エヴァリーナと秘密の契約 作:大化の改新
主人公エヴァリーナが、ホグワーツに向かう前の過去の物語です。
毎日1話夜に更新します。
エヴァリーナの日記 1
日付不明、おそらく7歳か8歳の頃
ママが、いなくなってから、どれくらい経ったんだろう。
朝起きたら、隣にママはいなかった。
いつもみたいに、おひさまの匂いがするママの腕の中に顔をうずめることも、朝ごはんのパンを分けてもらうこともできなかった。
オリヴィアが、「お嬢様、お腹が空きましたでしょう」って、いつものように優しい声で呼んでくれたけど、ママがいない朝は、パンもミルクも味気なかった。
最初は、すぐに帰ってくるって思ってた。ママはたまに、お買い物に長い時間行ったりするから。でも、何日経っても、何週間経っても、ママは帰ってこなかった。
オリヴィアは、毎日私の髪を丁寧に梳かしてくれて、お風呂に入れてくれて、絵本を読んでくれた。ママがいなくなってから、オリヴィアはもっと、ママみたいになった気がする。
でも、オリヴィアは時々、深い深い溜息をついてた。私が寝たふりをしていると、聞こえるんだ。小さくて、悲しそうな溜息。そして、オリヴィアはよく、遠くを見つめていた。まるで、何かを探しているみたいに。
ある日、オリヴィアが私の手をぎゅっと握って言った。
「お嬢様、参りましょう。お嬢様の……新しいお家へ」
私は少しだけ、わくわくした。
ママがいないここじゃない場所へ行くんだって。
エヴァリーナの日記 2
日付:7月10日、ウィンチェスター伯爵家
車に揺られて、ずいぶん長い旅だった。疲れて眠っては、オリヴィアの優しい声で起こされ、また眠る。
そんなことを繰り返しているうちに、車の窓の外に、お城みたいな、ずいぶん大きな建物が見えてきた。オリヴィアは私の手を握って、「こちらが、お嬢様の新しいお家ですよ」と少し震える声で言った。
馬車を降りて、私たちを待っていたのは、エリオットおじさんとカミラおばさんという私の実の叔父夫妻だった。オリヴィアは、私を少し後ろに隠すようにして、深々と頭を下げた。
「ウィンチェスター伯爵様のご子息であらせられるエリオット様、そして奥様のカミラ様でいらっしゃいますね。わたくしオリヴィア・グレイスと申します。そして、こちらが…ヴァイオレットお嬢様の…」
オリヴィアが少し言い淀むと、エリオットおじさんが眉をひそめて、冷たい声で言った。
「ほう、これがあのヴァイオレットの忘れ形見か、あまり似ていないな?随分と、みすぼらしいな。まさか、今になってこの屋敷に連れてくるとは。父はあいにく不在だ。もしいたら、お前たちを追い返すだろう」
隣にいたカミラおばさんも、私を上から下まで値踏みするように見て、フンと鼻で笑った。
「ずいぶんと薄汚れたものね。この子…本当にヴァイオレットの娘かしら? とてもそうは見えないわ。こんなものを、どこに置けばいいのかしら」
オリヴィアが私を庇うように一歩前に出た。
「お嬢様は、道中の長旅疲れで。どうか、どうかお部屋を……」
「部屋だと? 笑わせるな」と、エリオットおじさんが吐き捨てるように言った。
「こんな私生児に、伯爵家の一室を与えるなどと。オリヴィア、お前もだ。せいぜい、屋根裏部屋がお似合いだ。お前たちの場所は、そこしかない」
そう言って、使用人たちに乱暴に腕を掴まれ、私たちは屋根裏の小さな、埃っぽい部屋に押し込められた。窓から見える空は、ひどく遠くて、手の届かない場所にあった。
オリヴィアは私をぎゅっと抱きしめ、何度も何度も「ごめんなさい、ごめんなさい、お嬢様」と呟いた。私は怖くて、ただただオリヴィアの服を握りしめることしかできなかった。
エヴァリーナの日記 3
日付:8月12日、ウィンチェスター伯爵家
屋根裏部屋に押し込められてから、もうひと月になる。屋根裏部屋は、天井が低くて、歩くたびに床がギシギシと音を立てた。窓は埃で薄汚れていて、外の景色はぼんやりとしか見えなかった。
毎日、朝ごはんは固くなったパンと水。昼間は熱が籠って暑く、夜は冷たい風が吹き込む部屋で、オリヴィアと毛布にくるまって震えた。
そんな日々が続くと思っていたのに、今日、急に部屋の扉が開いた。
そこに立っていたのは、エリオットおじさん夫妻と、見たことのない男の子と女の子。二人の子供は、叔父夫妻の実子であるノエルお姉さまとルーカスお兄さまだ。彼らは屋根裏部屋にいる私を見て、ニヤニヤと笑っていた。ノエルお姉さまは、まるで面白い見世物でも見つけたかのように、楽しそうに笑っていた。
「まあ見て、ルーカス。あんなに薄汚れて、可哀想にねぇ?うふふ」
ルーカスお兄さまも、冷たい目で私を見ていた。
その時、彼らの後ろから、とても威厳のあるおじいさまが、ゆっくりと部屋に入ってきた。エリオットおじさんとカミラおばさんが、あわてて頭を下げた。
「父上!お帰りなさいませ!旅はいかがでしたか?」
祖父は何も答えずに、私をじっと見つめた。その目は、少しだけ、本当に少しだけ、ママの目に似ている気がした。祖父は、ゆっくりと私に近づいてきた。その威圧感に、私は思わず身を縮めた。
祖父は、私の髪にそっと触れた。
「この子が、ヴァイオレットの娘か……ああ、ヴァイオレットにそっくりだ。特にその瞳の色がよく似ておる。よくぞ、無事でいてくれた」
祖父の声は、静かだけど、部屋中に響くようだった。エリオットおじさんが慌てて言った。
「お父様、しかし、このようなものを屋敷に入れるなど…」
祖父はエリオットおじさんを冷たく見下ろした。
「黙れ、エリオット。この子は私の孫だ。ヴァイオレットの忘れ形見だ。すぐに、専用の部屋を用意させろ。そして、乳母のオリヴィアにも、相応の部屋を与えよ。そうだ、ずっと残したままのヴァイオレットの部屋を使わせよう!この子を、二度と粗末に扱ってはならん」
祖父の言葉に、エリオットおじさんたちは顔色を変え、一瞬にして態度を改めた。オリヴィアは私の手を握り、静かに涙を流していた。
私は、新しい部屋に案内された。
窓からは、手入れの行き届いた広いお庭が見える。屋根裏部屋とは全然違う。ふかふかのベッドも、大きなクローゼットも、すべてが私にはもったいないように思えた。
でも、祖父が部屋を出て行った後、エリオットおじさんとカミラおばさん、そしてノエルお姉さまとルーカスお兄さまの目が、とても怖かった。憎しみと、蔑みが入り混じったような、暗い目だった。
このお屋敷で、これからどうなるんだろう。
祖父がそばにいる間は、屋根裏部屋のようなひどい目には遭わないのかもしれない。でも、彼らの目を見るたびに、私の心はまた、冷たい屋根裏部屋に戻ったような気がした。