偶然ハンバーガー屋でバイト中の錠前サオリと再会した秤アツコ。自分を大切にしない彼女を心配し、対等な関係になりたいと願う。アツコはサオリにメイクを施し、その素顔の美しさに改めて気づき照れてしまう。その行為の裏に隠されたアツコの願いとは……。

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第1話

 アスファルトに咲く、なんて陳腐な言葉で私を飾る人がいる。けれど、本当にそうだとしたら、それはきっと、アスファルトそのものだった貴方がいたからだ。硬くて、冷たくて、何にも染まらないように見えて、その実、私の根が張り裂いてしまわないように、ずっとずっと、身を削ってくれていた。

 

 だから、今度は私が、貴方のための陽だまりになりたい。ひび割れた心に、温かい光を注ぐ、そんな存在に。

 

 そんなことを考えながら、私は午後の喧騒に満ちた大通りを歩いていた。目的もなく彷徨うのは久しぶりのことで、道行く人々の賑わいや、ショーウィンドウに飾られた煌びやかな品々が、どこか現実味を帯びずに目の前を通り過ぎていく。アリウスにいた頃には考えられなかった、あまりにも平和で、他愛のない時間。この穏やかな日常を享受できるようになったのは、紛れもなく、貴方がいたから。

 

 不意に、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに、私の足が止まった。食欲をそそるパティの焼ける匂いと、甘く揚げられたポテトの香り。見上げれば、そこには見慣れた赤いロゴのハンバーガーショップがあった。特別お腹が空いていたわけではないけれど、その抗いがたい引力に導かれるように、私はガラス張りの自動ドアをくぐった。

 

「いらっしゃいませー」

 

 気の抜けたような店員の声に迎えられ、カウンターへと視線を移した、その瞬間。私の心臓が、とくん、と大きく跳ねた。時が止まる、という表現は、こういう時に使うのだろう。

 

 見間違えるはずがない。すらりとした長身に、腰まで届く艶やかな黒髪。いつもは白いコートを気崩して着こなしているその人が、今は胸元に大きくお店のロゴが印刷された茶色のエプロンとキャップという、見慣れない制服に身を包んでいた。

 

「……サッちゃん?」

 

 思わず、か細い声が漏れた。

 

 私の声に、レジを打つ手を止めた彼女――錠前サオリが、ゆっくりと顔を上げる。いつもはシャープな印象を与える切れ長の薄青色の瞳が、私を捉えて、驚きに見開かれていた。顔の半分を覆っていたはずのマスクはなく、代わりに業務用のスマイルにも満たない、ぎこちない表情がそこにある。

 

「アツコ……。どうして、ここに」

「それはこっちのセリフだよ。サッちゃんこそ、ここで何してるの?」

 

 カウンターを挟んで、私たちはしばし見つめ合った。周囲の喧騒が嘘のように遠ざかり、彼女と私だけの空間が生まれる。サオリちゃんはすぐに気まずそうに視線を逸らすと、「見ての通りだ。バイト」と、ぶっきらぼうに呟いた。

 

「バイト……」

 

 その言葉を、私はゆっくりと反芻する。自分探しの旅に出る、と言って私たちの元を離れてから、こうして働く彼女の姿を見るのは初めてはない。でも……クールで、ニヒルで、誰にも媚びない一匹狼のようなサオリちゃんが、ハンバーガーショップの店員。そのあまりのギャップに、私は少しだけ、胸の奥がくすぐったくなるような感覚を覚えた。

 

「ご注文は?」

「え? あ、えっと……」

 

 サオリちゃんに促され、私は慌ててメニューに目を落とす。頭がうまく働かない。何を食べたいかなんて、これっぽっちも考えていなかったのだから。目に付いたセットメニューを適当に指さすと、彼女は慣れた、けれどどこかぎこちない手つきでレジを操作し始めた。その指先が、ほんの少しだけ震えていることに、私だけが気づいていた。

 

 会計を済ませ、トレーを受け取る。その時、ほんの一瞬だけ、私たちの指先が触れ合った。ひんやりとした彼女の指の感触に、また心臓が小さく音を立てる。

 

「あっちの席で、待ってるね」

「……ああ」

 

 短い返事だけを残して、サオリちゃんはすぐに次の客の方へと向き直ってしまった。その背中を見つめながら、私は窓際の席へと足を運ぶ。ハンバーガーの味なんて、よく分からなかった。ただ、時折カウンターの方へ視線を送り、他の店員と何事か言葉を交わしたり、慣れない手つきでドリンクを準備したりする彼女の姿を目で追うだけで、胸がいっぱいになってしまった。

 

 長いようで、短い時間が過ぎていく。いつの間にか、あれほど騒がしかった店内は、夕暮れ時を迎え、まばらな客数になっていた。やがて、サオリちゃんが他の店員に何かを告げ、通用口へと消えていくのが見えた。シフトが終わったのだろうか。私は食べ終えたトレーを片付けると、意を決して、彼女が消えたドアの方へと向かった。

 

 ドアの前に立つと、微かに中から話し声が聞こえる。どうしようか、と躊躇していると、不意にドアが開き、中からサオリちゃんが出てきた。私服の、いつもの彼女だ。白いコートを羽織り、顔には見慣れたマスクを着けている。

 

「……待っていたのか」

「うん。サッちゃん、お疲れ様」

「別に。……こっちだ」

 

 彼女はそう言うと、私を店の裏手にある小さな休憩室へと案内してくれた。パイプ椅子と古びたテーブルが置かれただけの、殺風景な部屋。壁にはシフト表や業務連絡の紙が雑然と貼られている。彼女は自販機で缶コーヒーを買うと、私の分まで、何も言わずに差し出してくれた。

 

「ありがとう」

 

 お礼を言って受け取ると、私たちはテーブルを挟んで向かい合わせに座った。しばらく、沈黙が流れる。サオリちゃんが缶コーヒーのプルタブを開ける、カシュ、という乾いた音だけが響いた。

 

「それにしても、驚いたよ。サッちゃんがハンバーガー屋さんでバイトしてるなんて」

「……色々だ。ここだけじゃない」

「そうなの?」

「ああ。自分に何ができるのか、まだよく分からないからな」

 

 そう言ってコーヒーを啜る彼女の横顔は、どこか遠くを見ているようだった。自分探し、という名の、終わりの見えない旅。その途中で、彼女は一体何を思い、何を感じているのだろう。

 

「……『アツコ』と呼ぶのは、まだ慣れないな」

 

 不意に、サオリがポツリと呟いた。その言葉に、私は少しだけ胸が痛むのを感じる。かつて、彼女は私のことを『姫』と呼んだ。それは、守られるべきか弱い存在としての、私。けれど、もう私は、ただ守られているだけの少女ではいたくなかった。

 

「もう、私はサッちゃんに守られるお姫様じゃないもん。私はもっと、対等な関係になりたいの」

 

 私の言葉に、サオリちゃんは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。マスクで表情の半分は隠れていたけれど、その青い瞳が、静かに揺れているのが分かった。

 

「……そうか」

 

 彼女はそれ以上何も言わず、またコーヒーに口をつけた。沈黙が、少しだけ気まずい。私は話題を変えようと、努めて明るい声を出した。

 

「自分探しの調子はどう? 何か、見つかりそう?」

「さあな。まだよく分からない」

 

 やはり、答えは曖昧なままだった。分かっていたことだけど、その事実が、ずしりと私の心に重くのしかかる。彼女が背負ってきたものの大きさを思えば、そう簡単に見つかるはずがないのだ。リーダーとしての重圧、過酷な環境、そして、私たちのために犯した、数々の罪。それら全てを清算し、新しい自分を見つけるなど、気の遠くなるような作業に違いなかった。

 

 ふと、彼女の髪に視線が吸い寄せられた。いつもは手入れの行き届いた、鴉の濡れ羽色のような黒髪。けれど、今は光の加減か、毛先が少しだけぱさついて、色が抜けているように見える。そして、マスクから覗く目元も、心なしか疲れているように感じた。

 

「……サッちゃん」

「なんだ」

「自分を探すのもいいけど、もっと自分のことも大切にしてあげてほしいな」

 

 私の言葉に、サオリちゃんは怪訝そうな顔でこちらを見た。

 

「髪、少し傷んでるよ。肌も、なんだか荒れてるみたいだし……。ちゃんと食べてる? 寝てる?」

「……余計な世話だ」

「余計じゃないよ。だって、心配だもん」

 

 私の真剣な眼差しに、サオリちゃんは居心地悪そうに視線を彷徨わせる。彼女は昔からそうだ。自分のことになると、途端に無頓着になる。まるで、自分の身体が自分のものではないかのように。傷つくことにも、疲弊することにも、あまりにも慣れすぎてしまっている。

 

「自分を大切にする、か。……具体的に、何をすればいいんだ」

 

 その問いは、あまりにも純粋で、そして、あまりにも悲しかった。ずっと誰かを守るために生きてきた彼女は、自分自身を慈しむ方法を知らないのだ。私の胸が、きゅう、と締め付けられる。

 

 何か、私にできることはないだろうか。彼女のその乾いた心に、一滴でも潤いを与えるような、そんな何か。

 

 その時、私の頭にある考えが閃いた。それは少し突飛で、彼女が嫌がるかもしれない考え。でも……なぜか、今すぐそれを実行しなくてはならないような気がした。

 

「……例えば」

 

 私は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

「例えば……メイク、とか?」

 

 私の提案に、サオリの青い瞳がぴたりと動きを止めた。数秒の沈黙。やがて、彼女の眉間に深い皺が刻まれる。

 

「は……?」

「だから、メイクだよ。お化粧。サッちゃん、メイクとか、やったことないでしょ?」

「あるわけないだろう。そんなもの、任務の邪魔になるだけだ」

「でも、今は任務中じゃないじゃない。それに、肌の手入れとかも、ちゃんとした方がいいと思うし」

 

 私は身を乗り出し、目を輝かせながらサオリちゃんに詰め寄った。

 

「私が、してあげようか」

 

 その言葉に、彼女の身体があからさまに後ろに引いたのが分かった。その反応がおかしくて、私は思わずくすりと笑ってしまう。

 

「な、何を考えている……」

「いいじゃない、別に減るものじゃないし。ね? お願い。ちょっとだけだから」

 

 私は子供が玩具をねだるように、両手を合わせて彼女にお願いした。サオリちゃんは心底嫌そうな顔で私を見ていたけれど、私のあまりの圧に根負けしたのか、あるいは、断るのが面倒になったのか。深々と、これ以上ないくらい大きなため息をついた後、小さな、本当に小さな声で「……好きにしろ」と呟いた。

 

「やった!」

 

 私は歓声を上げると、早速自分のバッグの中から、いつも持ち歩いているメイクポーチを取り出した。決して種類が豊富なわけではないけれど、今のサオリちゃんを綺麗にするには十分なはずだ。

 

「じゃあ、まずマスク外してくれる?」

「……ここでもか」

「当たり前でしょ。じゃなきゃできないよ」

 

 サオリちゃんは渋々といった様子で、ゆっくりとマスクの紐に手をかけた。その仕草一つで、なぜかこちらの心臓までがどきどきと高鳴ってしまう。やがて、いつも隠されていた彼女の顔の全貌が、露わになった。

 

 薄い唇、すっと通った鼻筋、そして、少しだけ幼さを残す、なめらかな輪郭。

 

 いつもはマスクのせいで、そのクールな瞳ばかりが強調されていたけれど、こうして改めて見てみると、彼女の顔は、凛々しさの中に驚くほどの可憐さを内包していた。その事実に、私は今更ながら気づかされる。

 

「……綺麗」

 

 思わず漏れた私の呟きに、サオリがぴくりと眉を動かした。

 

「何か言ったか?」

「う、ううん。何でもない。じゃあ、始めるね。ちょっと顔、触るよ」

 

 断りを入れてから、私は化粧水を含ませたコットンを手に取り、そっと彼女の頬に触れた。ひんやりとした彼女の肌。思ったよりも、ずっときめ細かい。でも、やっぱり少し乾燥しているみたいだ。優しく、慈しむように、コットンを滑らせていく。サオリちゃんは、観念したのか、あるいは心地よかったのか、目を閉じてじっと私のなすがままになっていた。その無防備な姿に、私の胸はまた、甘く締め付けられる。

 

 化粧水、乳液、そして下地。一つ一つの工程を進めるたびに、私たちの距離は縮まっていく。吐息がかかるほどの距離で、彼女の顔を覗き込む。サオリの長い睫毛が、微かに震えている。緊張しているのだろうか。それとも。

 

「……お前は、いつもこんなことをしているのか」

「うん。身だしなみ、だもん。それに、楽しいよ。こうやって、自分が綺麗になっていくのを見るの」

「……そうか」

 

 ファンデーションを薄く伸ばしていく。彼女の肌は元が白いから、ごく少量で十分だった。スポンジで優しく叩き込むように馴染ませていくと、気になっていた肌の荒れやくすみが消え、陶器のようになめらかな肌が完成していく。

 

 次は、アイメイク。彼女の印象的な青い瞳を、どうやって彩ろう。少しだけ迷って、私はブラウン系の、肌馴染みの良いアイシャドウを選んだ。

 

「目、閉じてて」

 

 私の声に従い、サオリちゃんが再び瞼を下ろす。その長い睫毛に、指先が触れそうになる。どきり、とした。この気持ちは、なんだろう。友達にしてあげるのとは、少し違う。もっと、独占したくなるような、大切にしまっておきたくなるような、そんな感情。

 

 アイシャドウを塗り、アイラインを細く引く。彼女の切れ長の目を、より一層引き立てるように。ビューラーで睫毛を上げて、マスカラを塗る。一本一本、丁寧に。その作業に没頭していると、自分が今、どんな顔をしているのか、分からなくなる。きっと、すごく真剣で、そして、少しだけ、頬が赤らんでいるに違いない。

 

「……できた。目、開けてみて」

 

 促されると、サオリちゃんはゆっくりと瞼を持ち上げた。

 

 息を、呑んだ。

 

 そこにいたのは、私の知っているサオリでありながら、全く知らない、息を呑むほど美しい人だった。もともと整っていた顔立ちが、メイクによってさらにその魅力を引き出され、まるで精巧に作られた人形のように、完璧な美しさを放っている。特に、アイメイクを施した青い瞳は、吸い込まれそうなほどの深みと仄かな色香を宿していた。

 

「……どう、かな」

 

 自分のしたことながら、その出来栄えに圧倒されて、私は少しだけ声が上ずってしまった。サオリちゃんは何も言わず、ただじっと、私のことを見つめている。その強い眼差しに、私は耐えきれなくなって顔を俯かせてしまった。熱い。顔が、燃えるように熱い。

 

「……すごいな」

 

 やがて、彼女がぽつり、と呟いた。

 

「これが、メイクというものか。まるで、別人のようだ」

「べ、別人じゃないよ。元がいいから、だよ。サッちゃんが、綺麗だから」

 

 気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。しまった、と思ったけれど、もう遅い。サオリちゃんの青い瞳が、ほんの少しだけ、見開かれた気がした。

 

「……そう、か」

 

 その時の彼女が、どんな表情をしていたのか。俯いていた私には、見ることができなかった。ただ、その声色が、いつもより少しだけ……優しく響いたような気がした。

 

 気まずい沈黙を破るように、私は最後の仕上げに取り掛かった。

 

「さ、最後にリップ塗ったら完成だから。ちょっとだけ、口、開けて」

 

 私がリップグロスを手に取ると、彼女は素直に、少しだけ唇を開いた。その無防備な仕草に、また心臓が跳ねる。血色の薄い、けれど形の良い唇。そこに、淡いピンク色のグロスを、そっと乗せていく。ぷるん、とした艶が乗り、彼女の唇が途端に生命力を帯びていくようだった。

 

「……できた」

 

 完成だ。完璧。私は満足感に浸りながら、自分の作品を、うっとりと眺めた。

 

「どう? 手鏡、ないから見せてあげられないけど」

「いや、いい。……なんとなく、分かる」

 

 サオリちゃんはそう言うと、自分の頬に、そっと触れた。その仕草が、なんだかとても新鮮に見える。

 

「なんだか、不思議な感覚だ。顔に、一枚膜が張っているような」

「すぐに慣れるよ」

 

 私たちは、また少し、黙り込んだ。でも、さっきまでの気まずい沈黙とは違う。どこか温かくて、穏やかな空気が、私たちの間に流れていた。

 

 不意に、サオリちゃんが立ち上がった。

 

「……もうそろそろ、行かなくてはならない」

 

 その言葉に、私ははっと我に返る。そうだ、彼女には彼女の生活がある。いつまでも、こうして引き留めておくわけにはいかない。名残惜しい気持ちを胸の奥に押し込めて、私は笑顔で頷いた。

 

「うん。そっか」

「ああ。……今日は、その、なんだ」

「うん?」

「……いや、何でもない」

 

 サオリちゃんは何かを言いかけて、やめた。その口元が、ほんの少しだけ、緩んだように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。

 

 休憩室のドアに向かう彼女の背中に、私は思わず声をかけていた。

 

「サッちゃん!」

「なんだ」

「ちゃんと、ご飯、食べてる? 今日の夜ご飯は、どうするの?」

 

 矢継ぎ早に問いかける私に、彼女は呆れたように、くるりと振り返った。

 

「……アツコは、私の母親か何かか?」

 

 その言葉には、いつものような刺々しさはなかった。むしろ、どこか楽しんでいるような響きさえ感じられる。そのことに気づいて、私の胸は温かいもので満たされていく。

 

「ふふっ。そうかもね? 心配性な、ママ、かな」

 

 私が少し揶揄い気味にそう返すと、サオリちゃんは何も言わなかった。ただ、ふい、と顔を背けて、ドアノブに手をかけた。その時、マスクをしていない彼女の耳が、ほんのりと赤く染まっているのが、私の目にははっきりと見えた。

 

 満更でもない、のかもしれない。

 

 ドアを開け、一瞬だけこちらを振り返る。メイクを施したその顔は、夕暮れの薄明かりの中で、儚くも、力強い美しさを放っていた。

 

「じゃあな」

 

 短い別れの言葉を残して、彼女は部屋を出て行った。ぱたん、と閉まったドアの音が、やけに大きく響く。

 

 私はしばらく、彼女が去っていったドアを、ただじっと見つめていた。胸の中に広がるのは、寂しさと、それから、どうしようもないほどの愛おしさだった。

 貴方はずっと、私たちを守るための剣であり、盾だった。自分の身を顧みず、傷つくことも厭わずに、ただひたすらに、私たちのために戦い続けてくれた。

 

 だから、どうか。

 

 今は、自分のためだけに生きてほしい。

 貴方が本当にやりたいことを見つけて、心から笑える道を歩んでほしい。

 アスファルトに咲く花がいるのなら、その根を支え続けた貴方自身が、誰よりも美しい花を咲かせる権利があるのだから。

 

 私は心の中で、強く、強く、祈るのであった。彼女が、自由に、自分の思うがままに生きる道を見つけられるように。そして、その道の先に、ささやかでも、確かな幸せが待っているように。

 

 外はもう、すっかり夜の帳が下りていた。私もそろそろ帰らなければ。そう思って立ち上がった時、テーブルの上に、彼女が飲んでいた缶コーヒーが、ぽつんと置かれているのに気づいた。

 その隣には、私が彼女にメイクをするために使った、コットンやティッシュが、小さな山を作っている。

 その光景が、なんだか今日の出来事を象徴しているようで、私は思わず、ふふっと笑みを漏らした。

 

 不器用で、世間知らずで、でも、誰よりも優しい、私の、たった一人の騎士様。

 

 次に会う時、貴方は、どんな顔をしているのだろう。

 

 少しだけ、楽しみになった。(了)


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