祈りを喰らう狼   作:田部なぎれすぷる

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プロローグ 羊の街

 

 丘の上から見下ろす街は、まるで羊の群れのようだった。

 

 低く石を積んだ塀に囲まれた家々。早朝の光に照らされて、灰色の煙が小さく立ち上っている。

 この街に流れる時間は遅く、素朴で、どこまでも平和だ。

 

 ルプスレギナ・ベータは、その光景を眺めてあくびをひとつ。

 手にしているのは、アインズからの直筆の命令書。

 

『スレイン法国領アウステリオは、今後ナザリックの勢力を拡大する計画に必要不可欠な町である。よってルプスレギナ・ベータ、お前に命じる――アウステリオの守護にあたれ。必要とあれば、他勢力の干渉を排除してもよい。』

 

 ルプスレギナは、既に何度も読み込んだ命令書にもう一度目を通すと、折り目をつけないよう丁寧に封に入れ、懐にしまった。 

 自分の名が書かれたアインズ直筆の手紙なんて、もう二度と手に入らないかもしれないお宝だ。彼女にとってそれは、何事にも代えがたい価値があった。

 

 アインズ直々に命令を下され、役目を与えられるということは、ナザリックのシモベにとって至上の喜びである。当然、任務自体に対して不満は一切ない。

 

 ただ――

 

「……ん〜〜〜〜……退屈っすねぇ」

 

 問題は、あまりにも平和すぎるということだった。

 

 亜人種の襲撃も、他国の諜報組織の干渉も、邪教徒の気配すら感じられない。

 すでに数日、街を歩いてみたが、せいぜい小さな盗人や喧嘩騒ぎ程度のものしか起きていなかった。

 

「例えばこう……試練を与えに与えて、最後にスッキリ守りきるってのはアリなんじゃない? この街の危機意識が向上して、結果的に守護することに――は繋がんないっすよねぇ」

 

 与えられた任務はあくまで「守護」。

 つまり、手出しするには「敵」が来ないと始まらない。

 

 ――そんな彼女の視界に、ひとつの建物が映る。

 

 それは小高い丘の中腹に建つ、古びた石造りの教会。朝の鐘が鳴る中、人々が静かに中へと吸い込まれていく。

 

「教会かぁ。ん〜〜……」

 

 気怠げにその様を見るルプスレギナの視線が、ふとある一点に吸い寄せられる。

 

 教会の前に立つ、一人の青年――端整な顔立ちに加え、暗いブロンドの髪は清潔に束ねられ、僧衣の白は煤ひとつなく、陽光を受けて神聖さすら帯びている。背筋は凛として、動作は過不足なく整っている。そのすべてに、無駄も驕りもない。

 

 けれど、彼女の目が引かれたのは、表面的な美しさではなかった。

 

 歩く所作、祈る仕草、他者へ向ける眼差し――

 そのどれもが、打算の影を微塵も感じさせない。

 信じるという行為が肉体に沁みつき、骨の芯にまで染み渡っているかのような――そんな澄みきった信仰が、彼の佇まいから滲み出ていた。

 

「……ほーん?」

 

 ルプスレギナの目が、獲物を見つけた肉食獣のように嬉しげに細められる。

 

(信仰心ビンビンって感じっすねぇ。真面目系で、顔も整ってて……しかも、ふふっ、これは――女慣れしてなさそうな雰囲気、たっぷりじゃないっすか)

 

 声には出さず、喉が鳴るような笑みをこぼす。

 

 潔癖で、揺るがぬ眼差し。それがどれほど脆く、そして砕きがいがあるかを、彼女はよく知っていた。

 

(……んふふ、これは面白くなるかも)

 

 ルプスレギナは笑った。可憐に、清楚に――おもちゃを見つけた子供のように。

 

 どうやって彼の信仰を折ってみせようか。

 どうやって彼の理性を、欲望の底に沈めてやろうか。

 

 それを考えるだけで、たまらなく楽しい。

 

「いやぁ、暇つぶしには困らなそうでよかったっす!」

 

 ルプスレギナは普段着ている戦闘メイド服から潜伏用の旅装に装備を変更し、フードを軽く整えて、軽い足取りで教会へと向かう。

 

 狼がその毛を白く染め、羊の群れに紛れるように。

 

 

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