転生した異世界が主人公が産まれる2000年前だった 作:yumui
静寂の森に、ほのかに青白い光が満ちていた。
精霊たちが舞い、風が歌い、星々が地に宿るような神聖なる泉のほとり。そこに、エルフの姫・ルミナリエが佇んでいた。薄衣をまとった彼女の姿は、夜の月光を浴びて透き通るようで、まるで精霊そのもののような気配を纏っていた。
ヴェルギリウスはその傍らに、水晶のように透き通った竜の心臓を置いた。かつて強大な力を誇った水晶竜。その命の核は、今は脈打つこともなく、冷たい沈黙の中にあった。
「……本当に、癒せるのか」
彼が問うと、ルミナリエは微笑んだ。だがその笑みの奥には、古の精霊と語り合う者だけが持つ、深い憂いがあった。
「癒すのではなく、眠りから起こすのです。精霊たちは、命そのものを愛している。竜とて例外ではありません。たとえその命が……もう還らぬものであっても」
彼女はそっと泉の水を両手ですくい、心臓の上に滴らせた。すると、水晶のようだったそれに、淡い光が走る。
彼女の周囲に風が集まり、葉がさやめき、水の精霊ウンディーネが形を取った。
「眠れし魂よ、怒りを捨てよ。命の結晶よ、汝の力を……次の願いへと捧げよ」
声は歌のようであり、祈りのようでもあった。光があふれ、心臓が微かに脈動する。
ヴェルギリウスは確信した。これで、パルテニアスを――。
*
王国に戻ると、夜明けの空が赤く染まりはじめていた。
宮殿の医務殿の奥。眠りについていたパルテニアスが、静かに横たわっていた。
彼女の胸元に触れた手のひらから、ヴェルギリウスの熱が伝わる。かつて彼女が自らを捧げたその強さと優しさを、彼は誰よりも知っていた。
「アンジェラ……始めてくれ」
傍らのアンジェラが頷く。その手には古の術式が刻まれた心臓が浮かび、金の糸のような光が絡み合いながら術陣を描いていく。
「魔王の心臓でも、神の呪いでもない。ただ、あんたの願いのために動く魔術よ。彼女が永遠の命を得るための――奇跡」
術が発動し、水晶竜の心臓がパルテニアスの胸に溶け込むように埋められていく。骨と血が響き合い、魔力が絡み合い、世界の理すら一瞬だけ軋んだ。
そして――
「……ぁ……」
かすかな吐息。
ヴェルギリウスは思わずその手を握った。彼女の指は、今や温もりを持って彼の手を握り返してきた。
瞼が開かれる。
その瞬間、彼は息を呑んだ。
パルテニアスは、美しかった。かつて以上に、どこか神聖な光を帯びていた。
金色の長い髪が絹のように流れ、瞳は澄んだ空のような蒼。その肌はまるで陶磁器のように滑らかで、ただそこにいるだけで、すべての者が息を呑むような神秘を湛えていた。
「……これは、私……?」
彼女は自らの指先を見つめ、呆然と呟いた。
「そうだ。君は……もう、死なない。永遠の命を……手に入れたんだ」
ヴェルギリウスの声に、パルテニアスは静かに微笑む。
その言葉に、パルテニアスは再び目を伏せた。瞳の奥に、一筋の涙が光る。
「ありがとう……ヴェルギリウス」
外では、夜明けの鐘が鳴った。
新しい朝が、静かに王国を照らしはじめていた。
*
王都の大通りは、朝から市民たちの歓声と花びらの舞う音で賑わっていた。空は抜けるように青く、白い雲がゆっくりと流れていく。祝福の鐘が高らかに鳴り響き、祭りの音楽隊が華やかな旋律を奏でる。旗と絹の垂れ幕が建物の間に揺れ、子どもたちは手を振りながら走り回り、店々は祝いの菓子や特別な料理を振る舞っていた。
「見て! あれがヴェルギリウス様とパルテニアス様よ!」
人々の視線の先に、金と赤の装飾をまとった白馬の馬車が進んでいた。馬車には、純白の衣に身を包んだパルテニアスが座り、その隣には威風堂々たるヴェルギリウス。彼は深紅の礼装に身を包み、太陽の光を受けて赤髪が燃えるように輝いていた。パルテニアスの金髪はそれに負けじと風に踊り、まるで本物の女神が降臨したかのように人々を魅了した。
「永遠の命を手に入れた姫だって……本当かしら?」
「きっとそうさ。あの輝きは人間じゃないよ」
囁かれる噂は祝福の言葉とともに空へ昇っていく。
彼らの後ろには、アンジェラが優雅に腰を振りながら歩き、エイゲルズは小さな身体で元気に手を振っていた。王の側近に取り立てられたアインは後ろでパレードの予定を再確認していた。「あたしも花嫁になってみたいわ〜」とアンジェラが冗談めかして言えば、周囲から笑いが起き、エイゲルズは「ふん、オレ様の料理のおかげだって忘れんなよ!」と胸を張る。
道の両側に並ぶ衛兵たちが敬礼を送り、王都のすべてがこの祝いの瞬間を祝っていた。ヴェルギリウスは馬車の上から静かに手を振り、市民たちの歓声に応える。その瞳には誇りと未来への覚悟が宿っていた。
――そして、パルテニアスはそっと微笑む。
「あなたとなら、この先もきっと乗り越えていけるわ」
その言葉に、ヴェルギリウスも小さく頷いた。
新たなる時代の始まりを告げる、光と祝福のパレードだった。
#
その夜、王都に夜の静けさが訪れても、ヴェルギリウスの心は落ち着かなかった。
広く荘厳な寝室。絹のカーテンが夜風に揺れ、月の光が淡く床を照らす。隣には眠るパルテニアスがいる。柔らかな寝息は穏やかで、金の髪が枕に広がっていた。その姿を見て、ヴェルギリウスは微笑み、そっとその手に触れる。
――だが、その安らぎは、すぐに終わった。
夢の中で、ヴェルギリウスは立っていた。
王都の中心、玉座の間。だがそれはすでにかつての輝きを失っていた。天井は崩れ、壁は血で染まり、外からは悲鳴と炎の音が響いてくる。硝煙と焼けた肉の匂いが鼻をつく。
目の前には、天使たちがいた。
白銀の翼を広げ、神々しいほどの光を纏いながら、彼らは無慈悲だった。剣を振るい、魔法の雷を落とし、無数の兵士や民を一瞬で灰に変える。その瞳に宿るのは慈愛ではなく、「粛清」の意思。
ヴェルギリウスは怒りと絶望を抱え、剣を振るって彼らに挑む。グラディウスが閃き、龍の力が叫びを上げるが、天使たちは笑った。
一人、また一人と臣下たちが倒れる。
そして――彼の腕の中にいたのは、パルテニアスだった。
「……ねぇ、あなた。これが、運命だったのかしら?」
血に染まったその唇が、震える笑みを浮かべた。永遠を誓ったはずの命が、掌から零れていく。ヴェルギリウスは何度も名を呼び、癒しの術を試み、心臓に力を注ぐが、命の光はもう戻らなかった。
そして、王都は燃え落ちる。
炎の中、天使たちはただ静かに空へと昇っていく。
ヴェルギリウスは叫んだ。
その叫びで、彼はベッドの上で目を覚ました。
汗で濡れた額。荒い息。隣にいたパルテニアスが心配そうに顔をのぞかせる。
「どうしたの……? 大丈夫……?」
ヴェルギリウスはしばらく言葉が出なかった。そして、震える手でパルテニアスを抱きしめた。
「夢だ……ただの夢だ」
自分に言い聞かせるように呟く。
だが、彼の中には確かに残っていた。
あの天使たちの、冷たい眼差しと、パルテニアスの血の感触が――。
#
五年の月日が流れた。
王都はかつてないほどの繁栄を迎えていた。穀倉地帯は豊かに実り、王国中の街道は整備され、諸種族の交易も活発になっていた。永遠の命を得た女王パルテニアスはその気高き美しさで民の敬愛を集め、ヴェルギリウスは不動の王として全土にその名を響かせていた。
だがその平穏を破る報が、夜明け前の宮殿を震わせる。
アインは静かに、だが緊急を要する気配をまとって、玉座の間に入ってきた。黒髪は変わらず整っていたが、瞳の奥にかつてない険しさが宿っていた。
「……陛下。早朝に失礼する」
「構わない。何があった」
アインは一枚の封印付きの文書を差し出した。各国の密偵から同時に届いた報告だという。
「陛下、かねてより魔族の間で続いていた内紛が、ついに終結したとの報だ。勝ったのは、現魔王――カイムアの派閥」
ヴェルギリウスの金の瞳が細くなる。
「“なりそこない”のユミス……奴は敗れたのか」
アインは頷いた。
「奴が魔王候補の一柱であったのは数百年前の話。粘り強く抵抗を続けていましたが、ついに力尽き、彼女を支持していた魔族たちも壊滅した模様だ。……そして、その直後に届いたのがこれだ」
彼が机に並べたのは、各国への最後通牒だった。
『我らは人の世を赦さぬ。
血をもって、罪を清算せよ。』
そこには、魔王カイムアの名と、赤い魔印が刻まれていた。
「人間、エルフ、ドワーフ、獣人――すべての国へ、同時に戦端が開かれた。すでに獣人の国では王庭ガルドスに大規模な城塞都市が落とされているようだ」
「……何という速さだ」
ヴェルギリウスは天を仰いだ。夢で見た炎と死の光景が、再び胸の奥で脈打った。だが、もうあの時のように立ち尽くすことはない。
「我が王国はどうだ」
アインは地図を広げながら続けた。
「南に王庭リヴェリアが出現。翼を持たぬ魔獣兵が地中を這い、農村を襲い始めている。東では王庭アンヘルが、エルフの里を突破しようと動いているようだ。ドワーフたちは王庭リービスの侵攻に火山要塞を封鎖し籠城を始めた」
「すぐに連絡を。アンジェラにも――」
「既に命を受け、動いている。ですが……一つだけ、気がかりがある」
アインはわずかに眉をひそめ、そして静かに言った。
「魔王カイムアは一度も前線にでていないんだ」
「……つまり」
アインは頷いた。
「はい。そして、その理由は――おそらく、ヴェルギリウス王の存在だ」
ヴェルギリウスは静かに立ち上がる。
その背には、かつてアンジェラが託した力。
彼の存在は、すでに多くの均衡を崩していたのだ。
「――面白い。ならばその覚悟、受けてやろう。カイムアに伝えろ。人の王が貴様を討ちに行くと」
アインの唇がわずかに笑みを形作る。
「では、王の戦を始めようか」
こうして、人間と魔族の大戦が始まる。
それはかつてない規模であり、かつてない意味を持つ戦いだった。
その衝突は、世界を焼き尽くす炎となって、今、燃え上がろうとしていた。