「……く、くくっ」
首にかけたネクタイはそのまま、こめかみの銃口は外してやる。抑えようとしても可笑しくてたまらなくて、笑い声を漏れてしまう。
「あははっ! ここまで来て“負けを認めは”《ホールドアップ》しないか! 私もだな、使い魔は予備も含めてみんな溶けてしまったところさ」
お前のようにナイフの一本でも用意しておくべきだったか、とまだくっくっくと笑いながら付け足す。
ロビンがハッとしたように自分の手元を見ているが、いまだクロスボウを握る手は固く握られたままだったし無意識にベルトに備えてある仕込み武器にも手をかけていた。自分がそうしていたと気づかないくらいの極限の緊張であり、身体に馴染んだ動作でもあったのだ。よく鍛えられた兵士だ。
「貴様の正義とやらに敬意を払ってやろうさ。どうせ、」
軽やかに客席にいるある一名に向かってウィキッド自身が飛びこんで、その首根っこを掴む。
「こいつだろう?」
ウィキッドからしても、わざわざ「長い金髪の男が来たら追い出せ」とかいう依頼を出した人物がロビンの探し人だというのは最初から気づいていた。ここまでの善戦は予想外だったが、ショーの延長戦も考えて外へ出さないよう留めさせていたのだ。
びしょ濡れでも滲みでる誇りが輝いているロビンに対して、同じく消火スプリンクラーで濡れたくせに青白く震える成金趣味の男を見比べる。金さえ出してくれるのならつまらない人間でも客として迎えるが、それはそれ、これはこれだ。
「貴女の行いに感謝します」
丁重に礼を言われて少しだけ困惑した。ロビンがしている右手は大仰に体に添えつつ頭を下げる行為、おそらく彼の国では丁寧なお辞儀の動作だ。さほど背も高くない、体の線も柔らかい、そして先代の“西の魔女”を継いだ“偉大な人物の二代目”《セカンド》であるウィキッドのことを舐めてかかる人間は多く、され慣れていなかったのだ。
いつも自分を大きく見せて威圧感を増やすために肩肘張っているが、つい態度が軟化してしまうのが自分でも分かる。あまりにちょろい。表情を引き締め直す。ネクタイも足りていないし使い魔も使用不能で、何もかも締まっていなくても胸を張るのだ。
「……ふん。こいつに関しては私も気になっていたことがあった。――おい!」
先代の“西の魔女”や彼女から継いだ使い魔たちは水で溶けてしまうが、ウィキッド・ドロシィや普通の人間である従業員たちはそうでない。特に上の“パブリック・ルーム”の方は弱点の情報があまり広まってしまわないように人間も多く雇っている。そのうちの一人をコールし呼び出しをかけた。
「うちのが来るまで少々時間がかかる。お前の言いたいことをこの舞台で言えばいいさ」
今からウィキッドは審判でありつつも観客だ。
瞳の濁っていない青年は深呼吸して言葉を吟じた。
「彼は私のいた国で、とある州を治めている代官です。取り立てた税金も王に納めず私腹を肥やし、女性たちにも狼藉を働く罪を犯しています。私は王から連行するよう命じられているのです」
「ふん、貴様のようなチンピラが? たった一人で? 王の命令? そんな与太が通るとでも? 貴様こそ不敬罪で裁かれるべきだな」
青ざめていながらも、鼻を膨らませて男が言い返す。確かにわざわざ国外にまで追いかけてくるという割にはその手勢はたったひとりの優男でありちぐはぐという印象は拭えない。ひとりで送り出しても構わないくらいに腕が立つというのは一連の手合わせでよく理解したが。
「国に帰れば分かることですよ。王は貴方が帰国するのを待っている」
「――待て」
冷静な声で割って入ると、勢いを削がれたロビンが意外そうな顔をしていた。こちらのルールもしっかり告げなければならない。
「正義の味方には信じられない話だろうが、ここは王様よりも金に忠義が尽くされる場所なのさ。たかが犯罪で客を差し出すと、今後のビジネスに差し障る。そもそもお前の話を聞いてやるとは言ったが、お前の話が本当であるという保証もない」
客席からは遠慮のない視線がずっと注がれている。ずっと見世物になっているロビン、その対決相手として引きずり出された男もだが、ウィキッド自身だってこのカジノの管理者として相応しいかどうかは常に値踏みされているのだ。ちっぽけな正義とのトレードで築き上げてきたカジノの信頼を差し出すわけにはいかない。
世間知らずの坊っちゃんはウィキッドが無条件に味方してくれないと知って不満げに眉間にシワを寄せたが、すぐに元に戻った。
「……私が本当に獅子心王の使者であると証明できればいいのですね」
「できると?」
彼が懐からあるものを取り出す。この話の流れで突きつけるとしたら、それは。
*
王国の名のもと、✕✕領を治める代官を逮捕し、罪を問う。
ロバート・ハンティントンに、本件に関わる一切の権限を付与する。
この書状を目にしたすべての者は、王命に従い、便宜を図るべし。
国王 獅子心王
*
獅子心王は海を渡った先の国王の名で、ウィキッドはそれよりも巨大な手形の方に目を奪われてしまう――なんせインクで濡らして叩きつけた肉球だ。四つ足の獣でもこれだけの巨大な足を持つ生き物はそうそういない。シワや爪先までしっかり写し取られている。
「……でかい猫でも飼っているのか?」
「肉球ですよ、それも獅子心王の右前足の。彼ほど立派な肉球は偽造だって不可能です」
行く末を見物している客席からも新たな局面を迎えて寸評の声が飛び交った。先にロビンへ説明したよう、あそこには犯罪者も少なくないが、一方で国を越えて権力を持つような人物も多数座っていて、彼らの意見も貴重だ。
「本物じゃないか、やるな」「獣人って本当に実在するのか?」「前に売ったときはとんでもない値になったよ。いやあ貧乏人はオークションにも参加できないか」「王様本人に謁見できない下層は大変だねえ」
なるほど、最初の最初にこの男が起こした騒ぎも単にカジノ初心者だったからと流していたが、獣人の王に仕える身だったからこそバニーガールを本気で獣人と思い込んだと。ものを知らなかったのはウィキッドの側だったらしい。
情けなく震える男の仮面を剥がして見下ろし、冷たい声で断じる。
「お前」
代官は青ざめている。タイミングを見計らって、ちょうど部下へ頼んだ品がウィキッドの元に届いた。
留め具がはちきれそうなくらい中身が詰まったスーツケース、そしてロビンのそれと同じくらいの大きさ、材質をしたもう一枚の紙だ。
「タイミングのいいところで、お前の札束と――最初に私に見せた紹介状だな。確か王自ら認(したた)めたと言っていたが、どうだ」
*
王国の名のもと、✕✕領を治める代官の身分を証明する。
この書状を目にしたすべての者は、王命に従い、便宜を図るべし。
国王 獅子心王
*
書いてある内容は似たようなものだが、決定的な違いがある。署名の横にあるしるしはただの人間の指によるものだ。あちらの王様に人間の指はないそうだが、じゃあ誰のだというのか。誰のだっていい、獅子心王の手によるものでないことが重要なのだ。
ただ、本筋に関わらないところで問題がひとつだけあった。
「あれ信じちゃったところ、カワイイものね」「引きこもりのマフィアじゃ国外のことなんて分からないもんなあ」
バン、バン! おしゃべりなニ名の脇に弾を打ち込んでやった。耳と頬に血が昇っている熱を感じつつ「すまない、グリップが濡れているせいで滑った」と悪びれもせず言ってやる。
この断罪ショーでどうでもいい点だとしても、舐められてしまうのはこちらにとっては重大な問題なのだ。たとえ偽物だと見抜けなかったこっちに非があるとしても、だ。
そしてスーツケースの中身についても重要な事実がある。
「時間がかかっていたが、金が偽物だったということがちょうど報告があってな。フフ……まとめて尋問できてちょうどいいくらいだ」
外国の紙幣ということですぐには使えず、そのままの状態で保管していた。それに加えて金庫番の者が違和感を指摘したことから調べさせていたのだ。おかげさまでカジノは繁盛しているゆえに常に忙しく時間がかかったのだが、最高のタイミングで完了した。
男の耳元で、だが全員の耳にも届くように、威圧感を最大限に演出して告げる。
「そちらのお国じゃあ、通貨偽造罪と文書偽造罪の量刑はいくらだ?」
冷徹に『もうお前はカジノの客じゃないから、国へ帰れ』と。
ずっと黙っていたロビンが胸をなでおろしたようでしゃしゃり出てくる。
「これで勝負はつきましたね」
「言っておくが、このまま身柄を引き渡すとは言ってないぞ」
また意外であり困ったという顔をしている。この青年はまだこちら側のルールを理解しきれていないらしい。カジノから外に出ればアウトローなのはウィキッドたちだが、このテリトリーにいるうちは主導権を握っている。
「面子というものがあってね。泥を塗られて、追い出しました、ハイおしまいで済まないんだ」
「しかし……」
「徹底的に“制裁し”《わからせ》たら送ってやるさ。船賃もこちら持ち。三ヶ月後。それでいいだろう?」
「私が命じられたのは……」
まだ食い下がってくる。彼の正義もなかなかに強固なもので、口だけでは納得させられないらしい。
「仕方ないな」
代官の懐へ粗雑に手を突っ込んであるものを探した。そして目当ての金細工の懐中時計を探し当て、投げ渡す。王家御用達の時計屋だとかいう装飾が施されている品で、言われてみればロビンが当初着ていた上等な服と共通した意匠である。
ロビンの方も時計に覚えがある、という顔をしていたが改めて説明してやった。
「滞在の間ずっと、ことあるごとに自慢していたのさ。王から賜った特注品だぞ、ってな。こいつと偽紹介状をお前が持って帰ればクビを持ち帰ったのと変わらんだろう」
「……分かりました。でも三ヶ月という約束もしっかり守れるかどうか、定期的に手紙をください。私との伝手を大事にしてもらえるなら、お困りのときに獅子心王へ取り次ぐ手伝いはさせてもらいますよ。今回は譲歩したこと、こちらは覚えていますからね?」
てっきりおとぎ話の絵本ばっかり読んでいたお坊ちゃんかと思ったが、大人の交渉事もちょっとはできるらしい。それでも飲み込みきれない感情が仕草に滲んでいるのは若々しい――そう、おのれと年格好は大して変わらないロビン・シャーウッドに対して感慨深く感じるのであった。