転生した異世界が主人公が産まれる2000年前だった 作:yumui
王都から北西に三日――
世界の背骨とも呼ばれる山脈が、雲を裂くようにそびえ立っている。
その麓には、かつて鍛冶と鉱業の民として栄えたドワーフの王国があった。
だが、今ではその名も地図から消され、人々は「廃坑」と呼ぶ。
ヴェルギリウスはその地へと向かっていた。アンジェラの背に乗って――
「ふぅん、またドラゴンの噂? アタシがついてるんだから、一匹くらい余裕よ?」
赤紫の鱗をきらめかせながら空を裂くアンジェラの声に、ヴェルギリウスは笑みを浮かべた。
「そうだな。だが、今回は――ちょっと様子が違うかもしれない」
「ほぉん?」
「“水晶の鱗を持つ竜が、ドワーフの王を殺して玉座に座っている”。それが、俺が聞いた噂だ」
「水晶、ねぇ……聞いたことないわね。ま、行ってみればわかるでしょ」
山の近くまで来ると、ヴェルギリウスはアンジェラの背から降りた。
「俺は坑道に入る。お前は空で待っていてくれ」
「はいはい。もし変なのが来たら火の海にしておくわね~」
軽口を叩くアンジェラに手を振り、ヴェルギリウスはひび割れた岩肌に刻まれた古の扉を押し開いた。
中は、まるで死んだ世界だった。
かつて無数の灯がともっていたであろう坑道は、煤にまみれ、壁のランプはひび割れ、空気は鉄と血のにおいが混じっていた。
彼は静かに歩みを進める。足元に転がる金属片と、斧の柄の折れた残骸。
やがて、遠くから金属を叩く音が聞こえてきた。
それは、規則的な、強制されたリズム。
何かがおかしい――
◇
音を辿ってたどり着いたのは、小さな作業坑だった。
そこには数人の小柄な影が、巨大なハンマーを打ち続けていた。
「おい……!」
ヴェルギリウスが声をかけると、彼らは驚いたように振り返る。
その目には、警戒と恐怖――そして諦めが宿っていた。
「人間……? どうしてここに?」
一人の少女が前に出てきた。
身なりは煤けていたが、鋲打ちの革鎧と装飾された腰布から、ただ者ではないとわかる。
彼女は鋭い目でヴェルギリウスを睨んだ。
「お前、竜の手先か? それとも――」
「俺は王都の王、ヴェルギリウス。お前たちを助けに来た」
「……王?」
少女は目を見開いたあと、少しだけ顔をゆるめた。
「私はグリンリル。かつてのドワーフ王、ボルグの娘……この国の“王女”だ」
その言葉に、坑道の空気が変わった。
◇
王女・グリンリルは、かつての惨劇を語ってくれた。
「十年前だった……私たちは豊かに暮らしていた。地下深くに鉱脈が眠り、鍛冶も交易も盛んだった」
「だが、ある日――“あれ”が現れた」
“あれ”とは、水晶のような鱗を持つ竜。
その竜は突然、王宮に現れ、王である父を一撃で殺した。
「父の剣も、我らの精鋼も通じなかった。まるで……光すら弾く、呪われた鱗だった」
竜は王座を占拠し、坑道を制圧。住民の多くは奴隷として坑道に閉じ込められた。
「私たちは……ここで、死ぬのを待つだけだった」
グリンリルは悔しげに唇を噛みしめる。
「ヴェルギリウス……王よ。あれを殺せるのか?」
彼は静かに頷いた。
「俺にはドラゴンの心臓が必要なんだ」
◇
水晶竜――その名にふさわしく、その巨体は水晶に近い鱗で覆われていた。光を受けて硬質な輝きを放つその姿は、まさに神話の獣だった。ヴェルギリウスはその前に立ち、燃える魔剣グラディウスを握り締める。剣の炎が周囲の空気を歪める中、彼は静かに息を整えた。
「行くぞ……!」
掛け声とともに地を蹴り、炎の剣を一閃させる。その刃は竜の首元へ狙いを定め、炎を引き裂くように突き進む。しかし、硬質な水晶の鱗に触れた瞬間、甲高い音とともに弾き返された。ヴェルギリウスの手から魔剣が震え、腕に鈍い痛みが走る。
「っ……くそ、傷一つつかねえ……!」
歯を食いしばりながら、彼は再び斬りかかる。今度は足元を滑らせながら低く振りぬく。が、それも無意味だった。まるで刃がガラスを滑るように、竜の鱗は炎を寄せ付けなかった。
水晶竜が咆哮する。鋭く、耳をつんざくような音が洞窟内に反響し、空気が震える。竜が振るった尾が地面を叩きつけ、衝撃で大地が裂けた。ヴェルギリウスはとっさに身を翻すが、崩れ落ちる床に飲み込まれ、叫び声を上げる間もなく地の底へと落ちていった。
意識が遠のいていく中、彼は確かに一つの誓いを立てた。
(必ず……倒す……)
――次に目を覚ました時、ヴェルギリウスは仄かに光る洞窟の中に横たわっていた。岩肌に染み出す青い苔が、周囲を幻想的に照らしている。体を起こそうとしたその時、誰かが彼の肩を押さえた。
「無理に動くな。まだ落ちてきたばかりなんだから」
見上げると、そこには懐かしい顔があった。ドワーフの王女、グリンリルである。以前出会った時よりも少し痩せていたが、その瞳には変わらず強い意志の光が宿っていた。
「……グリンリル?」
「そう。あんた、また無茶な戦いやってたんだね」
彼女はヴェルギリウスを助け起こすと、岩に腰掛けさせ、水を差し出した。乾いた喉に水を流し込んでから、ヴェルギリウスはようやく状況を尋ねる。
「ここは……?」
「地下の深層だよ。地上の洞窟の下。ここには誰も来ない……来られない場所さ。普通はね」
彼女は小さく笑ってから、真剣な表情に変わる。
「ヴェルギリウス。あんた、水晶竜を倒したいんだろ?」
「ああ。だけど、グラディウスの刃ですら通じなかった。あの鱗を斬る手段がない……」
「あるよ。ここに、『竜槍』っていう武器が眠ってる。伝説級の槍さ。水晶竜の祖先を貫いたって言われてる。ドワーフたちが古代に打ったものだ」
ヴェルギリウスは目を見開いた。
「本当にそんなものが?」
「ある。でも、それが眠ってる地下湖にはとんでもないサーペントが住んでる。今まで誰も近づけなかったんだ。数多の戦士が……その怪物に喰われた」
静かな口調で、グリンリルは言葉を紡ぐ。その背中には長い年月の苦悩が刻まれていた。
「だから、あんたに頼みたい。あのサーペントを倒して。竜槍を手に入れて。あの水晶竜を……私たちの国の仇を討って」
ヴェルギリウスは頷いた。
「もちろんだ。サーペントが何であれ……俺が倒す」
彼の瞳は炎のように燃えていた。
――地下湖は不気味な静寂に包まれていた。水面は鏡のように静かだが、時折その下から泡が浮かび上がり、湖底に何かが潜んでいることを示している。
ヴェルギリウスはグラディウスを握りしめ、ゆっくりと足を進める。全神経を研ぎ澄ませ、周囲の気配を読む。すると、湖面が大きく波打ち、次の瞬間――巨大なサーペントが水を割って姿を現した。
全長はゆうに二十メートルを超え、甲羅のような鱗と鋭い牙を備えている。目が合った瞬間、ヴェルギリウスは咆哮を上げ、真っ向から突進した。
魔剣グラディウスが火の帯を引いて唸りを上げる。サーペントが吠え、牙を剥いて襲いかかる。炎と水、剣と牙が激突し、地下湖は戦場へと変貌した。
幾度も攻撃を交わし、傷つきながら、ヴェルギリウスは機を見て跳び上がり、サーペントの首筋に剣を突き立てた。炎が鱗を焼き、その隙にもう一撃。サーペントが苦悶の声を上げ、暴れる。
そしてついに、ヴェルギリウスはその口内へと飛び込み、喉元を内側から貫いた。絶叫とともにサーペントが崩れ落ち、湖は赤く染まった。
その屍の先に、光るものがあった。槍――否、竜槍。銀と黒の混ざった異質な輝きを放つその武器を、ヴェルギリウスは震える手で拾い上げた。
「……これが、竜槍……」
ヴェルギリウスは両手で槍を握りしめ、そっと引き抜いた。ずしりと重い感触。だがその刹那、彼の眉がわずかにひそめられた。
槍身に亀裂が走っている。
それも一本や二本ではない。まるで過去に幾度も無理に力を加えられたかのように、刃の根元から先端まで、無数の細かな亀裂が蜘蛛の巣のように広がっていた。
「……嘘、だろ……」
そばにいたグリンリルも、それを見て言葉を失った。
「まさか……壊れているの?」
「完全に、じゃない。でも、このままじゃ……」
試しにヴェルギリウスが槍を構えたその時、槍の刃先から一部がポロリと落ちた。欠けた破片が岩の上に転がる音が、やけに冷たく響いた。
グリンリルが口を覆う。
「竜槍は……もう何百年も放置されていたのよ。湖の霧と湿気で、きっと錆が内部に入り込んでたのね……」
「……このままじゃ、水晶竜には勝てない……」
ヴェルギリウスは槍を見下ろす。その槍は、確かにかつては英雄の武器だった。しかし今は、ただの記憶。かつての力はそこにはなかった。