1.
遺族によれば、差出人の分からない香典が一つ、あったらしい。
2.
「たまに出るんだよ」
「また幽霊の話ですか」
「死神だよ」
「似たようなものじゃないですか」
化粧筆を止めず、先輩の話を聴く。
私はオカルトは信じない。死という自然現象をそのように扱うなど死者への冒涜だと思う。だからこの仕事に適性があると思ったのだが、どうも職場の先輩方はそういう話が好きらしい。
「人間のふりをした死神がたまぁに、葬式に出るのさ。その死神と目が合うと『連れていかれる』んだ」
「あれですか。霊柩車を見たら親指隠せ、みたいな?」
先輩はしばらく言葉につまり、ようやく声を出した。
「その程度の噂だったら、いいんだけどな」
ビルの倒壊事故で亡くなったという遺体は損傷が激しく、頬の縫い目には白粉とファンデーションを幾重も塗り重ねた。
衆院選にも出馬していた流通会社の取締役。参列者は多いだろう。
3.
焼香が終わろうとしている頃。葬儀場に奇妙な参列者が現れた。
切れ込みのある目と口以外はのっぺりとした人工の皮膚に覆われているとすぐにわかった。両手は薄い手袋に包まれ、屋内に入っても山高帽は脱がなかった。その装いが男性用の礼服ということから性別を男と推測したが、骨格は奇妙に薄い部分があり、判然としない。
何よりも奇妙なのは、誰とも会話しようとせず、焼香の列を、葬儀場を、ただ、静かに見渡していることだった。
私以外の誰にも見えていないかのように、気配を消していた。
ふと、男は一点を見つめた。
男の視線の先には、喪主と会話している老人がいた。車椅子を付添人に押されていて、呼吸器をつけている。老人の言葉に喪主は涙を拭きながら頷いている。
奇妙な男は歩きはじめる。
唇がめくれ上がるのが見えた。
私はとっさに、男の前に出た。足音を殺して、参列者に不安を与えないように。
しかし男は私を躱して、老人へと向かって、
「本日はご愁傷さまです」
挨拶をしたのだった。
ざらついた声に老人が反応した。
濁った眼は虚空を見つめたまま、枯れた手を差し出す。
男は老人と握手を交わした。
4.
「出るんだよ」
「死神の話でしょう。もう聴きました」
「幽霊の話だよ」
「それこそ聴き飽きました」
化粧筆を止めず、先輩と話す。
「死神と会いましたよ、私」
ふと、そんなことを先輩に言った。
「嘘だろ?」
「本当です。参列者と挨拶していました」
「俺を担ごうとしてるだろ」
「なんで私のことは信じてくれないんですか」
死化粧をすませる。
遺体はあの日、死神と握手を交わした老人だった。火葬場へ向かう直前、タクシーの中で吐血して息を引き取っていたらしい。
今は私に作られた安らかな表情で眠っている。
有名な宗教法人の代表。参列者は並々ならぬ数だろう。
5.
私は目が合っていた。
だが、未だに連れていかれてはいない。