ミノを被った幼女   作:赤沙汰な浜やらわ

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デグ様の世界では大秦人民共和国とか言う名前だったかな?


第2話

小汚い小屋からご機嫌よう。

ターシャ・ティクレティウス、改め河了貂だ。

 

河了が苗字で、貂が名前だ。

 

名前から察しの良い諸君なら、既に気づいているだろう。

この私が三度目の生を受けた地は、前々世における中華人民共和国──現在、「秦」と呼ばれている国である。

 

……もう一度言おうか?

 

秦、である。

 

あの戦国七雄のひとつにして、中華を初めて統一し、

そしてわずか15年で崩壊したあの秦だ。

 

今現在は……戦国七雄が割拠している、いわゆる“戦国時代の秦”であるらしい。

が、それが紀元前何年かまではさすがに断定できん。

 

「2世紀もの幅がある時代の、どのあたりかもわからんのか?」──ご尤もな疑問だ。

だが、そのツッコミを入れてくる方々に問いたい。

この、辺境の、無法地帯と化した村で、まともに会話できる相手が一人しかいないという状況で、何をどうやって精確な歴史情報を得ろというのだ?

 

我が祖父──この世界で唯一の話し相手──彼はどうやら「梟鳴」という山民族の出身らしい。

衣服も道具も、完全に中央文化とはかけ離れており、私が纏わされているのもミノムシのような粗末な蓑だ。

 

この祖父が、秦王の名や政治情勢を知っていると思うかね? 無理だろう、常識的に考えて。

 

「それでも、お前なら周囲の状況から時代くらい割り出せるはずだ」と思うか?

それも一理ある。だが現実には──無法地帯・黒卑村、ここにはそれを裏付ける客観的情報が皆無なのだ。

 

村の構成員は、盗人、殺人者、逃亡奴隷、つまり世のすべての“余剰物”を濃縮したような集団。

法の支配などは影も形もなく、秦法がどんなに体系化されていようと、この村では馬糞より価値がない。

 

法律によって時代を読み取る? ああ、もしこの村に法文書のひとつでもあれば喜んで分析するさ。

だが現実には、法に基づく裁きも、徴税すら存在していない。あるのは“力こそ正義”という前時代的ルールだけだ。

 

……とまあ、言い訳はこのあたりでよかろう。

 

今の問題は、私の将来だ。

 

言ったように、私の家族は祖父ひとり。そしてその祖父も、年老いている。

遅かれ早かれ、私は天涯孤独となるだろう。

 

「孤児院にでも行けばいい」?

ふふ、素晴らしいファンタジー的発想だ。だが現実はどうだ?

 

この村に慈善などという概念が存在するとでも?

 

この環境で孤児になった者に残された道は、たったひとつ。

 

──生きるために、汚泥に身を沈めることだ。

 

 

───

 

 

祖父が死んだ。

老齢と持病、当然の帰結である。

医療インフラもない辺境で、あの年齢まで生き延びたことのほうがむしろ異常だった。

 

問題は、その「当然」が、私の生活計画にどれほどの破綻をもたらすかだ。

家計の一部を担っていた労働力が消滅し、外部との交渉窓口も消えた。

法的な後ろ盾など元々ないが、わずかに残っていた抑止力すら失われる。

つまり、これから先、私は完全に「村の最下層の孤児」として扱われる。

誰も私を庇わない。誰も見逃さない。獣の世界に子供一人だ。

 

衣食の確保と夜間の安全確保が最優先。

食料を盗る手段を分散させる必要もある。

それと並行して、情報を得る手段も確保しておかねばならない。

 

祖父がいた頃は、最低限の「社会的存在」だった。

今や私は、ただの「排除しても咎められない邪魔者」でしかない。

 

幼子の如く泣き喚いている暇はない。

ただ淡々と──生存確率を上げるための最適化を進めるだけだ。

 

 

───

 

 

やぁ、盗みも殺しもせずに衣食住を揃えられる幸運な皆様、こんばんは。

 

世界のどこかで、今日も誰かが飢え死にしているこの瞬間、君たちは今、どこで何をしていらっしゃるのだろうね?

 

きっとこう考えていることだろう。

 

「ここは法治国家だ」と。

「法を守る限りにおいて、自分たちは法によって守られる」と。

「無知でも、弱者でも、無力でも、ただ法に従っていれば、裁かれることなく、蹂躙されることなく、明日を迎えられる」と。

 

──素晴らしい。それが法治主義の基本である!

 

だが、悲しいかな──その「法の光」は、この黒卑村には届いていないのだよ。

 

「お前、合理的かつ理性的な社会人としての誇りはどこへ行ったのか」とでも思っているのかい?

 

では、説明して差し上げよう。

私が決して理性を失った結果、このような行動に及んでいるわけではないということを。

 

 

一、私は自然法論に従って行動している。

 

トマス・アクィナスの言葉を借りれば、「不正な法は法にあらず」。

 

もしも法が人間の基本的権利──すなわち、生存権──を否定するようなものに成り下がっているのなら、それはもはや守られるべき規範ではない。

 

現に、今のこの黒卑村において、法は機能していない。

よって、私を拘束する「法」なるものはすでに正統性を失っている。

 

 

 

二、社会契約論の観点から言えば、法と従う者の関係は「契約」に近い。

 

ジョン・ロックの理論によれば、国家と個人は互いに契約を結んでいる。

国家は個人の「生命・自由・財産」を守る義務を負い、個人はその代償として法に従う。

 

だが、ここ黒卑村には国家的保護など存在しない。

 

国家がその義務を果たしていない以上、私にもまた従う義務はない。

ロックの言葉を借りるなら、「政府が契約を破ったとき、民は抵抗する正当な権利を持つ」。

 

私に秦国の法に基づいた行動を求めるのであれば──まず秦国が、このいたいけな幼女ひとりすら救ってみせるがよい。

 

 

以上二点において、私の行動は完全に正当化される。

つまり──

 

あい・あむ・無罪だ。

 

わかったかね? 君たち。

 

 

そう──君たちだ。

 

君たちのことだよ。

私が見張っているとも知らず、呑気にそこを進んでいる馬車の乗員諸君と、そのまわりを固めている皆様。

 

君たちは今、黒卑村のすぐ近くの道を通っているのだ。

それも、大層な荷物を抱えて、な。

道に迷ったのだろうか それとも間違ったルートを選んだのか

いずれにせよ不幸なことだ

 

ああ──馬車の中の彼女、あれは結婚式にでも向かう途中かね?

絹の衣に金の飾り、実に見事に着飾っていらっしゃる。

その肌には、日焼けひとつなく、冷たい雨に震えた痕跡もない。

──きっと、雑草で飢えを凌いだことも、投げ捨てられた腐った粥をすすって腹を壊したこともないのだろうね。

 

ところで、私は今──

明日のおまんまにもありつけるか怪しい状況でしてね?

 

黒卑村の大人たちは言った。

「通行人を報告すれば金をやる」と。

 

その通行人が貴族や豪商の一行であれば、さらに上乗せがある。

君たちのような素晴らしき獲物なら、ひと月は食いつなげるだけの報酬になることだろう。

 

というわけで──死んでくれ。

 

……すまないね。

だが、文句があるなら私にではなく、この地まで法の光を届かせることのできなかった──その無能なる体制と為政者たちに言ってくれたまえ。

 

 

───

 

 

さて。

大人達に哀れなる犠牲者たちを報告し、得た報奨金で久々にまともな食事にありつけたところで──少し現状を整理してみようか。

 

我が名は河了貂。齢11。

前世ではこの年齢にして、すでに帝国軍203航空魔導大隊を率いる少佐であり、五指に数えられるエース・オブ・エースとして、帝国中の戦線を東奔西走していた。

だが、今世においては魔導などというものは存在しない。つまり──この身は完全に、ただの無力な幼女である。

 

剣? 短剣ならまだ振れるが、普通の剣は重すぎて話にならない。

弓? まさか。演算宝珠による補助なしに、まともに引けるとでも?

前世で私を戦場へと駆り立て、忌まわしくも力となっていた魔導という代物。失ってみれば、あれも実に便利なツールだったのだと気付かされる。

 

──まあ、私のスペックに関する回顧はこの程度にしておこう。

問題は、この素晴らしき秦国である。

 

昨年、新たな王が玉座に就いたらしい。名は嬴政。

うん、奴だ。後の始皇帝である。

とはいえ、今のところはまだ秦王の肩書を持つに過ぎず、国家機構を自由に動かすほどの力はないようだ。

 

つまり今は、紀元前245年(おそらく、だが)。

──この世界にイエスが生まれるかどうかすら定かでない以上、西暦換算にどれほどの意味があるかは怪しいが──

とにもかくにも、ここは秦国。その一角にある、無法地帯・黒卑村が、私の住処というわけだ。

 

史実通りにいけば、秦は24年後に中華を統一し、さらに15年後には儚くも滅ぶ。

そしてそこから4年後には前漢が成立する。

……が、そんな筋書きがこの世界でも通用するかどうかは極めて怪しい。

 

何せ、前世において私が所属していた「帝国」は、外見や文化の一部こそドイツを彷彿とさせたが、ドイツではなかった。

アルビオン連合王国──その名称こそブリテン島の古称そのままだが、イギリスと同じ行動を取るかと思えばそうでもなかったし、

フランソワ共和国──どこからどう見てもフランスですと言わんばかりの命名でありながら、ダンケルクの撤退先はロンディニウムではなく、まさかの南方大陸であった。

 

──つまり、名前が同じだからといって、歴史が同じとは限らない。

同名異時異世界。そんな例はいくらでも見てきた私にとって、安易な史実前提はリスクでしかない。

 

──とまあ、つらつらと考えてはみたものの。

この生活を抜け出す目処が一切立っていない以上、現実的な意味はほぼない。

 

生き延びる。それが唯一にして最大の目的であり、課題である。

 

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