転生した異世界が主人公が産まれる2000年前だった   作:yumui

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王庭アンヘル

燃え盛る森の残骸が、乾いた風に揺れていた。

エルフの里――それは、かつて清らかな精霊の加護を受けた聖域だった。

 

しかし今、その地に命の気配はない。木々は焼け爛れ、澄んだ泉は蒸発し、空には黒煙が立ち込めていた。王庭討伐隊がたどり着いたとき、そこに広がっていたのは、凄惨な地獄の光景だった。

 

「……遅かったのか」

 

ヴェルギリウスが呟く。彼の背後には、仲間たち――グリンリル、ルミナリエ、キーラ、そして気まずそうにうなだれるエイゲルズが立っていた。

 

そのとき、空から一筋の赤い光が降りてきた。ゆらゆらと揺れながら舞い降りるその姿は、まるで踊る羽衣のようだった。やがて、炎の中から現れたのは、一人の女だった。

 

赤い衣を纏い、白磁の肌を持つその女は、背中から大きな純白の翼を広げ、頭上には黄金の光輪を戴いていた。神の使徒を思わせるその姿に、誰もが息を呑んだ。

 

「王庭、アンヘル……」

アインが呟いた。

 

「初めまして、討伐隊の皆様。私はアンヘル。魔王に仕える者です」

 

その声は優しく、まるで天上の楽器の音色のようだった。だが、その言葉の内容はあまりにも冷酷だった。

 

「この地に棲まうエルフたちは、皆焼き尽くしました。彼らは美しく、純粋でしたが……命の役割を終えていたのです」

 

「ふざけるな……!」

 

グリンリルが竜槍を構える。しかしその動きより早く、アンヘルは空へと飛翔した。

 

「やめろ、グリンリル!」

 

ヴェルギリウスが叫ぶが、もう遅い。アンヘルの手が空にかざされると、眩い光が溢れ、灼熱の炎が天空から降り注いだ。

 

爆発と共に地面が揺れ、木々が燃え、空気が灼かれる。王庭討伐隊は各自身を翻してそれをかわすも、何人かの兵が熱波で倒れた。

 

「なんて威力だ……!」

 

ヴェルギリウスは目を凝らす。アンヘルは空中に浮かびながら、静かに告げた。

 

「私は、理に従って行動しています。人とは、魔族に蹂躙され、絶望するためにある。それが秩序です」

 

「その秩序を、俺がぶち壊す」ヴェルギリウスは剣を構える。「俺が魔族を倒す」

 

アンヘルの瞳が僅かに揺れる。

 

「……あなたが? 人であるあなたが? 魔王は、人間に倒されるようには設計されていないというのに」

 

「設計だと?」

 

「ふふ……あなたが知るには、まだ早いでしょう」

 

次の瞬間、アンヘルはその両手を開いた。そこから迸るのは、すべてを溶かす灼熱の太陽――いや、彼女自身が太陽の化身と化していた。

 

「構えろ!」

 

ヴェルギリウスの号令で討伐隊が散開する。ルミナリエの矢が飛び、グリンリルが槍を投げる。しかし、アンヘルの炎の翼がそれらを弾き飛ばした。

 

「無駄です」

 

空を舞い、輝くように火球を降らせるアンヘル。その力はまさに一国を滅ぼす神罰であった。

 

「だが――神罰だろうと、折れない!」

 

ヴェルギリウスが地を蹴る。灼熱の風を突き抜け、彼は空へ跳躍した。グラディウスが炎を裂き、アンヘルの片翼を掠める。

 

 

剣が閃く。しかし、アンヘルは退くことなく、逆にヴェルギリウスへ掌を向けた。巨大な火柱が爆ぜ、彼はその熱に焼かれながらも突進を止めない。

 

「どうして、そこまで……人間のために……」

 

「俺は人間だからだ!」

 

ヴェルギリウスの剣が再び閃く。アンヘルの胸元を貫く寸前、彼女は辛うじて後退し、炎の幕で身を包む。

 

「……なるほど。あなたには……可能性があるのかもしれません」

 

その言葉を残し、アンヘルは翼を広げ、空へと舞い上がった。

 

「覚えておきます、ヴェルギリウス。ですが、次は……」

 

一閃の光と共に、彼女の姿は大気に溶けていった。

静寂が戻る。燃える森の中、ヴェルギリウスは膝をつき、剣を地に突き立てた。

 

戦闘が終わり、赤い衣を翻して立ち去ろうとした彼女は、一枚の小さな紙片を風に任せるように落とした。地面にふわりと落ちたそれを、ヴェルギリウスが拾う。

 

焦げ跡の残る紙には、色鮮やかな場面が描かれていた。舞台の上、仮面をつけた男女が対峙し、剣を交える瞬間――。

 

「これ……俺の国の劇場で、最近よくやってる演目の一つだな……」

 

彼はそれを見て確信した。

 

「王国へ戻るぞ」

 

討伐隊の仲間たちが疲弊する中、ヴェルギリウスの目には再び炎が灯っていた。

 

王国に戻ると、都は戦乱の影響からか、かつての華やぎを失いつつあった。人々は日常を求め、劇場には多くの観客が詰めかけていた。

 

「この絵の場面……覚えがあるか?」

 

ヴェルギリウスは、王国随一の劇作家、ライニス・グレイに絵を見せた。ライニスはまだ三十代ながらその筆致は天才的で、最近では「氷の王と太陽の姫」の脚本で一躍時の人となっていた。

 

「おお、これは……!“背徳の剣舞”のラストシーンだよ。愛し合いながらも敵同士の運命を背負った二人が、最期の舞台で命を賭けて剣を交える……」

 

「この劇、いつやる?」

 

「実は今週末に再演を控えていたが、どうかしたのか?」

 

ヴェルギリウスは、ライニスを劇場の奥へと連れていき、事の顛末を語った。アンヘルの存在、その正体への疑念、そして劇を通して再び彼女を誘き寄せる計画を。

 

「つまり、アンヘルという女を劇の場面に惹かれて引き寄せたいということか。面白い……これはまるで、現実が劇を模倣し、劇が現実を変えるような話だ」

 

ライニスの目が輝いていた。

 

#

 

王都にほど近い劇場――そこは王国でも屈指の文化の拠点であり、貴族から平民まで様々な客層が連日詰めかける場所である。

 

 その夜、王都の劇場にはひときわ異様な緊張感が漂っていた。

 

 灯が落ち、幕が上がる。舞台には純白の衣を纏った美しい天使が現れる。敬虔な祈りを神に捧げ、天の掟を守り、正義の剣を掲げる天界上位の天使――その名を、アンヘルという。

 

 「あなたはあまりに人間を愛しすぎた」と神の声が舞台を震わせる。

 

 天使アンヘルは、人間に対する哀れみと愛情を咎められ、天界から堕とされる。翼は焦げ、光輪は砕け、地上に投げ出された彼女は、無垢なる少女の姿に戻っていた。

 

 ――神に見放され、力を失った天使は、なおも人を救おうとする。

 

 舞台の演者たちは、光と闇の交錯を見事に演じきっていた。だがその中に、ひときわ静かに、観客席の最前列で舞台を見上げる一人の“娘”がいた。

 

 栗色の髪、質素な田舎風のワンピース、土のついた草履。田舎娘にしては身のこなしが妙に洗練されており、その顔立ちは舞台にいる女優にも劣らぬ美しさ。なにより、目が燃えるように赤かった。

 

 ――アンヘル。

 

 かつて天界の熾天使であり、今は王庭の魔族となった存在。彼女が人間の劇に潜り込むとは、誰も思わなかっただろう。いや、彼女自身が思っていなかった。

 

 「こんなに……覚えていてくれたなんて」

 

 彼女の視線は舞台の一場面に釘づけだった。

 

 舞台では、天から落とされたアンヘルが、闇の王――魔王と出会う場面に移る。

 

 魔王は彼女の傷ついた体を抱き起こし、口づける。その唇から、血が滴る。

 

 「お前の光は、もう天に属さぬ。ならば、我が血を与えよう。新しき王庭として生まれ変われ、地上の意思を背負う者として」

 

 天使は震え、そしてその血を受け入れる。

 

 「私の翼は焼かれた……ならば、地の炎を翼にしよう。神に背き、なおも人を愛し、魔の血を選ぶ。これが……私の道だ」

 

 劇場の静寂が破られたのは、その直後だった。

 

 「やはりいたな、アンヘル」

 

 声がした。舞台袖からではない。観客席の、数列後方――

 

 ヴェルギリウスだった。

 

 赤い髪に金の瞳。戦の英雄、王庭討伐隊の中心人物。彼は静かに客席を歩きながら言った。

 

 「変装が下手すぎる。こんな劇に、田舎娘が一人で観に来るなんて不自然だろ」

 

 観客がざわめき始める。舞台の演者たちは立ち止まり、緞帳の奥から討伐隊の面々が次々と姿を現す。

 

 アンヘルは、ほんのわずかだけ肩を落とした。

 

 「せめて最後まで観たかったわ……あの頃の私を、どこまで描いてくれるのか」

 

 「自分の伝説が、まだ人の心に残ってるのを確かめたかったのか?」

 

 「……ええ。あの劇作家、かなり調べたようね」

 

 アンヘルはそっと立ち上がる。変装の衣を脱ぎ捨てると、そこには燃えるような紅の衣と、片方だけ残った天使の翼が現れる。光輪が再びその頭上に浮かび、空気が震えた。

 

 「もういい。ここで終わりにしましょう、ヴェルギリウス」

 

 「そのつもりだ」

 

 彼が手を振り下ろすと同時に、王庭討伐隊が舞台へと跳び上がる。

 

 だが――戦場としては、劇場はあまりに狭すぎた。

 

 アンヘルは空を飛ぼうとするが、天井が低く羽ばたきに支障をきたす。彼女が最も得意とする飛行は展開できない。炎を纏おうにも、ここで使えば観客も舞台も灰になる。

 

 「……卑怯者」

 

 「戦いにルールはない。ここに来たのは、お前だ」

 

 ヴェルギリウスは跳びかかり、炎を回避しながら肉薄する。アンヘルは咄嗟に腕を振るい、火柱を蹴り上げるが、炎は天井を焼くだけで、討伐隊には当たらない。

 

 彼女が一瞬目を逸らした隙に、ルミナリエの矢が肩を貫いた。

 

 ヴェルギリウスの剣が、首筋に届く。

 

 アンヘルの瞳が、かつての舞台の一場面に重なる。血を啜った自分が、天に背いて人を守った記憶。

 

 「私が信じた地上は……まだ、どこかにあるのかしら」

 

 呟いたその瞬間、彼女の身体は討伐隊の連撃に沈んだ。

 

 血が流れ、赤い衣が焼け焦げる。

 

 「……終わったか」

 

 ヴェルギリウスが剣を納めたとき、観客の一部が恐る恐る立ち上がり、息を飲んで舞台を見つめていた。

 

 そこには倒れ伏す元天使の姿と、彼女が心奪われた劇の最後の場面が、まだ幕を下ろさぬまま残っていた。

 

 幕は閉じられなかった。

 

 誰もが、彼女の過去と、罪と、そして哀しみを知ってしまったからだ。

 

 静寂の中、誰かがぽつりと呟いた。

 

 「あれが……アンヘルだったのか」

 

 ヴェルギリウスは劇場を見渡した。

 

 「彼女は、ただ人でいたかったんだ。天でも魔でもなく……ただ、人間の文化に惹かれた、一人の観客だった」

 

 誰も言葉を返せなかった。

 

 こうして、ひとりの堕天使の生涯は、劇場という場所で静かに幕を閉じた。

 

#

 

灰となった大樹の根元に、ルミナリエは膝をついていた。彼女の白銀の髪は煤で黒く染まり、潤んだ瞳は揺れる炎の残像を映していた。かつて木々がさざめき、精霊が踊っていた場所には、もう何もなかった。

 

生き残ったエルフたちはわずか数十人。その一人ひとりが、慣れ親しんだ森を失い、家族や仲間を喪い、言葉を失っていた。

 

 その場に立っていたヴェルギリウスは、口を開くべき言葉を探していた。

 

「……酷いな」

 

 ようやく絞り出された言葉に、ルミナリエがかすかに首を振った。

 

「私たちは……覚悟していた。王庭が来た時点で、森は終わると。でも、やっぱり、現実になると……こんなにも……」

 

 彼女の声は震えていた。

 

 

「生き残った者がいる。それだけでも、奇跡だと思っていい」

 

 ヴェルギリウスの言葉に、ルミナリエがかすかに目を上げた。

 

「……でも、これから、私たちは……どこに行けば……」

 

 その問いに、彼は迷わず答えた。

 

「俺の王国に来い。ルミナリエ、お前たちの居場所を、俺が作る」

 

 エルフたちは、一斉に彼を見つめた。人間の王国に行けと? 異なる種族、文化、言語。人間の中には未だにエルフを異端視する者もいる。だが、ヴェルギリウスの瞳には嘘もためらいもなかった。燃えるような金の瞳が、彼女たちの胸の内の闇を払い、希望を灯すように光っていた。

 

「俺の国は、まだ完成していない。だが、だからこそ、誰の手でも加えられる。ドワーフも、獣人も、エルフも、等しく生きられる国を──俺は作る」

 

「……それは、夢のような話よ。私たちは森の民。石の街も、鋼の家も、知らない」

 

「なら、森を作ればいい。お前たちが生きるための森を、王国の中に。魔法でも技術でも何でも使って、俺たちはやれる。──そう信じさせてくれ。アンヘルに勝っただけじゃ意味がない。失われたものを、取り戻す。それが、俺たちの戦いだ」

 

 沈黙が訪れた。

 

 風が、焦げた葉をさらって吹き抜ける。空はようやく晴れ始めていた。

 

 やがて、ルミナリエが立ち上がった。表情にはまだ哀しみの影が残るが、瞳には確かな力が宿っていた。

 

「……王よ、ならば私たちは、あなたの王国へ参りましょう。生き残るためにではなく、生きるために」

 

 その言葉に、エルフたちもまた、立ち上がる。

 

 ヴェルギリウスは深く頷き、空を見上げた。雲の切れ間から、光が差し込んでいた。焦げた大地を照らすその光は、まるで、次の時代を告げる祝福のようだった。

 

 

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