祈りを喰らう狼   作:田部なぎれすぷる

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一話 訪れしモノ

 

 朝の礼拝が終わった後の教会には、ほのかな静けさがあった。

 

 信徒たちの足音はすでに遠のき、石造りの床に残るのはわずかな残響と、蝋燭の細い灯のみ。陽光はステンドグラスを抜け、赤や青の光となって祭壇を彩っている。

 

 神父の青年は祭壇の前に静かに立ち、手にした聖典を閉じた。その動作は慎ましく、神へ向ける敬意が染みついたような所作だ。

 

 彼の名はグレイ・リオニス。

 まだ若いその顔立ちには、いくばくかの幼さが残っている。それでも、落ち着いた物腰と真っ直ぐな眼差しが、その身に纏う法衣とよく似合っていた。

 

 礼拝を終え、グレイが奥に戻ろうとした時。ふと気配を感じ部屋を見渡す。

 すると視線の先、最後列の椅子に、見覚えのない人物が座っていた。

 

 ずっと視界に入っていたはずなのに、存在に全く気が付かなかったことに少し面食らい、グレイは思わずその人物を凝視してしまう。

 フードを深くかぶり、顔の半分ほどは影に隠れている。砂塵でくすんだ色の質素な修道服を身に纏い、膝の上で手を組んで祈っていた。

 

 旅の修道女……だろうか?

 

 この小さな町――アウステリオを訪れる巡礼者や聖職者は、年に数人いるかいないかだ。まして、女性の修道者など、自分が赴任してからは一度も見た記憶がない。

 

 彼女の佇まいは、どこか言葉にできぬ静謐さを宿していた。身じろぎもせず、ただひたすらに祈っている。

 

 やがて旅装の修道女は、視線の気配に気づいたようにゆっくりとこちらを見上げた。フードが揺れ、滑るようにその下から髪がこぼれ出る。

 

 深紅。

 それはただの赤ではない。血のように濃く、夕焼けのように温かく、異国の染料を思わせる艶を帯びた色。

 

 鮮やかな赤髪――この地ではあまり見かけぬ特徴だ。

 だがそれだけではなかった。

 

 彼女が自然な動作でフードを取る。その下から現れたのは、陽に灼かれたような褐色の肌と、息を呑むほど整った顔立ちだった。

 

 グレイは一瞬、呼吸を忘れた。

 

(……なんと、美しい)

 

 しかし動揺も一瞬。

 すぐに気を持ち直したグレイは、静かに歩み寄り、穏やかに口を開く。

 

「初めてお見かけします。巡礼の方でしょうか?」

 

 彼女は一瞬だけまばたきをして、ふわりと微笑んだ。その微笑みには、どこか幼さと艶やかさが同居しているようで、グレイは咄嗟に目をそらしそうになる。だが、それを表に出すことなく、丁寧な姿勢を崩さない。

 

「……旅の者です。聖堂を見つけ、祈りを捧げたく」

 

 女は立ち上がると、丁寧に礼をとった。

 

「ルプスと申します。……ご迷惑でなければ、しばらく礼拝堂の片隅をお借りできればと」

 

「迷惑など、とんでもない」

 

 グレイは首を振る。

 

「祈りを求める者に、神の家が門を閉ざすことはありません。この街の教会は常に開かれています。……差し支えなければ、宗派はどちらに?」

 

「……死の神を、信仰しております」

 

 そう言って彼女――ルプスは小さく笑った。

 その声音はただまっすぐに。揺るぎなく、迷いなく。

 

 グレイは息を呑む。彼女の黄色い瞳から、目を逸らせない。

 死の神――つまりルプスはスルシャーナ様の信徒であるという。仕える神は違えど、信仰に生きる者として、決して無視できない真摯さがそこにはあった。

 

「そうでしたか。この街のほとんどの人間は私を含め光神様を信仰していますが、同じ六大神信仰に連なる神々です。教義は違えど、教えの根はきっと通じているはず。どうか、ごゆるりと」

 

「……ありがとうございます、神父様」

 

 微笑んだその顔は清らかで、しかしどこか物憂げでもあった。疲れているのだろうか。長旅の果てに、ようやく休める場所を見つけた、そんな表情だ。

 

「この後、食事の準備があります。……よろしければ、温かいパンとスープをいかがですか?」

 

「……あら、そんな……」

 

「遠慮はいりません。きっと、神の導きでこの街へ辿り着いたのですから」

 

 

 

 

        ⚫︎

 

 

 

 

 礼拝堂を出て厨房へ向かう二人。

 三歩先を歩くグレイは、振り返らずに問いかける。

 

「巡礼の旅は、ずっとお一人で?」

 

 女性の、それもとびきりの美人となれば道中の危険も多いはずだと、つい口に出た疑問だった。

 しばしの間の後、背後から一言声が返ってくる。

 

「ええ、そうですね」

 

「その……何かあれば、危険では? 護衛を雇うことはないのですか?」

 

「ふふ、よく言われます。でも、心配無用ですよ」

 

 ルプスの声に柔らかな笑みが滲む。それはどこか、自分の身の安全を気にかけること自体を面白がっているような妙な響きだった。

 

「私、こう見えて結構()()んです」

 

 その言葉にグレイは足を緩めかけたが、すぐに歩を整える。武の心得があるようには見えなかったが、その声には確信めいた余裕が滲んでいたからだ。

 まるで襲われることすら想定にないとでも言いたげな――そんな余裕。

 

「……武術か、魔法を?」

 

「ちょっとした護身程度ですよ」 

 

 はぐらかされた、とグレイは感じた。だからこそ追求するような真似はしない。普通、聖職者相手であっても見ず知らずの男に護身の手の内を教えたくはないだろう。グレイは、それを察せなかった自分を恥じた。

 

 二人は厨房の前にたどり着く。

 厨房の扉を開けると、薪の香りと共に、微かに残っていた朝の湯気が漂ってくる。

 

「座ってお待ちください。すぐに用意します」

 

「……いえ、私も手を――」

 

「客人に労を取らせるわけにはいきません。ここは神の家。まずは、癒していただく場所であるべきです」

 

 ルプスは素直に礼を言い、椅子に腰かけた。  

 グレイは竈に火を入れ、朝残しておいた野菜と硬くなったパンを取り出す。

 

「旅の方には少し淡泊かもしれません。けれど、身体は温まるはずです」

 

 鍋に湯を張り、手際よく根菜と香草を刻んでゆく。

 その間も、背後からルプスの視線を感じた。重くもなく、無遠慮でもない。ただ、静かに見つめられている感覚。

 それが何故だか、胸の内を妙に騒つかせる。

 

「神父様は、料理もなさるのですね」

 

「ええ。街の皆が集う場所である以上、不慣れではお恥ずかしいので……身の回りのことは、なるべく自分で」

 

「真面目なお方なのですね」

 

「……でしょうか?」

 

 湯が温まり始める音が、静けさの合間を埋める。

 玉ねぎ、にんじん、干した茸、それから宿の台所で分けてもらった塩と少量の乾燥肉。刻んだそれらを鍋に入れ、グレイは木の匙でゆっくりとかき混ぜていく。素朴な材料だが、湯気と共に立ち上る香りは、思いのほか食欲をそそるものだった。

 やがて、パンがスープの湯気で柔らかくなった頃、グレイは簡素な木皿に盛り付け、彼女の前にそっと置いた。

 

「どうぞ。……お口に合えば良いのですが」

 

「ありがとうございます、神父様」

 

 ルプスは慎ましく手を組み、瞳を閉じて短い祈りを捧げる。

 その所作は絵画のように整い、気品に満ちていて――

 

(……こういう方が、神の隣に立つに相応しいのだろう)

 

 グレイの胸に、そんな思いがふとよぎる。

 無意識に、彼女を理想の信徒の姿と重ねてしまっていた。 

 

 パンをちぎる音と、スープをすくう木匙の音だけが、簡素な食卓に静かに響く。

 温かなスープを口に運びながら、グレイは話題を探した。どうにも緊張してしまっている。食事中の沈黙は気まずいものではなく、むしろ礼節を弁えた状況だとグレイは理解している。それでも彼女を正面に黙ったままというのは、何か居心地が悪く思えた。

 

「……食べ物の好き嫌いは、あったりしますか?」

 

 選んだ話題はありきたりで、しかし彼女をもっと知りたいという気持ちが滲んだ問いだった。

 ルプスはわずかに目を丸くして、それから楽しげに微笑む。

 

「ありますよ。甘いものは、そんなに得意じゃないんです」

 

「そうなんですか? てっきり……」

 

「好きそうに見えます?」

 

 少し茶目っ気のある問い返しに、グレイは困ったように笑う。

 

「ええ。……というより、女性の方は甘いものが好きな印象があったので」

 

「それ、ちょっと主語が大きいっすね〜」

 

 ルプスは口元を覆って笑いながら言う。

 しかしさらりと返されたその言葉に、グレイは一瞬まばたいた。

 

 “〜っすね”。

 

 それは、これまでの印象とは離れた彼女の話し方だった。もっと素のままの、気取らない、若い娘らしい話しぶり。

 グレイが思わず顔を上げると、ルプスもこちらに視線を向け、少しばつが悪そうに笑う。

 

「わ、ごめんなさい。……つい、食事が美味しくて気が抜けちゃって」

 

「……いえ」

 

 グレイは軽く首を振った。

 意外だったことは確かだったが、それ以上にどこかほっとした気持ちが胸にあった。

 

「そういう話し方も、いいと思います。むしろ……少し安心しました」

 

「安心、ですか?」

 

 ルプスが首をかしげる。

 

「ええ。……正直に言いますと、ルプスさんの所作や仕草が聖職者として完璧すぎて……私が緊張してしまっていたので」

 

 冗談めかしてそう言うと、ルプスはくすりと笑った。

 その笑みはどこか得意げで、それでいてあたたかい。

 

「そっすか……じゃあ、ちょっとぐらい気を抜いてもいいっすよね」

 

「ええ、もちろん」

 

 ルプスはさらにニッと笑って視線を食べ物に戻すと、先ほどまでより大きな一口でパンをかじり、もぐもぐと口を動かしはじめた。

 

 それは僅かな表情の差。仕草の違い。口調の変化。それだけで先ほどまでの聖女然とした様子とは打って変わり、快活で親しみやすい印象を受ける。そのどちらもが自然であったが、今の方が彼女には合っている気がする。

 

 つられて再び口にしたスープの味は、さっきよりも少しだけまろやかに感じられた。

 

 

 

 

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