2章の開始まで、少々お待ちください!
「エミリア様、お怪我はありませんか?」
突然現れた真紅の髪の剣士――ラインハルト・ヴァン・アストレアは、つい先ほど防いだ攻撃など無かったかのように、柔らかな声で銀髪の少女に言葉をかけた。
「ラインハルト!? なっ、なんで……あなたがここにいるの?」
状況が理解できていないのか、エミリアと呼ばれた魔法少女は強い動揺を見せる。自分を襲った刃の存在にもまだ気づかず、ただ剣聖の登場に目を見開いていた。
「えっと、違うの!別に徽章を盗まれて、それを取り返しに来たとかじゃなくて!」
どうやら、徽章を盗まれた事実を隠しておきたいらしい。だが既に徽章がその手にある以上は、言わなければバレようの無いことを、彼女は口走る。
そしてその必死さから彼女が悪人ではないと伝わる…そんな微笑ましい光景なはずだった。だが、スバルの視線は銀髪の少女には向いていなかった。
脳裏を占めていたのは、別の衝撃――。
――パンドラに対して、あの凄まじい殺気を放っていた剣聖が、ここに来てしまった。
「な……んで……お前が……」
喉を擦るような掠れ声で絞り出す。制止した脳を無理やり動かし、訴えるように口を開く。
だがラインハルトは答えなかった。聞こえて無視したのか、そもそも掠れ声すぎてまともに聞こえなかったのか。返ってきたのは、ラインハルトを恐れているのか少しだけ息を荒くしていた、そんなパンドラへ向けた冷たい一瞥だけだった。
一方で――。
「あら? 防がれてしまったわね」
命を狙った黒衣の女は、攻撃が防がれたことに驚くわけでもなく、淡々と呟いた。
それに対して、剣聖の声が低く響く。
「黒髪に黒装束。そして“く”の字に折れた北国特有の刀剣――これだけ特徴があれば見間違えようがない。……君は『腸狩り』だね」
その名が告げられた瞬間、魔法少女はようやく自分を襲った存在を認識し、警戒心を滲ませる。
だがそのさなかでさえ、ラインハルトの視線は再びスバルとパンドラへと冷たく注がれた。
――やっぱり、この化け物はパンドラを…!
頭の回路をようやく再起動させたスバルは、少女を庇うようにそっと前へ出る。
確かに、腸狩りによる暗殺と化け猫の出現という最悪の事態は回避できた。
だが、ここに現れたのはそれ以上の化け物…
もし、こいつがパンドラを狙うなら、刺し違えてでも…そんな決意がスバルの胸を掠める
しかし、次に返ってきた剣聖の言葉が、その懸念を打ち払った
「この状況と、さっきの声の感じからすると……君たちが腸狩りを呼び込んだ、というわけではなさそうだね」
「……あ、ああ。そうだぜ……。そんな物騒な名前の、ガキいじめて楽しむサディスティック女と一緒にすんじゃねぇよ」
言葉を紡いだ。震える声をどうにか軽口に乗せる。
――まだ、この怪物の考えを完全に読み切ったわけじゃない。だが少なくとも、この場で敵と認定される最悪の展開だけは避けられたようだ。
その事実に、スバルはほんのわずかに、胸の緊張を解き放つ。
ラインハルトはスバルとのやり取りをそうして終わらせると、ちらりと魔法少女に視線を向ける。
視線が交わり、それをみた魔法少女が、彼に頷く。
そしてスバルやフェルトが、それがなんのやり取りなのか理解できないまま
剣聖は殺人鬼に向き直ると
「――なにを見せてくれるの?」
「アストレア家の剣撃を――」
殺人鬼の問いかけに、ラインハルトが短く厳かに応じた。
――直後、盗品蔵の中の空間が引き歪むような感覚をスバルは得た。
―――――――――――――――――――――
「……?」
ラインハルトが殺人鬼に応じた直後、スバルの視界に入る大気が歪み、心なしか部屋の明るさが一段階失われたように思えたが
それ以上に
「え、あれ、おい」
突然倒れそうになった目の前の銀髪少女の姿をみたスバルは驚き、咄嗟に彼女に肩を貸す
「ごめんなさい……ちょっと、肩を貸して」
寄りかかってくる銀髪の少女を、スバルは、さっきまでの殺伐とした雰囲気を忘れたかの様に、わたわたと慌てながら支える。
華奢な体はひどく熱く、小刻みに浅い息を繰り返し、苦しげな彼女はまるで高熱を発した病人だ。
「どうした、急に体調でも悪く……」
「違うの。マナが……わかるでしょ?」
――さっぱりわからん。
場合によっては腕を組んで断言してやりたいところだったが、あいにくそんな気分でもない。
なにより、スバルの言葉を封じたのは肩にかかる重さではなく、さっきまでの緊張感とはまた違う、別の意味で異様に変貌した室内の雰囲気
――その根源に当たる存在だ。
部屋の中央で、ラインハルトが両手剣を低い姿勢で構える。
「『腸狩り』エルザ・グランヒルテ」
「――『剣聖』の家系、ラインハルト・ヴァン・アストレア」
名乗りをあげたすさまじい剣気が室内を押し包み、向かい合う二人の戦意が大気を震わせる。
その第三者からみれば、明らかに別格な化け物と化け物の戦いに、思わずスバルとフェルトは息を飲む。
「――――ッ」
息を詰める叫び、それはエルザのものか、ラインハルトのものか、それとも果たしてスバルのものだったのか定かではない。
だが、その結果だけは三人のいずれもが見た。
極光が屋根を失った盗品蔵を引き裂き、空間ごと真っ二つに切り裂いた。
世界がずれたとしか思えない光景、放たれた極光は一瞬の間、室内を白く塗り潰していたが、光が晴れた直後に世界が激変する。
ずれた空間が元に戻ろうと収束を始め、大気が歪曲するほどの威力の余波が部屋の中を暴風となって荒れ狂う。
「ぐっ、パンドラ、こっちに!」
逆巻く風が盗品を、家財を、廃材を巻き込んで暴れ回り、その二次災害からスバルは必死で肩を貸していた魔法少女と、直前に引き寄せていたパンドラを守ろうと胸の内側に抱きこむ。
「ぬわぁぁぁぁぁ!! なんじゃ、こらぁぁぁぁ!?」
この暴波の意味はわからない。わからないが原因はわかる。
たったひと振り、全力で剣を振るった――それだけでこの有様だ。
声を上げて、痛みと風を耐えしのぐ。やがて、暴威はその威力を弱め、吹き散らされた廃材や盗品が床に落ちる音、家屋が軋む鈍い音などが連鎖して終焉を告げた。
―――――――――――――――――――――
「パンドラ! パンドラ、無事か!?」
パンドラはさっきよりも息が上がっていた。
あれだけの衝撃を受ければそうなるのも無理もない。だがそれでも少なくとも意識はある様だった。
「えっ…えぇ…スバル様が…守って…くださいましたから」
「よかった……それで、その……君も大丈夫か?」
「えっ? あっ、うん。私は平気よ。助けてくれてありがとう」
スバルは真っ先に胸にだきよせたパンドラの無事を確かめ、次の自分に寄りかかっていた銀髪の魔法少女へと視線を移す。2方向から白髪の美少女に触れられていたという状況に、別の意味で心臓が跳ねていたことは誰にも言えない秘密だった。
さらに背後を見やれば、フェルトとロム爺も埃まみれながら無事に立っていた。全員の安否を確認したスバルは、胸の奥でほっと息を吐いた。
「みんな怪我はないようだね。本当に良かった」
朗らかに声をかける赤髪の剣士に、スバルはまだ完全には警戒心を拭えず、ぎこちない声で返す。
「あっ、ああ……助けてくれて、ありがとうよ……」
一度自分達に殺気を向けてきた人間に対して感謝の言葉を紡ぐのは簡単ではない、スバルの言葉の重さは、彼の胸中を如実に物語っていた。
「ラインハルト、助けてくれてありがとう。でも、どうしてここに?」
「最近、“腸狩り”がこの辺りで出ると噂を聞きまして」
「それで、ここに来たってこと?」
嘘だ。こいつは自分たちを探しにきたに違いない――スバルはそう確信せざるにはいられなかった。だが、殺人鬼の女から助けられたのはまた事実だ。しかもその態度を見る限り、今すぐ矛先をこちらに向けるつもりもないらいし。
そうして緊張をほんの少しだけ解きながら、スバルは肩を落とした。
そのとき、長らく沈黙を貫いてきたロム爺が低く呟いた。
「お主……アストレア家の者か。よもやワシとフェルトを豚箱に叩き込むつもりじゃあるまいな」
「本来ならそうすべきなんでしょうが……残念ながら、今日は非番でしてね」
そう言って笑みを浮かべるラインハルト。その言葉に、フェルトもわずかに緊張を解き、強がるように声を張る。
「ちっ……なんだったんだよこれ。……おい、にーちゃん! 助けてくれた礼だ、このミーティアは返してやる」
携帯を投げ渡してくるフェルトに、スバルは戸惑った。
「えっ!? い、いいのか……俺は別にそんなつもりは」
「バカヤロー! 流石のアタシだって恩知らずになるつもりはねぇよ!」
スバルとしては、携帯をあげたのはあの場の全員を助ける為に必要だったからであり、なにか特別なことをしたつもりはなかった。
だが
「…ありがとうな、正直すげー助かる」
正直にいえば、スバルとしては言葉以上にこの事態に強い安心感を得ていた。
というのも、なんとかこの場を乗り切ることはできたが、死のループから抜け出せた以上、スバルには永遠に訪れないのかとさえ思えた明日が訪れることになる。
となれば宿にせよ食事にせよ、最低限のことをする為の
金のない異世界生活で、こいつは何よりの切り札だ。
安堵と現実的な打算が、スバルの胸を温める。
そんな中、フェルトは皮肉っぽく吐き捨てた。
「ちっ……なんだよ。てかねーちゃんも、そんな大事なもんならもっとちゃんと守っとけよ。アタシには、あんなピカピカ光ってるだけの徽章の良さなんて分かんねぇけどな」
その言葉を聞いた瞬間、ラインハルトの表情が僅かに歪んだ。
「光る……? いやまさか、そんなはずは……」
柄にもなく思案する剣聖。五秒ほどの沈黙ののち、エミリアに視線を向ける。
「エミリア様。少し、徽章をお借りできますか」
「えっ? いいけど……」
徽章を彼女から受け取ったラインハルトは、そのままフェルトへ近づくと、徽章を差し出した。
「まさか……! おい小僧、フェルトに近づくな!」
その光景をみたロム爺が、突然怒声を上げてラインハルトへと殴りかかる。だが、剣聖の前では無力。あっさりといなされ、背後に回り込まれたロム爺は、手刀一発で意識を失った。
「お、おい! 何してんだお前!」
驚愕するスバル。だが激情に燃えたのはスバル以上にフェルトだった。
「ロム爺!てめぇ、よくもロム爺を!」
「気を失っているだけです。……もし君がこの徽章を一度持ってくれれば、彼にはこれ以上手は出さないと約束しましょう」
そう言って、まだ怒りと困惑で震えるフェルトの手を取り、徽章を握らせる。
次の瞬間――徽章は光を帯びた。
ラインハルトの掌にあったときには反応しなかったそれが、エミリアのときと同じように輝き出す。
「……!」
その光景をみたラインハルトが、なぜか驚きの表情で固まっていた…そんな、最強の意識があらぬ方向へと向いた瞬間だった。
「――エミリア様!」
ふいにこちらを振り向いたラインハルトの叫びに、自分達は窮地を脱していなかったことを悟る。
「――――ッ!!」
廃材が跳ね上げられ、その下から黒い影が出現する。
影は黒髪を躍らせて、血を滴らせながらも力強く足を踏み出し、加速を得る。
ひしゃげたククリナイフを握りしめ、無言で疾走するのは流血するエルザだ。
「てめぇ――ッ!」
あの苛烈な斬撃を掻い潜り、命を拾った殺人者の目には漆黒が宿っている。
それはこれまでの人生で相対してきた人物の中では3番目に、スバルの背筋に氷を差し込む殺気を放っていた。
接触までのわずかな数秒、その間にスバルの思考はめまぐるしく回転する。
ひしゃげたナイフ。一瞬の邂逅。おそらくはたった一発に賭けている。ラインハルトも駆けよってくるが間に合わない。
魔法少女は振り返る余裕もない。
狙いはパンドラか魔法少女のどっちか。
魔法少女だ。彼女を守る。
守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守るるるるるる!!
守らないと、また全部一からに…あの化け猫が、
みんな殺されて…なんて色んな思考がぐちゃぐちゃになったまま、スバルは駆け出していた。
「うぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
魔法少女を突き飛ばすように庇ったスバルだったが、魔法が使える訳でも、何かを持っている訳でもなかったスバルはそのままナイフで突き刺されてしまう…
はずだった
だが
「……………………」
魔法少女を突き飛ばすようにして庇ったスバル。
だが彼には魔法が使えるわけでもなく、手にした武器があるわけでもない。迫る刃を防ぐ術など、何ひとつ持ち合わせてはいなかった。
――このまま突き刺され、終わる。
そう思った瞬間。
「スバル様が…………………………」
かすかな声が聞こえた。
死の際に幻聴を聞くなど、珍しい話ではないのかもしれない。だがそれは錯覚ではなかった。
この異世界で、自分を救ってくれた少女の声。
けれど、その声は本来ならスバルに届くはずのないものだった。世界から隔てられたように、彼だけに響いた声音。
「スバル様が……刃を……避けられないはずがない」
確かに聞こえた言葉。
それは弱々しく、叶わないはずの小さな願いであった。
しかし、その権能は、世界を、事象を確かに書き換えた。
刃が迫る一瞬前に、スバルの身体はかすかにズレた。それは自らの意思ではなく、ただ“そうなった”としか言えない不可解な感覚。
腸を突き、スバルの命を奪うはずだった刃は、なぜか彼の横腹を掠めただけに“なった”
「ぐぁぁぁぁぁぁぁ!」
突き抜ける痛みがスバルを貫いた。
今回は初めて味わう、想像を絶する苦痛。膝をつき、床に倒れ込み、喉が勝手に悲鳴を絞り出す。
それでも――命だけは繋がっていた。
全身がふらつき、視界は霞む。
それでも――意識の灯火はかろうじて残されていた。
その様子を、困惑の色を宿した目で見つめる女――腸狩りのエルザ。そこへ、容赦なく迫る剣聖の影。
奇襲が失敗したことを悟ったのだろう。
エルザは一歩退き、艶やかに笑みを浮かべた。
「いずれ……この場にいる全員の腹を切り裂いてあげるわ」
不吉な言葉を残し、闇に溶けるように姿を消す。
そうしてついに、スバルが幾度も求め続けてきた“平和”が、盗品蔵に訪れたかのように思えた。
だが――。
そんな、痛みに喘ぎながらも、振り向いたスバルの目に飛び込んできたのは。
「う……ぅ……パ、パンドラ……? おい、パンドラ!パンドラぁ!」
その場に崩れ落ちる、白い少女の姿だった。
―――――――――――――――――――――
「あなた、大丈夫!?血がひどいわよ!」
銀髪の魔法少女が駆け寄り、手を伸ばす。
その声音には溢れるほどの優しさがあった。だが、自己犠牲を選び取ってきた男――ナツキ・スバルにとって、その行動は受け入れがたいものだった。
「はぁ……はぁ……エミリアちゃん、だったよな……? 俺はいい……大丈夫だ……それより……パンドラを、助けてやってくれ……」
痛みに体を引き裂かれながらも、スバルは無理やり立ち上がる。倒れたままでは、優しい彼女の手がパンドラに届かないと思ったからだ。
「……本当に? あなたがそこまで言うなら……うん、そうさせてもらうわ」
小さく頷き、エミリアは白き少女のもとへ駆け寄った。
「大丈夫。この子は疲れて気を失ってるだけ…。でも念のため、魔法をかけておくわね」
その手から放たれる光が、眩くパンドラを包み込む。わずかにだが、その顔色が和らいだようにスバルには見えた。
安堵に息をつく間もなく、エミリアは顔を上げる。
「ラインハルト、助けてくれてすごーくありがとう。……私は今すぐこの子と、その男の子を連れて、ここを出るわ」
決意のこもった声が、盗品蔵の冷たい空気を揺らした。
正直、スバルにとってエミリアの申し出は、とてつもなくありがたいものだった。
このまま放置されれば、二人の命がどうなるかなど分かったものではない。
ラインハルトに引き取られるという選択肢も頭をよぎった。だが――それは命を繋ぐ一時しのぎに過ぎない。その後、何をされるか分からない。
あの化け物に、パンドラの生殺与奪を握らせるなど、絶対に避けねばならなかった。
苦痛に呻きながらも、スバルはそんな柄にもない思考を巡らせる。
だが、エミリアの言葉を耳にしたラインハルトは、わずかに表情を歪める。
「エミリア様、それは……」
「どうして? 私なら向かう間ずっと治癒魔法をかけ続けられるのよ。私を助けてくれた恩人を助けることの、どこが悪いの?」
剣聖の眉間に一瞬だけ、深い影が落ちる。
だが少女の真っ直ぐな瞳に見据えられ、しばしの沈黙の後、息を吐いた。
「……分かりました。そこまで仰るなら止めはしません。ただ、どうかお気をつけて」
「?ええ、大丈夫よ」
その答えに頷きはしたものの、ラインハルトの瞳にはなお少し警戒の色が残っていた。
それでも――スバルは安堵していた。
少なくとも、剣聖に連行される未来も、何度も繰り返し見せつけられてきたパンドラの死も、今は回避できた。
――やっと、助けられたんだな……。
そんな中で壁にへたり込み、ついに重たく沈む瞼を閉じかけるスバル。だが、その視界に最後に映り込んだのは。
「家名? そんなもんねぇよ! アタシは路地裏出身だぞ!」
虚勢を張り上げ、剣聖に啖呵を切るフェルトの姿であり、そして次の瞬間、彼女はラインハルトの手刀を受け、あっけなく意識を刈り取られて崩れ落ちる。
そうしてスバルは
ーああ、やっぱりあっちに引き取られなくて正解だったかもな…
という、酷く傲慢な思いを抱きながら、深い眠りについたのだった。
原作だと多分恋心半分、自己犠牲半分でエミリアを守ったんだと思うスバル君ですが、この世界のスバルがエミリアを咄嗟に守ったのは、あくまで「彼女が死んだら化け猫がでてくる」と思ったからなのが8割です。確かにどストライクで可愛いとは思ってますが、恋心はありません。