WARFAITH:Hotel Moscow Black Doctrine   作:星乃 望夢

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第3話

 

 爆発の熱が、店内の空気を焼いた。皿が割れ、天井のファンが悲鳴を上げて止まる。

 

「──状況!」

 

 煙の中で、鋭い声が響いた。指揮官の声。誰よりも先に現場を掴み、次に取るべき手を導く声。

 

 ハヤトだった。

 

 アフガン帰りの地獄を潜った者が持つ、あの“静かな即応”。

 

「被害、ゼロ!」

 

 即座に返る兵長の報告。

 

 護衛として控えていた亡霊親衛隊の一個小隊は、既に最適な遮蔽物に展開し、反撃体勢を整えていた。

 

 手榴弾の炸裂音にすら微動だにせず、反射で銃を構え、混乱の影はない。

 

 店の外、扉の先。

 

 そこに現れたのは、戦闘迷彩に身を包んだ男たち──。

 

「ハッ、なんだよ! つまんねぇジャンキー共だけかと思ってたが、こりゃ意外に生きのいい奴も混じってるじゃねぇか!!」

 

 歯を剥き、愉悦に目を細める男。

 

 E.O.社の傭兵部隊、その指揮官と思しき大柄な男が、背後に控える部下たちへ顎をしゃくった。

 

「撃ちまくれぇ! 出てこいよ腰抜けども! 戦争しようぜ、ベイビー!!」

 

 次の瞬間、激しい銃撃が店内へと注がれる。

 

 だがハヤトは、カウンターの陰に身を滑り込ませながら、ふう、と一つだけ短く吐息を漏らした。

 

「──戦争狂い、か」

 

 その声音には呆れも軽蔑もない。

 

 ただ、乾いた観察者の温度。

 

「毛色が違うな、我々とは……」

 

 それは、自らの歩んだ血の道と、眼前の暴徒の嗜虐を峻別する、冷徹な線引きだった。

 

 火花が跳ね、硝煙が鼻を突く。

 

 イエローフラッグの店内はすでに戦場と化していた。

 

「チッ……撃たれたんなら、撃ち返してやらねぇとな!」

 

 レヴィが叫び、跳ね起きた身体がしなやかに宙を舞う。

 

 逆手に握ったソード・カトラスが閃き、カウンターから飛び出した彼女の姿を目掛けて銃弾が雨のように降り注ぐ。

 

「テメェじゃねぇよ、ファンキーガール!!」

 

 怒鳴り声と共にE.O.社の隊長がM4を乱射する。床の木材が砕け、酒瓶が次々と弾け飛んだ。

 

「あぶねっ……!」

 

 レヴィは舌打ちしながら弾幕を避け、すぐにカウンター裏へ滑り戻る。

 

 髪の先が擦り切れ、口元には楽しげな笑みが残っていた。

 

 だが、その瞬間。

 

 ハヤトは静かに指を挙げた。

 

 カウンターの脇から伸びた手が、無言のサインを描く。

 

 親衛隊──亡霊国家の特殊部隊、その最精鋭が、即座に動く。

 

【前進・射撃・同時】

 

 それはもはや言葉ではなかった。視線と指の動きだけで構成される、戦場の共通言語。

 

 乾いた発砲音が続き、4人のE.O.社傭兵が瞬く間に沈む。

 

 膝から崩れ、呻く間もなく床に血を散らして動かなくなる。

 

「ハッ、らしくなってきたぜェ!!」

 

 E.O.隊長が歓喜に似た咆哮を上げ、空に向かって弾をばら撒いた。

 

 ──そこだった。

 

 ハヤトは一つ、息を吐いた。

 

 それは呆れでも、怒りでも、焦りでもない。

 

 明確な格の違いを前提とした、冷めた視線。

 

「お前たちは、“殺す”ことに興奮してる。──だがね」

 

 カウンター越しに、戦場の空気が一瞬、凍った。

 

「我々は、“戦う理由”も、“殺す重さ”も、百の墓の上に学んできた。……これが、“戦争”というものだ、若造(チェリーボーイ)

 

 E.O.の隊長は最初こそ笑っていたが、ハヤトのその一言に、顔がひきつった。

 

 狂気と嗤いの仮面の奥に、不意打ちのような「恐れ」が差し込んでいた。

 

「……な、なんだと……てめぇ……」

 

「殺した数だけではない。我々は、“生き残る”ために戦ってきたのだよ──」

 

 ハヤトの声は、低く、澄んでいた。

 

 目だけが、殺しを前提に据えた無表情を灯していた。

 

「ふざけやがってェ!!こっちはなぁ、“殺し”で食ってんだよクソがァッ!」

 

 爆発の残響が薄れ、煙がフロアを覆う。

 

「全員、潰せェェェ!!!」

 

 怒声とともに飛び出してきたのは、E.O.社傭兵部隊の隊長。

 

 狂喜のような笑みを歪ませ、目の焦点はすでに戦場ではなく“自分の怒り”に向いていた。

 

 その声に応じて、残存部隊が前のめりに突撃を開始する。

 

 ──だが、その動きは、すでに計算の内だった。

 

 ハヤトの右手が、カウンターの脇から伸びる。

 

 指先だけで僅かに動いたサイン。

 

 瞬時に応じたのは、彼が率いる亡霊親衛隊一個小隊。

 

 その瞬間──火線が交錯する。

 

 左右、上段、そして後方の角度から放たれた十字砲火。

 

 構造を知り尽くした兵たちによって選ばれた「死角」とは、すなわち「死地」。

 

 喉を裂かれた者、胸を撃ち抜かれた者、眉間に正確に鉛弾を撃ち込まれた者──どれも一撃で命を絶たれる。

 

 残ったのは、E.O.隊長、ただ一人。

 

「ハァ、ハァ……クソッたれ……」

 

 肩で荒く息を吐きながら、奴はぎらついた目でカウンターを睨みつける。

 

 その奥から、ようやく一人の男が現れた。

 

 シャツの襟を整えながら、ハヤト・ダーキアンが静かに姿を現す。

 

 無傷、微塵の焦燥も無い歩み。

 

 その姿を見た瞬間、隊長は目を見開いて吠えた。

 

「へッ……今になって出てくんのかよ、腰抜けがァ!!」

 

 怒りと共に右手を銃へ。

 

 引き金に指を掛けようとする、その刹那──。

 

 一発の乾いた発砲音が、空気を裂いた。

 

 誰もが、隊長も含めて、何が起きたのか分からなかった。

 

 次の瞬間、E.O.の隊長の胸部中央に、真紅の花が咲く。

 

 スローモーションのように彼の身体がのけ反り、呻きもせずに崩れ落ちた。

 

「……“引き金に指を掛けてから”、では遅いのだよ」

 

 そう呟くハヤトの右手には、漆黒に艶めくカスタム・マカロフPNが握られていた。

 

 ──拡張マガジン、ドットサイト装着を可能とする近代化改修を施されたその銃身は、どこか“儀礼的な美しさ”を帯びている。

 

 グリップには、一振りの日本刀の絵柄が、掘り込まれていた。

 

 かすかに煙を上げる銃口を持つその姿に、誰もが言葉を失った。

 

 レヴィでさえ、カウンター越しに「やるじゃねぇか」と口をつぐんだ。

 

 ハヤトは静かに銃を下ろし、腰のホルスターへと仕舞った。

 

「……“引き金を引く覚悟”ではなく、“引かれる前に撃てる練度”。それが我々の職業的倫理だ」

 

 彼の声は、氷のように冷たく、透き通っていた。

 

 ロックが震える手で倒れた傭兵を見つめていた。

 

 ──この街で生きる、ということは、こういうことなのか。

 

 火薬と硝煙の匂いが店内に充満する中で、ハヤトの声が響いた。

 

「点呼、被害報告!」

 

 それは怒号ではない。凍えるように冷静な、戦場に慣れきった人間だけが発する声だった。

 

 返る声もまた、機械のように簡潔だった。

 

「α班、無傷!」

 

「β班、全員健在!」

 

「γ、被弾なし!」

 

 店内に立ち込めていた空気が、静かに“戦後”へと変わっていく。

 

 誰一人として取り乱さず、無駄な言葉もなく、淡々と報告を繋ぐ──この街で「プロフェッショナル」と呼ばれる人間たちは、こうも恐ろしいのか。

 

 ロックは、それをただ見つめていた。

 

 テーブルの下、倒れ伏したE.O.の傭兵たち。

 

 奴らの口ぶりからして、それなりに自信もあったろう。だが現実は、一撃だった。

 

 反撃の暇すら与えられず、何もかも、予定調和の中で“死”を与えられた。

 

 そして、その一切に眉一つ動かさないあの男──ハヤト・ダーキアン。

 

 戦闘中はもちろん、終わってからも感情を乱さない。

 

 まるで戦争のすべてを“仕事”として処理するかのように、当たり前に“生き死に”を数えている。

 

(……この人は、“殺すこと”に何の迷いもない……)

 

 いや、違う。

 

 ──“殺さなければならない理由”を、何度も噛み締めた人間の目だった。

 

 言いようのない寒気がロックの背を撫でた。

 

 彼はまだ、ただのサラリーマンだった。

 

 けれど、今この瞬間、ロアナプラという街の“本質”を目の当たりにしていた。

 

 命を守るためには、躊躇うな。

 

 生き残るためには、撃て。

 

 目の前の“現実”が、それを強く突きつけてくる。

 

 ハヤトはカウンターのグラスを手に取り、残ったウォッカを一口啜った。

 

「ご苦労、戦友諸君。後は清掃班に回しておけ」

 

 何気ない一言。

 

 だが、それが“死体”の処理を指していることに、ロックはすぐに気付く。

 

 ──この人たちは、本当に“戦争”の中を生きてきたんだ。

 

 そのとき、ロックの心の奥底で、なにかが小さく“音を立てて”崩れ始めていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 戦闘が終わり、硝煙の匂いが僅かに残るイエローフラッグのカウンターに、ハヤトは再び腰を下ろした。

 

 無言でポケットから携帯電話を取り出すと、無造作にダイヤルを押し始める。

 

 その指の動きは迷いがなく、すでにこの先の会話すら筋書きのうちであるかのようだった。

 

 通話が繋がると、ハヤトは躊躇なく拡声ボタンを押す。

 

 耳障りなほど明るい、旭日重工の待機コール音が場に響き渡った。

 

 ──ピンと張り詰めた空気の中、誰もがそのメロディーの異質さに眉を顰めた。

 

 そして、通話の向こうに現れた声がその空気を凍りつかせる。

 

『こちら、旭日重工資材管理部、影山です』

 

 ロックの目が見開かれる。あの声を、忘れるはずがなかった。

 

「……影山部長……?」

 

 ハヤトは何も言わず、電話機をロックへと差し出す。

 

 拒むことなどできず、ロックは震える指でそれを受け取った。

 

「すみません、ケースの中身を……奪われました。すべて……俺の責任です……!」

 

 頭を下げるようにして口にするその謝罪に、電話の向こうの影山はため息を一つ吐いた。

 

『岡島君。……すまないが、もう君は“死んでいる”んだよ』

 

 その言葉は、静かに、しかし確実に、ロックの鼓膜を貫いた。

 

『そもそも、あのケースには最初から“何も”入っていない。いや、正確には──表向き、最初から“存在していない”。なかったことになっているんだ』

 

 ロックの手が震え、グラスの氷がカラリと音を立てた。

 

『君の持っていたものは、我が社が密かに進めていた某国との核開発の計画書だった。だがそれが漏れれば、国も株主も黙ってはいない。君は、それの“防波堤”として差し出されたのだよ』

 

 影山の声は、酷薄なほどに理知的だった。

 

『岡島君。旭日重工には、五万人の社員がいる。彼らの生活、彼らの家族、そのすべてを守るためだ。…君には気の毒だが、そのまま“南シナ海に散ってくれ”』

 

 ひと息の溜めもなく、電話が切られた。

 

 ツー、ツー、ツー……と無機質な断線音だけが、しばしバーの空気を支配した。

 

 ロックは、言葉を失っていた。

 

 握りしめた手は汗に濡れ、喉は乾き、頭の中は真っ白だった。

 

 ──切り捨てられた。

 

 ──最初から、そのために選ばれていた。

 

 ──「死ね」と、言われた。

 

 視界が揺れた。

 

 声も出ない。

 

 膝が震え、座っているのに立っていられないような感覚がした。

 

 そのとき、ロックの耳に、誰かの息を呑む音が微かに届いた。

 

 見れば、レヴィが目を丸くしてロックを見ていた。

 

 ダッチは眉を顰め、ベニーは目を逸らしていた。

 

 そして、電話を渡した張本人──ハヤトは、何も言わなかった。

 

 ただ静かに、ロックの“過去”が焼却されたことを、淡々と確認するだけの目をしていた。

 

 ツー……ツー……ツー……。

 

 通話が切れた音が消えても、沈黙は続いた。

 

 ロックは、ただ携帯を見つめていた。

 

 自分を“切り捨てた”全てが、その向こうにあった。

 

 膝が震え、掌は汗に濡れていた。

 

 胸の奥で何かが崩れたような音が、まだ止まない。

 

 ──全部、終わった。

 

 そう思った。いや、始めから何もなかったのかもしれない。

 

「……クソったれだな」

 

 先に口を開いたのはレヴィだった。

 

 ロックの目が、ゆっくりと彼女を見る。

 

 だが、レヴィはロックを真正面から見つめていた。

 

 目を逸らすでもなく、同情でもない。

 

 むしろ──苛立ちが混ざったような表情だった。

 

「何が“社員のため”だ。ああいうのが、あんたのいた国の“正義”ってやつか?」

 

 レヴィの声には棘があった。

 

 だがそれは、ロックに向けられたものではないとすぐに分かった。

 

「……俺は……全部、巻き込んで……」

 

「バーカ」

 

 言葉の途中で、レヴィは吐き捨てるように遮った。

 

「巻き込んだ? あたしらを? 冗談じゃねえよ。こちとら最初からこの街で生きてんだ。自分が死んでるって分かったくらいで、死んだみたいなツラすんなよ」

 

 レヴィの指が、ロックの額を軽く小突いた。

 

「お前さ、これからどうすんの?」

 

 その問いには、ロックはすぐには答えられなかった。

 

 沈黙を切ったのは、ダッチだった。

 

「なぁ、ロック……岡島だったか」

 

 低く、穏やかな声だった。

 

 だがその中には、“選択を迫る者”の響きがあった。

 

「お前にはもう、国も会社もねぇ。上司はお前を殺すために傭兵まで雇ってた。だったらよ──」

 

 ダッチはロックの隣に座り、グラスの氷を揺らした。

 

「……地獄の端っこでもう一度生き直してみるってのは、どうだ?」

 

 それは、明確な勧誘でもないし、情けでもない。

 

 ただ、“居場所のない者”にだけ差し出される、ささやかな椅子だった。

 

 ロックの視線が、ダッチ、レヴィ、そしてバーカウンターでグラスを拭っているベニーへと順番に移る。

 

 誰もが、何も言わなかった。

 

 ただ、黙って彼の返事を待っていた。

 

 沈黙の中で、ロックは自分の喉が鳴るのを感じた。

 

 ふと、笑っていた。

 

 ──嗤ったのか、微笑んだのか、自分でも分からなかった。

 

「……酒、残ってる?」

 

 その問いに、レヴィがニッと笑う。

 

「残ってるさ。腐るほどな」

 

「……なら、一杯貰おうか。……乾杯の代わりに」

 

 そうしてロックは、ラグーン商会という“地獄の船”に、自分から乗り込んだ。

 

 

 

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