異世界迷宮ちゃんは入り組み惑っている 作:yubeshiski
セリーは、パピルスで書かれた報告書を読むついでに、羊皮紙へ筆写した。
ロッジにてミチオ君が帝国解放会での入会式に参加している裏側での話だ。セリーは資料室で情報を調べるかたわら、ついでに転記のアルバイトをしていたのだった。
この異世界迷宮の世界には、パピルスと羊皮紙はあるが、
羊皮紙は長期の保存に向いているが、高価なので、雑事を書き留めるには不向きだ。
報告書のような用途ではほとんどがパピルスなのだろうが、折れやこすれに弱く、帝国の気候では
そのため、パピルスに記された重要な情報は、羊皮紙へ転記して保全する必要があるのだ。
ところで、昔の偉い学者さんには『鍛冶師がパーティーメンバーにいると腕力が上がる』という学説を唱えた者がいるという。
この学者さんは『鍛冶師がパーティにいるとき、ある階層の特定の魔物をスキル何回で倒せたか』という検証方法を取ったそうだ。
この検証、きちんとやろうとすると結構手間が掛かる。
例えば、仮説に対して次のような反証をざっと用意できる。
・魔物を倒すと強くなることがあるが(=レベルアップ)、その影響ですぐ倒せるようになったということはないか?
・他の戦闘で魔物がダメージを受けていて、偶然すぐ倒せたのではないか?
・スキルを使った者はだんだん疲れていくが、疲れの影響はないのか?
・その鍛冶師の熟練度は関係しないのか? 熟練度が低い鍛冶師と高い鍛冶師で違いはあるか?
具体的な事例を挙げる。
次の検証結果は、一見、鍛冶師の効果で戦士の腕力が上がったように見える。
・パーティが探索者+戦士+
戦士の〈ラッシュ〉
1階層のコボルトを倒した。
・パーティが探索者+戦士+
戦士の〈ラッシュ〉
1階層のコボルトを倒した。
しかし、考慮から漏れていることがある。
魔物を倒している途中で、戦士のLvが上がってしまう可能性だ。
この異世界迷宮の世界では、探索者以外にはレベルアップという概念がなくとも、「迷宮に潜る経験が多いほど強くなる」ことは知られている。
Lvが上がると攻撃力が上がり、倒せる回数が少なくなって根底条件がブレる。
具体的にはこんなかんじだ。
・パーティが探索者+戦士+村人のとき、
戦士
1階層のコボルトを倒した。
・コボルトを倒したことで戦士が
・パーティが探索者+戦士+鍛冶師のとき、
戦士
1階層のコボルトを倒した。
見てのとおり、鍛冶師の影響なのか、戦士のレベルアップが影響なのか、判断がつかなくなる。
反証とは、こういうことなのだ。
この反証をつぶすためには、再度村人で試してみたらいい。ラッシュ3回に戻るようなら、鍛冶師の効果だと言えるだろう。
このように、仮説を検証する際には、反証をしっかりつぶすような試験計画を立てることが肝要だ。
もちろん、件の学者さんもこのことは当然念頭に置いているはずだ。
なのでおそらくだが、件の学者さんはこんな試験計画を立てて実行したのではないだろうか。
・パーティに加えるジョブの種類:
鍛冶師A/鍛冶師B/村人/その他(獣戦士など)
・対象の魔物: コボルト
・対象の攻撃: 戦士の〈ラッシュ〉
・加えたジョブごとに、〈ラッシュ〉で続けて3回、魔物を倒す。
これを1クールとする。
・1日の戦闘は1クールまでとする。
・ジョブの順番は、
鍛冶師A→鍛冶師B→村人→その他
→その他→村人→鍛冶師B→鍛冶師A、
というように折り返して2回ずつ行う。
・この検証の間、参加するパーティメンバーは、検証以外では迷宮に入らない。
こんな風に検証シナリオを作成し、各テストケースの結果を記録する。
見てのとおり、変数が多くテストケースの件数が多いので、計画を立てるにも記録を書き留めるにも、ひと苦労だ。膨大な量の検証結果を記録する用途には、安価だが劣化が早いパピルスしか選択肢がないのだ。書き留めた記録の量が増えれば、そのぶん物理的なローデータの管理にも気を払う必要が出てくる。
学説を発表するときに、ローデータが抜け落ちているなんてことになったら、目を覆いたくなる。改ざんを疑われてしまうのだ。STAP細胞を忘れるな。
膨大な記録とその保全に苦闘した末に『鍛冶師がパーティメンバーにいると、腕力が有意に上がる』という結論を発表するに至るのである。
昔の学者さんは、実に根気強い。PCほしい人生だった。
* * *
〝学者〟のヤクブだ。
ヤクブは普段、住民窓口で苦情を聞く仕事をしている。騎士団で雇用されてはいるものの、その業務は騎士団から依頼しているのではなく、ヤクブ自身が嬉々として取り組んでいる。ヤクブは〝都市計画〟という研究をライフワークとしており、街に住む者の生きた声を傾聴することが大事なのじゃ、と常々言っていた。
呼び出しを行ったときには窓口にはおらず、街に出かけてフィールドワークをしていた。
ヤクブは、したり顔で笑みを浮かべながら、騎士団長に話しかけた。
「何も申さずとも、呼び出しの訳はおおよそ察しがついておるわい――
『今すぐ1回だけ千ナールをもらうのと、季節ごとにずっと百ナールをもらうのと、どっちがいい?』
――というアンケートを、貧富や治安の軸で集計した結果を知りたいのじゃろ?」
「何それ、おもしろそう。
や、とても興味はあるが、今回の用件は全く違うのだ」
「むう、そうかの……」
いかにもなかんじの老人は、〈
〈学者のジョブ取得条件〉
・エマーロ族である(種族固有ジョブ)
・旅亭Lv50以上
・学術論文を発表した経験がある
・発表した論文を50人以上に写本された経験がある
〈学者〉
・スキル:
インテリジェンスカード操作、
並列思考、遠話、
・効果:
知力大上昇、体力中上昇、器用中上昇、精神小上昇
旅亭の上位ジョブなので、〈遠話〉も使うことができる。
さっきは城砦の中にいなかったため、おばちゃん旅亭のハンナが〈遠話〉で街中に呼びかけて、城砦に戻るように伝え、急ぎ戻ってきたのだった。領都レグニツァの城壁内はだいたい1㎢ほどだ。それくらいであれば、どこにいても〈遠話〉は届く。
騎士団長は、リギを討伐するために多くの者をリギに入らせ、弱体化させたい旨を伝えた。
「領内の他の街の騎士団から、人手を借り受けることもやぶさかではないが――」
先の領主が迷宮で亡くなり、その長子のリッカルドが15歳で領主になったばかりだ。
先代の弟にあたる現領主の叔父ボニファシオは、自らが領主になるべきだったと言ってはばからない。同調する派閥の者も見え隠れしている。
弱みを見せることや、良くない借りをつくることは避けるべきだろう。
「――やはり多くの庶民をリギに誘導したいと考えている。
仮に探索者ギルドや冒険者ギルドで依頼を出すと、最近の依頼金額の傾向なども踏まえて、いかほどになるか概算を出してほしい。
期間はとりあえず90日。探索者パーティの場合は、フィールドウォークの移動はこちら持ちだ」
うむと答え、ヤクブは詠唱を始めた。
「
水が流れるように絶え間なく人の営みを記していけば、知恵に満ちた天の真理がそびえ立つように明らかになる、という意味だ。
学者の目の前に〈ドキュメント〉が現れた。
タブレットのように、黒い板に文字が表示されている。〈キャラクター再設定〉の画面とよく似ていた。
ヤクブ本人には見えているが、騎士団長など他の者には見えていない。その点も〈キャラクター再設定〉と同様だ。使用者本人にしか認識できないインターフェースなのだ。
〈ドキュメント操作〉
・オープンを詠唱すると、使用者にしか見えない記録用/閲覧用のインターフェースを表示する。
・オープン直後は、目次が表示され、シート名の一覧が確認できる。
・シートは任意にいくつでも作成できる。
・シートの形式や内容は、使用者が自由に決めて、頭の中で読み上げた内容を記入したり変更することができる。
・図も記入できる。頭の中でペンを動かすイメージ。
・シートの表示内容は、条件でフィルタをかけたり、日時でソートしたり、特定ワードで検索することができる。
・しばらく操作しないと自動的にクローズする。
・シートの内容は意図的に削除しない限り、クローズしたあとも永続的に保持される。
ヤクブは〈ドキュメント〉の目次の中から『探索者ギルドの求人』を選択した。
『探索者ギルドの求人』は、ずっと以前にヤクブが〈ドキュメント〉に新規作成したシートだ。
ヤクブは定期的にレグニツァの探索者ギルドに足を運び、壁に貼られている求人票をこのシートに転記して、継ぎ足していた。
シートの任意の箇所を選択しながら元票を読むと、転記することができる。複雑なオペレーションだが、〈並列思考〉を持つ〈学者〉ならなんてことはない。
〈ドキュメント〉の表示内容が『探索者ギルドの求人』に切り替わる。
古いぶんはいらんかのう、とつぶやくと、『直近半年』『迷宮への入場案件』を条件にして、表示内容を絞り込んだ。
<探索者ギルドの求人>
・条件:直近半年、迷宮への入場案件
:
xx91年 冬 1日 タルヌフ男爵の騎士団、Lv50以上の6人パーティ、ヘウムの迷宮への入場、1日につき420ナール、送迎なし
xx91年 冬30日 ネギルバ侯爵の騎士団、Lv50以上の6人パーティ、ノボガルトの迷宮への入場、1日につき350ナール、送迎なし
xx92年 春 5日 クストフ子爵の戦士団、Lv40以上の6人パーティ、ヴレスラウの迷宮への入場、1日につき350ナール、送迎なし
xx92年 春10日 クストフ子爵の戦士団、Lv40以上の6人パーティ、ヴレスラウの迷宮への入場、1日につき500ナール、送迎付き
xx92年 春15日 クストフ子爵の戦士団、Lv40以上の6人パーティ、ヴレスラウの迷宮への入場、1日につき750ナール、送迎付き
xx92年 春15日 カリシュ自治領の自警団、Lv35以上の6人パーティ、マルボルグの迷宮への入場、1日につき650ナール、送迎なし
xx92年 春25日 カリシュ自治領の自警団、Lv35以上の6人パーティ、マルボルグの迷宮への入場、1日につき850ナール、送迎付き
:
ヤクブは、絞り込んだ一覧をざっと眺めた。
入場案件は、迷宮攻略をテコ入れしたいときに使われる手段だ。
街の騎士団で事前に登録してもらう。入場する日は、迷宮の入り口前で受付係が記録を取る。退場の際に係が札を渡し、騎士団で換金してもらう。その迷宮で得たドロップなどの上がりは、そのままパーティの物となる。
冬の間は、レベルが高めのパーティであっても、1日350~420ナールの報酬で応募が確保できたらしい。1回の求人だけで終わっている。
しかし、春になったあとは、レベルが低めのLv35のパーティですら、1日850ナールを掛けないと応募が足りていないようだ。連続して求人があり、報酬は高騰している。
条件の絞り込みを変えて、1年前の同じ時期を見てみたところ、同様の傾向があった。
――なるほどのう。
冬の間は、雪が積もるので、陸路や水上の輸送の護衛案件もほとんどない。
当然農作業はないし、建築土木の作業も減る。
迷宮に入る以外の仕事がないので、迷宮入場案件は安くてもヒトが集まる。
春になれば、迷宮以外でも割のいい求人が増える。
雪解けのあとは、道や橋や水路などのインフラ復旧や補修案件は急務だ。割がいい。
また、実家が農家であれば春は繁忙期だ。手伝うため、一時的に迷宮稼業を休業することもあるだろう。
ヒトはそちらに流れて、迷宮入場に応募する数が減るので、謝礼や条件を上げないとヒトを確保できなくなる。
――そんなところかのう。
ヤクブは続けて、〈ドキュメント〉を『冒険者ギルドの求人』に切り替えて、同じように算定を進めた。
〈ドキュメント操作〉は、クジラの知性、とりわけ膨大な海洋地形を記憶したり理解する能力をヒトの有り様に転化させた、特異なスキルなのだ。
* * *
「――試算が終わったぞい。
冒険者の場合はの、ひとつのパーティにつき1日2千ナールという勘定じゃ。90日で……18万ナール。
探索者ならば1日850ナール。90日で……7万6千500ナールじゃの。
フィールドウォーク要員を騎士団ではなく別口で雇うとなれば、加えて9万ナールほど見ておかねばなるまいのう」
そうか、とひと呼吸おいて、ロレンツォは尋ねた。
「それぞれ12パーティを雇うとすると、いくらになる?」
「うむ。……216万ナールと、91万8千ナールじゃの」
出せないわけではないが、はいそうですか、と軽々にうなずける金額でもない。騎士団内での調整が必要だろう。
ヤクブは、ロレンツォの眉間に皴が寄ったのを見て見ぬふりをした。
しかし、リギとな……はて、何かあったような……。
思い当たることがあり、再び〈ドキュメント〉を〝検索〟したヤクブ。
ある記述を探し、そして見つけた。
ヤクブの瞳が、老人とは思えぬほどいたずら気に輝く。
「騎士団長殿や、ちとリギまで散歩に出てみぬか。
金策の妙案をお示しできるやもしれんぞい」
『迷宮ちゃん』をお読みいただき、ありがとうございます。
どこかで詳細を書くかもしれませんが、領都レグニツァの人口/収入/経費はこれくらいだと設定しています。
人口計 4000 人
人頭税計 47,520,000 ナール
雑収入 14,504,000 ナール
帝国への上納金 11,880,000 ナール(人頭税の25%)
騎士団人件費 21,000,000 ナール(騎士/専門職/雑務、人口の約5%にあたる計192人で算定)
領地運営費 10,000,000 ナール
残金 19,144,000 ナール → 人口0.5%にあたる20人の貴族への俸禄や交際費、予備費
本文の216万ナールは、残金1914万ナールの約1割に当たるので、出せないわけではないが、各方面と調整が必要そう、いう感覚になっています。
身代わりのミサンガは3~4万ナールだとセリーが言っており、その程度を出し渋るセルマー伯はどうなのかと思っていましたが、レグニツァ領の試算の数値をいろいろいじって検討したところ、騎士団の人件費が思ったより高くつく傾向になりました。もしかすると、セルマー領は騎士の人数が人口比に合わない多さのため、領地運営費などに回せる費用が少ないのかもしれません。
雇用した騎士を減給したり解雇するなどのコストカットができないのは、いかにもセルマー伯っぽい気がしました。