WARFAITH:Hotel Moscow Black Doctrine 作:星乃 望夢
爆発の熱が、店内の空気を焼いた。皿が割れ、天井のファンが悲鳴を上げて止まる。
「──状況!」
煙の中で、鋭い声が響いた。指揮官の声。誰よりも先に現場を掴み、次に取るべき手を導く声。
ハヤトだった。
アフガン帰りの地獄を潜った者が持つ、あの“静かな即応”。
「被害、ゼロ!」
即座に返る兵長の報告。
護衛として控えていた亡霊親衛隊の一個小隊は、既に最適な遮蔽物に展開し、反撃体勢を整えていた。
手榴弾の炸裂音にすら微動だにせず、反射で銃を構え、混乱の影はない。
店の外、扉の先。
そこに現れたのは、戦闘迷彩に身を包んだ男たち──。
「ハッ、なんだよ! つまんねぇジャンキー共だけかと思ってたが、こりゃ意外に生きのいい奴も混じってるじゃねぇか!!」
歯を剥き、愉悦に目を細める男。
E.O.社の傭兵部隊、その指揮官と思しき大柄な男が、背後に控える部下たちへ顎をしゃくった。
「撃ちまくれぇ! 出てこいよ腰抜けども! 戦争しようぜ、ベイビー!!」
次の瞬間、激しい銃撃が店内へと注がれる。
だがハヤトは、カウンターの陰に身を滑り込ませながら、ふう、と一つだけ短く吐息を漏らした。
「──戦争狂い、か」
その声音には呆れも軽蔑もない。
ただ、乾いた観察者の温度。
「毛色が違うな、我々とは……」
それは、自らの歩んだ血の道と、眼前の暴徒の嗜虐を峻別する、冷徹な線引きだった。
火花が跳ね、硝煙が鼻を突く。
イエローフラッグの店内はすでに戦場と化していた。
「チッ……撃たれたんなら、撃ち返してやらねぇとな!」
レヴィが叫び、跳ね起きた身体がしなやかに宙を舞う。
逆手に握ったソード・カトラスが閃き、カウンターから飛び出した彼女の姿を目掛けて銃弾が雨のように降り注ぐ。
「テメェじゃねぇよ、ファンキーガール!!」
怒鳴り声と共にE.O.社の隊長がM4を乱射する。床の木材が砕け、酒瓶が次々と弾け飛んだ。
「あぶねっ……!」
レヴィは舌打ちしながら弾幕を避け、すぐにカウンター裏へ滑り戻る。
髪の先が擦り切れ、口元には楽しげな笑みが残っていた。
だが、その瞬間。
ハヤトは静かに指を挙げた。
カウンターの脇から伸びた手が、無言のサインを描く。
親衛隊──亡霊国家の特殊部隊、その最精鋭が、即座に動く。
【前進・射撃・同時】
それはもはや言葉ではなかった。視線と指の動きだけで構成される、戦場の共通言語。
乾いた発砲音が続き、4人のE.O.社傭兵が瞬く間に沈む。
膝から崩れ、呻く間もなく床に血を散らして動かなくなる。
「ハッ、らしくなってきたぜェ!!」
E.O.隊長が歓喜に似た咆哮を上げ、空に向かって弾をばら撒いた。
──そこだった。
ハヤトは一つ、息を吐いた。
それは呆れでも、怒りでも、焦りでもない。
明確な格の違いを前提とした、冷めた視線。
「お前たちは、“殺す”ことに興奮してる。──だがね」
カウンター越しに、戦場の空気が一瞬、凍った。
「我々は、“戦う理由”も、“殺す重さ”も、百の墓の上に学んできた。……これが、“戦争”というものだ、
E.O.の隊長は最初こそ笑っていたが、ハヤトのその一言に、顔がひきつった。
狂気と嗤いの仮面の奥に、不意打ちのような「恐れ」が差し込んでいた。
「……な、なんだと……てめぇ……」
「殺した数だけではない。我々は、“生き残る”ために戦ってきたのだよ──」
ハヤトの声は、低く、澄んでいた。
目だけが、殺しを前提に据えた無表情を灯していた。
「ふざけやがってェ!!こっちはなぁ、“殺し”で食ってんだよクソがァッ!」
爆発の残響が薄れ、煙がフロアを覆う。
「全員、潰せェェェ!!!」
怒声とともに飛び出してきたのは、E.O.社傭兵部隊の隊長。
狂喜のような笑みを歪ませ、目の焦点はすでに戦場ではなく“自分の怒り”に向いていた。
その声に応じて、残存部隊が前のめりに突撃を開始する。
──だが、その動きは、すでに計算の内だった。
ハヤトの右手が、カウンターの脇から伸びる。
指先だけで僅かに動いたサイン。
瞬時に応じたのは、彼が率いる亡霊親衛隊一個小隊。
その瞬間──火線が交錯する。
左右、上段、そして後方の角度から放たれた十字砲火。
構造を知り尽くした兵たちによって選ばれた「死角」とは、すなわち「死地」。
喉を裂かれた者、胸を撃ち抜かれた者、眉間に正確に鉛弾を撃ち込まれた者──どれも一撃で命を絶たれる。
残ったのは、E.O.隊長、ただ一人。
「ハァ、ハァ……クソッたれ……」
肩で荒く息を吐きながら、奴はぎらついた目でカウンターを睨みつける。
その奥から、ようやく一人の男が現れた。
シャツの襟を整えながら、ハヤト・ダーキアンが静かに姿を現す。
無傷、微塵の焦燥も無い歩み。
その姿を見た瞬間、隊長は目を見開いて吠えた。
「へッ……今になって出てくんのかよ、腰抜けがァ!!」
怒りと共に右手を銃へ。
引き金に指を掛けようとする、その刹那──。
一発の乾いた発砲音が、空気を裂いた。
誰もが、隊長も含めて、何が起きたのか分からなかった。
次の瞬間、E.O.の隊長の胸部中央に、真紅の花が咲く。
スローモーションのように彼の身体がのけ反り、呻きもせずに崩れ落ちた。
「……“引き金に指を掛けてから”、では遅いのだよ」
そう呟くハヤトの右手には、漆黒に艶めくカスタム・マカロフPNが握られていた。
──拡張マガジン、ドットサイト装着を可能とする近代化改修を施されたその銃身は、どこか“儀礼的な美しさ”を帯びている。
グリップには、一振りの日本刀の絵柄が、掘り込まれていた。
かすかに煙を上げる銃口を持つその姿に、誰もが言葉を失った。
レヴィでさえ、カウンター越しに「やるじゃねぇか」と口をつぐんだ。
ハヤトは静かに銃を下ろし、腰のホルスターへと仕舞った。
「……“引き金を引く覚悟”ではなく、“引かれる前に撃てる練度”。それが我々の職業的倫理だ」
彼の声は、氷のように冷たく、透き通っていた。
ロックが震える手で倒れた傭兵を見つめていた。
──この街で生きる、ということは、こういうことなのか。
火薬と硝煙の匂いが店内に充満する中で、ハヤトの声が響いた。
「点呼、被害報告!」
それは怒号ではない。凍えるように冷静な、戦場に慣れきった人間だけが発する声だった。
返る声もまた、機械のように簡潔だった。
「α班、無傷!」
「β班、全員健在!」
「γ、被弾なし!」
店内に立ち込めていた空気が、静かに“戦後”へと変わっていく。
誰一人として取り乱さず、無駄な言葉もなく、淡々と報告を繋ぐ──この街で「プロフェッショナル」と呼ばれる人間たちは、こうも恐ろしいのか。
ロックは、それをただ見つめていた。
テーブルの下、倒れ伏したE.O.の傭兵たち。
奴らの口ぶりからして、それなりに自信もあったろう。だが現実は、一撃だった。
反撃の暇すら与えられず、何もかも、予定調和の中で“死”を与えられた。
そして、その一切に眉一つ動かさないあの男──ハヤト・ダーキアン。
戦闘中はもちろん、終わってからも感情を乱さない。
まるで戦争のすべてを“仕事”として処理するかのように、当たり前に“生き死に”を数えている。
(……この人は、“殺すこと”に何の迷いもない……)
いや、違う。
──“殺さなければならない理由”を、何度も噛み締めた人間の目だった。
言いようのない寒気がロックの背を撫でた。
彼はまだ、ただのサラリーマンだった。
けれど、今この瞬間、ロアナプラという街の“本質”を目の当たりにしていた。
命を守るためには、躊躇うな。
生き残るためには、撃て。
目の前の“現実”が、それを強く突きつけてくる。
ハヤトはカウンターのグラスを手に取り、残ったウォッカを一口啜った。
「ご苦労、戦友諸君。後は清掃班に回しておけ」
何気ない一言。
だが、それが“死体”の処理を指していることに、ロックはすぐに気付く。
──この人たちは、本当に“戦争”の中を生きてきたんだ。
そのとき、ロックの心の奥底で、なにかが小さく“音を立てて”崩れ始めていた。
◇◇◇◇◇
戦闘が終わり、硝煙の匂いが僅かに残るイエローフラッグのカウンターに、ハヤトは再び腰を下ろした。
無言でポケットから携帯電話を取り出すと、無造作にダイヤルを押し始める。
その指の動きは迷いがなく、すでにこの先の会話すら筋書きのうちであるかのようだった。
通話が繋がると、ハヤトは躊躇なく拡声ボタンを押す。
耳障りなほど明るい、旭日重工の待機コール音が場に響き渡った。
──ピンと張り詰めた空気の中、誰もがそのメロディーの異質さに眉を顰めた。
そして、通話の向こうに現れた声がその空気を凍りつかせる。
『こちら、旭日重工資材管理部、影山です』
ロックの目が見開かれる。あの声を、忘れるはずがなかった。
「……影山部長……?」
ハヤトは何も言わず、電話機をロックへと差し出す。
拒むことなどできず、ロックは震える指でそれを受け取った。
「すみません、ケースの中身を……奪われました。すべて……俺の責任です……!」
頭を下げるようにして口にするその謝罪に、電話の向こうの影山はため息を一つ吐いた。
『岡島君。……すまないが、もう君は“死んでいる”んだよ』
その言葉は、静かに、しかし確実に、ロックの鼓膜を貫いた。
『そもそも、あのケースには最初から“何も”入っていない。いや、正確には──表向き、最初から“存在していない”。なかったことになっているんだ』
ロックの手が震え、グラスの氷がカラリと音を立てた。
『君の持っていたものは、我が社が密かに進めていた某国との核開発の計画書だった。だがそれが漏れれば、国も株主も黙ってはいない。君は、それの“防波堤”として差し出されたのだよ』
影山の声は、酷薄なほどに理知的だった。
『岡島君。旭日重工には、五万人の社員がいる。彼らの生活、彼らの家族、そのすべてを守るためだ。…君には気の毒だが、そのまま“南シナ海に散ってくれ”』
ひと息の溜めもなく、電話が切られた。
ツー、ツー、ツー……と無機質な断線音だけが、しばしバーの空気を支配した。
ロックは、言葉を失っていた。
握りしめた手は汗に濡れ、喉は乾き、頭の中は真っ白だった。
──切り捨てられた。
──最初から、そのために選ばれていた。
──「死ね」と、言われた。
視界が揺れた。
声も出ない。
膝が震え、座っているのに立っていられないような感覚がした。
そのとき、ロックの耳に、誰かの息を呑む音が微かに届いた。
見れば、レヴィが目を丸くしてロックを見ていた。
ダッチは眉を顰め、ベニーは目を逸らしていた。
そして、電話を渡した張本人──ハヤトは、何も言わなかった。
ただ静かに、ロックの“過去”が焼却されたことを、淡々と確認するだけの目をしていた。
ツー……ツー……ツー……。
通話が切れた音が消えても、沈黙は続いた。
ロックは、ただ携帯を見つめていた。
自分を“切り捨てた”全てが、その向こうにあった。
膝が震え、掌は汗に濡れていた。
胸の奥で何かが崩れたような音が、まだ止まない。
──全部、終わった。
そう思った。いや、始めから何もなかったのかもしれない。
「……クソったれだな」
先に口を開いたのはレヴィだった。
ロックの目が、ゆっくりと彼女を見る。
だが、レヴィはロックを真正面から見つめていた。
目を逸らすでもなく、同情でもない。
むしろ──苛立ちが混ざったような表情だった。
「何が“社員のため”だ。ああいうのが、あんたのいた国の“正義”ってやつか?」
レヴィの声には棘があった。
だがそれは、ロックに向けられたものではないとすぐに分かった。
「……俺は……全部、巻き込んで……」
「バーカ」
言葉の途中で、レヴィは吐き捨てるように遮った。
「巻き込んだ? あたしらを? 冗談じゃねえよ。こちとら最初からこの街で生きてんだ。自分が死んでるって分かったくらいで、死んだみたいなツラすんなよ」
レヴィの指が、ロックの額を軽く小突いた。
「お前さ、これからどうすんの?」
その問いには、ロックはすぐには答えられなかった。
沈黙を切ったのは、ダッチだった。
「なぁ、ロック……岡島だったか」
低く、穏やかな声だった。
だがその中には、“選択を迫る者”の響きがあった。
「お前にはもう、国も会社もねぇ。上司はお前を殺すために傭兵まで雇ってた。だったらよ──」
ダッチはロックの隣に座り、グラスの氷を揺らした。
「……地獄の端っこでもう一度生き直してみるってのは、どうだ?」
それは、明確な勧誘でもないし、情けでもない。
ただ、“居場所のない者”にだけ差し出される、ささやかな椅子だった。
ロックの視線が、ダッチ、レヴィ、そしてバーカウンターでグラスを拭っているベニーへと順番に移る。
誰もが、何も言わなかった。
ただ、黙って彼の返事を待っていた。
沈黙の中で、ロックは自分の喉が鳴るのを感じた。
ふと、笑っていた。
──嗤ったのか、微笑んだのか、自分でも分からなかった。
「……酒、残ってる?」
その問いに、レヴィがニッと笑う。
「残ってるさ。腐るほどな」
「……なら、一杯貰おうか。……乾杯の代わりに」
そうしてロックは、ラグーン商会という“地獄の船”に、自分から乗り込んだ。