微かな灯りの中、私は無心で自らの家に彫刻刀を突き立てる。少々気が触れたようにも思える行為だが、成果を前にすれば、超常を知らない常人はそれが常軌を逸した狂気によるものと思い直すだろう。
「良し....間に合った」
手を止め、辺りを見渡す。四角に区切られたその部屋は、全面が彫刻刀によって抉られている。それらが形成しているのは奇跡論を補助する魔法陣だ。
「....これで本当に良しなの?」
部屋を眺め、椛が呟く。実際、複雑な公式に基づき刻まれた傷跡は一見して乱雑に斬りつけられただけにしか見えない。しかし、それこそが望んでいた反応だ。知識を持たない者にすら仕掛けを看破されてしまうようでは困る。
「まぁ....その....これから崩壊するであろう家ですから....」
安全性と確実性。この二つを確保する為には必要な条件があった。つまり、家の崩壊を前提条件として享受しなければならない。反ミームの影響を受けながらも自ら労働して得た家をだ。
「胸、貸そっか?」
自らも家を失ったというのに。或いはだからこそか。椛は憐れみと共に誘うように腕を広げる。疲労気味の思考がふらふらと胸に吸い寄せられそうになるが......ルーミアの無邪気な視線がこちらを向いている。
「じゃあ私にも一つ」
「胸って一つ二つで数えるものではないですからね」
「....一肉二肉?」
「更に悪化したなぁ」
「そっちの捕食はちょっと....」
椛が私の後ろに隠れる。能動的に行われた抱擁が齎す言外の誘惑に一々反応しているようでは身が持たない。しかし私に抱き着く椛へルーミアはどことなく普段より鋭い表情を浮かべている。
「.....天戸」
「は、はい」
「殺掠は社会貢献に含まれる?」
「ルーミア、満漢全席がおやつに含まれると思いますか?」
「残念」
「良い子です」
物騒な"社会貢献"を諦めたルーミアの頭を撫でる。寸刻前に殺掠という言葉が飛び出した事に目を背ければ、その満足げな表情は愛らしい幼子そのものだ。
「.....天戸って一回褥を共にした相手には無制限に優しくなるタイプ?」
「本当に褥を共にしてるだけなんですよね」
「....私のこと、いつも抱いてくれてるのに?」
「やっぱりお手付きじゃん!」
「今の私は日本語という概念に殺意を抱いています」
普段よりも幾分騒がしい部屋の1室で、時を待つ。迫る脅威とはまるで関係なく胃が悲鳴を上げているが.....そろそろだ。対応する準備は万全、後はタイミングが合うかどうか──
『かわって』
「──来た」
部屋の一角に、"彼女"が立っている。散々と追い回され、見慣れても来た死貌を、この時ばかりは求めていた。
「椛さん、手筈通りに」
「だからずっとこうしてたって言ったら信じる?」
椛が私を抱く力を強める。身動き一つ取れないが、私から動く必要はない。
....天井から、嫌な音が響く。
「....でしょうね」
天井が崩落するその瞬間、制御しきれずに漏れたバックラッシュが奇跡の光芒として周囲を満たす。共に起動するは耐熱と転送の多重奇跡。事前の準備が無ければ使用など望むべくもない大魔法だ。
『──』
視界が移り変わる。周囲が赤く染まり、恐ろしい熱量が身を焼く。唯一空を飛ぶことのない少女が重力に従い、落ちていく。
「うわ.....ほんとに火口に飛んじゃった.....」
誰に聞かせるでもない呟きが耳に入る。周辺を包み込む断崖絶壁、下方を制圧する溶岩。円状に広がる夜空.....私達は妖怪の山の火口に居た。転移の使い道は過去訪れた場所に戻るだけではない。正確な地図の庇護下において、奇跡論は地球の裏側に部隊を送る事すら出来るのだから。
『──』
椛に抱えられながらも遺骸を見下ろす。既に下半身が溶岩に沈んでいる。魔法使いならば、元よりあのような死地には足を踏み入れず。妖怪ならば、純然たる耐久力によって耐えるかもしれない。しかし罠は正しく機能した。人体が何の保護もなしに溶岩に晒されて形を維持する事は不可能で──
『かわって』
「....」
沈みゆく身体が、動きを止める。広がる溶岩が、黒く染まる。
「真っ暗になった」
「....ぅ....」
「ちょっ.....天戸!?」
もはや岩に囲まれるだけの少女を前にして、悪心と目眩が私を打ちのめす.....貧血だ。これ以上の奇跡論の使用は、失血による意識の喪失を齎しかねない。
「....大丈夫です....それより....」
彼女を、そして周囲を囲む火山岩をじっと見つめる....微かな紅が滲んでいる。
「タイミング....そう、タイミングです」
『──』
しかし、溶岩の赤ではない。遺骸を焼くべき熱はとっくに消え失せてしまった。それは....
「....あなたは全てを戻してしまうから、"それ"を悟らせる訳にはいかなかった」
『──』
それは、赫灼に隠されながらも丸一日決して絶える事無く湧き出し続けていた
「ここがあなたの死亡時刻です」
巨石が、山頂より飛来していた事に気づく。私達を潰す筈だったのだろう。しかし巨石は奇妙にも、隆起した火口の壁によって軌道を逸らされ....目の前の遺骸を圧し潰す。
「....」
強制力によるものか、或いは圧死こそが唯一の弱点であったのか....未だ、何も分からない。それでも、彼女の異常性が発揮される気配はなかった。
「ルーミア」
「ん」
唯一闇夜での視界を持たないルーミアが、ライトで巨石を照らす。しかしその光は速やかに完全な闇に吸収され....バックラッシュが追従する。無理筋を通し、消去を物質化へ。彼女の遺骸が存在するであろう場所を包むように、不壊の暗幕が降りる。現時点で最も厳重な収容房を前に、私は大きく息を吐く。
「初期収容、完了です」
・・・
翌日の昼。関係各所への通達を椛に頼み、休息を終えた私は河童に輸送を頼み妖怪の山の火口へと戻っていた。真っ昼間にも関わらず闇に包まれた1地点を眼前に、資材を運び込んでいる河童達の中から、にとりとトックの姿を見つける。
「こんにちは、お二方」
「んー....?おお、盟友じゃん!」
「やあ、天戸君」
彼女らは笑顔を浮かべ私を迎えるが、直ぐに怪訝な表情に変化する。
「....なんか顔色悪くない?」
「アブサントを六十本ほど飲んだ友が
「私としては
「
「そこまでは酷くないかなぁ.....貧血状態で体調を崩してしまっただけですよ」
徹夜程度であれば日常茶飯事だが、そのまま貧血にも陥ってしまったのだから体調を崩すのは必然だろう。しかし二人の考えは違うようだ。
「血を使う魔法の話は聞いたけど....自分の魔法で首が回らないまま死んだりなんかしたら墓に山童って刻むからね」
「山童に恨みとかあるんです?」
「君が河童ならあの
「す、すべき事を終えたらしっかり休みます....」
心配の一言を独創的に装飾する二人を前に、休息の優先度を上げておく。まあ、ここは幻想郷、少しくらいゆっくり休んでも罰は当たらないだろう。
「それより....お二方に感謝を。初期収容の完遂も火山の鎮静も助力あってのものですから」
「火山の噴火を止めるなんて話、一片たりとも聞かされてなかったんだけど?」
「うっ」
ジトっとした視線から目を逸らす。にとりから地図を受け取った後。私はトックの家を訪ね、助力を要請していた。活発化しているという火山の鎮静.....あの異常存在であればやりかねないとは踏んでいたが、それだけでは後に殺されるのみ。しかし、血痕の下に誘い込むだけでは、異常を悟られ、血痕を
異常存在を無力化する為の最善手、それこそが火山を利用した不意打ちだった。
「....天狗様から聞いた話だと新聞の異常な改変とやらも治まったみたい。火山の活発化まで止まったもんだから、河童も激賞されちゃったよ....」
「喜ばしい話だが、身に覚
「あんまり話し込み過ぎると異常存在に襲撃される恐れがありまして....もしかしたらトックさんの家に訪れていた時に襲来した可能性も──」
「よく英断してくれた」
「ちょっと?」
トックと握手を交わす。どうやら意見の趨勢は決したらしい。
「はぁ....ちなみに天戸はこの後謁見ね。飯綱丸様が待ってるって言ってたよ」
「もう少しすべき事は残ってそうだなぁ」
今回の作戦立案はトックの能力に大いに依存したもの。そして彼女の能力は、私以外には知るものの居ない機密事項だ。その近辺を深掘りされないと良いのだが....
「あっ、そうだ、最後に聞きたい事があるんだった」
「....?なんでしょうか?」
「今回捕まえたヤツは瞬間移動も出来ちゃうって話だったよね?あれ、どうやって封じ込めたの?あの闇の塊の効能とか、すっごい興味あるんだけど──」
彼女はそう言って黒球を眺める。見る目からは期待が伝わってくるが....
「──いいえ、収容出来ているという保証は、何も」
「え....?」
にとりは混乱し、呆気に取られたようだった。しかし、すぐに辿々しくも反論を始める。
「で、でも、収容房を作る訳じゃないか。それに今だって暗闇で覆ってる。それは効果があるからなんじゃないの?」
「この暗闇は破壊されないだけで、異常性を封じ込めるようなものではありません。だからこそ、再活性するかもしれませんし、もう既に活性しているかもしれません。この収容に意味があるのか、瞬間移動を行える遺骸が"本当にまだそこにある"のか。一切、何も分かりませんよ」
「....それは....そんなのを収容って呼べるの?」
「初期収容とはそういうものです。超常は捨て置いても世界を捻じ曲げ、されど知ろうとすれば死に至る」
「....」
トックが微かに苦い顔をする。以前の事変を思い出しているのかもしれない。
「....彼女が何者だったのか、何を望んでいたのか、どうしてああなってしまったのか。それらは全て、興味深くも不要な情報です。知れば知るほどに、死が私達を撫でるでしょう」
畢竟、私が生き残って来たのは幸運だったからだ。あらゆる異常への備えは出来ているつもりだが、この世には知らなくて良い事もある。
「今回必要なのは、内部からの侵襲への耐性ではなく、外部からの攻撃への耐性です。死体を見る事がトリガーの一つになっている可能性がありますので、遊び半分に誰かが侵入する事が無いよう、厳重にお願いします」
効果不明の収容。その説明を聞いて、にとりは溜息を吐く。
「うー....どうにも、一等賞が貧乏クジに変わっちゃった気分だなぁ.....」
「私達の仕事というのは、つまり貧乏クジを引き続ける事ですよ。ですが──」
それだけではない。貧乏クジばかりの仕事ではない事も、とっくに証明されている。ちらりと、トックを見遣る。
「劇毒、危険物、正体不明。過酷ながらも、時には綺羅星のように輝く宝石も見つかるものです」
「....」
.....無言のままそっぽを向かれてしまった。
「唐変木め」
「私そんなに酷いこと言ってました?」
もしや河童的に宝石扱いはあまりよろしくなかったのだろうか....
・・・
河童達との交流を終えた私は、速やかに天狗の総本山にある飯綱丸の御殿へと向かう。そろそろ夕方に差し掛かる頃合だが、内部には何ら変化もない。蒼い暗黒の中に、星々の光が浮かんでいた....鼻歌が聞こえる。
「む──」
玉座に座す大天狗がこちらを見ると共に、音色が消える。挨拶をしようとするが飯綱丸の反応の方が1歩早い。
「来たな人間。大手柄よ、良くやってくれたわ」
向けられた微笑みからして、大いに機嫌が良さそうだ。火山の件を解決した為だろうか。
「過分なお言葉、痛み入ります。しかし.....異常存在を無力化する為に必要な手法を採っただけです。それが完全な無力化であるかについても.....未だ分かりません」
「韜晦は不要です。想定よりも危険な影響を発揮した異常と、それ以上の懸念材料だった山の異変。ただの人間が双方に一応の終息を与えた。これは驚嘆と賞賛に値する成果よ」
社交辞令でないとすれば、真に痛み入る評価だ。とはいえ、心象が良くて困る事は無い。
「この山は、それ自体が幻想。嘗て富士の山さえも越して聳え立った八ヶ岳こそが妖怪の山となったのです。一度荒ぶれば幻想は山体と共に砕け散るでしょう。災害を押し留めたとて、幻想そのものへと亀裂が幻想郷に齎す影響は....考えるまでもなく甚大なものになる」
「....」
幻想の崩壊。それは恐らく、我々にとってのヴェールの崩壊と同義か、それ以上の危機なのだろう。原因が分からず終いだったとしても、外野の人間が単独でそれを防いだとあれば賞賛にも頷ける。
.....だが、そのような事態が頻発するものだろうか?
「一つお聞きしたいのですが.....新聞への干渉を齎した"異常存在"に似た存在が、そして山の活発化のような現象が、今までに発生した例はあるのでしょうか?」
世界に目を向ければその中には数多の異常存在が確認されるか、未だ眠っている。しかし、ただ一つの地域において異常存在が確認される可能性は存外に低い。社会に溶け込むエージェントの中には、退職まで一度も異常存在の遭遇しない者も珍しくない程だ。それと比べて、幻想郷はどうか。
短い滞在の中で、既に複数の危険な異常存在が発見されている。だというのに、幻想郷にて異常存在への対応手法が確立している様子もない。今回の件を経て、私の中には幻想郷における異常存在出現頻度について疑念が渦巻いていた。
「それはまた奇なる事を聞くわね」
しかし飯綱丸の反応は想定とは異なるものだった。彼女は首を傾げ、語る。
「ここは幻想郷。いったい何を異常とし、何を正常とする?」
「....それは....」
その言葉に口を噤む。結論は一つだ。私にとっては、幻想郷の全てが異常存在に他ならない。
「けれど、お前が遭遇したような異常は、元来幻想郷が受け容れなかったであろうものよ。"幻想郷の正常性"を脅かす異物、そう形容すべきかしら」
「....貴重な情報の提供に感謝します」
飯綱丸へと下げた頭の中を、悪い予感が駆ける。突如幻想郷に到来した異常存在。それらと唯一時間的な相関を持っている組織は、つまり──
「──それと、報酬について話さなければならないわね」
私の思案を、飯綱丸の語りが中断させる。思索がマクロの視点で肝要だとすれば、報酬の話はミクロの視点でとてつもなく大事だ。なんと言っても私と、そして椛さんは家が倒壊してしまっている。報酬の魔鉱石というのがどんなものであるかは知らないが、流石に家には替えられない。
「その事なのですが、実は異常存在への対処の途中、私と、極めて重要な働きをして頂いた天狗の協力者の方の家が破壊されてしまいまして.....」
「経費としては安過ぎるくらいね。河童に家を建てさせる事で補填しましょう。勿論、報酬とは別に」
「本当ですか?感謝、を....」
いや、待て。嫌な予感がする。彼女はどうも私を妖怪の山の勢力へと組み込もうとしているきらいがあった。河童に頼むとなれば、住居はやはり妖怪の山に建てられる事になるだろう。それは....対外上、妖怪の山の所属である事を宣言しているようなものだ。
「あの、住居については可能な限り当初の場所に──」
「勿論。人里の離れであればそう人間を恐れさせる事もない。仕事は問題なく終わるでしょう」
飯綱丸はまるで事前に決めていたかのような速度で人里への建設を約束してくれる。だが、何故だろうか。予感が全く消えない。寧ろ強まっているような....
「....けれどもあの河童達の手による作品ともなれば、次の家は相応に広くなる事は請け合い。きっと....一人と一妖で住むには少し手広かしら?」
「....ええっと....」
「ところで、私はまだ妖怪の山を鎮めた事への報奨をあなたに与えていない。勿論これは由々しき事よ。天魔様に代わり天狗を率いる者の末端として、あなたには相応の報酬を受け取って貰わなくてはならない」
玉座に座したまま、飯綱丸は器用に指を鳴らす....狼の特徴を帯びた少女が、ひょっこりと現れる。
「....椛さん?」
「あー....その....」
「お前の世話役として、白狼天狗を一匹付けるわ。彼女は既存の体制から取り外され、お前の望むあらゆる命令を実行する番犬となる。自由に使いなさい」
椛は私に向けて跪き、静粛に、しかし何処か気恥ずかしそうに宣言する。
「白狼天狗の犬走椛です。天戸様、どうか何なりと御命令を──」
「....」
....どうやら私は、家と共に、妖怪の山への帰属における最強の刺客を送り込まれたらしい。