転生した異世界が主人公が産まれる2000年前だった 作:yumui
地響きのような風が、古の山の中腹に広がる岩場を吹き抜けた。鋭い石英の破片が風に混じり、岩肌に小さな傷をつけていく。ヴェルギリウスはその風に顔をしかめながら、前方に広がる天然の裂け目を見下ろした。
「ここが……ドワーフの最後の砦か」
重く鉛のような空気が黒鉄の山に漂っていた。ドワーフたちは砦の中に籠城し、山全体がまるで沈黙を強いられているかのようだった。だが静寂の下に蠢いているものこそ、真の脅威だった。
「イービルは遥か昔、地下に眠っていた伝説の兵器ゴーレムに寄生して動き出したんだ」
ドワーフの王女、グリンリルの言葉に、王庭討伐隊の面々は沈黙した。彼女の肩には、王としての責任と誇りが重くのしかかっていた。彼女の背後には、精鋭のドワーフ兵たちが沈痛な面持ちで控えている。
「ムカデのような寄生体……か」ヴェルギリウスが呟く。「それがゴーレムに入り込んだことで、あれは“兵器”ではなく“怪物”になった」
「しかも、ただの怪物じゃない」エイゲルズが声を低くする。「イービルは長い年月をかけて、古代ドワーフの技術を学び、自分の身体と融合させている。中途半端な攻撃では通じない」
「だが……」とグリンリルは言葉を繋げた。「同じく古代の技術で作られたもう一体のゴーレム、スペアが地下に眠っている。破損しているけれど、修復すれば対抗できるかもしれん」
一縷の希望。それが討伐隊を再び動かす契機となった。
「地下へ向かおう」とヴェルギリウスは即座に決断を下す。「イービルを倒すには、その兵器しかない」
山の地下は、まるで迷宮だった。岩をくり抜いて築かれた通路、崩れかけた橋、古の罠や装置が彼らの行く手を阻む。
「ここが……古代の鍛造区画か」キーラが目を細める。赤髪が炎に照らされ、獣のように揺れた。
「空気が重い。イービルの気配が近いな」ルミナリエが精霊の耳を震わせる。
彼らは慎重に地下を進み、ついに巨大な鉄の扉の前にたどり着く。ドワーフの兵士たちが仕掛けを解析し、扉が軋むように開かれた。
そこにあったのは、七メートルを越す鉄の巨人――第二のゴーレムだった。だが、その身体は胸部が大きく破損し、片腕が欠けていた。目のような部位には灯りはなく、魂を失った巨像のように佇んでいる。
「修理できるか?」ヴェルギリウスが尋ねた。
グリンリルは唇を噛み、ゆっくりと頷いた。「神炉と同じ技術で作られている。私なら……私と職人たちなら可能だろう。ただし……時間がかかる」
「時間はない」とアインが言う。「イービルがこの山の支配を強めている。早ければ明日にも地上へ進軍を開始する」
「では、時間を稼ぐ必要があるな」ヴェルギリウスが剣を抜いた。「俺たち討伐隊は、イービルを引きつける。修理が終わり次第、合図をくれ」
「私も行くよ」キーラが笑う。「イービルと戦うためにここに来たんだ」
地下鍛冶区画でグリンリルたちが修理を進める中、ヴェルギリウスたちは上層部へと向かう。
かつて隆盛を誇ったドワーフの王都、その上層部に築かれた要塞都市——今やその山は重苦しい沈黙のなかにあった。分厚い石壁の内部に潜むドワーフ軍は、王庭イービルの脅威に震えながらも籠城を続けていた。王庭討伐隊はその要塞へと向かう途中、深く切り立つ岩場を踏みしめながら、山肌に沿って上層へと進んでいた。
「……足元、気をつけろ。さっきから地面が揺れてる」
グリンリルの声が静寂を裂いた。鍛えられた金属の靴が石を擦り、前方の足場へと身を乗り出す。ヴェルギリウスはその背を追いながら、周囲を見渡した。
風が唸るように吹き荒れる——いや、違う。風ではない。咆哮だ。
その瞬間、大地が悲鳴を上げるように轟いた。山の斜面がひしゃげるように崩れ、黒き竜の影が現れた。かつてヴェルギリウスが狩りの途中、アンジェラと共に目撃した黒竜。悪魔セエレ。
「久しいな、人間……いや、“心臓を盗んだ者”よ」
重低音の声が空気を震わせた。セエレはかつてアンジェラを襲った存在。今、目の前にいるのは、アンジェラの仇であり、かつての“始まり”を象徴する存在だった。
「貴様……」
ヴェルギリウスは怒気を露わにしながら、グラディウスを引き抜く。金の眼が赫々と燃える。
「退がってろ。こいつは俺が——」
だが言葉を終える間もなく、セエレの影が一閃した。王庭討伐隊がばらばらに吹き飛び、山肌が削られる。
「ヴェルギリウス!」
ルミナリエの魔法が展開され、風の防壁が崩壊の余波を抑える。キーラは歯を食いしばりながら、大剣を担ぎセエレの前へと踊り出た。
「私たちが後ろを守る! 下がるな!」
叫ぶ声と共に、討伐隊は陣形を整える。エルフの矢が雨のように放たれ、獣人たちの咆哮が山にこだまする。
セエレの黒鱗を突き破る攻撃は皆無に等しかった。だがその圧倒的な力の中、ヴェルギリウスは一つの隙を見逃さなかった。
「アンジェラの痛みを……今、俺が返す」
魔剣グラディウスが灼熱の焰を纏う。ドラゴンの心臓が鼓動し、金の瞳が灼けるように光る。セエレの動きが一瞬止まった。
そして——。
「貰ったぞ……!」
ヴェルギリウスの跳躍と共に、グラディウスがセエレの左眼を貫いた。黒き血が空に舞い、セエレは獣の如く吠え、ヴェルギリウスの身体を吹き飛ばした。
「ぐ……はッ!」
全身の骨が軋む音がした。ヴェルギリウスは岩場に叩きつけられ、動けない。そのまま意識が飛びそうになる。
セエレが苦悶の声を漏らし、黒い羽のような魔力を展開させた。次の瞬間、その巨体は風とともに消えた。
辺りには、崩れた石、血の匂い、そして苦しげな吐息が残されていた。
「……しっかりしろ、ヴェル!」
エイゲルズが彼の身体を支え、傷を診る。血が止まらない。しかし——致命傷ではない。
「まだ……行ける……」
ヴェルギリウスは、苦悶の中で言った。仲間たちも傷だらけだ。それでも、一人として諦める者はいなかった。
王庭イービルはまだだ。セエレはあくまで通りすがりの悪夢に過ぎない。本番は、これからだった。
討伐隊は、朽ちた身体を引きずりながら、山の上層部へと辿り着く。そこには、最後の希望——ドワーフ軍の残存部隊がいた。
「……戻ったか。よくぞ、生きていた」
一人の老将が出迎える。その声に、討伐隊の誰もが安堵の息を漏らした。
ヴェルギリウスは最後の力を振り絞って言う。
「……頼む。治療を……俺たちは、まだ終わっていない」
ドワーフたちはすぐさま手当を始め、ルミナリエは残された魔力で精霊を呼ぶ。
——こうして、血と火にまみれた戦いの一幕は終わった。
だが、王庭イービルはまだ生きている。山の地下深く、鉄の巨人の中で待っている。
ヴェルギリウスたちの試練は、終わらない。
魔軍七万が黒い波のように山を包囲し始めたのは、曇天の朝だった。
天は鉛色に沈み、風は不吉な匂いをはらんでいた。獣の咆哮、鉄を打つ音、そして遠くから響く号令——全てが戦の始まりを告げていた。
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要塞上層部の城壁では、ドワーフ軍五万と王庭討伐隊が集結していた。ドワーフたちは銀と黒の甲冑に身を包み、長斧や鎚を構える。
「――城を出る!」
その一言に、膨れ上がった緊張が爆発する。要塞の扉が軋みを上げて開かれ、数万の兵が一斉に山から下る。
王庭討伐隊はその中心、矢のように駆け、敵陣に先手を打った。ヴェルギリウスのグラディウスが轟音を立てて抜かれ、金の瞳が魔軍を睨む。
「行くぞッ――!」
雄叫びが大地を裂いた。
魔軍の先鋒は甲殻の魔族たち。巨大な嘴と槍のような前脚を持ち、地を這い、群れとなって突進してくる。
ドワーフ軍が重盾で受け止めた瞬間、岩が砕けるような衝撃音が響く。次いで槌が振り下ろされ、刃が火花を散らす。
王庭討伐隊も敵の将軍たちに挑んだ。ルミナリエが風の刃を飛ばし、キーラが突進して首を狩る。
「第一将、斃した!」
「第二も倒れた!」
次々と倒れる魔軍の将軍たち。だが、倒しても倒しても数は減らない。
ヴェルギリウスは三人目の将軍——蛇のような尾を持つ男と対峙していた。尾が猛毒を滴らせ、鋭く迫る。だが、彼は炎の一閃で斬り裂き、咆哮と共に喉元を貫いた。
「これで四将軍、全て討ち取った……」
戦場がわずかに静まり、兵たちの間に勝利の予感が漂いかけた、その瞬間だった。
「ィイイイイヤァッハアァァァア!!!」
空気を裂く狂った絶叫が天から降ってくる。
それは、七メートルの鋼の巨体を持つ王庭・イービルだった。
鉄の肌は禍々しく黒く、眼窩の奥に紅い光を灯し、その口からは人間の言葉とも機械の歪みともつかぬ叫びがほとばしっていた。
「うあッハッハァ!さあァァァ!!ドワーフ共オォ!掃き溜めどもォォ!まとめてクチャクチャにしてやるウゥゥ!!」
戦場が凍りついた。
「全軍、迎え撃てッ!!」
グリンリルの号令で弓矢が一斉に放たれ、魔法の光が空を裂く。だが、イービルの巨体は躊躇なく走り出した。
その拳が、見えなかった。
瞬間、最前線にいた獣人兵十数名が一斉に吹き飛ばされた。イービルの拳は雷のように速く、巨体に見合わぬ俊敏さで跳躍し、蹴り、弾き飛ばす。
「こ、こいつ……っ、重さを感じさせない……!」
キーラが歯を食いしばり、大剣で受け止めるが、あまりの衝撃に地面ごと抉れる。
「風よ、束縛せよ!」
ルミナリエが風の檻を作るが、イービルはその中を滑るように抜け、雷のような蹴りを彼女の腹部に叩き込む。
「がッ……!!」
風精霊の加護ごと、彼女は石壁に叩きつけられ、呻く。
ヴェルギリウスが飛び込む。
炎が渦を巻き、イービルの顔面に直撃する。轟音と爆風。
だが次の瞬間、イービルの姿が消えていた。
「……なに……っ」
その言葉と同時に、ヴェルギリウスの肋骨が砕ける音がした。真横からの拳打が彼の身体を折り曲げ、数メートル吹き飛ばす。
倒れながらも剣を手放さなかった彼は、口から血を吐き、立ち上がろうとした。だが、膝が砕けていた。肋骨も、腕も、もはや動かない。
「……クソが……まだ……まだだ……」
呻きながら彼は手を伸ばすが、イービルの影が彼を覆いかける。
「動けないのォ? オワリィィ? ……でもなァ、そういう目ェしてる奴こそ、潰すと気持ちイイんだよオオッ!!」
その瞬間、盾を持ったドワーフ兵たちがヴェルギリウスの前に立った。彼らは無言のまま、立ちふさがった。
「全軍、撤退!要塞まで下がれ!!!」
怒号が飛ぶ。撤退戦が始まった。
王庭討伐隊とドワーフ軍は、イービルの狂気を前に崩れながらも、盾を重ね、血を流しながら一歩ずつ退いた。
「キーラ、後衛を守って!」
「ヴェルは……ヴェルギリウスは……ッ!」
瓦礫と血の匂いのなか、彼らは仲間を背負い、抱え、引きずりながら、要塞の大扉を目指した。イービルは追ってこなかった。
「アハッハッハァァァ! 逃げるのかァァァ!? イイヨォォォ!? 逃げれば逃げるほど楽しいからアァァ!!」
最後に閉ざされた門を前に、イービルは狂ったように笑い続けた。
王庭討伐隊とドワーフ軍は、再び城壁に守られた。しかしその代償は大きく、兵の半数が負傷し、ヴェルギリウスは、血に染まったまま意識を失った。
要塞の地下、灯火も届かぬ暗闇の中で、治療が始まる。
その脈がかすかにでも続いている限り——希望は、死なない。