エヴァリーナと秘密の契約 作:大化の改新
エヴァリーナの日記 10
日付:8月1日、ウィンチェスター伯爵家
あの手紙を持って、私は祖父の書斎へ向かった。なんでも知っていて物知り、でいつも厳かで、けれど私には優しい祖父なら、きっと何か知っていると思ったから。書斎の重厚な扉を叩く指先が、ほんの少し震えていた。私を救ってくれるのは、きっと祖父しかいない。そんな切ない期待が、私の胸を満たしていた。
祖父は、私が差し出した手紙を見ると、その眉間に深い皺を寄せた。普段はあまり感情を表に出さない祖父の、そのわずかな変化に、私の心臓が小さく跳ねた。
「これは……ホグワーツからの手紙、か」
祖父の声は、珍しく動揺しているように聞こえた。まるで、遠い昔の記憶が呼び覚まされたかのような、複雑な響きだった。
「ヴァイオレットにも……ヴァイオレットにも、そのようなものが届いたな」
祖父は、まるで遠い昔を思い出すかのように、目を閉じた。私の母、ヴァイオレットも、ホグワーツからの手紙を受け取っていたのだろうか。その可能性に、私の心臓が大きく脈打った。
もし母も魔法使いだったのなら、なぜ私を置いていってしまったのだろう?どうして、私と一緒の運命を選んでくれなかったんだろう?
そんな疑問が、ふと頭をよぎったけれど、すぐに胸のざわめきに掻き消された。
祖父は、再び手紙に目を落とし、深く考え込んでいるようだった。しばらくの沈黙の後、祖父は私に視線を向けた。その瞳には、決意のような光が宿っていた。その光は、まるで暗闇に差し込む一条の希望の光のように見えた。
「イヴ、この手紙のことは、決してエリオットたちに話してはならん。誰にもだ。これは、お前と私、そしてオリヴィアだけの秘密だ」
私は祖父の真剣な顔に、こくりと頷いた。秘密、という響きに、少しだけ心が躍る。私だけの、特別な秘密だ。祖父は静かに、しかし力強く続けた。
「お前を、この屋敷から出してやる。ホグワーツとやらに行かせてやるのだ。だが、奴らには、お前を遠くの、格式高い寄宿学校に通わせると伝えよう。ウィンチェスター伯爵家の私生児が、まともな教育を受けるという体でな。そうすれば、奴らも詮索はすまいよ」
私は驚きと戸惑いで言葉が出なかった。まさか、本当にこの地獄のような屋敷から出られる日が来るなんて。この地獄のような屋敷から出られるという言葉に、胸がざわついた。「やっと、やっと自由になれるのね」という思いが、心の奥底から湧き上がってきた。
祖父は、私の未来を真剣に考えてくれているのだと、この時、初めて心の底から感じた。今まで、どこか諦めていた未来が、祖父の言葉によって、色鮮やかに広がり始めたようだった。
「オリヴィア、支度を始めろ。この子に必要なものを全て揃えさせる。そして、ホグワーツからの迎えの手配も。ルーカスやノエル、そしてエリオットとカミラには決して気づかれるな」
祖父の言葉に、オリヴィアもまた驚きと安堵で目を見開いた。彼女の目には涙が浮かんでいた。オリヴィアも、私と同じくらい、この屋敷での生活に苦しんでいたのだろう。
「かしこまりました!伯爵様、必ずや、イヴお嬢様を無事にホグワーツへ送り届けます!」
祖父は、私たちを優しく見守ってくれている。この秘密の計画が、私の人生をどう変えるのか、まだ想像もつかないけれど、希望の光が見えた気がした。この光が、どうか消えないでほしいと、心の中で強く願った。
エヴァリーナの日記 11
日付:8月2日、ウィンチェスター伯爵家
朝から、オリヴィアと二人、こっそりと準備を進めている。祖父は、屋敷の使用人の中でも信頼できる者だけを呼び、必要な物資の調達を命じていた。祖父の書斎からは、時折、聞き慣れない言葉が聞こえてくる。まるで、私たちが知らない、別の世界の言葉のようだった。
「イヴお嬢様、新しいローブに教科書、杖……初めてのことばかりで、ご不安でしょうが、ご安心ください。私が必ず、お嬢様をホグワーツまでお送りいたします」
オリヴィアは、少し緊張した面持ちながらも、その瞳は輝いていた。私も、初めて聞く「魔法」や「杖」という言葉に、胸が高鳴るのを感じた。魔法、杖…まるで物語の世界だわ。本当にそんなことが現実に起こるなんて、まだ信じられないけれど、この胸の高鳴りは止められない。
本当に魔法が存在する学校なのだろうか。今まで、私を「小汚い」と罵り、「卑しい」と見下したあの人たちには決して想像もつかないような世界が、私を待っているのかもしれない。そう思うと、嫌なことを言われる度に縮こまっていた私の心が、少しだけ膨らむような気がした。
祖父の書斎で、ホグワーツからの手紙に同封されていたらしい長いリストを読んだ。そこには、「大鍋」だの「望遠鏡」だの、私が今まで見たこともないような品物が書かれていた。一体、これらを使って何をするのだろう?想像するだけでわくわくする。
そして、驚いたことに、猫やヒキガエル、フクロウといった「ペット」を連れてきても良いとあった。私に、家族以外の生き物が許されるなんて、考えたこともなかった。
もしペットを飼えるなら、どんな子がいいかしら?ふわふわの猫?それとも賢そうなフクロウ?考えるだけで、胸が踊るわ。
ルーカスお兄さまとノエルお姉さまは、相変わらず私を見つけるたびに嫌がらせをしてくる。今日も、庭で本を読んでいたら、ルーカスお兄さまがわざと私に向かって石を蹴り、私の足元に泥を跳ねさせた。ノエルお姉さまはそれを見て、クスクスと笑っていた。
本当に、嫌な人たち。どうしてあんなに意地悪ばかりするんだろう?
けれど、私は心の中で、もうすぐここを出て、あなたたちの手の届かない場所へ行くのだと、静かに呟いた。その一言一言に、私の決意が込められていた。
この秘密は、私にとって大きな希望だ。この屋敷での地獄のような日々から、私は抜け出せるかもしれない。
どんな世界が待っているのか、少し怖いけれど、それよりも、新しい未来への期待の方が、今はずっと大きい。新しい場所で、新しい私になれるかもしれない。
エヴァリーナの日記 12
日付:8月10日、ウィンチェスター伯爵家
今日、お屋敷に新しいお客様がやって来た。その人は、私を新しい世界へ連れて行ってくれる人だ。
祖父が「イヴの寄宿学校の入学手続きのために、先生が遠方からおいでになったのだ」と、エリオットおじさん夫妻とノエルお姉さま、ルーカスお兄さまに紹介した。「寄宿学校」という言葉が、私には何ともいえない響きで、心の奥底で小さく笑ってしまった。
やって来たのは、厳しい顔つきをした、けれどどこか温かさを感じる女性だった。祖父は「こちらはマクゴナガル先生だ」と紹介した。マクゴナガル先生は、その場にいる誰よりも威厳があり、それでいて私をまっすぐに見つめてくれた。
エリオットおじさんとカミラおばさんは、祖父の言葉に顔を見合わせた。
「なんと!まさか、わざわざ先生自らお越しくださるとは。なんとお礼を言うべきか悩みますな。心より感謝いたします、マクゴナガル先生」
エリオットおじさんの声は、いつも祖父に媚びへつらう時と同じ、嫌味なほど甘い声だった。エリオットおじさんは、普段私に見せる冷たい表情とは打って変わって、愛想の良い笑みを浮かべていた。
カミラおばさんも、「この子がご迷惑をおかけしないか、心配でございますわ。どうぞ、よろしくお願いいたします」と、深々と頭を下げた。「本当に迷惑ばかりかける子で、ごめんなさいね」とでも言いたげな顔が、私には見え透いていた。
ノエルお姉さまは、心配そうな顔をして私のことを見た。
「イヴ、大丈夫? 遠くの学校に行くなんて、寂しくない? 私、なんだか心配だわ」
その声は、まるで本当に私のことを気にかけているかのようだったけれど、その瞳の奥には、いつもの冷たい光が宿っていた。「いなくなってくれてせいせいする」って思っているに決まっているわ。
ルーカスお兄さまは、ただ腕を組み、私とマクゴナガル先生をじっと見つめていた。まるで、何か面白いことが起こるのを期待しているような、そんな目つきだった。きっと、私がどんな失敗をするか、見物しているのだろう。
オリヴィアは、私の隣でそっと手を握ってくれた。彼女も、この「寄宿学校」が本当はホグワーツなのだという秘密を、必死で守ろうとしてくれているのが分かった。オリヴィアの温かい手が、私に勇気をくれた。
マクゴナガル先生は、表情一つ変えず、祖父と叔父夫妻に丁寧な言葉遣いで対応していた。そして、私に視線を向け、静かに言った。
「ミス・ウィンチェスター、準備はよろしいでしょうか。これから、入学に必要な品々を揃えに参りますが……」
オリヴィアが「わたくしもご一緒させていただきます」と言いかけたけれど、マクゴナガル先生はきっぱりと断った。
「申し訳ございませんが、これは我が校の生徒のための手続きでございます。乳母の方にご同行いただく必要はございません。私がお連れしますので、ご心配には及びません」
私は、祖父にそっと頷いてから、マクゴナガル先生について行った。この屋敷を後にする瞬間が、ついに来たのだと、胸が高鳴った。
屋敷の扉を出て、先生が私の手を握った途端、ぐにゃりと体がねじれるような、不思議な感覚に襲われた。次の瞬間、私たちは知らない場所に着いていた。まるで、体が溶けて、また再構築されたような、不思議な感覚だった。
「え、な、何、今の……」
私の口から、驚きの声が漏れた。新しい世界への扉が、今、開かれたのだ。