館に入ってから幾ら時間が経っただろうか。館の大きさからは想像も付かない幅広く深長な廊下を歩いた足が、脳が、自らに問いかける。
"どうしてこんなに短いんだ?"
巨大な公園が辛うじて確保出来るか否かの直線を歩きながらに、体内時計が導き出した時間は僅か1分。時間か、空間か、私か。何かが狂っていた。
「お嬢様、ご要望の方をお連れしました」
異常を平然と歩み続けていたメイドの足が止まる。彼女の敬意は目の前の少女に注がれていた。
「ふふふ、ご苦労様」
少女....いや、幼女という方が適当かもしれない。微かに紫がかった美しい銀髪に、御伽噺の世界からそのまま飛び出して来たような愛らしくも品格のあるドレス。しかし最も目を引くのは、背中から生えた1対の羽根だ。少なくとも、物理的には。
「──あなたが噂の人間?私はレミリア、誇り高い吸血鬼の一族よ。以後お見知りおきを。目が残ってる限りはね」
「....天戸です。取るに足らないと忘れて頂いても構いませんよ」
....形而上的に認識するならば、実態はまるで異なる。彼女という形。それは悍ましいまでの力の集合であると、VERITASが伝えていた。存在そのものが放つ威圧感、或いは圧倒的なカリスマ。相対しているだけで冷や汗が滲み後退りしてしまいそうだ。しかし、微かに震えた手を柔らかな感触が包む。
「大丈夫?」
ルーミアが手を握り、心配そうにこちらを見上げている。その様子は妖怪というより天使だ。
「うゎあ....」
椛は....千里眼のせいだろうか、借りてきた猫のようになっていた。どちらかというと犬なのだが。
「そんなに怯えないで。別に取って食ったりしないわ。私、こう見えて病弱っ娘なのよ?」
病弱っ娘。どういう冗談だか分からないが、悪戯っぽくウィンクするレミリアは姿相応にも見える。当然だが、こちらに敵意を持っている様子もない。
「真っ当に怯えてくれる人間が現れてご機嫌ですね、お嬢様」
「そうね、これで例の巫女みたいなのが来たら、一発殴ってたかもしれないわ」
「.....」
....戯れとして殴り掛かられる可能性に思い至り、下げた警戒度を1段階上げる。
「ともあれ....現状の概要は把握済です。私に異常存在の調査研究を求めている、と。そこで具体的な内容について御教授を──」
「嫌よ」
「え」
最重要要項があっさりと拒否されてしまった。目を開き固まる私を前にして、レミリアが笑う。
「ふふふ....運命が交わるにはまだ幾許かの猶予があるわ。仕事の話は後にして、今宵は歓迎のお茶会を開きましょう?」
「.....それは....はい。でしたら、お言葉に甘えさせて頂きますが....」
彼女の言葉を脳内で噛み砕こうとするが、奇妙は衝撃に上塗りされる。私の肯定と共に、目の前に全てが揃った。机、椅子、料理、紅茶....何もなかった筈の場所に、茶会に必要な何もかもが置いてある。VERITASですら一式のアイテムと一連の流れに異常を見出す事が出来ない。召喚されたもの、などではない。最初からそこにあったかのように、何の力の干渉も受けていなかった。
「....」
唯一、微かな異変を見せたのは側に立つメイド長だ。立っていた位置が、数ミリほどズレている。それも、コマ送りをしたかのように一瞬で。
「席にどうぞ」
「.....ええ」
レミリアは圧倒的な異常をまるで意に介さず、茶会の席に付く。これは、異常存在に関連する力なのだろうか?疑念が渦巻くが、立ちっぱなしで留まるのも無礼だろう。格調高い椅子に腰を落とす。
「いや、今の....うえぇ?」
続いて椛が畏怖と共に席に付く。どうやら彼女も微かな異変を察したようで、その視線は咲夜に向けられていた。
「ん」
ルーミアは....いつも通りだ。レミリアの威圧感にも、奇術的な物体の出現にもまるで動じず、私の席に座る。
「んん....ルーミア?」
そう、私の席だ。ルーミアは私の膝の上にちょこんと座り、ぎゅっと私の左手を握る。そのまま、間近の彼女は私ににへらと笑い掛け....
「大丈夫、これで怖くないよ」
「──」
あまりにも奔放で、あまりにも愛らしい。抗い難い純粋無垢の魔性に当てられ、動揺が溶けていく。いつの間にか、私は彼女の手を強く握っていた。
「わ、甘えん坊さん」
「っ....」
....いや、不味い、これ以上は非常に不味い。圧倒的な瞬間火力に心を奪われていたが、彼女は今が二人きりでない事を行動決定の勘定に入れていない。目の前には紅魔館の主人であろう吸血鬼が座っているのだ。手を握る力を緩めて、私はレミリアの顔色を窺う──
ああ、こちらを見てニヤニヤと笑っている。丁度いい肴が現れたとでも言わんばかりだ。
「やっぱり人間って楽しいわね」
「完全に娯楽用品の扱いだ....」
「単純な思考中枢に振り回されている様子は、攪拌した紅茶に似てると思わない?」
「飲み干される事がないよう願いたいですね」
「私は少食なの。一口で満足よ、お行儀は悪いけど」
レミリアが紅い紅茶を口にする。どうやら、このままお茶会を始めるつもりらしい。
「必要な事ばかりしていれば流れは停滞し、生は濁る。けれど、生き飽くにはこの世界は楽しすぎるの」
「余暇に浸りなさい。それがあなた達に課せられた当面の運命よ」
主人の意向に沿うまま、望むと望まざるに拘わらず茶会は続く。とはいえ用意された茶も菓子も絶品。その上、膝の上に絶世の美少女まで乗せているのだから、なるほどこれは最上の余暇なのだろう....体面を考えなければ。
・・・
結局、茶会が終わったのは朝頃。彼女は私達に紅魔館の日常を語り、私達は彼女に自分の日常を語る。ある意味、どうでもいいような話題にも思えたが....異なる平常に端を発する会話は、思いの外に弾んだ。
そう、弾みはしたのだが....
「まさか異常存在について話題にも上がらないとは....」
寝室にて独りごちる。随分と長く話したが、レミリアは本当に異常存在に関する一切の情報を語らなかった。
「ううん....まあ、仕方ないんじゃない?」
大きなベッドから顔の覗かせた椛が口を挟む。独りごちるとは言ったが、同室にはルーミアと椛が居る。どんな気を効かせたのか、ご丁寧にベッドは一つだけだ。部屋には妖しい雰囲気が漂っている。
「強力な妖怪ほど人間と関わらないから時間感覚が妖怪仕様に変わってくのよね。その点あの吸血鬼は最上級だろうし....」
「本題に入るまでも緩慢になると?」
納得出来る理由ではあるのだが、未知の異常存在を所有する奇妙な館で待ちぼうけというのは落ち着かない。人間が一人しか居ない館だ、どんな超常現象が起きても不思議ではないが....機嫌を損ねない範囲で、こちらも情報が欲しい。
「....寝ないの?」
「少し、館を歩いて来ます。二人はゆっくり休んでいて下さい」
ルーミアの問い掛けにそう答える。VERITASの力があれば、壁の外からでも異常存在を確認する事は可能だ。待機を求められた手前少しやり辛いが....館を散歩する事が禁止されていない以上は、なんとかして実物を確認しておきたい。それに....
「むぅ〜」
ルーミアが漸く手を離す。触れ合う熱を失った手が、妙に寂しい。こんな状態の、こんな環境。二人と褥を共にするのは、どう考えても理性に対する過信でしかないだろう。
・・・
紅魔館。その名に相応しい紅に染まる廊下を、私は歩き続けていた。既に1時間は経っただろうか。脳内でのマッピングはとうに諦めている。記録を求められた用紙は1枚どころの話ではない。地図を見た者は、それを館の図解だとは思うまい。
「....館というより一種の異界だな....」
普通なら構造上あり得ない設計のオンパレードだ。時折メイドの姿をした少女とすれ違うが、背中の羽根からしてどうも妖精らしい。本当に、人間の姿が一切見られない。勿論、異常存在の姿も。私はため息を吐き、足を止める。恐ろしく空間の歪んだ館の中で、貴重な物品がユークリッド幾何学を沿うようにして保管されているかは相当怪しい。
「これ以上は....体力の無駄かもしれませんね」
まあ、時間を無駄にしたというのは少しばかり悲観が過ぎるだろう。紅魔館の広大さについて一定の理解が得られたし、そうでなくとも良い運動にはなった。努めて前向きに踵を返し....違和感に気付く。
「.....」
VERITASから覗く風景が、歪んでいる。歪みの中心、扉の先に映っているのは.....ヒトガタの影。
私の記憶がその像に最も早く重ね合わせたのは、レミリアの姿だ。しかし彼女ですら、ここまでに"あからさま"ではなかった。空間を歪めるほどの奔流が示す。そこに居るであろう誰かは、自らの圧倒的な力を隠そうともしていない。
「....おいおい」
即座に臨戦態勢を整える。全身に冷や汗が伝う。危険、どころの騒ぎではない。逃走を選択すべきだが、既に"それ"は扉に手を掛けている。
ガチャリと。やけに煩い音を伴い、扉が開く。
「見たことない人間。どうしてここに居るの?」
扉の先に立っていたのは、幼い少女だった。ルーミアを思わせる金色の髪と紅い瞳を持ちながら、背中には宝石がぶら下がった羽根のようなものが生えている。
しかし、彼女の容姿を気にしている余裕は殆ど無かった。恐るべき威圧感が、全身を刺し貫く。1歩、後退りする。2歩、少女が距離を詰めてくる。
「最近、お料理を始めたの」
「え....?」
「侵入者の腸を抉って
致命的な宣告に口が乾く。敵意は感じられない。だが、安全というにはあまりにも物騒だ。
「....ソーセージを作る過程なんて見れたものじゃないですよ」
「古い話をするのね」
「幻想郷では進行系でしょう」
「どっちにしても鬼は笑わないわ。もう少し時計の針を進めないと....ねえ、人間さん──」
「あなたはこれから、どうなると思う?」
破滅の未来を予兆するように、鬼が笑う。恐怖が背筋を這い回る。怪物を前にして、私は真っ先に手を上げた。
「.....そもそも、私はレミリアさんの客人です。侵入者ではありませんよ.....下手に殺せば面倒な事になるかと」
「ああ〜....」
彼女は私の言葉に頷く。分かってくれたようだが....まさかこんな存在までもが闊歩しているとは思わなかった。やはり探索は打ち切るべきで──
「
「....はい?」
少女は....止まらない。いつの間にか、彼女は私のすぐ目の前にまで迫っていた。
「お姉様の客人、話は聞いてたわ。壊したら駄目って言ってた。じゃあさ、つまりさ」
「
「──ッ!」
決して背中は見せず、迅速に。闘争に用いる歩法で即座に距離を取る。しかし、至近距離の奇襲を避ける為の数歩を、彼女は明らかに"遊戯"の合図として解釈していた。
「やる気になってくれた?それじゃ、一緒に遊びましょう?」
「....せめてお手柔らかにお願いします」
広大な紅魔館探索の果て。どうやら、とんだ外れ籤を掴まされてしまったようだ。
・・・
「まずはこれから──」
彼女はそう言って、光によって構成された弓のようなものを生み出す。弓からは、高密度のエーテルが検知される。大魔術に匹敵するそれを見た私の顔はさぞ引き攣っていただろう。
「これで、小手調べ....?」
一つではない。恐るべきエネルギーを内包する武器は、無尽蔵に用意されていた。
光り輝く数多の弓が、空中に浮かぶ。少女がそのうちの一つを引けば、全ての弓が同調し弦が引かれる。皆、私の方角を向いている。私の事を要塞かなにかだと勘違いしているのでなければ、過剰も良いところだ。
「"禁弾:スターボウブレイク".....こんな所で終わらないでね?」
「酷い無茶振りだ」
放たれた七色の矢が飛来する刹那。地面は凹み、露出した土が私を受け止める。仰向けになった私の視界を七色の光が埋め尽くす。落下による緊急回避.....恐るべき魔女との戦いから学んだ、どうしようもない大火力に対する対抗策だ。
「あれ、壊れちゃった?」
「──残念ながら、もう少し修羅場は続きそうですね」
塹壕から顔を出す。全てを避けたのだから、当然ながらダメージはない。少女が喜悦に歪む。
「ご期待には添えましたか?レミリアの妹様」
「フランドール....フランでいいよ。私の名前」
「天戸です。ええと、フランさん。自己紹介は友好的な交流に繋がるものと信じたいところですが....」
「だから、友好的に遊び殺すのさ!」
刹那、蝙蝠に包まれたフランの姿が消え失せる。悲しきかな、戦いは止められない。私は姿勢を下げ、次なる攻撃に備えた。