転生した異世界が主人公が産まれる2000年前だった 作:yumui
戦の終わりは、静寂とともに訪れた。
かつて燃え上がった戦火は今や風に消え、かつて荒れ果てた大地には、緑が芽吹きはじめていた。
ヴェルギリウスの王国――その王都は、今やかつてないほどの活気に包まれている。
商人たちは北から南へ、東から西へと行き交い、交易が盛んに行われた。
かつて魔族の脅威に怯えていた人々は、今では晴れやかな笑みを浮かべ、家族の未来を語る。
兵たちは槍を鍬に変え、崩れた家々を直し、土地を耕し、祝宴の準備を進めている。
「まるで夢のようだな……」
王城の高台から町を眺めながら、ヴェルギリウスは呟いた。
彼の赤髪は陽光を受けて燃えるように輝き、その金の瞳は、かつて見た地獄とは真逆の、平和の景色を映していた。
「夢じゃないさ、俺たちが勝ち取った現実だ」
後ろから声をかけたのは、旅装束のエイゲルズだった。
その隣には、槍を背にしたキーラの姿もある。
「修行の旅に出るんだろ?」
「ああ」エイゲルズが頷いた。「まだまだ俺は未熟だ。もっと強くならなきゃ……そう思ったんだ」
「私もね。力だけじゃなく、生き方を学びたい」キーラが穏やかに笑う。
ヴェルギリウスは二人の目を見つめ、静かに頷いた。
「……行ってこい。だが、いつでも帰ってこい。ここはお前たちの国だ」
エイゲルズが拳を突き出し、ヴェルギリウスもそれを拳で応えた。
キーラは笑いながらも、目元に光るものを宿し、踵を返した。
その背を見送りながら、ヴェルギリウスは王都の森を見やった。
そこには、かつて滅びかけたエルフの里の生き残りたち――わずか数十人のエルフたちが、静かに暮らしている。
緑と調和する彼らの生活は、王国の森をさらに美しく彩っていた。
「彼らがいてくれるだけで、この森が息づいているように感じる」
そう語ったのは、王妃パルテニアスだった。
彼女の腹はほんのわずかに膨らみ、優しく撫でる手がその存在を物語っていた。
「……子供ができたの」
ヴェルギリウスは息を呑んだ。
「……本当か?」
「うん、魔術師も確認してくれた。……あなたの子よ」
彼の金の瞳に、光が射し込んだ。
これまで命を懸けてきた戦いの中で、最も重く、最も温かい知らせだった。
ヴェルギリウスは震える手で、彼女の腹にそっと触れた。
「ありがとう……パルテニアス。俺は……もう失うものがないと思っていた。でも……こんなにも、大切なものができた」
「それは私の台詞よ」
パルテニアスが微笑み、彼の手を握った。
「あなたと生きて、この国で子供を育てられる。それが、どれほどの奇跡か……」
ヴェルギリウスは静かに、彼女を抱きしめた。
ドワーフの国では、女王グリンリルが復興の指揮を執っていた。
瓦礫と化した地下都市は、鍛冶の火とともに再び息を吹き返し、坑道には歌声が響く。
彼女は男勝りな性格ながらも、誰よりも民を気遣い、誰よりも先に鎚を振るった。
「さすがだな、グリンリル」
訪れたヴェルギリウスに、彼女は鎚を止めずに答えた。
「国を壊された女王が、王に甘えてちゃ示しがつかんだろ? あたしは……ドワーフとして、やるべきことをやってるだけさ」
ヴェルギリウスはその背に、かつての戦場の姿を思い出していた。
誰もが諦めかけたあの戦いで、彼女は最後まで立ち、共に魔王に挑んだ仲間だった。
一方、獣人の国も復興の兆しを見せていた。
獣人の王の尽力により、かつて戦火に呑まれた里には仮設の住居が立ち並び、子供たちが駆け回っていた。
彼の頬には大きな傷跡が残っていたが、それを誇りとして隠すことはなかった。
「俺たちはまた狩りをし、飯を食い、寝て笑う。それがあれば、国は滅びやしねぇ」
そう笑った彼の背後には、救い出された彼の家族が、誇らしげに立っていた。
各地の国々がそれぞれの復興を進める中で、王都の中心には新たな広場が作られていた。
そこには、王庭討伐隊の石像が建てられ、人々が花を供え、語り合い、祈りを捧げていた。
ヴェルギリウスはその像を見上げながら、仲間たちの顔を思い出していた。
アンジェラ――かつて紫のドラゴンとして出会い、自分を変えた存在。
彼女は旅に出ていまだ姿を見せぬが、どこかで見守ってくれている気がしていた。
「……俺は、ここまで来たぞ」
王としてではない、一人の男として。
ヴェルギリウスは心の奥でそう呟き、空を仰いだ。
空は澄み、どこまでも青く、未来へと続いていた。
そして、王国にはまた、新たな物語が芽吹いていく。
戦いの果てに見つけた、この平和という宝を、次の世代に渡すために。
――ヴェルギリウスは歩き出した。
我が子が生まれる、その日のために。
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夜は静かに更けていた。王都の空には無数の星が瞬き、穏やかな風が街の通りを撫でていた。だがその静寂は、突如として現れた光の裂け目によって破られた。
空に亀裂が生じ、そこから光り輝く存在たちが舞い降りてきた。羽を広げた天使たちは、優美で神々しい姿をしていたが、その眼差しは冷たく、何も映していなかった。彼らの降臨により王都の空が白く染まり、街は静けさを失っていく。
最初に起きたのは、空気の震えだった。次に光が溢れ、王都全体を包み込むように広がった。人々は戸惑い、混乱し、何が起きているのか分からないまま逃げ惑った。光は街路を照らし、家々の影を伸ばし、やがて王都を変貌させていった。
ヴェルギリウスは異変を察知し、すぐに武具を手に取り外へ飛び出した。空から降る光の柱、逃げる民、そして彼方に浮かぶ羽を持つ者たち。その光景はあまりに異質で、現実とは思えなかった。
「天使……? なぜ……」
王国の繁栄を守ってきた彼にとって、その存在は本来、畏敬と憧れの象徴であった。だが今、彼らは人々に背を向けている。王都を包む光の中、次々と人々が姿を消していく。
ヴェルギリウスは無我夢中で駆け出した。通りのあちこちで倒れ込んだ民に声をかけ、助け起こし、避難を促す。だが天使たちは容赦なく、その進路に立ち塞がる者を無力化していった。
「王宮へ……パルテニアス……!」
彼の思考はただひとつ、愛する者の安否だけだった。城門は開かれ、警護の兵たちはすでに応戦していたが、どこかに希望を感じられる様子はなかった。
ヴェルギリウスは幾度となく天使たちの前に立ち、語りかけ、対話を試みた。だが彼らに言葉は通じず、まるで決められた使命をただ遂行する機械のようであった。
満身創痍となりながらも、彼はついに宮殿の門へと辿り着いた。かつては栄華の象徴であった白き大理石の建物は、いまや静寂と陰に包まれていた。
「パルテニアス!」
王妃の私室へ駆け込んだその瞬間、ヴェルギリウスの胸を締めつける光景がそこにあった。薄暗い部屋の中、倒れ伏すパルテニアスが、床の上でか細い呼吸をしていた。
彼はそっと彼女の身体を抱き起こし、顔を近づけた。
「来てくれて……ありがとう……あなたの顔が……見られてよかった……」
「そんな……!」
「私の中には……あなたの子がいるの……その子はきっと……あなたのように、強く優しく……生きて……」
涙が彼の頬を伝い落ちた。パルテニアスは微笑み、手を彼の頬に添える。
「私のこと……忘れないで……あなたのこと……愛してる……」
彼女のまぶたが静かに閉じられた。その瞬間、世界から音が消えたようだった。
ヴェルギリウスは、何も言葉にできなかった。腕の中の彼女はあまりに軽く、まるで夢の中の存在のようだった。彼の視界は涙で歪み、すべてが曖昧になっていった。
「……なぜだ……俺たちは……こんなに……守ろうとしたのに……」
外ではいまだ光が揺らめいていた。天使たちは任を終えたかのように空へと舞い戻っていく。その背に、彼はただ立ち尽くしていた。
王国の繁栄は儚くも崩れ去り、夜の静寂が再び街を包み込む。だが、その静けさはもう、誰にも安らぎをもたらすものではなかった。
#
王都は静寂に包まれていた。かつては喧騒と歓喜の響きが絶えなかった石畳の大路も、今では誰一人として歩く者はいない。かつての民の笑顔も、子供たちの遊ぶ声も、陽光に照らされた旗も、すべてが記憶の中の幻にすぎなかった。
ヴェルギリウスは荒れた野を一人歩いていた。ただ、無言で歩き続けていた。誰もいない大地を。何のために、どこへ向かうのか、自分でもわからなかった。
ある夕暮れ、丘の上にひとりの女が立っていた。黒紫のローブをまとい、大きなとんがり帽子をかぶった姿は、まるで童話に出てくる魔女のようだった。だが、彼女の目は澄みきっていて、暗闇に沈んだ魂のように深かった。
「はじめまして、王様」
彼女は微笑んだ。名乗りもせず、だがどこか懐かしいような声だった。
「……誰だ」
「私はユミス。“なりそこない”よ。魔王になりそこねた、ただの女」
ヴェルギリウスの足が止まる。その言葉にこめられた意味を、彼は即座に察した。
「……魔王、だと?」
「そう。あなたが倒したあの魔王は、成功した“器”。でも、私は途中で拒絶された。“神”に、ね」
ユミスは語り始めた。まるで童話を語るように。遠い宇宙の話を。
「この世界には、かつて遠い宇宙から来た存在がいるの。とても幼い精神を持った、無垢で気まぐれな神様。いまは月に住んでいるわ。私たちが『月』と呼んでいるあの場所。彼はただ、退屈だったのよ」
「……退屈?」
「そう。だから彼は、いろんな種族を作った。人間、エルフ、ドワーフ、獣人、魔族……すべて彼の創作物。おもちゃみたいなものね。そしてね、人間は、魔族に虐げられるために作られたの。絶対に勝てない、でも反抗はする。それを見て“神”は喜ぶの」
ヴェルギリウスの拳が握られる。
「だが、お前は魔王になりそこねたと……なぜ、それを俺に話す?」
「あなたは、例外だから。世界の法則を破った者。別の世界から来た魂を宿し、そして魔族を倒した。だから、王国は滅ぼされたのよ。あなたが“予定を壊した”から、神は怒った」
「……!」
「でもね、私は思ったの。このまま、また繰り返すだけの物語を何度も見るなんて、耐えられない。だから私は“拒絶”したの。神の導きを。だから“なりそこない”になった」
ユミスは手を差し出す。
「一緒に来ない? この世界を縛る神を殺しに。すべてを終わらせるために」
その手は白く、冷たく、だが確かな意志を持っていた。ヴェルギリウスはその手を見つめた。王としての使命も、民も、家族も、もう存在しない。だが、あの夜の炎、パルテニアスの最後の言葉が胸に残っていた。
このまま終わるのか? 世界が、何かの気まぐれで滅びていいのか?
彼はゆっくりと、その手を取った。
「……俺も終わらせたい。気まぐれな悪夢を」
夕日が沈む丘の上。ふたりの影が、ゆっくりと重なった。