ある地主が死んだ。
彼は『人魚の肉』を食べたと言われていた。
「嘘だと思いますけどねえ」
彼の娘は曲がった腰をさすって、帳簿を取り出す。
「これです、借金の形に『ニンギョ肉 預』と。生前父が話していましたが、カラカラの干し魚で、少し齧って隠しておいたと話していました」
神楽鏡影は袖に両腕を隠したまま、首を傾げた。
「借金の形を齧ってしまったんですか」
「それが食べても無くならないと言うのです。少し残しておけば元に戻ると、渡された時に言われたそうで」
「なるほど」
地主の娘に案内され、神楽は書斎に通される。
「この部屋のどこかにあるはずなのです。見つかればいいのですが」
「ありがとうございます。しばらく一人にしていただけますか」
娘はドアを閉じた。
明かり取りの窓から光が差し込み、それ以外は黒い空間が蟠っている。
神楽は袖から腕を出す。その手にはジクザグに曲がったナイフが握られている。
「さて」
暗闇から何かが飛び出した。
神楽は飛び退る。陽光が閃き、その一瞬のうちにナイフが振るわれたことが分かった。
両断されたマッチの紙箱が落ちた。
気配が二つに増える。
「やはりな」
神楽の袖が切られていた。そこから、赤い血が腕を伝って落ちていく。
飛び掛かってくる気配を今度は屈んで避けた。
神楽は腕を伸ばし自らの血で円を描いた。腕を振るって入り口のドアにも飛ばす。
円の中心に座る。顔へ飛び掛かって来た何かを切りはらう。気配が三つに増える。
小瓶を取り出し、中の液体を円の外に撒いた。
「足りるか」
神楽はそう呟いた。
三つの気配が四つ、八つになり、書斎を埋め尽くさんとしていた。しかし無空の毒が同時にそれらを死滅させる。
拮抗状態がしばらく続き、やがて気配の方が減衰していく。
神楽の袖が動いた。
細い苦無が最後の気配を射止めていた。腰から下が鱗に覆われた、異形だった。
「やれやれ」
神楽は不活剤を使うことなく円の外に出る。
人魚を死滅させるために無空は使いつくされていた。
屋敷の外へ出ると地主の娘が落ち葉を焼いていた。
神楽は半分に割れたマッチの紙箱に、人魚の死体を入れて携えている。
「ありましたか、人魚の肉」
「ええ。確かに」
神楽は人魚の死体を、紙箱ごと火の中に落とした。
「人魚の肉を食えば不死になるそうですが、ありえると思いますか」
地主の娘はなにを考えているのか、そんな質問を神楽に投げかけた。
「いえ、それは嘘ですね」
「というと」
「再生力が異様に高いゆえ言われてきたのだと思います。食べれば不死身になるものなんてありませんよ」
娘の視線は宙を見ている。
「そうですね」
肉の焦げる匂いがする。
終