SCP財団:幻想部門   作:鮫肌猫

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「天戸ってほんと、いつも面倒事に巻き込まれるわよね」

 

「面目ないです....」

 

椛のジトリとした視線が突き刺さり、目を側める.....一瞬で回り込まれる。

 

異常存在を取り返す為に香霖堂に向かう旨を伝えたところ、眠りに落ちていたフランを除く二人はいつも通り同行を申し出た。心配はあるが、人気のない森の道が齎す暇を駆逐するにはこれ以上ない布陣だろう。

 

「しかも、あの魔女と知り合いだったなんて....最初の頃に言わなくて良かったわね、ほんと。その話を聞いたら侵入者として痛い目を見せることになってたわよ」

 

「うぐ」

 

目を反対へ側める....やはり一瞬で回り込まれる。

 

椛にとっての魔理沙は山を荒らし回った無茶苦茶な侵入者だ。良い気分はしないだろう。

 

「何卒、指の一本で御勘弁を....」

 

「また生やせるからって自分の身体を安売りしすぎじゃない....?それに、これは昔の話よ。その....」

 

「....今の私は天戸の狗だし....」

 

「.....」

 

倒錯的な甘味を孕む一言に不意を打たれる。普段の快活さの底に滞留した、煮詰めた甘露のような感情の表出に声が詰まってしまう。故に、その言葉に反応したのは私ではなかった。

 

「がるるるる」

 

「....ルーミア、そこは対抗意識を燃やす場所じゃないです」

 

闇の中のルーミアがいつものポーズで可愛らしい唸り声を上げる。タイミング的に、磔にされた聖者というよりアリクイの威嚇だ。

 

「おっと、いくらそっちが歴で勝ってても狗の座は渡さないわよ」

 

垣間見えた底の甘露は鳴りを潜め、椛もまた謎を構えを取る。なんというか、プライベートにおけるルーミアと椛はそれなりに相性がいいのかもしれない。少し立ち止まり、平和な光景を眺める。

 

「....ん?」

 

二人を眺めるうち、ふと一つの人影が後ろから近付いて来ていることに気付く。森の道で今まで何者かとすれ違った事はない。目を凝らすと.....見覚えがある。

 

菅牧典。妖艶な白絹を身に纏い、狐耳を生やしたその少女は、以前と同様に"友好的な"笑みを浮かべていた。

 

 

 

・・・

 

 

 

「おや、天戸様。奇遇ですねえ」

 

「奇妙とも偶然とも思えませんが....」

 

謎の構えを取る少女二人と男一人の一団に対して、追い付いた典は当然のように話しかけてくる。前の邂逅において発していた媚香は鳴りを潜めているようだったが....椛に悟られない為だろうか?

 

「あなたは、飯綱丸様の....」

 

その椛は、典を見た途端に私を抱き締める。振り向くと彼女は驚きのみでなく、強い警戒を典へと向けているようだった。呼吸と共に微かな威嚇の音色が混じっている。狼に照らすなら、まるで、餌を横取りされる事を恐れているような様子だ。

 

「ただの番犬にしては色香が混じっていますね。いったいどのように"調教"をなされたのでしょう?ふふ....」

 

色香そのもののような笑みが私に向けられる。ただの微笑みだ、好意がある訳でもない。頭では分かっていても、身体が勝手に彼女の下へ近付きそうになってしまう。

 

「がるるるるる」

 

しかし、矛先が典へと変わったアリクイ(ルーミア)の威嚇に力が抜ける。やはり自認としては聖者のポーズなのだろうが、そんなに多用していいのだろうか。

 

「....あなたが飯綱丸さんの命令で私を取り込もうとしているのは既に予想が付いています。今更誘惑に負けるつもりはありませんよ」

 

「おや、これはまた奇なことを」

 

典の視線が椛へと向けられる。

 

「飯綱丸様が彼女を送り込んだ時点で既に目的は達せられています。管狐として誘惑勝負に負けたのは....非常に遺憾な事ですが」

 

「いや、別に私、天戸を謀るつもりなんて....」

 

「おや、あなたの存在によって天戸様は半ば妖怪の山に属する存在と認められたのですよ?」

 

「う....」

 

椛の抱き締める力が強まる。心細げな声が耳元に囁かれる。

 

「....私、離れた方が良いのかな....?」

 

「い、いや、それは....居てほしいです、はい....」

 

「....!」

 

椛の獣耳がぴこんと立つ。抱き締める力が更に強くなる。流石にちょっと痛くなってきた。

 

「やはり籠絡は順調なご様子。不祥、この菅牧典。飯綱丸様の配下として安心しました♡」

 

「鴨が葱なら狐は言葉?」

 

「昔話に倣うなら喋る狐は大体食べちゃ駄目です」

 

気の抜ける威嚇を続けていたルーミアが言葉の刃を携えいきなり典を突き刺す。彼女の語彙力はなんというか、ジェットコースター的だ。

 

「ですが....現れた意味が分からないという点は確かですね。目的を達したならわざわざ私達を追う必要は無いはず。どうして接触を?」

 

「ええ、最初は交友が上手く行っているかなんて分かったものではありませんから。そこの白狼天狗の目をなんとか掻い潜り、様子を断片的に観察していたのですが....」

 

「殺意を覚えました♡」

 

「殺意」

 

ちょくちょくと私生活が観察されていたというのも驚きなのだが、殺意とは。そんなものを抱かれるような生活はしていないと思うのだが....

 

「あの、なぜ殺意を....?」

 

「あんなにお二人と仲良くしてベットも一緒なのに、一線は越えてませんよね?喘ぎ声の一つも聞こえませんでしたし、焦れったくて....」

 

「完全に典さんの都合じゃないですか!」

 

「天戸が焦れったいのは、うん....」

 

「....」

 

同調した椛の言葉に振り向きかけ、首を止める。一旦....聞かなかったことにしよう....まずは家の周囲の防御を固めなければ....うん....

 

....そうして必然的に固定された視点の先で、典が何かを取り出す。あれは、試験管....?

 

「──ですから、ええ。一歩足りないんです。私めとしてはもう少し深く、離れようがない所まで堕ちて頂きたく....♡」

 

"ぽん"と小気味いい音が響き、薄桃色の液体が詰まった試験管のコルクが抜かれる。ふわりと、甘い香りが鼻腔へと運ばれて──

 

「うっ....!?」

 

身体が熱い。意識が靄がかる。最も強烈な欲望の一つが、思考を占領していく。

 

「以前の"香水"の強化版です♡ふふ....私は魅力的に見えますか....?」

 

典が、液体を自らの身体へと溢す。白い服が薄桃色に染まり、肌に吸着する。すぐにでも目を離すべきだ。なのに、囁きが理性を冒す。布下の桃色を晒すあまりにも妖艶な風貌と、傾国じみた笑みに瞬きすら奪われてしまう。

 

「おや、私ばかり見ていますね....光栄ですが、鼻の利く"番犬"はもっとひどい事になっていますよ....?」

 

「....!」

 

そこでようやく、私を抱く腕の力が弛緩している事に気付く。仲間への心配が、典から視線を逸らすだけの余裕を与える。

 

「あまとぉ....」

 

振り向いた先の椛は蕩け切った顔を晒し、すりすりと私に身体を押し付けていた。

 

「椛、さん....?」

 

「ご....ごめん....なひゃい....♡....おさっ....おさえられなくてっ....♡」

 

「っ....!」

 

侵食され、揺らいだ理性が強引に引き剥がされていく。激情の種が蒔かれ、急速に発芽していく。椛のあられもない姿は、どうしようもなく淫靡で.....そんな彼女を"助けられる"のは私だけだと、心の中の自分が囁く。

 

「ふふ、とっても強力でしょう?弱点があるとすれば....私も耐えられない事でしょうか....♡」

 

掛けられた言葉の"近さ"に驚く。典はいつの間にか私のすぐ目の前に立っていて....そのまま、媚薬に濡れた身体をすり寄せてくる。

 

「ね、天戸様ぁ...そこの天狗ではなく、私に夢中になって下さっても良いんですよ....♡」

 

「う....あっ".....」

 

とっくに粉微塵になった理性を掻き集めて作った壁さえ、彼女の囁きはするりと抜けていく。心の奥底を甘く蕩かすような、欲望の源泉を直に扱くような、魔性の誘惑....

 

「天戸....」

 

「ル....ルーミア.....」

 

考えすら纏まらないまま、また一人、肌を触れ合う者が増える。"とろん"とした様子のルーミアが闇から抜け出し、私の服をぎゅっと掴み、密着してきた。もう、限界は既に越えている。彼女の誘いを前に抑制など──

 

「お肉....」

 

「ん?」

 

ルーミアがガブリと私の腕を噛む。血が滲んでいる。

 

「──痛ぁっ!?」

 

確かに私は苦痛に耐える訓練を受けている。受けているが、それにしても痛いものは痛い。甘噛みどころではない力で腕を噛まれ、思考が現実へ引き戻される。幸いにも椛は悲鳴に驚き、力を緩めていた。彼女の腕をすり抜け、ルーミアから距離を取る。

 

「あ、あの、典さん!?なんか食欲が喚起されてませんか!?」

 

今まで余裕綽々の態度を崩すことのなかった典を見る。明らかに焦っていた。

 

「い、いや.....確かに私が用意したのは肉欲を喚起する薬のはず....」

 

「だから、()欲が喚起されてるんですよ!!」

 

「食べ....たい〜....うう....」

 

涎がダラダラと垂れている。もう、解釈のしようがない、単純に命の危機だ。

 

「えあっ、あっ....えっと....ル、ルーミア、止まって....!」

 

蕩け切っていた筈の椛も衝撃的な不意打ちに正気を取り戻し、ひとまずと盾を構える。艷やかな空気は....完全に破壊されていた。欲望が収まった訳ではないし、確かに濃密な香りも感じるのだが、そんな事を言ってる場合ではない。

 

「あなたは食べてもいい人間....」

 

「冤罪だ!」

 

疑問形が外れるだけでこんなに恐ろしくなる言葉もないだろう。一旦上告をさせてほしい。

 

....とはいえ、とはいえだ。思い返してみれば彼女もまた完全に理性を喪失している訳ではない....ようにも思える。ルーミアは人喰いの妖怪だ。もし彼女が本気で噛み付いたならば、歯形が残り、血が流れる程度で済むとは思えない。

 

その仮説は、私に勇気を与えた。未だ身体が紅潮し足下の覚束ない椛の横を通り抜け、ルーミアに近付く。

 

「ルーミア、これを」

 

手をルーミアに近付ける。今の彼女に対してそのような行動をするのは端的に言って指を捨てているようなものだが、つまりはそういう事だ。

 

「丸齧りは死んでしまうので駄目ですが、指くらいなら....」

 

触れられるほどの距離に近付いた指をルーミアはじっと見つめ、小さな口に含む。しかし、予想されていた苦痛は、中々来ない。彼女は歯を立てず、人差し指をしゃぶっていた。

 

「ん....おいしぃ....♡」

 

どうやら、指の一本を大事に味わっているらしい。しかし、その様子に不埒な想像が過ぎる。激しい欲望を瞳に宿し、水音を立てながら行われるそれは、振り払おうとも淫靡な妄想に重なり合う。煩悩を振り払おうとする私の様子をどう解釈したのか、彼女の恍惚とした笑顔は崩れ、怒られる子供のようなばつの悪さと悲しみが表情に浮かぶ。

 

「ぁ....ご、ごめん....ずっと一緒にいたいのに、あんな.....」

 

「っ....」

 

「すき....すきなの....お肉としてじゃ、なくて....天戸が....」

 

悲しげなルーミアを前に、堪らず空いた方の腕で強く抱いてしまう。彼女の顔が間近に迫る。明らかに媚薬の効果が抜けていない。今の私はあまりにも衝動的すぎる。

 

「....噛み付かれたことなら、気にしていませんよ。むしろ、手加減をしてくれて助かりました」

 

「....」

 

努めて冷静にルーミアに言い聞かせる。彼女は少しの間完全に停止し、潤んだ瞳を擦り、口に含んだままの指を舐め始める。

 

....苦痛はまだ来ない。ただ、開かれた口の中で指は見せつけるように舌に絡め取られ、神経は脳に快感を伝達し続ける。今の彼女を動かしているのは、本当に食欲、なのだろうか....?不意に、下半身に熱が集まるのを感じた。それがルーミアに接触している事も....

 

「あ....」

 

彼女の雰囲気が変わる。因果の探求を私は必死に断ち切り続けるが、彼女には関係ない。無邪気さが、小悪魔的な笑みに上書きされる。押し付けられたそれに、彼女の小さな手が、宝物を触るように優しく触れて──

 

「....おなじこと、する....?」

 

「──」

 

それが反射だったのか、あまりにも魅力的な彼女の誘惑へ完膚なきまでに堕ちた余波だったのか、よくわからない。しかし結果としてその瞬間、私の指は咄嗟に、大きく動いた。当然、鋭利なルーミアの歯に突き刺さる。見せびらかしていた口に血が滲む。

 

苦痛が、辛うじて理性というか、意地のようなものを存続させた。そしてそれは、ルーミアへの返答でもあった。彼女は少し不満そうに、人差し指を噛み千切る。

 

「うー....おいしい....」

 

そうとだけ呟き、彼女はそれ以上指を咥えようとはせず、私の手から離れる。理性を取り戻す事には成功したようだ。

 

「....あ....危なかった.....」

 

脳内を占拠するルーミアへの情を必死に宥めながら、息を整える。その愛らしさから時折忘れてしまうが、ルーミアは単なる少女ではなく、恐らく人間よりも長い時を生きた妖怪なのだ。彼女は確かに無邪気であり、純粋だが....人心の機微について"分かって"も、いる。

 

そうして、また愛らしさに毒気を抜かれ簡単に忘れ去られるのであろう自戒を続ける私に、おずおずと椛が話し掛ける。

 

「な、なんとかなったの....?」

 

「....問題は、解決しましたが....」

 

奇跡論によって指を生じさせながら、典をじっと見つめる。

 

「元凶がまだそこに居るんですよね」

 

「え....えへっ」

 

典は哀れさを強調するかのようにその場で乙女座りをし、甘えるような媚びた目線をこちらに向ける。たったそれだけの所作が肌を晒す桃色と合わさり....いや、だめだ、考えるな....

 

煩悩を隅に追いやりバックラッシュを制御する。多少なりとも冷静さを取り戻せればこっちのものだ。典の服を濡らした薄桃色の液体は簡単に"乾き"、その香りを喪う。

 

「....えっ?」

 

「匂いが消えてく....ふうぅ....」

 

この状況下にあって、恐らく最も正気を保つのに苦労していたであろう椛が大きく息を付いた。冷静さを取り戻しつつある彼女は、ジトリと典を睨む。

 

「それで、飯綱丸様の部下としてやりたかった事って天戸の指を切ることだったの?」

 

「....」

 

薬品が消え、身一つで私達の前に投げ出された典は、愕然とし、そして逡巡していた。しかし、すぐにその姿勢を正す。

 

「........い、いいえ。本件の顛末は私の至らなさに起因するものであって、飯綱丸様に咎はありません。何卒、あのお方にまで累を及ぼすことだけはなきように....」

 

彼女は今まで見たことのない真剣な面持ちをしていた。単に雇われた存在、という訳ではないのだろう。明確に、飯綱丸への忠義を持ち合わせているようだった。

 

....ふむ。

 

「幻想郷の外の世界において、私は様々な交渉に携わって来ました」

 

「....?」

 

典が微かに首を傾げる。怪訝そうな彼女を差し置き、私は話を続ける。

 

「私は人を簡単に殺しうる異常な品々を人々から隠す必要があり、交渉の対象はそれらの品々を拡散する組織でした。幸運にも彼らとの交渉のテーブルを用意できたとして、それでも私達は殆どの場合において脅迫に晒されます」

 

「....まあ、当然でしょう。私達がどれだけ強大でも、隠す労力と拡散する労力には大きな隔たりがありますから。彼らはそこを突き、私達に要求を呑ませようとする....」

 

「....その手の対応には慣れている、と?」

 

未だに彼女は話の全容を掴んでおらず、警戒を顕わにしている。しかし、それは私の伝えたいことではない。

 

「いいえ、そういった話ではありません。つまり、重要なのは、あなた達は一度たりとも私を"脅した"ことがないという事です」

 

文を従える立場に居るほどの天狗だ。その権力によって根無し草の人間一人を無理矢理に従えることなど、あまりにも容易だろう。だが彼女は一度たりともそのような行為を採ることはなかった。

 

「報酬ついでにこっそり私を取り込もうとするくらいですからね。一筋縄ではいかない曲者である事は確かですが、それでも彼女は約束を違えませんでした。あなたも、まぁその、やり口は過激でしたが....言ってしまえば私と椛が更に深い関係になるよう画策しただけです。つまり....」

 

「あなたの存在が飯綱丸さんの印象に累を及ぼしたとて、それが悪いものでない事は約束しますよ」

 

呆然という言葉がよく似合う様子で座り込む典に手を伸ばす。彼女はおずおずと手を取り、立ち上がる。

 

「....はは。どうやら飯綱丸様は目利きに失敗したみたいね。こんなお人好しの人間が、幻想郷で長生きできるはずないもの。どっかで野垂れ死ぬのがオチだわ」

 

雰囲気を異にする言動に混乱する間もなく、彼女は私に擦り寄る。甘い媚香とは異なる、退廃的でありながらどこか落ち着く典自身の匂いが鼻を満たす。

 

「だから、ね、天戸様。私の家においでなさい。そうすれば、万難より扶け、万象を教導して差し上げます。幻想郷の事も、これからの事も....お望みなら、私の事も....♡」

 

囁かれた睦言が、どうしようもなく魅惑的に心をくすぐる。それは、好意なのだろうか、嘲りなのだろうか。何も分からない。ただ、今の私には、もう否定など出来る筈がなかった。半ば反射的に、口から言葉がこぼれ出す。

 

「....か、考えておきます....」

 

甘言を弄する管狐は、その返答を聞いて満面の笑みを浮かべた。

 

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