転生した異世界が主人公が産まれる2000年前だった   作:yumui

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湖の乙女

長きに渡る戦の終息、王都の復興、外交の舵取り、民の生活保障、部族間の融和。

あまりに多くの責務が、ひとつの背にのしかかっていた。

 

その名は――ヴェルギリウス。

 

21の部族を束ね、鉄と魔術をもって王国を築いた若き王。

しかしその眼差しには、最近どこか深い疲れが見え隠れしていた。

 

「まったく、王なんてのは……忙しすぎるのよね」

 

傍らで、紫の鱗を纏った長身のドラゴン――アンジェラが言った。

今は人の姿をとっているが、その声はいつものように艶やかなオネエ言葉だった。

 

「ほんと、少しは休まなきゃハゲるわよ? 王様でも髪の毛は逃げていくんだから」

 

「……それは困る」

 

ヴェルギリウスは苦笑した。

その笑みにも、どこか影があるのをアンジェラは見逃さなかった。

 

「というわけで! 今日はこのアタシとちょっと遠出しちゃうわよ。

ねえ、覚えてる? 西の森の奥にある湖。子供の頃、母上と一緒に遊びに行ったって話、してくれたじゃない?」

 

「ああ……あそこか。久しく行ってないな」

 

「なら決まりよ。さあ、背中に乗りなさいな。今日は空でも飛んで、命の洗濯よ!」

 

ヴェルギリウスは何も言わず、笑みのままにアンジェラの背に乗った。

巨大な紫の翼が広がり、王と竜は空へと舞い上がる。

 

 

西の森を超えた奥に、セリュリアの湖はあった。

 

周囲を緑に囲まれたその場所は、まるで時間の流れから隔絶されていた。

空はどこまでも青く、水面は鏡のように輝き、風がやわらかく草を揺らしていた。

 

「いい場所だ……やはり、ここは変わらんな」

 

「アンタの心も少しは軽くなった?」

 

「ああ、少しな」

 

「じゃあアタシは森のほうでベリーでも摘んでくるわ。王様は、そこでぼーっとしてなさいな!」

 

アンジェラはそう言い残し、森の奥へ姿を消した。

 

ヴェルギリウスは大きな岩に腰を下ろし、しばらくは風に身を任せていた。

気づけば、草の上に横になっていた。心地よい眠気がまぶたを重くする。

 

――その時だった。

 

湖のほとり、木々の間から、水音が聞こえてきた。

 

チャプ、チャプ……と、水を弾く音。

その音に誘われて顔を向けると、そこには一人の乙女の姿があった。

 

透き通るような白い肌。濡れた髪が背にまとわりつき、水面を歩くような優雅な所作。

彼女は、湖の水を浴びていた。

 

「……」

 

言葉を失い、ただ見とれていた。

 

だがやがて、彼女もこちらに気づき、驚くでもなく静かに微笑んだ。

 

「……どうかしら。覗きに来たわけではないのよね?」

 

「すまない。……本当に、偶然だった」

 

ヴェルギリウスは立ち上がり、軽く頭を下げた。

 

「君は……精霊か?」

 

「ふふ、違うわ。私は人間よ。名はパルテニアス。旅をしながら、癒しの魔術を施しているの。

この湖には疲れた心と身体を癒す力があると聞いて、立ち寄っただけよ」

 

「……旅の治療師か」

 

ヴェルギリウスの瞳が少しだけ和らぐ。

 

「それにしては……魔力の流れが洗練されている。かなりの腕前だな」

 

「ええ、一応ね。あなたの方こそ……まさか、ヴェルギリウス王?」

 

パルテニアスは目を細めて笑った。

 

「さすがに隠せないか」

 

「赤い髪に金の瞳。噂に違わぬ姿だわ。でも、王様がこんな静かな湖で寝そべってるなんて、少し可笑しいわね」

 

「……それだけ疲れてるということだ」

 

ヴェルギリウスは苦笑した。

 

「そう。じゃあ、王様。少しだけ、肩を貸してくれる?」

 

「……?」

 

パルテニアスは湖から上がり、簡素なローブを羽織って近づくと、柔らかな手を差し出した。

 

「治療じゃないわ。ただ、疲れた人に触れるのも、私の役目なの」

 

その手にヴェルギリウスは黙って腕を委ねた。

 

パルテニアスの指先が、彼のこわばった肩をそっと撫でるように動く。

 

その魔術は、熱くも冷たくもない。ただ、心を包むように優しく、温かかった。

 

「ずいぶん無理してたのね、あなた。体だけじゃない。心も……ずっと張りつめていたのね」

 

「……そうだな。だが、今は……少しだけ、楽だ」

 

「よかった」

 

二人の間に風が吹き抜け、木々が葉を揺らした。

鳥の声、水の音、そして微かな鼓動だけが、時を刻む。

 

 

やがて、アンジェラが森から戻ってきた。

 

「んまあ! なんか甘い空気が漂ってると思ったら、女の子とお話ししてたのね!」

 

「彼女はパルテニアス。旅の治療師だそうだ」

 

「まあまあ、あたしはアンジェラ。こいつの……心臓の持ち主ってとこかしら?」

 

パルテニアスは目を見開いたが、すぐに笑った。

 

「そう……なら、心も一緒に動いているのね。素敵な契約だわ」

 

「ふふ、気に入った!」

 

三人は湖畔に並び、しばらくの間だけ、王でも竜でもない時間を過ごした。

それは、世界のすべてが休息を与えてくれるような、不思議なひとときだった。

 

 

夕暮れが近づき、パルテニアスは荷をまとめた。

 

「じゃあ、私はこれで。まだ次の村で病人が待ってるの」

 

「名を、覚えておく。パルテニアス」

 

「覚えてくれたら、またどこかで会えるかもしれないわね。

でも……もしあなたが本当に疲れ果てたら、その時は呼んで。癒すために、必ず駆けつけるわ」

 

そう言って、彼女は微笑み、森の奥へと姿を消した。

 

ヴェルギリウスはしばらく黙って立ち尽くしていた。

 

「……恋しちゃった?」

 

「かもしれん」

 

「んまっ! じゃあ次は恋のご相談ね。王様、楽しみ増えたじゃない!」

 

湖に風が吹き抜ける。

 

王はそっと目を閉じ、また静かに歩き始めた。

その胸には、湖で出会った一人の旅人の記憶が、確かに残っていた。

 

#

 

王としての務めは、果てしなく続く。

外交、法、教育、魔術の発展……平和が訪れてなお、ヴェルギリウスの王座は重い。

だがその日々のなかに、たった一つ、確かに彼の心を救う時間があった。

 

それは――パルテニアスとの時間だった。

 

旅の治療師として各地を巡る彼女は、王都に滞在することは少なかったが、年に数度、数週間ほどヴェルギリウスのもとを訪れた。

最初は気遣いだった。だが今はもう、それ以上の想いがそこにあった。

 

王としてではなく、ただ一人の人としての、かけがえのない交友――

 

 

「……このハーブは神経を鎮めるの。王様もお仕事で疲れた時、これをお茶にして飲むといいわ」

 

「ありがとう、パルテニアス。君の手当ては、本当に優しいな」

 

「ふふ。癒すのが、私の仕事だから」

 

彼女はそう言って笑い、ヴェルギリウスの頬を軽く突いた。

 

その夜、彼は珍しく眠りの中でうなされなかった。

 

 

季節は巡る。人々は王都の平和を讃え、ヴェルギリウスの治世を「奇跡の時代」と呼ぶようになった。

 

だが、彼の心には一つの不安があった。

 

それは――時間だった。

 

母ライナは老衰で亡くなった。アンジェラは不老の存在。ヴェルギリウスもまた、竜の心臓を持ち、老いを知らない。

 

けれど、パルテニアスは違う。

彼女は人間だった。

 

その事実だけが、胸に重く沈んでいた。

 

 

そして、ある春の日。王宮の裏庭に咲く桜のもとで、ヴェルギリウスは決意をした。

 

その日、彼は彼女を招いた。王としてではない、一人の男として。

 

「今日は王の顔はやめたの?」

 

「ああ。今日は……ただのヴェルギリウスとして、君に会いたかった」

 

パルテニアスは小さく首を傾げた。

 

「どうしたの? そんなに真剣な顔で」

 

「……俺は、君に……伝えたいことがある」

 

「うん」

 

「パルテニアス。俺は君を……愛している。共に時間を過ごしていく中で、それを確信した。

君が傍にいてくれることで、どれほど救われたかわからない」

 

彼女の目が静かに見つめ返す。

 

「だから……パルテニアス。俺と、結婚してほしい」

 

――一瞬、時間が止まったように感じた。

 

だが彼女は、そっと微笑んで、静かに言った。

 

「ヴェルギリウス……ありがとう。あなたの想い、とても嬉しい」

 

しかし――

 

「でも……私は、あなたの隣に立つには、あまりにも短い」

 

その言葉に、ヴェルギリウスの胸がしめつけられる。

 

「私は人間。あと数十年もすれば、この世を去る。あなたは違う。あなたは、永遠に生き続ける。

その差は、私たちの間にどうしても越えられない溝になるわ」

 

ヴェルギリウスは拳を握りしめた。

 

「俺は……それでもいい。今この瞬間、君と生きられるなら、それで――」

 

「ダメよ。そんなの、不公平。……でも」

 

 

「もし、私があなたと同じ時を生きられるのなら……私は、あなたの隣に立ってもいいと思っている」

 

 

「ドラゴンの心臓を持ってきて。あなたと契約を結んだ竜……アンジェラのように、私も心臓を取り込めば、永遠の命を得られるはず」

 

「パルテニアス……本気か?」

 

「ええ。あなたと生きるために、私は変わる覚悟を持って来たのよ」

 

「だが、それは……人としての命を失うことだ。食事も、睡眠も、きっと変わっていく。

心も、記憶も……永遠の時の中で歪む可能性すらある」

 

「それでも構わない。あなたの隣で、ずっと人を癒し続けたい。あなたと、未来を見つめたい」

 

ヴェルギリウスは彼女の瞳を見つめる。

 

そこには恐れはなかった。ただ、真っ直ぐな意思だけがあった。

 

「……わかった」

 

彼は静かにうなずいた。

 

「君の選んだ道を、俺が責任を持って守る。竜の心臓を必ず持ち帰る」

 

「ありがとう、ヴェルギリウス」

 

 

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