異世界迷宮ちゃんは入り組み惑っている 作:yubeshiski
あと、しれっと迷宮ちゃんの12階層の魔物をハットバットに変更しました。リアルタイムに読んでくださっているかたはご留意ください。
[2026/8/28] 誤字修正しました。ヨステ=ビートさん、ありがとうございます。
ベイルの迷宮は探索終了宣言が出ていないので、魔物がいる部屋が残っている、とロクサーヌは言った。
迷宮には罠と呼べるような仕掛けが2つほどある。
ひとつめは、宝箱。
床がふくれたような見てくれで、切り裂くと装備品や硬貨が出てくることがあるが、上層ではボス魔物が出てくることもあるという。
ふたつめは、魔物部屋。
一見何もない壁に手をつくと壁の中に引き込まれる。
その壁の中の小部屋には大量の魔物がおり、全て倒すまで出ることができない。
小部屋の中には魔物が湧く小部屋があり、その魔物はどこへも移動できないため、長い時間がたつと小部屋の中に大量の魔物が残る、と言われている。
その階層ギリギリのパーティが、魔物部屋に吸い込まれて大量の魔物を一度に相手をするのは、あまりにも危険だ。
なので、騎士団は迷宮の低階層だけでもフロアの魔物部屋全てを探し出し、掃討する努力をする。
マップを描き、階層を全て探索し終えて、魔物部屋の魔物を討伐したときに、その階層の探索終了宣言を出すのだ。
宣言を聞いた庶民は安心して迷宮に向かい、庶民が迷宮に入れば迷宮の活動は抑制されるので、管理する意味でも攻略する意味でも騎士団は助かる。
迷宮を討伐するための合理的な協力体制なのだ。
* * *
話は少しだけさかのぼる。
黒い木肌のセドレバの権利を競売に掛ける前に、レグニツァ騎士団はまず、ヒイラギ村の周辺の安全確保と動線確認を行なっていた。
具体的には、フィールドウォークでリギの迷宮の前に移動し、徒歩でヒイラギ村の迷宮まで下り、周辺のミノやスローラビットを討伐した。
数は多かったが、こういった魔物の対処に慣れている騎士団からすればセオリーがあり、お手の物だ。
迷宮外に出ている1階層の魔物は、攻撃を受けるまでヒトを襲わない。
2~3名で組を作り、魔物を前後で囲んでから、まずひとりが背後から槍で突く。
魔物がアクティブになって攻撃した者に向き直ったら、背後になった別の者が槍で突く。
すると、突いた者にヘイトが向いて振り返るので、また後ろの者が攻撃する、というのを繰り返すだけの簡単なお仕事です。
安全が確保できたら、次は動線確認だ。
村の全体像を歩いて把握しつつ、村を流れる川に沿って下って、ブラウゼ湖に流れ込んでいることを実際に視認した。これで、セドレバをリギの台地からヒイラギ村に降ろしたあと、川を使ってブラウゼ湖に運べることが確定した。川沿いに一部桟道を整備する必要はあるが、ヒイラギ村から5つの迷宮すべてに徒歩で通えることもはっきりした。
報告を受けたのみならず実際に足を運んで目視した騎士団長ロレンツォは、セドレバの観点でも迷宮の観点でも、ヒイラギ村の価値を見出したのだった。
セドレバの競売を画策するのと並行して、騎士団長は次に、5つの迷宮の低階層について重点的に探索を進めるよう指示した。
簡易的な地図の作成と魔物部屋の掃討を行うことで、これから迷宮に入る庶民が生き延びやすい環境を整えることが目的だ。
特に、最も入ってほしいリギの迷宮と、最も手軽に挑戦できるヒイラギ村の迷宮は、最優先だ。
リギの迷宮は、低階層の組み合わせが初心者に優しくないことで知られている。
1階層はミノ、2階層はニートアント、3階層はグリーンキャラピラーだ。
毒を喰らって動きが緩慢になったところに糸で拘束されるコンボ、糸で拘束されて動けないところに毒を喰らうコンボ、いずれも凶悪だ。
その2種ががっつり出現する3~5階層をスキップできるように、探索者ギルドから派遣してもらう迷宮前の案内人には、6階層までの案内を無料としてもらうことで話がついている。
そして、ヒイラギ村の迷宮の魔物の構成がやや手ごわいことも、攻略を進めてわかった。
1階層はスローラビット、2階層はニードルウッド、3階層はエスケープゴート。
フロア雑魚は問題ないが、1階層ボスのラピッドラビットはスピードがあり、3階層ボスのパーンは全体火魔法を使う。駆け出しの者にはいささか厳しい。
こちらも、4階層までの案内は無料としてもらうことを検討したほうが良いかもしれない。
ここからは、その〝ヒイラギ村の迷宮〟に初めて騎士団が入場したときの話だ。
もちろんヒイラギ村の迷宮とは、迷宮ちゃんのことだ。
* * *
迷宮ちゃんは緊張していた。
名前:ヒイラギ村の迷宮
性別:♀
年齢:18歳
種族:異界
種族特性:ダンジョンウォーク有効
階層:54階層(50階層)
ジョブ1:境界門 Lv2
スキル:境界接合、パーティ編成
効果:精神中上昇、MP小上昇、知力微上昇、階層微増
ジョブ2:迷宮 Lv50
スキル:階層紡ぎ
効果:精神小上昇、MP微上昇
ジョブ3:魔物溜まり Lv15
スキル:魔物湧き、転出
効果:体力中上昇、MP小上昇、知力微上昇
装備:
(装備破壊付与、クリティカル発生)
パーティメンバー:
リギの迷宮 境界門 Lv25
リギ手前の迷宮 境界門 Lv2
ブラウゼ湖の迷宮 境界門 Lv9
ニジマスの滝の迷宮 境界門 Lv2
50階層を積み重ねた立派な迷宮をこしらえ、ヒトを迎え撃つ魔物をたんまり生み出したのだ。
早く見てほしい、褒めてほしい、と強く願って
願い叶って、〝ヒイラギ村の迷宮〟と名付けられた迷宮ちゃんに、ついにヒトを迎え入れる日が来た。
騎士の一団は、大きなヒイラギの樹の下、迷宮ちゃんの入り口の前で打ち合わせをしていた。
年配のリーダー格の騎士が配下へ最終確認を行なっている。
6人で攻略をゴリゴリ進めるパーティをひとつと、3人で行動してフロアの地図を作成するパーティを3つ、不測の事態に備えて迷宮前で待機する残りの人員に分かれること。
小部屋に着くたびに戻ってきて、そこまでのマップを報告し取りまとめること。
魔物部屋はあとで6人パーティが対応するので、3人パーティは引き込まれないように壁に手をつかないこと、など。
打ち合わせの中で「ヒイラギ村の迷宮」という名前が呼ばれるたび、迷宮ちゃんはこそばゆい気持ちになった。もっと呼んでほしい。
「1階層なんて楽勝っすよ」と軽口を叩く若手のチャラ騎士に、「凡事徹底だ。1階層だからこそ気を引き締めるんだ」とたしなめる年配の騎士。
わたしにそんなに真面目に取り組んでくれるんだ、と嬉しい反面、謎の緊張が満ちてくる迷宮ちゃん。
プレッシャーを感じると逃げたくなる迷宮ちゃんだったが、あいにく〈異界〉は逃げられない。
中学の吹奏楽の大会の舞台袖で出番を待っているときのような、高校の受験のときのような、どうにもまな板の上の鯉のような心持ちだ。
褒められるどころではなく、気味悪がられたり、ばかにされたりしたらどうしよう、とマイナス思考も加速する。
呼吸は浅く速く、手汗がすごい、気がする。
異界には肺とか手とかは見当たらないので、気がするだけなのだが。
ようやく彼らが迷宮に足を踏み入れた。
入り口の小部屋で慎重に周囲を見渡す騎士たち。
迷宮ちゃんの心臓?はバクバクだ。喉?が渇く。
大丈夫かな? 問題ないかな? 汗くさいとか言われたらどうしよう?
リーダー格の騎士は短く指示を出し、小部屋から別々の通路に分かれていった。
騎士たちは、迷宮ちゃんを褒めなかったし、気味悪がったり、ばかにもしなかった。チャラ騎士ですら、少しの畏れと軽い緊張をまとっていた。
迷宮ちゃんは自分ひとりだけが浮ついていたことに気づき、急に恥ずかしくなった。
ややもすると、3人組の一団がスローラビットに遭遇した。
ひとりが魔物の背後に回り込み、囲んでヘイトを切り替えて、飛び掛かる隙を与えない。
ほどなく、スローラビットは煙と毛皮になった。
鮮やかなものだなあ、と迷宮ちゃんは感心した。
迷宮ちゃんにはスローラビットの視野も共有されているので、スローラビットが翻弄されていることがよくわかった。
槍で突かれた背後に振り返ろうとすると、その背後から別の槍で突かれる。
突かれた方に向き直ろうとすると、また背後から別の槍がうがつ。
連携がとれた3人組を相手に、1匹では太刀打ちできる気がしない。
しかし、2階層なら2匹。4階層なら3匹の魔物で迎え撃つことができる。
そこからはいい勝負に持ち込みたいなあ、と思った。
このとき迷宮ちゃんは自身の変化に気付いていなかったが、彼女はこの戦闘行為が全く怖くなかった。
人間だったときの彼女は、暴力沙汰はもちろんのこと、大きい声やけんか腰の物言いですら本当に苦手で、見ないふりをしたりその場から逃げたりしていた。
痛いことも過度に恐れており、体育のドッヂボールの授業は好きではなかった。
ボールを当てられそうになると目をつぶってしまう。教師は、目をつぶらずにボールをよく見なさいと言うが、無理なものは無理だった。
そのうちに、わざといちばんに当てられて早々に安全な外野に逃げるというスキームを見出したのは、迷宮ちゃんにしては上出来だ。
そんなチキンハート迷宮ちゃんが、戦闘から目を逸らさずに、怖がらずに成り行きを全て見届けている。大きな成長だった。
その成長の要因はいくつか挙げられる。
少し前まで、周囲を探ったりヒトを探すために〈魔物溜まり〉ジョブの〈転出〉スキルでスローラビットやハットバットを外の世界に出現させていた。
それらのほとんどはヒトに攻撃を受けて煙となって消えたのだが、攻撃を受けても迷宮ちゃんは痛みを感じなかった。魔物の痛覚は〈異界〉にはフィードバックされないのだ。
殴られても痛くないのであれば、怖がる意味は徐々になくなった。
また、この世界では、魔物が剣で斬られても傷ついたり手足を失ったりしない。ダメージが定量に至ると突然煙とともに消えてしまい、ドロップアイテムだけが残る。
この事象も、ゲームっぽい世界だな、じゃあ怖くないや、と思わせるひとつだった。
何より、〈異界〉という感情の起伏が穏やかな生き物に生まれ変わったこと、その〈異界〉にはまぶたがないことが、最も大きな要因だった。
〈異界〉の視覚器官は、迷宮内をあらゆる角度から全体的に捉えることを、常に継続している。まぶたを閉じることがないのだ。
たとえ怖くとも、目を逸らしたり目を閉じたりすることが物理的にできない。
〈異界〉は、自分が生み出した魔物の視野も常に見えている。
だから、スローラビットやハットバットがヒトに攻撃を受けても恐れを感じずに向かっていくのを、魔物の視点でずっと見ていた。
相対するヒトが怒気を帯びて暴力を振るってくる様子を、途切れなくずっと見ていたのだ。
ずっと見ているとわかることがある。
相手は一方的に強者なのではない。
ひるまず攻撃を行う魔物に対して、緊張したり、慌てふためいたり、および腰になったりもしていた。
怖いのはわたしだけじゃないんだ、と気づいた。
周囲の全てのヒトが自分より格上なのだと思い違いをしていたことに、迷宮ちゃんは気づいたのだった。
スローラビットが1匹倒されると、迷宮ちゃんはほんの少しだけ疲労感を覚えた。〈魔物溜まり〉ジョブの〈魔物湧き〉スキルでMPを少し消費したのだ。〈魔物湧き〉はアクティブスキルではなく、パッシブスキルだ。
しばらくタイムラグがあり、同じフロアの別の場所にスローラビットが生成され、うろつき始める。
フロアに存在できる魔物の数は、広さや階層に応じてだいたい決まっているようだった。
だから魔物の数が減った分だけ、〈魔物湧き〉で半自動的に補填されたのだ。
迷宮ちゃんは、この流れを以前から知っていた。
地上に入り口を開くずっと前から、階層を徘徊する魔物たちは消えることがある。
〈魔物湧き〉してからかなりの時間が経った魔物は、迷宮の中でふっと動きを止め、ややもすると煙になり消えてしまうのだ。
そして、魔物が消えると、ほんの少しの疲労感のあとに新たに魔物が生み出されるのだった。
迷宮ちゃんは何となく、古くなった血液が肝臓や脾臓で分解される働きみたいだなあ、と思っていた。
多くの白血球は寿命が短く、プログラムされた細胞死であるアポトーシスを起こし、マクロファージが食べて分解するという高校の生物の時間に習った働きを、迷宮ちゃんはかろうじて雰囲気で覚えていたのだ。
生物の先生、よかったね。
騎士団の探索は淡々と進む。
別々のパーティがほとんど同時に近いタイミングでそれぞれスローラビットを屠ったときに、それは起こった。
スローラビットが煙と消えて迷宮ちゃんが軽い疲労感を覚えたのはいつものことだが、魔物部屋と呼んでいる隔離された密室のひとつに出口が現れた。
初めての出来事で、あれっ?と思う迷宮ちゃん。
階層を徘徊する魔物には寿命らしきものや、広さに応じた数の制限らしきものがあるのだが、例外がある。それが、この魔物部屋だ。
迷宮の階層は、ほとんどが入り組んだ通路で構成されている。
その中にいくつか小部屋が散見されるのだが、基本的にはどの小部屋にも出入りらしき扉があり、魔物は入り込むことができない。
しかし、魔物部屋と呼んでいる特別な小部屋は、出入り口らしきものが見当たらず、そして何より部屋の中に魔物が生み出される。しかも、自然と消えることがない。
消えることがないのに変わらないペースで魔物は生み出されるので、魔物部屋の中は魔物でみっちみちになっている。
通路の魔物は生き生きと循環しているのだが、魔物部屋の魔物はほとんど動かず渋滞して詰まっているという、異様な場所だった。
開いた出口からから1匹のスローラビットが通路に躍り出ると、出口はすぐに塞がった。
ぴょんぴょんと徘徊し出す魔物部屋出身のスローラビット。
その様子を見て迷宮ちゃんは、魔物部屋は通路の魔物の数を一定に保つ働きのためにあるんだ、と理解した。
通路の魔物が屠られても、〈魔物湧き〉が間に合って、魔物の数が保たれているのであれば問題はない。
しかし、一気に魔物が倒された場合、〈魔物湧き〉では追いつかず、通路に必要な数に満たない状況が続いてしまう。
そういうときに備えて備蓄した魔物を、通路の魔物数が安定するように吐き出すのが魔物部屋なのだろう。
それ、知ってる。〝
* * *
中学生のときに担任の教師が、2週間ほど学校を休むから、とクラスに伝えた。
担任は、〝
あまりなじみがない〝胆のう〟という言葉だったり、そもそも手術をするということが生死を掛けた大ごとに思えてざわつく中学生たち。
安心させるためにも、胆のうの役割について担任は説明した。
肝臓という大事な臓器で、〝
その胆汁を貯めこんでおく場所が、胆のうだ。
消化の助けが必要なアブラっこいものを食べたりしたときに、胆のうは働く。
胆のうの中に溜め込んだ胆汁を、胃の続きにある十二指腸に少し押し出し、消化を助ける。
この胆のうの中に、結石と呼ばれる石ができて、入り口をふさいだりして痛くなることがある。
これが胆石症だ。
だから、結石が悪さをしないように、胆のうごと取ってしまうのが今回の手術だ。
胆のうを取ってしまっても、胆汁のことは心配しなくていい。
胆のうを取ったあと、肝臓からのパイプをそのまま十二指腸につなげるからだ。
貯めこむことはできないが、胆汁は引き続き十二指腸に流れこむ。
だから、胆のうは特に必要じゃない。なくてもいい臓器だ。だから安心だ。
そうなんだ、そういうものか、という空気の中、前の席のいじられ男子に向かって、強めの陽キャ男子が口を開いた。
「いなくてもいいって、おまえのことじゃん! 胆のう君じゃん!」
一応、言った男子も言われた男子も、普段から仲良さそうに過ごしている。
だから、いじめの関係性ではない。いじりの範疇だ。
クラスの大多数がそう思っていたから、どっと笑いが起こった。担任すら笑っている。
しかし、普段から周囲に目を向けてこなかった迷宮ちゃんには、全然笑えなかった。
えっ、いなくてもいいなんて、そんなひどいことを公然と言うの?
それをみんな笑っているの? 笑っていいことなの?
だからといって、迷宮ちゃんは意義を申し立てたり、注意をしたわけではない。
何もしなかったし、なんなら空気に流されて薄く笑いを浮かべ、クラスのひとりとして振る舞った。
いじられ男子がどんな表情をしていたのか、見ようともしなかった。
彼がひとりになったときに何を考えていたのか、考えようともしなかった。
普段からクラスメイトたちがどんな風に過ごしているのか、気にしていなかった。
目を背けていたことを、思い出したのだった。
* * *
何かがきしんだ音が聞こえた。
ふさがった魔物部屋の扉の音だったのか。
わたしは何を見ていなかったんだろう。
わたしは何を怖がっていたんだろう。
MPが減ったわけでもないのに少し沈んだ気持ちになった。
まあ、精鋭の6人パーティが1階層の魔物部屋のひとつをがっつり殲滅したので、それどころではなくなったのだが。
迷宮ちゃんは、わたしの胆汁が⋯⋯と慌てふためいたのだった。胆汁ちゃうで。
感傷の余韻に浸る余裕がなくなったのは、今の彼女には良かったかもしれない。