転生した異世界が主人公が産まれる2000年前だった 作:yumui
長きに渡る戦の終息、王都の復興、外交の舵取り、民の生活保障、部族間の融和。
あまりに多くの責務が、ひとつの背にのしかかっていた。
その名は――ヴェルギリウス。
21の部族を束ね、鉄と魔術をもって王国を築いた若き王。
しかしその眼差しには、最近どこか深い疲れが見え隠れしていた。
「まったく、王なんてのは……忙しすぎるのよね」
傍らで、紫の鱗を纏った長身のドラゴン――アンジェラが言った。
今は人の姿をとっているが、その声はいつものように艶やかなオネエ言葉だった。
「ほんと、少しは休まなきゃハゲるわよ? 王様でも髪の毛は逃げていくんだから」
「……それは困る」
ヴェルギリウスは苦笑した。
その笑みにも、どこか影があるのをアンジェラは見逃さなかった。
「というわけで! 今日はこのアタシとちょっと遠出しちゃうわよ。
ねえ、覚えてる? 西の森の奥にある湖。子供の頃、母上と一緒に遊びに行ったって話、してくれたじゃない?」
「ああ……あそこか。久しく行ってないな」
「なら決まりよ。さあ、背中に乗りなさいな。今日は空でも飛んで、命の洗濯よ!」
ヴェルギリウスは何も言わず、笑みのままにアンジェラの背に乗った。
巨大な紫の翼が広がり、王と竜は空へと舞い上がる。
◇
西の森を超えた奥に、セリュリアの湖はあった。
周囲を緑に囲まれたその場所は、まるで時間の流れから隔絶されていた。
空はどこまでも青く、水面は鏡のように輝き、風がやわらかく草を揺らしていた。
「いい場所だ……やはり、ここは変わらんな」
「アンタの心も少しは軽くなった?」
「ああ、少しな」
「じゃあアタシは森のほうでベリーでも摘んでくるわ。王様は、そこでぼーっとしてなさいな!」
アンジェラはそう言い残し、森の奥へ姿を消した。
ヴェルギリウスは大きな岩に腰を下ろし、しばらくは風に身を任せていた。
気づけば、草の上に横になっていた。心地よい眠気がまぶたを重くする。
――その時だった。
湖のほとり、木々の間から、水音が聞こえてきた。
チャプ、チャプ……と、水を弾く音。
その音に誘われて顔を向けると、そこには一人の乙女の姿があった。
透き通るような白い肌。濡れた髪が背にまとわりつき、水面を歩くような優雅な所作。
彼女は、湖の水を浴びていた。
「……」
言葉を失い、ただ見とれていた。
だがやがて、彼女もこちらに気づき、驚くでもなく静かに微笑んだ。
「……どうかしら。覗きに来たわけではないのよね?」
「すまない。……本当に、偶然だった」
ヴェルギリウスは立ち上がり、軽く頭を下げた。
「君は……精霊か?」
「ふふ、違うわ。私は人間よ。名はパルテニアス。旅をしながら、癒しの魔術を施しているの。
この湖には疲れた心と身体を癒す力があると聞いて、立ち寄っただけよ」
「……旅の治療師か」
ヴェルギリウスの瞳が少しだけ和らぐ。
「それにしては……魔力の流れが洗練されている。かなりの腕前だな」
「ええ、一応ね。あなたの方こそ……まさか、ヴェルギリウス王?」
パルテニアスは目を細めて笑った。
「さすがに隠せないか」
「赤い髪に金の瞳。噂に違わぬ姿だわ。でも、王様がこんな静かな湖で寝そべってるなんて、少し可笑しいわね」
「……それだけ疲れてるということだ」
ヴェルギリウスは苦笑した。
「そう。じゃあ、王様。少しだけ、肩を貸してくれる?」
「……?」
パルテニアスは湖から上がり、簡素なローブを羽織って近づくと、柔らかな手を差し出した。
「治療じゃないわ。ただ、疲れた人に触れるのも、私の役目なの」
その手にヴェルギリウスは黙って腕を委ねた。
パルテニアスの指先が、彼のこわばった肩をそっと撫でるように動く。
その魔術は、熱くも冷たくもない。ただ、心を包むように優しく、温かかった。
「ずいぶん無理してたのね、あなた。体だけじゃない。心も……ずっと張りつめていたのね」
「……そうだな。だが、今は……少しだけ、楽だ」
「よかった」
二人の間に風が吹き抜け、木々が葉を揺らした。
鳥の声、水の音、そして微かな鼓動だけが、時を刻む。
◇
やがて、アンジェラが森から戻ってきた。
「んまあ! なんか甘い空気が漂ってると思ったら、女の子とお話ししてたのね!」
「彼女はパルテニアス。旅の治療師だそうだ」
「まあまあ、あたしはアンジェラ。こいつの……心臓の持ち主ってとこかしら?」
パルテニアスは目を見開いたが、すぐに笑った。
「そう……なら、心も一緒に動いているのね。素敵な契約だわ」
「ふふ、気に入った!」
三人は湖畔に並び、しばらくの間だけ、王でも竜でもない時間を過ごした。
それは、世界のすべてが休息を与えてくれるような、不思議なひとときだった。
◇
夕暮れが近づき、パルテニアスは荷をまとめた。
「じゃあ、私はこれで。まだ次の村で病人が待ってるの」
「名を、覚えておく。パルテニアス」
「覚えてくれたら、またどこかで会えるかもしれないわね。
でも……もしあなたが本当に疲れ果てたら、その時は呼んで。癒すために、必ず駆けつけるわ」
そう言って、彼女は微笑み、森の奥へと姿を消した。
ヴェルギリウスはしばらく黙って立ち尽くしていた。
「……恋しちゃった?」
「かもしれん」
「んまっ! じゃあ次は恋のご相談ね。王様、楽しみ増えたじゃない!」
湖に風が吹き抜ける。
王はそっと目を閉じ、また静かに歩き始めた。
その胸には、湖で出会った一人の旅人の記憶が、確かに残っていた。
#
王としての務めは、果てしなく続く。
外交、法、教育、魔術の発展……平和が訪れてなお、ヴェルギリウスの王座は重い。
だがその日々のなかに、たった一つ、確かに彼の心を救う時間があった。
それは――パルテニアスとの時間だった。
旅の治療師として各地を巡る彼女は、王都に滞在することは少なかったが、年に数度、数週間ほどヴェルギリウスのもとを訪れた。
最初は気遣いだった。だが今はもう、それ以上の想いがそこにあった。
王としてではなく、ただ一人の人としての、かけがえのない交友――
◇
「……このハーブは神経を鎮めるの。王様もお仕事で疲れた時、これをお茶にして飲むといいわ」
「ありがとう、パルテニアス。君の手当ては、本当に優しいな」
「ふふ。癒すのが、私の仕事だから」
彼女はそう言って笑い、ヴェルギリウスの頬を軽く突いた。
その夜、彼は珍しく眠りの中でうなされなかった。
◇
季節は巡る。人々は王都の平和を讃え、ヴェルギリウスの治世を「奇跡の時代」と呼ぶようになった。
だが、彼の心には一つの不安があった。
それは――時間だった。
母ライナは老衰で亡くなった。アンジェラは不老の存在。ヴェルギリウスもまた、竜の心臓を持ち、老いを知らない。
けれど、パルテニアスは違う。
彼女は人間だった。
その事実だけが、胸に重く沈んでいた。
◇
そして、ある春の日。王宮の裏庭に咲く桜のもとで、ヴェルギリウスは決意をした。
その日、彼は彼女を招いた。王としてではない、一人の男として。
「今日は王の顔はやめたの?」
「ああ。今日は……ただのヴェルギリウスとして、君に会いたかった」
パルテニアスは小さく首を傾げた。
「どうしたの? そんなに真剣な顔で」
「……俺は、君に……伝えたいことがある」
「うん」
「パルテニアス。俺は君を……愛している。共に時間を過ごしていく中で、それを確信した。
君が傍にいてくれることで、どれほど救われたかわからない」
彼女の目が静かに見つめ返す。
「だから……パルテニアス。俺と、結婚してほしい」
――一瞬、時間が止まったように感じた。
だが彼女は、そっと微笑んで、静かに言った。
「ヴェルギリウス……ありがとう。あなたの想い、とても嬉しい」
しかし――
「でも……私は、あなたの隣に立つには、あまりにも短い」
その言葉に、ヴェルギリウスの胸がしめつけられる。
「私は人間。あと数十年もすれば、この世を去る。あなたは違う。あなたは、永遠に生き続ける。
その差は、私たちの間にどうしても越えられない溝になるわ」
ヴェルギリウスは拳を握りしめた。
「俺は……それでもいい。今この瞬間、君と生きられるなら、それで――」
「ダメよ。そんなの、不公平。……でも」
「もし、私があなたと同じ時を生きられるのなら……私は、あなたの隣に立ってもいいと思っている」
「ドラゴンの心臓を持ってきて。あなたと契約を結んだ竜……アンジェラのように、私も心臓を取り込めば、永遠の命を得られるはず」
「パルテニアス……本気か?」
「ええ。あなたと生きるために、私は変わる覚悟を持って来たのよ」
「だが、それは……人としての命を失うことだ。食事も、睡眠も、きっと変わっていく。
心も、記憶も……永遠の時の中で歪む可能性すらある」
「それでも構わない。あなたの隣で、ずっと人を癒し続けたい。あなたと、未来を見つめたい」
ヴェルギリウスは彼女の瞳を見つめる。
そこには恐れはなかった。ただ、真っ直ぐな意思だけがあった。
「……わかった」
彼は静かにうなずいた。
「君の選んだ道を、俺が責任を持って守る。竜の心臓を必ず持ち帰る」
「ありがとう、ヴェルギリウス」