_________「コンコン」
答えようとした時、店の入り口からノック音がした。その音は、静かな店内に不気味に響き渡る。
振り向くと、ステンドグラスにうっすらと人影が映っている。その輪郭は曖昧で、性別すら判別できない。
「コンコン。コンコン」
それは扉を叩くだけで、入ってくる素振りを見せない。ただひたすら、執拗に、扉を叩き続ける。
その単調な音が、僕の神経を逆撫でする。
鷹野さんは動かない。まるでそこに何もないかのように、静かに座っている。僕は無視をして彼に向き直った。しかし、太陽は違った。警戒心を露わに、低く「ウー…」と唸りだす。
その小さな体は、扉の方へ向かって、今にも飛びかかりそうなほど緊張している。
「コンコン。コンコン。コンコン」
ノックの音が、だんだんと速まり、まるで催促するかのようだ。
「……僕には、双子の弟がいます」
僕と瓜二つの弟。だが、僕たちは双子なのに、そっくりなのは外見だけだった。
大人しく、手のかからない兄。泣き虫で、目が離せない弟。
おもちゃさえ与えれば一人で静かにしている僕と、好奇心旺盛で騒がしい弟。
必然的に両親は、弟に付きっきりになっていた。
別に、性格が真逆だからといって、弟が嫌いなわけじゃなかった。たぶん、兄弟仲も悪くはなかったと思う。
___それでも、寂しくないわけじゃなかった。
胸の奥に、小さな澱のように溜まった感情が、ふつふつと湧き上がってくる。
今でもよく覚えている。
幼い僕が、お母さんの顔を伺って、控えめに引っ張った服の袖。お母さんは一度は気づいてくれたけれど、直後に弟が物を倒し、慌てて駆け寄っていった。その時のお母さんの焦った表情と、僕に背を向けた小さな背中が、脳裏に焼き付いている。
週末じゃないと遊ぶ時間が取れないお父さん。授業で書いた絵を小学校の先生に褒められて、見てもらいたくて、一緒に遊んで欲しくてお絵描き帳と色鉛筆を持って、声をかけた。けれど、同じタイミングで弟が庭先でお父さんを呼び、「また後で」と行ってしまう。その時の、お父さんの困ったような、でもどこか安堵したような顔が忘れられない。
色々と試行錯誤した。
もっと良い子になれば、もっと成績を上げれば、もっと親の期待に応えれば、と。その度に、僕に背を向けて立ち去る背中を見送った。
僕の苦手なことは、弟の得意なこと。僕の得意なことは、弟の苦手なこと。だから、明確な差をつけるために、得意なことに力を入れていっぱい頑張った。頑張って頑張って頑張って、でも結局、期待して求めていたものは返ってこなかった。
そして、いつの間にか両親を含め、周囲の評価が、優等生の兄とバカな弟になっていた。僕は「出来の良い兄」という仮面を被り、弟は「愛される弟」という役割を演じていた。
「それじゃあ、弟が君に呪いをかけたのかな?」
「いいえ。それは違います」
僕は首を振って否定する。それだけは絶対に、ありえない。
なぜなら、弟はよく分かっていたから。自分と他人は違うことを。誰しも得意不得意があり、それが人の尊重すべき個性なんだと。
双子の兄から似ても、弟は信じられないくらい嫉妬という言葉と縁遠い存在だった。むしろ僕の方が何倍も嫉妬深い。弟に対する、ほんのわずかな、しかし確かな嫉妬心が、僕の心の奥底に燻っていた。
だからこそ、僕が、弟がそうだから。
____その人はよく目についた。
「僕に呪いをかけたのは、僕の叔母です」
ノックの音が、まるで突然電源が切れたかのように、ピタリと止まった。
静寂が、店内に重くのしかかる。
◼︎ ◼︎ ◼︎
僕の母も双子だった。
母の双子の妹である叔母とは、頻繁に顔を合わせる間柄ではなかった。精々、お盆休みや、年末年始の親戚の集まりくらいしか会うことはなかった。
それでも、それだけで、十分だった。
僕にとって、叔母は常に不穏な影のような存在だった。
「理由は知りません。ただ、嫌われていることははっきりと分かっていました」
いや、嫌われているなんて生ぬるい。あの人の瞳には煮えたぎるような憎悪が渦巻いていた。その視線は、僕の皮膚をチリチリと焼くようだった。
記憶にある叔母は、いつも一歩引いたところで僕をじっと見つめていた。その冷たい視線は、僕の感情の奥底まで見透かされているような錯覚を覚えた。
けれど、なんとなく僕は、僕じゃなくて母を見ているんだなと思っていた。
きっと、叔母は自分と母を僕たちと重ねていたのだ。それも、表面上を。
あの人には中身など関係ない。
ただ僕が、「勉学が優秀な双子の兄」であり、弟が「勉学のできない弟」である事実だけで十分だったのだ。たったそれだけで、あの人は僕を呪ったのだ。
その浅薄な理由が、僕の心をさらに冷たくした。
「なぜ母ではなく、僕だったのか。その理由も皆目見当がつきませんが、……たぶん、どちらでも良かったんだと思います」
叔母にはもはや、僕と母の区別がついておらず、僕の知らないところでたまたま標的を僕にした決め手でもあったのだろう。
彼女の視界に映ったのが、たまたま僕だったという、なんとも呆れるほどの偶然で。
「___春希くん」
扉の向こうから、叔母の声が聞こえた。
その声は、先ほどまでの荒々しさとは打って変わって、甘ったるく、粘りつくような響きを帯びていた。
鷹野さんは動かない。その表情は、まるで感情のない人形のようだ。僕は無視をした。太陽は、扉から決して目を離さない。その体は、まだ微かに震えていた。
「春希くん。優子叔母さんよ。ねぇ、いるんでしょう?」
人影が、扉に縋りつくように問いかけてくる。
「開けて」「返事をして」「聞こえないの?」「ねぇ」「開けて」「どうして無視するの」「ねぇ」「入れて」「開けて」「開けろ」「ねぇねぇねぇ」「開けろ、開けろッ、アケロッ」
段々と口調が乱れていく。その声は、狂気じみた粘着質を帯びて、耳障りな音へと変わっていく。
扉を叩く音も、再び始まり、徐々に激しさを増していった。
「今回、君の叔母が行ったのはね、カースドール(Curse Doll)といってね。人形を相手に見立てて、針を刺したりして儀式を行うんだ。藁人形と違う点は、時間と場所の指定がないことくらいなものだ」
静かに僕の話を聞いていた鷹野さんが、脈絡もなく語り出す。その声は、落ち着いていながらも、どこか事務的な響きがあった。
依然として、扉の向こうは騒がしい。ドアが内側から叩き破られんばかりの勢いで、激しく震えている。
「本来、現世の人間が名を隠されたくらいでは、記憶喪失になることはあっても、狭間に迷い込むことはまずありえない」
狭間に入るには入り口を見つけるしかない。
見つけるとは、認識すること。
そこに存在していると意識に捕らえることだ。
鷹野さんはグッと僕の顔を覗き込むように近づいた。
その眼差しは、僕の心の奥底まで見透かすかのような鋭さだった。
「春希くん。君、視える人間だろう?」
鷹野は確信を持って、断言した。
その言葉に、僕は苦笑した。それが答えだった。
それは、僕がずっと心の奥底に隠し続けていた、もう一つの事実だった。
「はぁ」と、鷹野は心情を吐き捨てるようにため息を吐く。その表情には、呆れと、そして僅かな労いが混じっているように見えた。
そして、彼は近くの引き出しから、一体の人形を取り出す。
それはお世辞にも上手とは言い難い、雑な作りをした男の子の人形だった。赤い糸のツギハギが目立ち、所々に釘のような細い何かで刺されたのだろう、繊維を引きちぎったような穴が空き、中の詰め物が見え隠れしている。腹の辺りには大きく「小鳥遊春希」と油性ペンで書かれていて、その文字は、稚拙でありながら、呪いの意図をはっきりと示していた。
「ここ掘れワンワンよろしく、君の愛犬がどこかから見つけ出して持ってきたものだ。軽く中身を確認したら、ご丁寧に犬の毛が詰まっていたよ。もしかしたら君の髪の毛も入っているかも。いやぁ、すごい執念だね」
「そうですね。僕もそこまでするのかと驚いてます」
本当に。心底驚いている。叔母の近くにいた犬なんて、明白だ。僕が太陽を可愛がっていた事を知っていたはずなのにこの仕打ち。
けれどそれも、叔母さんらしいなとも思う。
無駄な嫉妬で、無駄な妬みで、無駄な悲観で、無駄な努力に固執する。
いい加減、気づけばいいのに。僕と叔母さんは、互いの片割れ以上に僕たちは似ているんだと。その共通点が、僕の心をさらに冷徹にする。
「それじゃあ、どうする?手っ取り早いのは呪詛返しだけど…」
「できるのならそれでお願いします」
「おおう…即答しちゃうのね。返したら死ぬって分かってるのに…ドライ過ぎてお兄さんちょっと引いてるよ」
元から叔母さんに同情なんてないのだから、冷たくても仕方ない。しかもこっちは被害者だし。僕の心は、もはや一点の曇りもなく、復讐へと傾いていた。
他の提案をしても、僕の選択は変わらないと察した鷹野さんは、人形を乱雑に掴み上げ、
「帰れ」
たった一言。
その声は、冷たい氷のように研ぎ澄まされ、閻魔大王が判決を下すように告げた。
瞬間、人形がぼっと音を立てて炎に包まれた。煤けた匂いが鼻を突き、炎が不気味な青色に揺らめく。
同時に、扉の向こうから耳をつんざくような凄まじい悲鳴が上がった。
悶え苦しんでいるのか、容赦なく扉が「ドンドンッ、ドンドンドンッ」と、木が軋む音を立てて激しく叩かれる。ガラス越しに炎が揺らめき、人影はやがて灰に帰るように端から崩れていった。
そのシルエットは、まるで砂で作られた城が崩れるかのように、脆く、儚い。人形も、燃え尽きた後は灰すら残ることはなかった。
ただ、焦げ付いたような匂いが、しばらく店内に残っていた。