転生した異世界が主人公が産まれる2000年前だった   作:yumui

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意外な才能

宮殿の書庫塔。その最上階には、王国の中でも数少ない静寂の残る空間があった。

 

 窓辺に佇む青年は、黒髪に淡い青の瞳で静かに羊皮紙を読みふけっている。その名をアインという。宮廷に仕えながらも、階級を求めず、ただ知を深めることを生きがいとする男であった。

 

 やがて重厚な扉が音を立てて開いた。そこに現れたのは、赤髪と金の瞳を持つ若き王、ヴェルギリウスであった。王がわざわざ訪ねてくることなど滅多にない。だがアインは慌てることなく、静かに立ち上がると椅子を引いて言った。

 

「陛下、ようこそ。珍しいお出ましだな」

 

「お前に、聞きたいことがある。……少し、時間をくれ」

 

 ヴェルギリウスはそう言って椅子に腰を下ろした。窓の向こうには、夏の光を照り返す宮殿の塔がいくつも聳えていた。

 

「アイン。お前は王国で最も賢い者だと皆が言っている。それほどの才を持ちながら、なぜいまだに学士の地位に甘んじている?」

 

 問いを受けたアインは、少しだけ口元を緩めた。まるで、その問いを予測していたかのように。

 

「派閥争いが嫌いなんだ、陛下。上に行けば行くほど、知ではなく、力が求められる。私は静かに知を学び、正しいと信じることを為したい」

 

「……そうか。ならば、知恵を貸してくれ。今、我々は難題に直面している」

 

 ヴェルギリウスは山中で出会った“王庭”の男——ガルドスの名を口にした。エルフの料理人たちが連れ去られ、山奥の砦で強制的に料理を作らされていること。ガルドスは百年前、魔王から血を受けて王庭となった伝説の男であり、今なお人の姿で生き続けていること。

 

 そして、大食いの末に引き分けとなり、エルフたちを解放する明確な手段が見つからないこと。

 

「ガルドスは“味”に飢えている。それは間違いない。奴の飢えを満たせば、あるいは交渉の余地があると思うが……料理人が足りない。エルフを奪還しない限り、料理も生まれない。だが、料理がなければエルフも帰ってこない。堂々巡りだ」

 

 アインは椅子に深く腰を下ろし、しばし沈黙した。その灰の瞳がどこか遠くを見つめ、やがて唇が静かに開く。

 

「陛下、逆転の発想だ。エルフたちの料理を“奪い返す”のではなく、それを超える味を“作る”んだ」

 

「……どういう意味だ?」

 

「王国中の料理人を集めてくれ。異なる種族の技、貴族の屋敷に仕える老練の料理人、街角の屋台主まで。全員だ。集められた知と技を一つに束ね、ガルドスの舌を満足させる料理を作る。それが出来れば、彼は料理人たちを手放すはずだ」

 

「だが、それは一か八かだ。舌に合わなければどうする?」

 

「リスクはある。しかしガルドスは“味”を求めている。ならば、奴の望む味を突き詰めるべきです。幸い、俺にはその手伝いができます」

 

 アインの瞳が鋭く光る。

 

「知識とは、味にも通じる。古文書にある失われた調理法、異国の香辛料、過去に存在した幻のレシピ。それらを俺が全て調べ、最も理にかなった料理を設計します。ただし一つ条件があります」

 

「言ってみろ」

 

「俺に、料理人たちを指揮する権限をください。政治の場に出るのは嫌いですが、台所という戦場なら、喜んで立ちます」

 

 ヴェルギリウスはしばしの間、アインの静かな熱に押されるように沈黙した。だが、やがて笑いを漏らす。

 

「いいだろう。お前の好きにやれ、アイン。王命だ。好きなだけ騒げ」

 

「……陛下のご期待に、応えてみせます」

 

 #

 

 焼けつくような陽が、岩肌むき出しの山の中腹を照らしていた。

 

 灰色の山。その門が軋む音を立てて開かれ、再び一行がその地を踏みしめる。

 先頭に立つのは、赤髪の王ヴェルギリウス。鋭い金の瞳が山腹の砦を見据えている。

 その後ろには、アンジェラ。

 ハムスターのような魔族、エイゲルズ。

 そして、黒髪の青年アイン。眼差しは静かだが、頭脳は炎のごとき閃きを秘めている。

 

 さらに一行に加わるのは、アインが探してきた王国屈指の料理人十人。

 豪奢な宮廷に仕える者、寒村で鍋を握る老練な者、異国から来た者まで――その腕前は折り紙付き。

 ヴェルギリウスが王命で選りすぐり、アインの指揮のもと、究極の料理を作り上げた。

 

 再び対峙するのは、王庭ガルドス。

 褐色の肌をしたその男は、かつて魔王の血を受けて人の王から異形の存在に変わったとされる。

 その手には、前と変わらず蛮骨刀。そして足元には骨の山――だが、今日もその手には箸があり、口元は脂で光っていた。

 

「来たか、竜の心臓を持つ王よ。……また、大食い勝負でもしに来たのか?」

 

 ガルドスは笑う。だがその声には、どこか退屈を滲ませていた。

 

「違う」ヴェルギリウスは声を張った。「お前の舌を満足させる料理を作ってやる。それが出来たなら、料理人たちとエルフを解放しろ」

 

 ガルドスは目を細めた。

 

「満足? この俺の舌を? ――ほう、面白い」

 

 彼の背後には、連れ去られたエルフの料理人たちがいる。

 生気を失った瞳で、だがそれでも尚、香辛料と塩の分量を頭で計算し続けている者たち。

 魂を食われるのではない。味覚を絞り取られているのだ。

 

「いいだろう」ガルドスは手を叩いた。「この場で食わせろ。料理人ども全員だ。お前たち自身の手でも作ってみせろ。口先ではなく、皿の上で勝負するんだ」

 

 かくして、即席の厨房が設えられた。

 砦の中庭。乾いた風に薪の煙が混じる。鉄鍋が熱を受け、香りが立ち上る。

 

 最初に料理を差し出したのは、宮廷料理人リシャルド。

 黄金の皿に盛られたのは、甘露と呼ばれる貴族の果実酒で煮込んだ山鳥の胸肉。

 繊細に飾られた果実と香草が、味覚のすべてに訴える洗練された逸品だった。

 

 次は老農村の女料理人、マナ。

 灰汁を抜いた根菜と、山の鹿の背肉を重ね、土釜で蒸し焼きにした。素朴で温かく、故郷の味そのものだった。

 

 遠方の料理人バールは、焼き立てのパンの中に羊の内臓とスパイスを詰めた。匂いは強烈だが、舌に残る滋味は深い。

 

 一皿ずつ、丁寧に運ばれ、丁寧に食される。

 

 ヴェルギリウスも剣を置き、自らの手で猟った獣を炭火で焼き上げた。

 アンジェラは黒曜石の皿に、毒と見紛う紫のスープを注ぎ――だが、それは舌の記憶に触れる、忘れ難い味であった。

 アインは、古文書から再現した“王の献酬”と呼ばれる幻の料理――

 塩と蜜、火の順番を厳密に守って焼き上げた“光の肉”。

 肉が光るように見えるのは、表面に反射する油の膜と、香の一種によるものだという。

 

 そして最後に、全料理人による連携で仕上げた料理。

 森、山、川、海、大地、空――王国全土の食材を一皿にまとめた“王国の食卓”。

 

 すべてを食べ終えた後、ガルドスは無言で口を拭った。

 その皿には何も残されていない。彼はひとつひとつを噛み締め、確かに味わった。

 

 そして、長い沈黙の末、低く言った。

 

「――悪くない。どれも悪くない。だが……」

 

 彼の声に力がこもる。

 

「だが、最高の美食とは程遠い」

 

 料理人たちは肩を落とした。アインでさえ、わずかに眉を寄せる。

 

 ガルドスは立ち上がる。鍋を背負うように持ち直し、苛立ちを隠さぬ声で叫ぶ。

 

「俺の舌はもう、ただの味では満たされない。……魔王の血を飲んだあの日から、俺の味覚は、人間ではない。もっと深く、もっと……心を暴くような料理でなければ、意味がないのだ!」

 

 彼の足元に、血のような唾液が落ちる。

 

「お前たちの料理には“怒り”がない。“哀しみ”がない。“愛”が、ない。ただ技術を並べただけの献立だ! お前たちは本当に“命を喰らう”覚悟で料理をしてきたのか!」

 

 その声は山の中腹に響き渡り、料理人たちは打ちのめされた。

 

 ガルドスは腰にぶら下げた蛮骨刀を引き抜き、鉄の釜を真っ二つに斬り裂く。

 

「次だ」彼は言った。「“次”があるなら、だ。今度こそ、俺の心を満たす“獣の一皿”を持ってこい。そうでなければ、エルフたちは永遠にここに留まる。……貴様らの喉を切り裂いても、代わりに料理人を作るしかないな!」

 

静寂を破ったのは、地を裂くような一歩だった。

 

 「ふざけるな……!」

 

 ヴェルギリウスの声が低く唸る。

 

 「貴様、命を懸けて作った料理を、心がどうのと……!」

 「黙れ。貴様の“怒り”、ようやく感じたぞ」

 

 ガルドスは腕を組み、にやりと笑った。

 その笑みが、ヴェルギリウスの堪忍袋を裂いた。

 

 瞬間、彼は地を蹴った。

 焼けた岩盤が爆ぜ、剣――炎を纏う魔剣グラディウスが抜かれる。

 

 「なら、力で決めるまでだ!」

 

 炎の奔流が走る。

 赤髪の王が突き出した剣先は、まっすぐにガルドスの胸を貫こうとしていた。

 

 だが――。

 

 「遅い」

 

 その一言とともに、重低音が鳴る。

 振り下ろされたガルドスの大骨刀が、グラディウスを弾き飛ばす。

 炎が吹き散り、空中に残像だけが舞った。

 

 「っ……!」

 

 ヴェルギリウスの腕に、鈍い痛みが走る。

 だが彼は怯まず、逆足で踏み込み、斬り上げた。

 

 赤い弧が空を割る。

 

 だが、空を斬っただけだった。

 

 ガルドスは重そうな体であったにもかかわらず、まるで風のようにその斬撃を避けていた。

 

 「なるほど。確かに貴様の剣は人の域を超えている」

 

 その声の直後、ガルドスが踏み込んだ。

 

 「だが、俺は“人”ではない」

 

 圧倒的な一撃。

 風圧だけで中庭の岩が粉砕され、ヴェルギリウスは身を捻った。

 それでも避けきれず、腹を浅く裂かれる。

 

 「ぐっ……!」

 

 血が舞う。熱い鉄の匂いが空気を染める。

 

 「ヴェルちゃん!」

 

 アンジェラが叫ぶが、止められない。

 

 ヴェルギリウスは立ち上がる。

 喉奥から血を吐き、だがその目はまだ折れていなかった。

 

 

 もう一度、剣が唸った。

 金の瞳がぎらつき、竜の力がその肉体を駆ける。

 

 グラディウスが猛りを上げ、全身から赤熱の光が漏れ出す。

 周囲の岩が溶け始め、空気が軋む。

 

 「……ほう?」

 

 ガルドスが興味深そうに片眉を上げた。

 

 その瞬間、閃光が弾けた。

 

 ヴェルギリウスの一撃。

 それはかつて竜をも屠った斬撃。大地を割り、魔獣の心臓を貫いてきた。

 

 だが――

 

 「悪くない。だが、それでも“足りん”!」

 

 ガルドスが右腕を振り抜いた。

 

 空気が裂けた。

 

 次の瞬間、ヴェルギリウスの体石壁に叩きつけられていた。

 

 全身を貫く衝撃。骨が悲鳴を上げ、剣が手から滑り落ちる。

 

 「ぐ、ああ……っ!」

 

 彼の口から血が溢れる。

 

 そのまま膝をつく。

 世界が歪んで見えた。

 

 「お前の怒りは見事だった、王よ。だが“美食”には届かぬ。お前の剣は、人の心を暴かない。まだ“お前自身”を切っていないからだ」

 

 ガルドスの言葉は、冷たくも慈悲だった。

 

 「料理も戦も、同じこと。血の一滴まで差し出す者だけが、“本物”を手にする」

 

 

 ヴェルギリウスは地を見つめたまま膝をつき、誰もが言葉を失っていた。

 

 その時――。

 

 「……何だ、この香りは」

 

 ふと、静寂を破るようにガルドスが声を上げた。

 

 彼は大骨刀を背に戻し、ゆっくりと歩を進める。そして、台の端に置かれていた一つの素朴な木皿に目を留めた。

 

 「これは……誰が作った?」

 

 そこに盛られていたのは、焼き芋と香草を潰して練り合わせ、薄いパンの上にのせただけの、見た目にも飾り気のない料理だった。焦げ目すら不均一で、王のための献立とは到底思えない。

 

 だが、香りだけは、どこか懐かしい、胸をくすぐるものがあった。

 

 「それは……」とアンジェラが口を開く。「エイゲルズが余った材料で作ったものよ。ええ、試作品ってやつ」

 

 「俺……? ああ、出すつもりじゃなかったんだが……」

 

 エイゲルズは照れ臭そうに頭を掻いた。

 

 「見た目もアレだし、ガルドスの舌を満足させるなんて無理だろうって……」

 

 だが、ガルドスは構わず木皿を手に取り、そのパンを一口かじった。

 

 瞬間、彼のまぶたがぴくりと動いた。

 

 もう一口。今度は少しだけ目を細める。

 

 そして三口目を口に運ぶと、彼はついに動きを止め、じっと空を見つめるようにして言った。

 

 「……ああ、これは……あの頃の味だ」

 

 誰もが言葉を失った。

 

 ガルドスの瞳の奥に、わずかに揺らぐ光があった。

 

 「俺がまだ“王庭”ではなかった頃……戦を知らない少年だった頃……母が作ってくれた味と、どこか似ている」

 

 彼は皿を静かに置いた。

 

 「この一皿には、力も技巧もない。だが、間違いなく“心”がある。……貴様のような者が、今なおこの地にいるとは」

 

 そしてガルドスは、厳しい目でエイゲルズを見つめた。

 

 「貴様の名は?」

 

 「エ、エイゲルズ。ヴェルギリウスの補佐です、へへへ」

 

 「その舌と手を、大切にしろ。これは命を救う味だ」

 

 言葉を終えると、ガルドスは振り返る。

 

 「……約束通り、エルフたちは解放しよう。あれだけの料理でも満たされなかったこの舌を、ようやく満たしてくれた」

 

 アンジェラが目を見開く。

 

 「ちょっと、ウソでしょ……エイゲルズ、あなた何者なのよ……!」

 

 「さ、さぁな……たぶん母ちゃんのおかげだよ」

 

 ヴェルギリウスはうつむいたまま、少し笑った。

 

 「――勝ったんだな」

 

 「うむ。勝利とは、力で奪うことだけではないらしい」

 

 そう言って、ガルドスは空を仰ぐ。

 

 砦の上空に、風が流れる。

 

 「我は去る。だが、覚えておけ。いつか“真の飢え”に直面した時、再び貴様らに会いに来るだろう」

 

 そして、彼は何も言わず、外へと歩き出した。

 

 数刻後、解放されたエルフたちは歓喜と涙に包まれ、エルフの里への帰路についた。

 

 焼け焦げた空の下、ヴェルギリウスはただ一人、静かにその背を見送っていた。

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