エヴァリーナと秘密の契約 作:大化の改新
エヴァリーナの日記 4
日付:8月15日、ウィンチェスター伯爵家
新しい部屋に移ってから、祖父の優しさに包まれるような日が続いている。屋根裏部屋の冷たさとはまるで違う、ふかふかのベッドに潜り込むたび、夢を見ているような気持ちになる。
朝起きると、オリヴィアが温かいミルクと焼きたてのパンを持ってきてくれる。朝食の香りは、屋根裏で食べた固いパンの味を忘れさせてくれるようだった。
祖父が「この子の着るものを用意させろ」と命じた日から、毎日たくさんの物が部屋に届けられるようになった。
使用人のおばさんが、私に似合う服を、と色とりどりの生地を広げてくれた。初めて見る、フリルやリボンがついた可愛らしいお洋服に、私の胸は高鳴った。鏡に映る私は、以前の薄汚れた私とはまるで違って見えた。
可愛らしい髪飾りもいくつか選ばせてもらった。お風呂も、毎日湯船に浸かれるようになった。温かいお湯が、凍えていた心まで溶かしてくれるようだった。
食事の時間も、以前とは比べ物にならないほど温かい。テーブルには、見たことのないご馳走がたくさん並ぶ。暖かい食事を、祖父がそばにいてくれる安心感の中で食べられるのは、何よりの幸せだった。祖父は私が食事をするとき、いつも優しい眼差しで見ていてくれる。
時々、「ヴァイオレットも、このスープが好きだった」なんて、ママの話もしてくれる。祖父の顔には、ママへの深い愛情が刻まれているのがわかる。
だから、私は祖父の前では、決して泣かないようにしている。私まで悲しんでいたら、祖父がもっと悲しんでしまう気がするから。
でも、祖父の目が届かないところで、エリオットおじさんやカミラおばさん、そしてノエルお姉さまとルーカスお兄さまの冷たい目は、私に向けられたままだ。
彼らが祖父の前で私に優しく接する時、私はその笑顔の裏に隠された冷たさに、いつも身震いする。
このお屋敷で、私にとって本当に安全な場所は、祖父のそばだけなのだと、幼いながらに悟っていた。
エヴァリーナの日記 5
日付:8月20日、ウィンチェスター伯爵家
祖父が書斎に籠もっている昼間、ノエルお姉さまとルーカスお兄さまが、私の部屋にやってくるようになった。最初は、ただ私をじっと見つめて、嘲笑うだけだった。
「まあ、あんなに汚れたあなたが、随分と綺麗になったわね、イヴ。でも、このワンピースはあなたにはまだ不似合いよ。良かったら、私が貰ってあげましょうか?」
ノエルお姉さまは、私の新しいワンピースのフリルを指でつまんで、天使のような笑みを浮かべて微笑んだ。
ルーカスお兄さまは、私の机に置いてあった新しい絵本を手に取り、無造作にページを破り始めた。
「こんなもの、読んだところでどうせ役に立たないさ。お前みたいな、血の汚れた奴にはな」
私は何も言えなかった。ただ、彼らの冷たい視線と、私の大切なものが壊されていくのを見るだけだった。
オリヴィアはいつも、彼らが来る気配を感じると、私を抱きしめて庇おうとしてくれる。
でも、彼らはオリヴィアにも容赦なかった。ある日、ルーカスお兄さまは、オリヴィアが大切にしていた刺繍をわざと汚し、ノエルお姉さまは、オリヴィアの髪飾りを隠してしまった。
「髪飾りがないわ……ヴァイオレット様からいただいた大切なものなのに……」
必死になって探すオリヴィアを他所に、ノエルは天使のように微笑んでこう告げた。
「主人からの贈り物を失くしてしまうだなんて、ヴァイオレット叔母様の侍女失格では?……ああ、今は可哀想な平民との混血のイヴの乳母でしたわね」
ノエルの言葉にオリヴィアはきゅっと唇を結び、その場から走って立ち去った。オリヴィアを追いかけようとした時、私はノエルが伸ばした足に引っかかり転んでしまった。
「っ、痛い……ノエルお姉様、どうしてこんなことをなさるの?」
「あらあら、そんな怖い顔をしないで?哀れで可哀想なエヴァリーナ。これはただの遊びよ。オリヴィアの髪飾りだって、ただの宝探しなんだからそう怒ることはないでしょう?」
怖い。
お姉様の言葉も天使のような笑みも、全部全部怖いわ。
それからお姉様たちの「遊び」は、少しずつエスカレートしていった。
エヴァリーナの日記 6
日付:9月5日、ウィンチェスター伯爵家
今日の午後のこと。ノエルお姉さまとルーカスお兄さまは、また私の部屋に来た。
「ねぇイヴ、面白い遊びがあるのよ。今から私たちが、薄汚いあなたを特別に綺麗にしてあげるわ」
ノエルお姉さまはそう言って、私を椅子に座らせた。ルーカスお兄さまが、台所から持ってきたらしい、泥と混ぜられた水をバケツいっぱいに持って入ってきた。私の心臓が、ドクンドクンと音を立てる。
「さあ、イヴ。あなたは薄汚いんだから、もっと綺麗にならないとね」
ああ、嫌だ!助けて!誰か!
ルーカスお兄さまは、何の躊躇もなく、その泥水を私の頭からかけた。冷たくて、生臭い水が、私の髪を、顔を、服を、あっという間に汚していく。目に入って、視界が泥で真っ黒になった。鼻に入り込んで、息が苦しい。
目と鼻の中が痛くて、痛くて、涙と鼻水が溢れて止まらない。
息が、上手くできないよ……
「あはは!見ろよ!ノエル!本当にドブネズミみたいだ!」
ルーカスお兄さまは、下品な声で笑った。ノエルお姉さまは、口元を手で覆いながらもクスクスと小さな笑い声を立て、その瞳は楽しそうに三日月型に歪められ、キラキラとお星様のように輝いていた。
「もう少し、泥の量を増やした方が良かったかしら?今度はもっと良いものを用意してあげるからね、イヴ」
彼らは、私が泥まみれになり、震えているのを見て、満足したように部屋を出て行った。オリヴィアが駆けつけてきて、私を抱きしめてくれた。
「なんて酷いことを!どうしてお嬢様ばかりがこんな目に……」
温かいお湯で体を洗い、綺麗な服に着替えても、泥の冷たさと匂い、そして彼らの嘲笑が、いつまでも体にまとわりついているようだった。
祖父がいる時は、彼らは天使のように振る舞う。でも、祖父が少しでも目を離せば、彼らの悪意は、私を捕らえて離さない。
私は、このお屋敷で、いつまでこの「遊び」に耐えなければならないのだろう。
ママは、一体どこに行ってしまったのかしら?早く帰ってきて、ママ。
毎日、眠る前に、ママが私を迎えに来てくれる夢を見る。でも、朝が来ると、いつも同じ、冷たい現実が待っている。