一日を掛けて蝶野家に戻った私は厨房に忍び込み、お結びとお味噌汁を作って水筒の中に移してお坊っちゃまの待つ蝶野本家と隣接している倉に向かおうとした瞬間、私の目の前に黒服を引き連れた男の人が現れる。
「やあ、帰って来ていたんだね。賛」
「お久しぶりです、次郎くん」
「昨日の突風事件で行方不明になった兄さんを探すために来たんだろうけど。生憎と此処に兄さんはいないよ、それより久しぶりに会ったんだし、少し話そう」
「お止め下さい。次郎くん、私は攻爵お坊っちゃまだけのメイドです」
お坊っちゃまと私の一つ年下であり、この蝶野家にメイドとしてやって来た時より、私に下心や恋慕、ほの暗い感情を向ける蝶野次郎は私の肩を掴み、いきなり抱き締めようとしてきた。
その手を優しく離して、私は彼の提案を断る。
ゆっくりと一礼して厨房を出る瞬間、私の耳に「また兄さんか」と憎しみや怒りの籠った呟きが聴こえる。昔から知っている分、彼の抱え込んでいるコンプレックスを理解しているため、余り言い返すことも出来ず、私は玄関先の革靴を履いて倉を目指す。
二分ほど走ればお坊っちゃまの待つ倉に辿り着き、真っ暗な倉の中でホムンクルス製造機を座り込んで眺めるお坊っちゃまを見つける。
「お坊っちゃま、お夜食を作って来ました」
「……ああ、ありがとう。助かるよ」
私の差し出すお結びを受け取ったその時、閉めた筈の倉の扉が開き、そこには傷だらけの武藤カズキが肩で呼吸しながら佇んでいた。
「……ハアッ…やっと見つけたぞ、蝶野…!…」
「お前は、武藤か……」
「蝶野オォーーーッ!!」
「武藤オォーーーッ!!」
お互いの名前を叫んだ瞬間、お坊っちゃまと武藤カズキの二人は吐血して倒れそうになり、私はお坊っちゃまの身体を支えて床に倒れ込んだ彼を見つめる。
『な、なんだ今の音は!?』
「……ご、ごめん。斗貴子さん、蝶野を見つけたことに興奮して倒れちゃった」
何やら怒られている武藤カズキに少し戦意を削がれてしまったけれど。お坊っちゃまの前に出ようとしたが、私を後ろに下がらせ、お坊っちゃまが武藤カズキを睨み付けるように立ち上がる。
「漸く完成するんだ。お前に邪魔されてたまるか、俺は華麗なる変身を遂げ、地を這う芋虫から美しい蝶に生まれ変わる!他の奴らがどうした、俺は生きるためなら何だってする、お前は邪魔だァ!!」
「もうこれ以上犠牲者は出させないッ!!」
武装錬金を発動しようと左胸に右手を翳す武藤カズキの腕が捻り上げられ、お坊っちゃまを押さえつける黒服を引き剥がそうとした瞬間、私も同様に両手を押さえ込まれてしまう。
「熱血過ぎて気持ち悪いね。お前」
「蝶野が、二人!?クローン!?」
「……私をつけたのですか、次郎くん」
二重の極みは刹那の衝撃を放つ技。こうも手足を力強く押さえ込まれてしまうと技を放つために必要な間合いが、二重の極みを放つ溜めが作れない。
黒服も私より筋肉質で彼らの押さえつけるパワーを上回るために必要な動きが出来ない。私は、この身に代えてもお守りするべき焦りと不安にお坊っちゃまに視線を向けることしか出来ずにいる。
「たった一年遅く産まれただけで予備扱いッ……普通の学校!普通の教育!普通の生活!名前だってそうだ、由緒ある『爵』の字は与えられず、二番目に産まれたから次郎!───だが、何よりも許せないのは彼女だ。何をするときだって彼女は兄さんの傍にいて、僕は見つめるだけ!」
「やはりお前の目的は賛か。無駄だ、アイツは俺のためだけに存在している」
「そんなの知っているさ…!」
「次郎くん、止めて!」
お坊っちゃまの言葉に激昂した次郎くんがお坊っちゃまを殴り始め、必死に拘束を振りほどこうとする度、肩の関節が痛み、イビツな音を立てている。
「ゴハッ…!」
「あの日、兄さんが発病したとき、ようやく手に入ると思ったのにさ。彼女の目にはいつも兄さんだけ……僕が先に彼女を好きになったんだ。超人だか変態だか知らないけど、こんなガラクタで生き永らえようとか考えずにさっさと死ねよ、死ね!」
何度も何度もお坊っちゃまを殴り付ける次郎くんに「止めて」と叫ぶ。しかし、彼は私の方を見つめたかと思えば更に強くお坊っちゃまを殴り、蹴り倒した。
「…ハアッ…ハアッ!…こうして兄さんと喧嘩する度、仲裁してくれた。けど、僕を手当てしたら直ぐに兄さんの傍に行ってしまう。僕と兄さんの何が違うんだ、こんなガラクタに縋りつくゴミが!」
「ま、待て!それの完成にはまだ時間が…!」
パリイィンッ…!
「ハハハハハハハッ!!」
「あっ、アアァァアッ…ま、まだだ!」
ガラスの砕ける音と共にフラスコの中という安全な場所で生まれていた幼体が苦しげな声を上げ、次第に塵に変わりながら消え掛けていく。
「来いーーーーッ!!!お前は俺の分身だ、誰よりも何よりも生きたい筈だ!!だから来いッ!!もう守られるだけの脆弱な芋虫ではない!華麗なる変身を遂げ、俺達は
その雄叫びに呼応する様にホムンクルスの幼体はお坊っちゃまの額に向かって飛翔し、彼の身体を一瞬にして作り替えていく。
「な、なんだ、今のばッ゛!!?」
刹那、次郎くんが消えた。
ゴクンッ!と何かを飲む音が倉に響き渡る。
そして、倉の中に射し込む月明かりが学生服と弾けてセクシャルな下着姿に変わったお坊っちゃまの姿を妖しく照らし出す。
「……これが人間の味かァ…悪魔の様に黒く地獄の様に熱く接吻の様に甘い…」
「お坊っちゃま…!」
遂に、お坊っちゃまがホムンクルスに成られた。