WARFAITH:Hotel Moscow Black Doctrine   作:星乃 望夢

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第2話

 

 ロアナプラ──午後3時半。

 

 湿った熱気に包まれた街角にて、ひとつの静けさが、ひどく不自然に漂っていた。

 

 カリビアンバー、その奥まった応接室でハヤト・ダーキアンは背筋を正し、無言で携帯電話の呼び出し音を待っていた。

 

 短く、電子音が震える。

 

「私だ」

 

 電話の向こうから聞こえた声は、煙草と火薬と血の混じった香りを感じさせるような低音だった。

 

「こちらバラライカ。そちらの空気は?」

 

「概ね良好だ。が、いつまでもそうだとは限らん」

 

「こちらは一枚、剥がれかけた絆創膏を見つけた」

 

 ハヤトは黙って続きを促す。

 

「旭日重工への“挨拶”だが、取引先のうち東南アジア圏の密輸ラインに一枚噛ませろと仕掛けた。なかなか反応が鈍かったから、ちょっと調べてみた。三合会の匂いがしたのよ」

 

「ほう……」

 

「構成員の一人を押さえ、火で炙ってみた。案の定だった。三合会が噛んでる。奴ら、こっちの作戦──つまりラグーン商会を使ってディスクを回収したこと、その概要まで把握していた」

 

「……漏れていたか」

 

「ええ。それだけじゃない。旭日重工は保険を掛けてたわ。民間軍事会社、エクストラオーダー社と契約済み。情報が漏れて即反応してるわ」

 

 ハヤトはしばらく沈黙し、机の端に置かれた短波無線機を手に取った。

 

「……無線回線、セーフガードプロトコルを起動。全周波数を洗い直せ。地元の通信回線も念のため点検だ。盗聴されている可能性がある」

 

「了解」

 

「それと……連絡場の保全を考える。カリビアンバーを鉛玉で穴だらけにされたら、こちらも困る」

 

「ふふ、それで?」

 

「代わりに、イエローフラッグには犠牲になってもらおう。次の受け渡しはそちらで行う。私が出向く」

 

 受話器の向こうで、女の低い笑いが漏れた。

 

「相変わらずだな、坊や」

 

「私は相変わらずだとも、同志大尉」

 

 短くそう応じると、ハヤトは通話を切った。

 

 薄暗い部屋に沈黙が戻る。

 

 だがその沈黙の中で、明確な戦意が一つ──確かに灯っていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 イエローフラッグ──その名の通り、黄色い旗の下で交わされるのは酒と弾丸、そしてごく稀に“契約”だ。

 

 岡島緑郎は、その店の埃っぽい空気にまだ馴染めずにいた。

 

 テーブル越しに向かい合うのはダッチ、隣にはベニーとレヴィが座っている。

 

 彼らの視線は、まるで獲物を観察するハンターのようだった。

 

「……で、あんた。名前は?」

 

 ダッチが低く問う。

 

「お、岡島……緑郎です」

 

「長ぇよ。ロックでいい。なぁ、レヴィ?」

 

「名前なんざどうでもいいけどよ、アンタ、なかなか面白い顔してんじゃん。クソ真面目なサラリーマン崩れってとこか?」

 

「……まぁ、そんなところです」

 

「ふーん。根性はあるかもな。少なくともあのクソみてぇな船の上でギャーギャー喚いて逃げ回るネズミどもよりはマシだったよ」

 

 ロックは小さく眉をひそめた。だが何か言い返すことはしなかった。

 

 レヴィはニヤリと笑って、バーテンダーのバオに手を上げる。

 

「テキーラ、2つ。濃いめな」

 

「……え?」

 

「飲み勝負だよ、ジャパニーズ。アタシに勝てたら、少しは見直してやる」

 

「まさか、本気で……?」

 

「何言ってんだ? あたしはいつだって本気だぜ」

 

 その目は冗談を言っているように見えたが──その奥にある熱は、本物だった。ロックはテキーラのグラスを手に取る。

 

「……分かりました。受けて立ちます」

 

 店の空気が一瞬、止まる。

 

 だがすぐに笑いが弾ける。

 

 この街で、生き残る方法はただ一つ──飲むか、撃つか。もしくはその両方だ。

 

 イエローフラッグのカウンター席、酒臭いテーブルにて、酒と火薬の匂いが渦巻く中──ロックはグラスを口に運んだ。

 

 レヴィの目は完全に見下していた。

 

「サラリーマンなんざ、どうせ2、3杯で白目剥くっての」

 

 そう思っていた。いや、確信していた。

 

 だが。

 

 ──グラスが、傾く。ロックの喉が、静かに動く。

 

 そして、置かれたグラスが、レヴィの前のものと並ぶ。

 

「……ぷはっ」

 

 ロックは小さく息を吐き、襟元を軽く引っ張った。

 

「これは……昔の上司を思い出しますね。誰彼構わず絡んできて、朝まで飲まされる地獄みたいな接待の数々。飲んでないと逆に怒られましたから」

 

「……は?」

 

レヴィがまばたきをする。

 

 その隣でベニーが口笛を鳴らした。

 

「おいおい、あのレヴィと張ってるじゃん。やるじゃん、ロック」

 

「は、はは……」

 

 とロックは酔いで少しだけ赤くなった頬をかきながら、次のショットを取った。

 

 レヴィも黙って次のグラスを持つ。

 

 ──三杯目。

 

 ──四杯目。

 

 ──五杯目。

 

「……あんた、案外やるな」

 

「ありがと……ございます。これも、上司たちのおかげ、ですね……」

 

 レヴィはロックの目を見た。

 

 その奥にあったのは、酔いではなく、地味だが確かな根性。

 

 ただのサラリーマンが、撃たれてもおかしくないこの街の酒場で、テキーラの連戦を平然とこなしている。

 

「……変なヤツ」

 

レヴィの言葉に、ダッチがくつくつと笑った。

 

「こいつ、化けるぜ」

 

 そしてその一言が、ロックを正式に“仲間”として認めた合図になった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 イエローフラッグの空気が、まるで誰かが手で空調のダイヤルを絞ったかのように静まり返った。

 

 バカ騒ぎしていたゴロツキたちが一斉に黙り込み、グラスを持つ手を止める。

 

 その目線の先に現れたのは、黒のスーツを纏い、整いすぎた顔立ちと冷ややかな赤い双眸を宿した、一人の男だった。

 

 ハヤト──ホテル・モスクワ東南アジア方面を束ねる“少佐”の姿に、ただならぬ緊張が店内を支配した。

 

「……なんであんなのが、こんなとこに」

 

 誰かが小さく呟いたが、それを遮るように、亡霊親衛隊の数名が背後から店内に滑り込む。

 

 軍靴の音も、息遣いも感じさせぬまま、店内の扉が再び閉じると、その場にいた者たちは誰一人、騒ぐことも動くこともなくなっていた。

 

 レヴィがグラスを半分掲げたまま固まり、ベニーはすっかり無言になっている。

 

 ロックは、ほんの少し前までレヴィと飲み比べをしていたはずの自分の酔いが、恐ろしいほど綺麗に引いていくのを感じていた。

 

 ハヤトは何も言わず、ラグーン商会が陣取るカウンターへと向かい、音もなく椅子を引く。

 

「ウォッカ。ロックで」

 

 静かにマスター・バオへと告げるその声は、まるで氷の様に澄んで、淀みがなかった。

 

 誰もがその姿を遠巻きに見守る中、ロックは背筋を伸ばしていた。

 

 わけが分からず、ただ場の変化に戸惑っていると──隣から、ダッチの低く落ち着いた声が聞こえた。

 

「……ハヤト。“あの”バラライカの上役だ」

 

「えっ?」

 

「この街じゃ滅多に表に出てこねぇ。あの部下連中と一緒に現れたなら間違いない。親衛隊は、亡霊国家の中でも最も忠誠心と戦闘力が高い精鋭中の精鋭……その隊を率いて来てるってことは、今回のヤマ、相当ヤバい」

 

「……ちょ、ちょっと待ってくれ。バラライカ? 亡霊国家? 親衛隊? それって……どこの軍の話なんだ?」

 

 ロックは額に汗を浮かべながら問い返した。

 

「そりゃあ、今のお前にはまだ訳がわかんねぇだろうな」

 

 ダッチは軽く肩を竦めた。

 

「とにかく覚えとけ。あの男が自ら動いたってだけで、この街の奴らは一発で空気を変える。それくらいの存在だ」

 

 静かに出されたウォッカを、ハヤトは手に取り、薄く笑んだ。

 

 唇に触れたグラス、その傾き、その指先。

 

 ──男なのに、まるで男装の麗人。

 

 その所作はロックの目には、まるで映画のワンシーンのように艶めかしく、現実感を削いでいた。

 

「……なんだ、あの人」

 

 ロックは思わず呟いたが、周囲の誰もが黙したままだった。

 

 そして、まるで何事もないかのように、ハヤトはグラスを傾けた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 グラスをテーブルに置く、乾いた音がひとつ。

 

 琥珀色の液体の揺れが止まると同時に、男──ハヤトはカウンター越しの面々に視線を向けた。

 

 無言のまま、ひとつ息を吐く。

 

 そのまなざしは、パリッとした白シャツ姿の男──岡島緑郎を鋭くなぞる。

 

 ロックは一瞬、何か言われるのではないかと身構えたが、ハヤトはただそれだけで視線を戻した。

 

「荷は?」

 

 短く、それでいて濁りのない声。酒場の空気を切り裂くように、沈んだ音がダッチに向けられる。

 

「コイツだ」

 

 ダッチは立ち上がり、足元に置かれていた金属製のアタッシュケースを持ち上げて渡す。

 

 ハヤトがそれを受け取る──その瞬間だった。

 

「少佐ッ!」

 

 バーの入り口側、警護にあたっていた兵の一人が叫んだ。

 

 ハヤトは即座にアタッシュケースを左手で抱えると、右手をカウンターにかけ、軽やかに飛び越える。

 

 その反応を見て、レヴィが「チッ」と舌打ちしながらもカウンターを飛び越える。

 

 ベニーとダッチも素早く伏せ、即座に反応したが、状況が掴めていないのはロックだけだった。

 

「──えっ?」

 

 その問いを口にする暇すらなく、ハヤトの右手が伸び、ロックの首根っこをがっしと掴む。

 

「わっ──」

 

 次の瞬間にはロックの身体が浮かび、カウンター内へと引き込まれていた。

 

「──嘘だろ……」

 

 思考が追いつかないまま、ロックは自分の身体がまるで羽のように扱われたことに困惑する。あの華奢に見えたハヤトの腕力がまさかこれほどとは。

 

 その困惑を吹き飛ばすように、鋼鉄製の扉が乱暴に開かれた。

 

「イェア! 楽しく飲んでるかクソ共? 俺からの素敵なプレゼントだ!」

 

 嘲るような声が店内に響く。

 

 現れたのは、戦闘用迷彩に身を包んだ、明らかに訓練を受けた武装集団だった。

 

 武装の質、動き、表情──これは単なるマフィアのチンピラではない。

 

 一瞬で空気が張り詰める。

 

「手榴弾だ!」

 

 誰かが叫ぶと同時に、店内を鋭い金属音が走り──。

 

 ドンッ──!!

 

 盛大な爆発が、イエローフラッグの空気を焼き払った。

 

 

 

 

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