上で勝利する。私の中にある密かな目標は確かに達せられたが....この試合を親善試合として見るならば、悪手もいいところだ。彼女はあまりにも強く、目的の為に手段を選ぶ余裕はまるで無かった。
「それに....」
私は文の方をチラリと見る。彼女は床に横たわったまま、プスプスと煙を上げていた。服も破れているものの、身体には大した傷は見られない。特筆すべき点はやる気の感じられない瞳くらいだろうか。
「...本気を出して本気で負けた....」
「掠り傷じゃないですか!確かに手加減はしましたけど....」
「妖怪を傷付けるつもりなら手足の四、五本は消し飛ばす心持ちが必要よ?」
「流石にそれは....ううん、やっぱりどう考えても私の方が重傷のような....」
「....いえ、服がこうも手酷くやられた時点で私の負けです」
「幻想郷って服が破れたら負けなんですか....??」
カルチャーショックを受けるが、妖怪と妖怪の争いにおいてはある意味合理的なのかもしれない。つまる所、これほど耐久力があるのでは最後まで戦っていたらその度に服が全損してしまうだろう。
「いやはや、良いものを見せて貰った。お前は謙遜しているが、人間の知恵は強大な妖怪さえも殺して来たのよ。その上、単なる勝利では飽き足らず射命丸が全力を出すよう誘導すらして....」
「うっ....」
外の飯綱丸から見れば、それが単なる戦略以上の意味を持っている事はあからさまだったらしい。冷や汗が伝うが、ダメージを受けているのはどちらかというと文の方だった。
「....ふふ、ふ....まさか人間に嵌められるとは....」
「良い顔だ、今後数年は酒の肴に困る事も無さそうね」
「大天狗様?」
飯綱丸は文からの非難の眼差しを受け流し、笑みを浮かべる。
「天戸、お前には正式に私の代行としての権限を与える。依頼の解決に向けて尽力しなさい」
「りょ....了解しました」
その時、彼女の笑みから感じ取った予感は、しかしこの先の受難が避けられない事を示すだけのものだった。
・・・
あの人間が部屋から退出してから数刻ほど後。大天狗たる飯綱丸様は奇ッ怪な自室にて口笛を吹いていた。よっぽど機嫌がいいらしい。しかしその音色も扉の開閉音と共に止む。
──来客だ。
「はいはーい。いきなりの召集に応えてはるばるお側へ。この憐れな狐めに何かご用ですか?」
狐の耳と尾を生やした女が気軽な様子で飯綱丸様に話しかける。その姿には見覚えがあった。名前は確か....菅牧典、飯綱丸様直属の管狐だ。
「あっはっは。そう拗ねるな。此度の仕事はお前にとって好ましいものであると保証しよう」
「ふぅん、飯綱丸様がそこまで仰るなんてどんなお仕事なのかしら」
飯綱丸様は懐から写真を取り出す。例の人間の写真だ。
「この男....天戸を籠絡し、我々の陣営に引き入れろ。手段は問わない、好きにやって良いわ」
「へぇ〜?」
典が邪悪な笑みを浮かべる。彼女の考えは、狐の性質を鑑みれば容易に想像が付く。十中八九あの人間を弄ぶつもりだろう。
「けど、こんな人間を籠絡して何になるんですか?特に指定がないならそのまま私のものにしちゃいますけど」
「これは相応の時間と経費さえ用意してやれば龍すら殺してみせる類の手合よ。価値が露見する前に必ず確保しておく必要があるわ」
「それはそれは....うふふっ、責任重大ですねぇ....♡」
飯綱丸様からの指令を受け、典は受け継ぐように口笛を吹きながら退出する。
「....やれやれ」
そして....天井裏にて、彼女らの悪巧みの一部始終を聞いていたこの私、射命丸文は独り呟く。
「──これだから気に入られるべきではないと言ったのですが」
何かを企んでいる飯綱丸様だなんて、いつも通りすぎてスクープにもなりやしない。
・・・
飯綱丸の御殿を離れた私は、異常が発生しているという新聞記事を求めて天狗達の住処を彷徨いていた。文が早々に姿を消してしまったため今の私は孤立無援。その上、彼女らの住処は異様に広い。土地勘のない私にとっては中々厳しい場所だ。
「──すみません、道をお聞きしても?」
とはいえ、歩いていれば他の天狗とも出会う事もある。私はガラケーらしきものを弄る少女に話しかけた。
「ん....えっ、人間?なんでこんなとこに?」
妙にJKらしい服装をしたその少女は私を見て首を傾げる。 まあ、天狗の本拠地に人間が居れば驚きもするだろう。
「申し遅れました。飯綱丸さんの代行として活動している天戸と申します」
「飯綱丸様の代行に人間が?うーん....」
彼女は微かな疑念を滲ませるが、それを振り払うように頷く。
「いや、あの腹黒ならやりかねない....」
「あの方そんなに信用無いんですか?」
元より警戒はしていたが天狗の中でも胡散臭い方らしい。にとりの前例もある。実の所、そこまで悪い天狗ではないと思っているのだが....
「まぁ細かい事はいいや。あなたが代行様だって言うなら、どーせ命令を聞かないといけないわけだし。私は姫海棠はたて、よろしく〜」
「姫海棠?ふむ....もしや椛さんや文さんのお知り合いですか?」
「あのふたりの事知ってるの?まぁどっちも知り合いっちゃ知り合いだけど....方や友達で方やブン屋のライバル。実態は月と河童くらい違うわよ」
「なるほど、文さんとは商売敵の関係でしたか....それなら丁度いい」
「えっ何?もしかして飯綱丸様ってば文の事を破滅させたがってたりする?いや、私も流石にそこまでは....」
「本当にあの方のことをなんだと思ってるんですか??」
はたては冗談めかしていたが、半分ぐらい本気な気がしないでもない。流石に心配になって来たぞ....
「....丁度いいのは新聞屋であるという点です。つまり、私は新聞に発生する異常を追っていまして、その過程で新聞の保管庫のようなものを探しています。心当たりがあれば案内して頂けると助かるのですが....」
「ああ....あの異変を....噴火の件で天狗が動けないから人間を動員したワケね──」
「噴火?」
「げっ....」
噴火....ここが妖怪の"山"である事を鑑みれば見逃せない単語だ。彼女はその件について明らかに言葉を詰まらせていたが、逡巡の後に吹っ切れたように語り始める。
「....あ〜っ、めんどくさい!ぶっちゃけるけど、妖怪の山は噴火しそうなのよ」
「ふむ....」
「その対処でみーんなてんてこ舞い。新聞の異常に目を向けてる暇もないってワケ。だってそうでしょ?もしも本当に噴火なんかしたら....」
「....妖怪の山どころか、幻想郷そのものの危機に直結するでしょうね」
明らかに危険である筈の新聞の異常について天狗が殆ど有益な情報を持っていない理由が漸く分かった。彼女らはそれよりも遥かに差し迫った問題に直面していたのだ。
「ぞっとしない話だわー.....ま、ブン屋としては新聞の方の異変もささっと解決して欲しいとこだし、ささっと案内してあげる」
「ありがとうございます。ああ....最後に一つ」
「うん?」
「実は霊夢さんという方から人里で妖怪達が突然暴れ出したらしいと聞きまして。何かご存知ないですか?」
「うっそぉ、今ってそんなことまで起こってるの?人里の妖怪とはほぼ接点ないし初めて聞いたけど....ちょっと待ってね──」
はたてはそう言って携帯を取り出す。いくつかのボタンを押し、レトロチックな撮影音を響かせる。その方角には壁しかないが....彼女は画面を熱心に見つめる。
「ははーん、見えてきたわね」
彼女はそう言って私に肩を寄せてくる。一瞬ぎょっとしたが、その感情は彼女が見せてきた携帯の画面への驚嘆に変わる。
「....これは?」
「
そこには月光に照らされた妖怪らしき少女が村人を襲う瞬間が映されていた。しかも彼女はそれを"今撮った"のだという。その奇妙な発言は....しかし、幻想郷においてはさして驚かれる事でもないのだろう。
「はたてさんは念写の能力を持っているんですね」
「そんなに便利なものじゃないけどね。それよりほら、ここ見て」
彼女の指が月を指し示す。綺麗な満月だ。次に、写真の上端を指差す。殆ど見切れているが、そこに輝いているのは....
「....月が、二つ?」
「妖怪は月の影響を色濃く受ける。多分、この辺りの地域でだけ月が増えていたのね。月が二つもあったら感情だって昂るに決まってるわ」
「....なるほど」
「まぁ、どうして増えてるのかは分からないけど....放っておいたら不味いのは確実よ」
肩が離れる。覗き見た彼女の横顔には、辟易の表情が浮かんでいた。
「新聞のネタが増えるのは良いけど....まさか、ほんとにこのまま幻想郷が滅んだりなんかしないでしょうね──」
・・・
はたてに案内され、私は資料室に辿り着く。埃を被ったその巨大な部屋の本棚には、新聞を含む様々な資料が無造作に突っ込まれていた。洗練された今までの印象と比べるとかなり適当だが、それも必然なのだろう。霖之助さんが言うに、妖怪はその膨大な寿命故に知識を誰かに継承させる必要性が薄く、自分が生きてきた過去を本に頼って振り返ろうとする者も少ないという。異常に広いこの資料室も、彼女らにとってはとりあえず残してあるくらいの感覚なのかもしれない。
「これは中々骨の折れる作業になりそうですね....」
私は最近の資料が保管されているらしい棚から新聞を1枚取り出し、近場の椅子に腰掛ける。内容は幻想郷の各地域についての解説のようだ。幻想郷の名に相応しい奇想天外な内容の中に....重苦しいリアリティと共に、それは在った。
〈サメジマレイコ(80)のご訃報〉
東京都、老衰
奇妙な一文が文章に挟まれている。飯綱丸の言っていた異常とは十中八九これの事だろう。最初から引き当てたのは幸運と言えるが、喜びは湧いてこない。その陰鬱さと不気味な雰囲気は、超常の渦中に足を踏み入れた事を如実に物語っていた。
「....」
新聞を棚に戻し、他の新聞を取り出す。2枚目、3枚目、4枚目....読み進める度、それは文脈を無視して挿入され続ける。
〈サメジマレイコ(77)のご訃報〉
東京都、心疾患
〈サメジマレイコ(72)のご訃報〉
東京都、刺殺
〈サメジマレイコ(69)のご訃報〉
太平洋、溺死
〈サメジマレイコ(65)のご訃報〉
東京都、悪性新生物
〈サメジマレイコ(60)のご訃報〉
東京県、自殺
〈サメジマレイコ(52)のご訃報〉
東京都、心疾患
〈サメジマレイコ(45)のご訃報〉
山梨県、自殺
〈サメジマレイコ(44)のご訃報〉
山梨県、自殺
〈サメジマレイコ(32)のご訃報〉
東京都、事故
「....ふぅ」
無関係な記事に差し込まれる数々の訃報に、私は溜息を付く。それらは全てが同一人物の訃報である点、しかし何故か年齢だけが下がっている点において明確な共通項を持っていた。何が起こっているのか、何が狙いなのか、何もかも、意味が分からない。だが、正体不明である事は手を止める理由にはならない。私はまた新聞を取り出し──
〈サメジマレイコ(16)のご訃報〉
九天の滝、圧死。
「....っ....!」
背筋に冷たいものが走る。九天の滝....幾度となく訪れた妖怪の山の地名。他の新聞を確認するが、これ以上訃報が出てくる様子はない。その足で向かう事も容易な場所を最後とした打ち止め....嫌な予感がする。
「誘われている....?」
その時、ノックの音が響く。
「こんこーん♪開けますよ〜?」
返答を聞かずして、扉が開く。そこには、立派な狐耳と尾を生やした少女が立っていた。