「結局……さっきのアレは、なんだったんだ……?」
裏路地を駆けながら、スバルは顔を歪めていた。
ラインハルトが一瞬だけ見せた殺気は、ただの勘違いでは済まされないほど鋭利で、別れてから数十分が経った今も、背筋の震えは止まらなかった。
そして、その矛先がどこに向けられていたのかも明白だった。
「パンドラ……」
「どうされましたか?」
名を呼ばれた白い少女は、不思議そうに首を傾げる。無垢な瞳には悪意の影ひとつなく、それがかえって先ほどの出来事の異様さを際立たせていた。
ラインハルトの視線は、スバルへ向けられていたときとは違う。パンドラを認識した瞬間、空気は張り詰め、圧は鋭く変質した。
理由は分からない。隣を歩く儚げな少女が、あの化け物じみた剣士に敵意を向けられる理由など、スバルには想像もつかなかった。
だが…
「別に俺には関係無い話だよな…」
パンドラの存在はスバルにとって、とてつもなく特別な物だった。
突然異世界に放り込まれ、右も左も分からぬ中で、差し伸べられた救いの手。パンドラがいたからこそ、何度も繰り返す死のループの中で絶望に沈みきらずにいられた。
だから守る。死んでも守る。
もし仮に世界すべてが彼女の敵に回ったとしても、俺だけは味方であろうなどと、胸の奥で固く誓う。
そんな思考に、なんか今の俺ラノベの主人公みたいだな、なんて少し酔いながら歩を進めていたスバルは、気づけば貧民街へと入っていた。
やがて視界の先に目的地――盗品蔵の扉が見える。
「まだ明るい……これなら」
前回よりも早く到着できたことに、かすかな希望を見出しながら、スバルは拳で扉を叩いた。
―――――――――――――――――――――
「……つまりお主らは、フェルトの盗んでくるブツを買い取りたい、ってことか?」
「そうだ。それで、フェルトは今どこにいる?」
三周目でフェルトが口にしていた合言葉を用い、盗品蔵へ入り込んだスバルは、開口一番ロム爺に問いかけた。
衛兵を連れてくる作戦は潰えた。
ならば、別の道筋しかない。
――フェルトとロム爺を先に逃がし、貧民街の入口で銀髪の魔法少女に徽章を渡す。
その流れさえ実現すれば、全員が生き残り、怪物の暴走も防げるはず。スバルの描いた筋書きは、本人いわく「俺天才じゃね?」と自画自賛するほど完璧なものだったはずだった。
しかし――。
「フェルトなら今は街の方に出ておる。夕方になれば、ここへ戻って来るじゃろう」
「……そう簡単にもいかないか。分かった、待たせてもらう」
ロム爺の返答は、期待をあっさり裏切った。前回もフェルトが姿を現したのは夕方だった。都合よく事が運ぶほど、この世界は甘くない。
「それはええが……小僧。妙な身なりをしとるが、どうにも金持ちには見えん。フェルトが持ち帰る上物を、本当に買い取れるだけの銭はあるんか?」
「俺に金は無い! なにせこの街に来て一日しか経ってない、天下不滅の一文無しだからな!」
胸を張って堂々と宣言するスバル。その言葉に、ロム爺は額へ青筋を浮かべ、隣の少女――パンドラでさえ、呆れたように瞬きをした。
「ですが、スバル様。それではその徽章を買い取るのは難しいのでは?」
「ふっふっふっ、そうは問屋が卸さないぜ、マイガールフレンド! 世の中には物々交換って手がある! 俺が出すのは――これだ!」
得意げに叫ぶと、スバルは懐から携帯電話を取り出す。
「なんじゃい、その見たこともない道具は」
「まあ見てろ。――必殺、スバルフラッシュ!」
掲げた携帯のフラッシュが白く弾ける。ロム爺は驚愕し、思わず顔を逸らした。
「なにをすんじゃ、小僧! ワシを殺す気か!」
「まあまあ、落ち着けって。ほら、これ見てみろ」
スバルが画面を差し出すと、そこには先ほど撮ったばかりのロム爺とパンドラの姿が映っていた。
「これは……ワシと、小僧の連れの顔じゃな」
「そうだ! これは万物の時間を切り取り、凍結させる魔機――その名もケイタイだ!」
「ケイタイ……初めて聞きます。こんなものを持ってらしたのですね」
初めて見る写真に、ロム爺もパンドラも言葉を失った。驚きの色が濃く、視線は画面に釘付けとなる。
「つまり、お主はその“ミーティア”を徽章との交換に出したいって訳か」
「ミーティアって呼び名は知らんが……まあ、要はそういうことだ!」
「ミーティアとは、ゲートが開いてない物でも魔法を使える道具のことじゃ。もっとも、一つ一つで効果はまるで違う。その価値もまちまちらしいが……」
ロム爺の説明に、スバルはなるほどと感心する。だが同時に、胸中には価値が低いのではないかという一抹の不安が過ぎった。
「それで、このミーティアはいくらで売れるんだ?」
「流石のワシもミーティアを扱ったことはないが…じゃが、これほどの代物なら……これからフェルトが持ち帰る物よりは、価値が高いのは間違いないじゃろうな」
「マジか! よっしゃ!」
スバルは拳を握り、声を弾ませる。全員生存への計画に、ようやく一歩を踏み出せた。
そうして安堵に浸っているうちに、陽は傾き始め、やがて夕暮れ。盗品蔵のドアがまた叩かれた。
それまで酒をあおっていたロム爺が立ち上がり、扉へと向かう。低く刻むように声を響かせ、合言葉を口にした。
「大鼠に」
「毒」
「白鯨に」
「釣り針」
「我らが尊きドラゴン様に」
「クソッタレ」
その言葉を合図に、扉がきしみ、フェルトが姿を見せる。
「なんだよロム爺、こんな時間に客人か?」
不思議そうに眉をひそめるフェルトに、ロム爺は肩をすくめて答えた。
「いや、ワシに用があるんじゃない。フェルト、お主の客人じゃ。何でもお主が盗んできた物を買い取りたいらしい」
「ふーん……そうか。けどな、アタシが今日手に入れたこの徽章は、依頼主がとんでもない金を積むって話だ。にーちゃんとねーちゃん、見たところそんな大金は持ってねぇだろ。本当に買えんのか?」
鋭い視線がスバルを値踏みする。
それに対して口を開いたのはロム爺だった。
「それがのう、フェルト。こやつは取り引きに“ミーティア”を持ってきおった。ワシの見立てじゃ、聖銀貨二十枚は下らん代物じゃ」
「マジか! そりゃすげぇ!」
驚きに目を輝かせるフェルト。
無邪気に喜ぶその姿は、とても泥棒家業をしている少女とは思えず、年相応の子どもらしさが滲み出ていた。
だが――内心で誰よりも喜んでいたのはスバルだった。これで徽章を手に入れられる。あとはフェルトとロム爺を連れ出し、貧民街の入口で銀髪の魔法少女に徽章を渡せばいい。彼女が帰路につけば、殺されることもなく怪物も現れない。
これで全員生存、俺天才。
そんな風に浮かれかけたスバルは、勢い込んで口を開いた。
「よし、これで交渉成立! 今から四人で街に出て乾杯しようぜ!」
外に連れ出す。それだけが頭にあった。
だが――。
「なに言ってんだ、にーちゃん。交渉はこれからだろ?」
「……は?」
フェルトの言葉に、スバルは耳を疑った。同時に計画が軋みを上げる音が、心の奥で確かに響いた。
「当然だろ。にーちゃんは確かに銀貨二十枚以上の価値をつけた。それは分かった。けどな……」
フェルトは徽章を掲げて、挑むように笑う。
「アタシにはもうひとり、盗みを頼んだ依頼主がいるっていっただろ。もしにーちゃんの“ミーティア”を盾に交渉すりゃ、二十五枚、三十枚……それ以上ふんだくるのだって、夢じゃねぇ」
理屈としては正論。だがスバルの顔色は、一瞬で恐怖に染まった。
「やめろ! 欲張るのはやめとけ! 二十枚以上だって充分大金なんだろ? だったら、それで手を打っとけって!」
スバルの突然の叫びに、フェルトの目が丸くなる。
「急に怒鳴って、なんなんだよ……。安心しろよ。アタシが言ったのは“可能性”の話だ。それには二十枚以上の価値があんだから、これはほぼにーちゃんのもんになる。それでいいだろ?」
「そうじゃねぇ! そうじゃねぇんだよ! ……とにかく、このまま交渉するのは危険だ! お前が言うその相手は、めちゃくちゃ強い殺人鬼で……お前ら、殺されるかもしれねぇんだぞ!」
激情を隠しきれず、声を張り上げるスバル。その様子に、フェルトは顔を歪め、鋭い視線を突きつける。
「……なんでお前が、そんなこと知ってんだよ」
言葉を失い、やらかしたと絶望のスバルの頬がひきつる。そしてフェルトの口元に浮かぶのは、疑念を確信に変える冷たい笑み。
「語るに落ちてるぜ。――関係者だってな」
もし『死に戻り』があるから知っているだけだ、と言い張れればどれほど楽か。
だが、実際にその説明をしたとしても、信じてもらえる要素がない。
疑いの目を深めるフェルトにとって、もはやスバルの言葉は対案なくして信じられる価値はないのだろう。
こうなってはいっそ、力ずくで彼女から徽章を奪い取るしかないが。
「それには、こっちの筋肉ジジイが邪魔だ……」
「いいようにやられとるのぅ、小僧っ子。年下の小娘に情けない」
「あんたの手ほどきの所為だろ、これ。手強すぎて泣きそうだ」
暴力沙汰に持ち込めば、ロム爺に叩き伏せられるのがオチだ。そもそもそれだと2人の命は保証できない。となればスバルができる手段はただ1つ。
「フェルト、頼む……」
頭を下げて、誠心誠意に頼むことだけだった。
「お願いされてもダメだ。アンタを交渉相手としては認めるよ。でも、相手方の意見も聞かなきゃフェアじゃねーだろ? これの価値を話して、相応の対価を用意するなら話は別だけど」
問い詰める瞳には微塵の容赦も慈悲もない。
少女の双眸はスバルの態度から、真実を掴み取ろうと懸命な様子だ。だが、事実としてスバルを監視していても徽章の価値は知れない。
宝石のはめられた徽章、といった外観の内容しかスバルはわからず、フェルトの知識と大きな差はない。
故に、スバルはフェルトの求める答えを差し出すことはできないのだ。
「俺がそれを欲しがるのは……元の持ち主に返して、その子とお前たちを守りたいからだ」
「――は?」
だからポロリと、パンドラへの思いを除いた本音を全てこぼすのが、スバルの持てる誠意の全てだった。
「俺はそれを持ち主に返したい。それでお前たちを殺人鬼から守りたい。だから徽章を欲しがってる。それだけだ」
目を見開くフェルトとロム爺に対して、スバルは顔を上げて同じ言葉を告げる。紅の双眸が敵意をはらんで威嚇してくるが、スバルはそれを受け止めた上で押し黙っているしかできない。
悪ふざけをする余裕もなく、誠意を込めて膝をつき、頭を下げるだけだった。
「……フェルト。どうもこの小僧、嘘をついてるようには見えんが」
「ロム爺までほだされんなよ。嘘に決まってんだろ? 持ち主に返す? 大金まで払って盗んだ相手から買い戻してかよ?しかも見ず知らずの貧民街のガキのアタシ達を守る?馬鹿馬鹿しい。それなら衛兵のひとりでも連れてきて、アタシをとっ捕まえちまえばそれで済む話じゃねーか」
当然、最初はそれもスバルは考えはした、確かに衛兵を連れてきたが、泥棒家業なんてしていたフェルトとロム爺は捕まるかもしれないが、それでも死ぬよりはマシだと思っていた。
だが3周目では詰め所で簡単にあしらわれ、今回もなぜかラインハルトに敵意を向けられたことで事実上失敗してしまっていた以上、その手は使えない。
「つくならもっとマシな嘘をつけよ。真剣なふりしても騙されねーよ。そうじゃなきゃ、アタシは……そうさ。アタシは騙されない」
「フェルト……」
なにかを振り切るように、フェルトは絞るような掠れた声を出す。
気遣わしげなロム爺は彼女の胸中を知っているのか、その表情は痛ましげだ。
ただ、その頑なな態度がフェルトの心変わりを固く禁じているのがわかる。
つまり交渉は、失敗に終わったということだ。
「――誰だ」
ロム爺がその表情を変えて、盗品蔵の入口を睨んだのはそのときだ。
膝をつき、頭を下げていたスバルは交渉が決裂したショックで呆然としている中で、フェルトにより扉が開かれる。
すると
「……間違いだったらごめんなさい。ここに、私の徽章を盗んだ泥棒がいるって聞いたの」
柔らかな声色だった。とても大切な物を取り返しに来た者とは思えない言葉遣い。姿を現したのは、スバルにとって二度目の顔合わせとなる美しい、銀髪の魔法少女だった。
「なっ……アンタは……」
「あなたね! 私の徽章を盗んだのは!」
「……ホントに、しつけー女だな、アンタ」
フェルトが唇を噛みしめる。
対する魔法少女の声音は、次の瞬間には冷えきったものへと変わった。
「あれは、すごーく大事な物なの。大人しくしてくれるなら、痛い思いをせずに済むわ」
声と同時に、室内の空気が急速に冷え込んでいく。吐息が白くなるほどの寒気を肌で感じ取り、スバルは思わず身を震わせた。
だがその冷気が、むしろ彼の意識を現実へと引き戻した。
――まずい。このままじゃ、またあの女が来る。殺人鬼が来る。
思考が警鐘を鳴らす。時間がない。やれることをやるしかない。
「フェルト!金は俺が払う!もうこのミーティアはもうお前のもんだ!だから、その子に徽章を返せ!」
叫びながら、スバルは携帯を投げ渡した。
フェルトはそれを器用に受け止めると、困惑した表情を浮かべる。
「はぁ!?マジでにーちゃん、なに考えてやがんだ?」
驚き混じりの声。それも当然だろう。スバルの行動は、本人にとって全く利があることとは思えない。
一方、スバルを盗賊一味の一人と見ていた魔法少女は、そのやり取りに目を見張る。
「どういうこと?あなた達、仲間じゃないの?」
問いかけを受けても、スバルは応じなかった。ただ必死に、目の前の人々を守ろうとする言葉を紡ぐ。
「見目麗しき魔法少女のお嬢さん!これで損をするのは俺だけになった!だから頼む、どうかここから離れてくれ!そうしなきゃ……君は殺人鬼に殺される!」
必死の訴えに、魔法少女はさらに困惑する。
「殺人鬼?どういうこと?そもそも、あなたは誰なの?」
戸惑いの声。それでも、スバルの切迫した様子が伝わったのか、フェルトが低く口を開いた。
「……なんか意味分かんねーけどよ。これを、この場でこのねーちゃんに返す。それで本当に、にーちゃんはミーティアをくれるんだな?取り消しはきかねーぞ?」
思った展開とは違う。だが、このまま力ずくで取り返されるよりはまし――そんな判断が、フェルトの重い腰を動かした。こうして徽章は、スバルの望んだ通り魔法少女の手へと戻った。
これで目的は果たした。
だが――。
外はすっかり暗い。
あの黒い女がどの時点から魔法少女を狙っていたのかは分からない。だが、時間的にもう外でタイミングを伺っててもおかしくない。
胸を締め付ける焦燥の中、スバルは藁をも掴む思いで咄嗟に叫んだ。
「もう、誰でもいいから! この銀髪魔法少女を守ってくれ!」
たが、声は路地に虚しく響くだけ。
ここは貧民街。助けてくれる存在など、どこにもいない。
失意に沈むスバルの顔を、周囲の者たちは困惑の眼差しで見ていた。
そして10秒もたたない内に――。
魔法少女の背後から、黒い刃が振り下ろされる。
少女の身体を赤に染めんとする、無慈悲な軌跡。
だが、その瞬間。
「彼の声が……剣聖に、聞こえなかったはずがない」
スバルの隣で、パンドラが小さく呟いた。彼にしか届かぬほどの、か細い声で。
次いで響いたのは、鋭い金属音。
ガキン、と刃と何かがぶつかり合う音。
そこに現れたのは――
つい数時間前に、スバルが恐れた、怪物。
剣聖、ラインハルト・ヴァン・アストレア。
彼は、素手で迫り来る剣を弾き、血を流す運命にあった少女を護るように、その場に立っていた。
スバルが叫ぶ時、わざわざ「銀髪魔法少女を守ってくれ!」といったのは、全てを終わらせる化け猫が暴走するのが、魔法少女が殺されるトリガーだと思っていたから、自然と「俺達を守ってくれ」ではなく、魔法少女を指定したんですよね。
あといくら事象を書き換えたとはいえ、流石に王都の真ん中にいるラインハルトに声を届かせることはできません。
つまりラインハルトは、声が聞こえないながらも、なぜか貧民街のわりと近くにいたことになります。
その理由は、次の話で解説しようと思います。