異世界迷宮ちゃんは入り組み惑っている 作:yubeshiski
ギルドに加入すると、装備品と腐る食材以外のドロップはギルドへのみ売却しなければならない、とビッカーは言った。
ミチオ君は〈ウサギの皮〉をビッカーに売ろうとしたときに、所属のギルドを確認された。
それぞれのギルド神殿で〈ジョブ設定〉の操作を使って対象者の転職が行われると、その直後に〈宣誓〉が発動する。そして、ほとんどのジョブの〈宣誓〉にはビッカーが言うような専売の制約が含まれている。
〈探索者〉であれば探索者ギルドに、〈冒険者〉であれば冒険者ギルドに、得たドロップを卸さなければならないということだ。
このドロップの売買益は、ギルドの収入源のひとつだ。
例えば、探索者ギルドが〈コボルトソルト〉を買うときは、4ナールだ。
逆に探索者ギルドが〈コボルトソルト〉を売るときは、20ナールとなる。*1
つまり、20 ― 4 = 16。
16ナールが探索者ギルドの儲けになるということだ。
〈宣誓〉を違えると、異世界迷宮の世界の〈
ミチオ君はギルドで転職していないため〈宣誓〉もしていない。彼がどこで売却しようとも〈盗賊〉に落ちないのは、そういう理由だ。
まあ、何事にも抜け道はあるわけで。
* * *
夏が過ぎ、夏の90日と秋の1日の間の休息日。
暦としては秋になったとはいえ、【ヒイラギ村】は標高が高いのでまだ太陽の日差しは強く、じりじりと肌を焼く。しかし湿度は低く、ひとたび木陰や山影に入ると涼やかな風を感じ、汗などすぐに引いてしまう。
夕方から日の出まではしっかりと気温が下がるため、季節の移ろいを知った広葉樹は徐々にその葉を山吹色へと変え始めた。
高地の春や夏の野花はにぎやかだが、秋の入りの花は鮮やかさとしとやかさを兼ね備えている。紫や白の星形の花や、薄い桃色のひらひらした花などが、谷あいのあちらこちらを穏やかに飾っていた。
それらを全て包み込むのが、秋の夕暮れだ。
日に日に早くなる日没、夏よりも薄くなった空。
雲はオレンジやピンクや水色の優しいグラデーションをまとい、遠くの山脈も空に溶けるように赤く霞んでいる。
連なった山々は近くなるほど濃くはっきりと赤みと陰影が際立ち、【ヒイラギ村】をはさむ渓谷の山肌は黄色く、緑をたたえた木々や芝生はオレンジに照らし出されていた。
多色の野花が風になびくと、風景にきらめきを添えたように思える。
【ヒイラギ村】は黄金の光に包まれていた。
秋の美しさもさることながら、【ヒイラギ村】は村と呼ぶのがはばかれるほど規模が大きくなっていた。
まず、インフラについて言及すると、予定通り幹線が整った。
谷底にある冒険者ギルドから台地の上の【リギの迷宮】に向かう登山道は早々に整備済みだったが、村の真ん中を流れる川に沿って下る【ブラウゼ湖】に至る道も開通していた。
川下の両岸が切り立った断崖になっているところが難所だった。春は雪解け水で川が増水していたため施工を避け、水量が落ち着いてくる夏の盛りから工事を始め、岩肌に穴を開け、木杭を打ち込む工程を繰り返し、
この工程でも〈戦士〉の
足場が安定しない中でも的を外さない威力の高い一撃を確実に繰り出す〈ラッシュ〉のおかげで、硬い岩盤を
工期を短縮できたら見合ったボーナスを景気よく支払ってきた【アルル商会】のネモの振る舞いが活きたことは間違いない。
【ブラウゼ湖】から【ヒイラギ村】にすんなり上がってこれるルートの確立は、【ヒイラギ村】の活性化に大きく貢献した。
湖に流れ込む河口近くに桟橋と船着き場をこしらえたことで、【領都レグニツァ】から船で運んできた資材を荷揚げして、【ヒイラギ村】に輸送することが可能となったのだ。
今までは〈フィールドウォーク〉では運ぶことができないような大きな物資は持ち込むことが難しかったが、乾燥した木材や建材、組み立て済みの大型工具などを持ち込めるようになったことで、村の建設はいっそうはかどるようになった。
ログハウスではなく乾燥した板を使った一般的な建築工法で建てられるようになり、そちらに慣れている大工たちの建築スピードは向上した。
他にも、組み立て直前の大型の水車のパーツを持ち込めたことにより、大寸法の水車小屋も2基増設できた。
始めに作った揚水目的の水車では人口増とともに水量が不足気味になっていたので、改めて安定供給できるようになったことは衛生面でも大きな効果があった。新たな水車小屋は揚水のみならず、
同じく〈フィールドウォーク〉では運ぶことができなかった牛馬を導入できたことも影響が大きい。
村よりも上流にあった木材の伐採跡地は畑や牧草地として開墾することにしており、【領都レグニツァ】の農夫ギルドで〈農夫〉を数十人も誘致していた。牛や馬の力を借りれば、切り株を引き抜くこともたやすいし、土地を耕すにも文字通り馬力が違う。
ヤギや羊も持ち込んだので、乳製品や食肉の生産も徐々に軌道に乗るはずだ。〈農夫〉たちによると、高低差がある地形は畜産に向いているらしい。夏は
もちろん、大型のものだけではなく、一応〈フィールドウォーク〉で運べるような小型のもの、例えば肉や野菜や小麦などの食材や、酒樽、古着や雑貨などが多くの量を持ち込めるようになったことも、【ヒイラギ村】で店を営む者からすると地味に喜ばしかった。
迷宮稼業の者たちの【ヒイラギ村】の訪問数も、【レグニツァ騎士団】や【アルル商会】の想定を上回っていた。5つ全ての迷宮に徒歩でアクセスできるようになったことは大きい。
谷底にある冒険者ギルドから【リギの迷宮】に向かう登山道は、〈探索者〉が通るのみならず、黒い木肌の【セドレバ】を伐採するための資材も荷車に載せて運べるように拡張された。台地に登り切ったあとの【リギの迷宮】への道、そこから下ったところにある【リギ手前の迷宮】への道も、見通し良く整備されている。
川沿いを下って湖に出る桟道が作られ、その先にある2つの迷宮、【ブラウゼ湖の迷宮】や【ニジマスの滝の迷宮】へも到達できるようになった。
混み合いを避けることができ、身の丈に合った相性の良い迷宮を選ぶことができる環境は、〈探索者〉にとって理想的であるのだ。
3つのギルドしかないという【ヒイラギ村】特有の環境も、マイナス要素ではなくむしろ魅力となっている一因だ。
探索者ギルドを始め、迷宮に入るジョブのギルドのほとんどでは転職時に、迷宮で得たドロップアイテムは所属ギルドで売却すると〈宣誓〉する。〈探索者〉であれば探索者ギルドに、〈僧侶〉であれば聖職ギルドに卸さなければならないということだ。
この制約を何度も違えていると、〈盗賊〉に落ちてしまうことがある。
しかし、〈宣誓〉の中に例外事項として〝最寄りの街にギルドがない場合は除く〟とある。
つまり、〈探索者〉であれば探索者ギルドに売り渡す必要があるが、この村には戦士ギルドはないので、〈戦士〉であればドロップアイテムをどのように扱ってもよいのだ。〈剣士〉でも〈商人〉でも〈獣戦士〉でも同様だ。
そして、【ヒイラギ村】ではドロップを欲している者も多い。
〈コボルトソルト〉や〈オリーブオイル〉などの食材であれば食堂はいつだって欲しいし、鍛冶職人なら〈ブランチ〉も〈鉄〉も欲しい。
〈探索者〉が探索者ギルドで〈コボルトソルト〉を売却すると4ナールにしかならない。
一方、食堂の店主が〈コボルトソルト〉を探索者ギルドで買うと20ナールも掛かる。
そこで誰かが考えついたことが、パーティのドロップを〈戦士〉が預かり、仲買人であるギルドを省いて、〈コボルトソルト〉を直接食堂に10ナールで卸すことだった。パーティはいつもより6ナール多く売ることができ、食堂の店主もいつもより10ナール得をする。
このスキームに初めに気づいたのは機転の利いた者だけだったが、広くない村なので、口コミであっという間に広まった。そして口コミは、村の中だけに留まらなかった。
迷宮稼業の者にとって良い環境の村であるという噂は、じわりと広く知れ渡っていった。そしてこの村へ足を運ぶ者が増えるという循環。口コミ大事。Google Mapで平均4.8の高評価の誘因力たるや。
村への流入人数は増加しており、1日に300から500人ほどの迷宮稼業の者たちが5つの迷宮に入るようになっていた。ざっくり、50パーティから80パーティほどだ。
それらを迎え入れる村には、大きめの宿屋が3軒、中小規模の宿屋は9軒、兼業もあるが酒場や食堂は25軒。大まかに勘定して400人が宿泊でき、500人の飲食をまかなえるキャパシティがあるのだ。
さらに、武器屋、防具屋、パン屋、肉屋、八百屋、酒屋、古着屋、雑貨屋、賭場、娼館などまで店を構えている。
それらを支えるために300人ほどが住民として【ヒイラギ村】に常駐していた。
300人のところに500人が来る。インバウンドすぎやろ。
偏りすぎて
街の成長に伴い、迷宮に入る者たちによる攻略も進んでいた。
迷宮の低階層の地図を配ったり冒険者ギルドに貼り出したりしていることもあって、【リギの迷宮】には最も多くの者が誘因されていた。
入り口で案内できる最高攻略階層は、64階層。
騎士団の精鋭はもう少し上の階層を攻略しているとのもっぱらの噂だ。
そこからもう少し下ったところにある【リギ手前の迷宮】も、早くから徒歩で通える迷宮だったため、攻略の進捗は良い。最高到達階層は、27階層だ。
湖まで下った先の【ブラウゼ湖の迷宮】と【ニジマスの滝の迷宮】は、桟道の開通にやや掛かったこともあり、攻略は1歩遅れている。19階層と14階層だ。
しかし、混み合いを避け、魔物との戦闘の回転を速めたい猛者たちからはむしろ注目を集めていた。
そして、我らが〝迷宮ちゃん〟たる【ヒイラギ村の迷宮】の最高到達階層は、43階層。いちばん近い迷宮ということもあり、【リギ】に次いで迷宮に入るヒトの数が多く、上層まで攻略が進んでいる。
他の迷宮でそろそろ上がるかと外に出てみたら意外とまだ陽は高かった、みたいなときに時間潰しに入るのにちょうど良かったりする。
また、昼間より夜間や早朝のほうが迷宮は空いているので、そういう時間帯を狙う者も一定数いる。その中でも徒歩で迷宮に向かう者にとっては、月明かりのない山道や川の脇の桟道は危険を伴う。夜目が利く猫人族であればいざしらず、闇夜を危なげに進むより、街ナカ3分のアクセスの良さは安心安全だ。
迷宮ちゃんは実に都合の良い迷宮なのだ。
ずっとずっと誰かに見てほしかった迷宮ちゃんは、大きな幸福感の中にいた。
もちろん、日でならすと数人は迷宮ちゃんの中で命を失うので、それらを自らの中に貯め込んでいるという本能的な満足感も大きい。
こんな風に、みんながわたしのところに来てくれるのって、なんだか懐かしいな。
* * *
迷宮ちゃんが経理として海産物加工の中小企業に入社して、2年目。
周囲のサポートもあり、不器用ながらも真面目に仕事に取り組んで業務知識と実経験を順調に積み重ねて、ひとりでもこなせる仕事が増えてきた。
そのうちに、他の部署の人からも話しかけられるようになった。
特定のひとりやふたりではない。いろんな人からだ。
仕事の相談がほとんどだが、挨拶やちょっとした雑談などもあったりする。
受け答えがズレていたり、キョドったりすることもあったが、若い女の子ということもあり「可愛らしいねえ」とお茶を濁して優しくしてくれることがほとんどだった。
人の顔と名前を覚えるのが苦手な迷宮ちゃんだったが、覚えようとがんばった。やりとりがあった人の社員名簿の脇には簡単にメモを加え、毎日見返していた。
いない者として扱われるどころか、話しかけてくれて、しかもわたしを頼ってくれる。
仕事って、働くって、嬉しいな!と思った。
迷宮ちゃんは知る
スピード勝負や即断即決が求められる現場では、事前の
本来は稟議のない請求書なんて経理では受け付けられないが、未払いなんてするわけにはいかないので、渋々対応することになったりする。
また、経費の立て替えが多く発生する部門なので、月締めで申請する経費精算をうっかり忘れて、翌月や翌々月にあわてて提出することもある。
しかし、経理からすると地味に大変なことで、確定報告済みの過去の月次決算をやり直す手間が重いのだ。過去の月を締め直すのか、あるいは今月の特別経費として処理するのか、修正仕訳の判断も迫られる嫌な案件だ。
経費の領収書を紛失してしまうなんてこともある。
そんなときは出金伝票だけで精算してほしいが、当然経理は税務調査で引っ掛かるリスクを懸念すると受け付けられない。
また、正直なところ賄賂な内容の物もあり、領収書があっても但し書きを「お品代」にしてもらっており、なんとか押し通したかったりもする。
経理課は基本的には「No」を言えない部門ではあるが、この会社の経理は
だが、新人ならどうか。
今はまだ権限はないが、いずれ承認権なども持つようになるだろう。
そして、彼女はお人好しで押しに弱い。
要するにチョロい。
少し先を見越して、都合の良い新人と仲良くしておこう、と目端の利く者は考えたのだった。
まあ、他人の思惑なんてどうでもいい。
このとき、迷宮ちゃんが多幸感に包まれていたのは、間違いなく事実なのだ。