祈りを喰らう狼   作:田部なぎれすぷる

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二話 聖女

 

 

 食後の祈りを終えた二人。

 鍋の湯気はすでに消え、器も清められ、テーブルの上は空っぽになっている。

 

「――ごちそうさまでした。本当に美味しかったっす!」

 

 ルプスはそう言って元気に笑った。

 すっかり馴染んだ口調は、朝の初対面とはまるで別人のようにも思える。だが、それが彼女の()なのだと、グレイはいつしか受け入れ始めていた。

 

「気に入っていただけて何よりです」

 

 グレイは水差しを戻しながら、ふとルプスの様子を窺う。

 

「ところで、ルプスさん。差し支えなければ……この町にはどのくらい滞在されるご予定ですか?」

 

「ん〜……正直、まだ決めてないっすね」

 

 ルプスは少し口ごもるようにして、それから続けた。

 

「しばらくは、このあたりに腰を落ち着けることになりそうっす」

 

「そうですか。でしたら……」

 

 グレイは一拍置いて、躊躇いがちに言葉を選ぶ。

 

「良い旅人向けの宿が、東門の詰所の近くにあります。部屋は簡素ですが、静かで衛生的ですし、食事も悪くありません。何より、女性が一人でも安心できる場所です。よければご案内しますよ」

 

 ルプスは少しだけ眉を上げ、それから視線を逸らす。

 

「……うーん、宿……っすかぁ」

 

 指先でテーブルの縁を撫でるようにしながら、わずかに頬を膨らませる。

 

「実をいうと、あんまりお財布に余裕がないんすよね。食費と巡礼の献金を優先してるから、宿代はできるだけ浮かせたいっていうか……」

 

 言葉を切り、唇の端をかすかに噛む。その仕草は、どこか少女のような気弱さを纏っていた。

 

「その……神父様。もしよかったら、しばらくここに泊めてもらえないっすか?」

 

 声のトーンは柔らかく、けれど真正面から頼み込むようなものではない。

 気まずそうにしながらも、逃げ道を用意している――そんな距離の取り方。

 

 グレイはしばし言葉を失った。

 断る理由など、どこにもない。むしろ、困っている者を拒む方が信仰に背くことだ。

 それでも、胸の奥にわずかな動揺が走ったのはなぜだろうか。

 

「……もちろん、構いません」

 

 努めて平静を保ちながら答える。

 

「ですが、寝具は質素ですし、部屋も狭くて――」

 

「ぜんっぜん気にしないっす!」

 

 ルプスはぱっと笑顔になった。遠慮の仮面を投げるように、明るく。

 

「野宿と比べたら天国っすよ、天国。あ、神父様的には()()って言った方がウケるっすか?」

 

 からかうような口調に、グレイは少しだけ苦笑した。

 

「そこまで洒落た感覚は持ち合わせていませんが……まあ、信仰の場所として、清らかであればいいと思っています」

 

「ふふ、じゃあしばらくの間お世話になるっすね、神父さま?」

 

 

 部屋に案内するあいだも、ルプスは屈託なく振る舞っていた。

 だがその一方で、グレイには彼女の所作にどこか計算のようなものがあるように思えてならなかった。

 それは悪意ではない。

 むしろ、手探りで距離を詰めようとするような、慎重な足取り。親しみやすい振る舞いに込められた、打算的な愛嬌。

 

(……だが、それも巡礼者なりの身の処し方か)

 

 そう納得してみせる自分に、冷ややか視線を向ける自分もいる。

 それでも――彼女をこの場所に留めたいと、思ってしまったのは事実だった。

 

 二人は再び礼拝堂へと向かう。彼女に貸し与える寝室は、礼拝堂の奥に控える小部屋だ。かつては修道女たちのために設けられたものだが、この教会に寝泊まりする人間が今はグレイしかいない為、仮眠室のような扱いになっている。

 

「こちらになります。少し散らかっていますが、掃除はしていますので……」

 

「ちゃんとベッドがあるじゃないっすか! ありがたや〜っすねぇ」

 

 ルプスは両手を合わせて笑った。

 布団の上に手を置き、ふわふわと軽く押して確かめる。薄暗い部屋に置かれた寝具は清潔で、すこしだけ草木の香りがする。

 

「神様の匂いって、こんな感じなんすかね。んー、癖になりそう」

 

「それは、乾いたラベンダーの香だと思います」

 

 グレイは笑いながら答えるが、その頬にわずかな紅がさしたことに、自身では気づかない。

 

「なるほどなるほど。さすが神父さま、聖属性の知識に明るいっすねぇ」

 

「……聖属性という言い方は、少し不思議ですね。普通の人は草の香りとしか言わないような」

 

「そおっすか? あ、もしかして……自分、ちょっとだけ神様のセンスに近いのかも」

 

 言って、くすっと笑うルプス。

 

「それじゃあ、私はちょっと街に出てくるっす。神父さま、また後で!」

 

「ええ、お気をつけて」

 

 ルプスが礼拝堂から出ていき、扉が閉まる。礼拝堂のいつも通りの静寂が、懐かしいとすら感じてしまう。

 すっかり砕けた口調と態度で接するようになったルプスの言動は、どこか読めない。

 敬虔に見えたかと思えば、冗談に神の名を口にする。

 人懐っこく笑いながら、こちらの心を覗きこもうとするような目をする。

 からかっているか、本気なのか、その境界は曖昧だった。

 

 

     ◆

 

 

 その夜、礼拝堂の灯火がすべて落ちたあと。

 グレイは自室で静かに祈りを捧げていた。

 

 心が落ち着いていたわけではない。

 彼女の姿が、幾度も脳裏をよぎって仕方がなかった。

 

 夜も更け、流石に心配が募ってきた頃に教会へと戻ってきたルプス。夕食はどうやら市場で済ませてきたらしく、改めてグレイに対し礼を言うと、すぐに礼拝堂の奥の部屋へ向かっていった彼女。

 

 奇妙な言い回しや、無遠慮な笑い方。

 だがそれらの奥にあるのは、ひたむきな善意と清浄な気配。見てきた彼女の所作ひとつひとつから、積み重ねた信仰を感じ取れる。

 今まで出会ってきたどの信徒よりも――あの娘は、澄んでいる。 

 

 祈りが終わりかけたそのとき。

 扉の向こうから、礼拝堂の扉が開く音がした。

 

 グレイが部屋を出る。廊下を曲がって、礼拝堂の前。

 わずかに開いた扉の隙間から、燭台のかすかな明かりが漏れていた。

 

(……夜更けに、祈りを?)

 

 グレイは足音を忍ばせて扉の傍に立つ。

 そしてわずかに開いた隙間から、そっと中を覗く。

 

 そこにいたのは、ルプスだった。

 

 彼女は一人、礼拝堂の祭壇の前に跪く。

 焚かれた蝋燭の光が、横顔を淡く照らしている。

 瞳は伏せられ、両手は胸の前に組まれていた。

 

 ――物語に聞く、聖女のように。

 

 誰に見られているわけでもないその姿は、あまりに静謐で、あまりに美しかった。

 

(……祈っている)

 

 グレイは足音を立てぬよう、そっと扉から離れた。

 それ以上覗くことは、罪に思えたからだ。

 

 

 だが――扉の向こうで、ルプスは唇の端を吊り上げる。

 

「……チョロいっすね、神父さま」

 

 かすかな声。

 焚かれた蝋燭が、パチリと弾けた。

 

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