時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「なんっ……ですの、これ?」
食堂で起きた爆破テロの混乱が収まる頃、クラウディアとリベルタ隊の面々はキャロルが移動した形跡を追って広場にやってきていた。
そこに広がっていたのは現実かどうか疑わしく思うほどの惨状。
地面や建物が肉の床と壁へ変貌し、いたるところから怪物の腕や口が形成された異界がそこにあった。
異臭の漂う空間を前にして口元を押さえて蹲ったクラウディアのそばにアザレアが歩み寄る。
「すこし離れましょう、クラウディアさん」
「ずいぶん気色悪い魔術だこと〜。このまえの現場で罠をしかけやがった魔術師の仕業じゃない?これ」
横を通り過ぎたリコットを先頭に、リベルタ隊のメンバーが肉の床を見下ろしながら前へ出る。
「……他の物体を魔物に変える魔術で決まりかな。生物かどうかは関係ないのか? 念のため変化した地面には触れないように。あと、常に魔力で体を守って」
「うーい」
「後処理が大変だな、これは」
ちょうど石畳と肉の境目となっている手前で立ち止まり冷静に分析を始めるアーサーたちを見て、クラウディアは息を呑んだ。
現実とは思いたくない光景にクラウディアが気分を悪くしている横で、彼らは日常となんら変わりない振る舞いでやり取りを交わしている。
聖騎士としての経験。
日頃から魔物や邪神教を相手にしている者との差異。
意識せずとも痛感する自分の不甲斐なさに、クラウディアは顔をしかめた。
「————これって……」
不意に真横に立つ気配を感じ、視線を上へと向ける。
目の前の異様な光景に立ち尽くしている彼女は、王都へ入ってすぐ別行動をとっていたデビルーナ=ナイトゴーンだった。
目を泳がせながら半歩前に出た彼女をアザレアが制止する。
「あなたはキャロルさんのところの……。危険ですので下がって」
「デビルーナさん、ご無事でしたのね」
「ここでなにがあったの⁉︎」
「うええっ⁉︎」
弾かれるように横を向いたデビルーナがクラウディアの肩に掴みかかり、動揺した様子で捲し立てた。
「二等星って聞いたときにまさかとは思ったけど……ここまで魔術が強力になっているなんて……!」
「で、デビルーナさん……?」
「教えて! ここでなにがあったの⁉︎ あいつはどこに行ったの⁉︎」
「デビルーナさん落ち着い……痛っ……!」
見かねたアザレアがクラウディアとデビルーナを引き剥がそうと手を伸ばした直後、膨大な魔力が付近で発生するのを感知。
次の瞬間にはアザレアが行動するまでもなく、ふたりの間に距離が生まれていた。
「メイリーンって魔術師なら、
クラウディアとデビルーナの間に突然現れたのは銀髪をなびかせた幻のような少女。
華奢な体と神出鬼没で神秘的な佇まいから妖精のようにも思える彼女だが、魔に覆われた広場を背にする様は亡霊の類にも見えた。
「キャロルさん……」
「よかった、どこも怪我してなさそうだね」
「王都を去ったって……どういうこと? アンタはいまここにいるじゃない」
クラウディアを一瞥していた目をデビルーナへと戻しつつ、キャロルはなにかを探るように自分の髪へ指先を引っかけると、くるりと巻いて弄び始めた。
「ここにいるわたしは、わたしであってわたしじゃない。とても不本意だったけど、他に手段がなかったからケイオスの一部を取り込んで『変身』魔術を使えるようにしたの」
「……あたしにはダメとか言ってたくせに」
「わたしはデビルーナみたいに弱くないもん」
視線で抗議してくるデビルーナを受け流しつつ、キャロルは続いて自分の頬や腕に触れながら問題なく魔術が機能していることを確かめた。
現在異空間に幽閉している邪神ケイオスだが、その気になればキャロルは好きにその体を引っ張り出せる。
邪神ケイオスの魔術である『変身』————これは取り込んだ物質の情報を読み取って自らの姿形や能力を変えるほか、情報そのものをアウトプットすることで極めて本物に近しい模造品を眷属として生み出すことができる。
通常なら自身の肉体のみで精一杯な魔力の情報処理を、邪神の認識能力で拡張する離れ業である。
以前交戦したケイオスが迷宮の外でもサバトという「情報」を眷属として使役できていたことから、同じ魔術を習得すれば自分にも再現可能だとキャロルは踏んでいた。
「このわたしは
「えっ……と、つまりいまキャロルさんは二人いらっしゃると……?」
「ふたりどころか、魔力がある限りいくらでも増やせるよ」
「キャロルさんが……いくらでも……⁉︎」
「理解が追いついていませんが、ただ事ではない話をしていることはわかります」
「そんなことより!」
変な方向に浮かれ始めたクラウディアとアザレアの言葉を押しのけ、デビルーナがキャロルへと詰め寄る。
「メイリーンの居場所、知ってるんだよね⁉︎ はやく教えてよ! このまま魔術を使い続けたら、あいつ……!」
「もともと彼女を叩くのがわたしたちの仕事だし、もちろん教えるけど……。デビルーナ、やっぱりあのヒトのこと知ってたんだね」
「……!」
見開いた
やがていつの間にかキャロルたちの会話を静観していたアーサーがやってきて、どこか重たい空気を込めながら言った。
「まずは確認したい。キャロルは今回のターゲットである魔術師、メイリーンと交戦したということで間違いないか?」
「うん、人間爆弾も彼女の仕業。タイミング的にわたしたちがアジトを襲撃しようとしてたのはバレてたと思う」
「情報は筒抜けか……」
一瞬狼狽の表情を見せるアーサーだったが、すぐに隙のない顔を取り戻して向き直る。
「相変わらず聞きたいことは山ほどあるが、現在キャロルはヤツの追跡が可能な状況とみた」
「そのとおり」
「で、あればすぐにここを発つ。これまでの情報はすべて棄て、追撃作戦に移行する」
こちらの情報が把握されている可能性がある以上、ゼロから作戦を組み立て直す必要がある。加えて反撃の機会はこの瞬間しかない。
どんな情報網を持っているのか知らないが、邪神教幹部は皆不自然なほどの勘の良さで聖騎士たちの襲撃を回避してきた。
時間が経てばまた振り出しに戻される。敵が逃げに徹して行動が乱れているいまがチャンスなのだ。
なによりキャロルがメイリーンの動向を読み取れるのなら、この上ないアドバンテージになる。行動を起こさない理由がない。
(……ふうん)
目配せとともに隊員たちへ迷いのない指示を飛ばす兄を見て、キャロルは素直に感心していた。若くして隊を任されているだけはある。
兄としてではない、聖騎士としてのアーサー=ベルスーズの頼もしい顔だった。
「ロバート、広場の処理をアコルドに要請しておいてくれ」
「了解」
「編成の見直しだ。アザレアは参加予定の聖騎士を再招集、キャロルたちも集まってくれ」
「うん」
「承知しましたわ!」
それぞれが職務へ戻っていくなか、キャロルはその場から動こうとしないデビルーナに気づく。
迷っている……というよりは怖がっている表情。
その感情が向かう先は十中八九メイリーンだろう。
「ねえ、デビルーナ」
ゆっくりと引き返したキャロルは俯いている彼女の前に立つと、いつもと変わらない淡白な声音で言った。
「依頼を受けている立場としては、できるだけ兄さまたちに協力したい。メイリーンって魔術師について知ってること、教えてくれる?」
「…………」
返事はなく、デビルーナは自分の体を抱えて縮こまるばかりだった。
「……デビルーナ?」
「うるさいっ! ……お願いだから、ちょっと黙っててよ……」
一方的に拒絶の意を示されてかちん、とくる。
半目になったキャロルはしばしの間黙り込んだかと思えばおもむろにデビルーナの顔のそばまで距離を詰め、
「ん」
彼女の頬に、雪解けのような口づけをした。
「————は、なっ……? はあっ⁉︎ なに⁉︎ いきなりなんなの⁉︎」
「なにか塞ぎ込んでる様子だったから、元気づけようと思ったの」
「元気づけるのになんでキスなのよ……‼︎」
「クーちゃんなら、なにがあってもこれですぐ立ち直るけど。……どう? よかったでしょ?」
被害に遭った左頬を押さえてたじろぐデビルーナに、キャロルはしてやったと言わんばかりに怪しい笑みを浮かべる。
そして反転するように静かな表情へ戻ると、心なしか怒気の含んだ声で言った。
「事務所に誘ったとき、あなたはわたしに言ったはずだよね……『どうせ下につくなら超絶国宝級美少女のかわいいかわいいキャロルちゃんのほうがいい』って」
「あたしいまつっこむ気分じゃないんだけど……」
「デビルーナがあの魔術師とどんな関係で、過去になにがあったかなんて、わたしとしては心の底からどうでもいいの」
キャロルは再び前へ踏み出し、鼻先が触れそうになるほどデビルーナに接近した。
「いつも言ってるよね、クーちゃんもデビルーナも、わたしの世界の一部なの。それが突然現れた
「どこでそんな言い回し覚えたのよ」
「ララちゃんから借りた小説にあった」
さらに肉薄し、キャロルは倒れ込む勢いで彼女の胸元に密着した。
ちょっと……と、狼狽えるデビルーナに構わず、そのまま沈むような調子でキャロルは続ける。
「わたしはあなたを手放したくないし、そのつもりもない。あなたの考えていること、やりたいこと、そのすべてを受け入れてあげる。わたしに尽くして好きでいてくれるなら、わたしもあなたを決して裏切らない」
側から見ればキャロルが自分よりもずっと上背のある少女に甘えているような光景だが、その実ふたりの精神の立場は逆転していた。
デビルーナの感じている不安。まだ正体もわからない負の感情ごと包み込むように、キャロルは彼女の心に向けて囁いている。
「だからあなたの世界にも……わたしを置いて、わたしを頼って————わたしを欲して」
それはあまりにも遠回しで不器用な言葉だった。
蓋を開けてみればなんてことはない、子どもじみたやきもちに執着……そのなかに混ざる友達への気がかり。
使い慣れていない感情だったがデビルーナにはそれらが漠然と伝わったのか、わしゃわしゃと自分の頭をかきむしった後でため息とともに彼女は言った。
「……あとでぜんぶ話すわ。へたに情報を伏せて聖騎士に詰められるのもゴメンだしね」
「そうじゃないでしょ?」
「めんっどくさいな! 隠し事して悪かったわよ!」
そこまで言ってようやくキャロルは満足げな顔でデビルーナの体から離れた。
「————ふふ」
王都付近にある森林地帯。
陽の光を遮るほど生い茂った木々のトンネルを歩きながら、キャロルは分身を介して行っていたデビルーナとのやりとりに笑みをこぼした。
一方で先を進んでいたメイリーンが怪訝そうに振り返る。
「……どうかしたかしらぁ?」
「なにも」
なぜか勝ち誇った顔を向けてきたキャロルにメイリーンは奇怪なものを見る目で返した。
「あなたはルーナの雇い主なんですってね。一等星とはいえ、人間である以上魔の者としては限界があるっていうのに……どうしてあの子は邪神教じゃなくあなたを選んだのかしら」
「んー……なんとも言えないかな」
メイリーンの疑問は共感には値しなかった。
キャロルは出会った当初からデビルーナの野望を聞いていたから。
デビルーナは
その理由としては両親に魔術実験に利用された過去を経て、彼女のなかで魔術が生きる指針とも呼べるほど大きな存在になってしまったからだと聞いている。
邪神を蘇らせて世界のパワーバランスを調整する。とても単純で再現性の高い手段だ。
だがデビルーナは邪神の復活ではなく、最終的にはキャロルにつくことを選んだ。
「でも結局デビルーナにとっての最適解が……わたしだったってことだと思う」
歩みを進めながら、メイリーンの肩がぴくりと揺れるのを見た。
「デビルーナは根っこの部分でお人好しなの。そんなあの子が個人的な願望のために……大勢の人間が犠牲になる可能性から目を背けてでも邪神を復活させるとは考えにくいから」
「お人好し? ……あははっ、笑わせないでくれるぅ? あの子が他人に関心を持つなんてあるわけがないもの」
「ずいぶんはっきりと言い張るんだね」
「そりゃあそうよぉ」
背中を向けたまま、冷たい声音でメイリーンが口にする。
「ルーナに自分の意思なんてない。昔もいまも、親から受けた呪いを手放せずにいる。何年経とうがずう〜……っと、あの子は自分の世界を持たない傍観者でしかないのよ。本当、見るに耐えないわぁ」
「…………あなたがそう思いたいだけなんじゃないの?」
草木を踏む音が止まり、眉間にしわを寄せたメイリーンが振り返った。
「どういう意味かしらぁ?」
キャロルも立ち止まろうとした直後、思いがけない現象が両者を襲った。
光が、音が、空間が捩れ、歪む。
迷宮が発生する瞬間に似ているが、核となる遺物の気配やそれらしき魔力を感じない。
瞬く間に周囲の景色が切り替わり、先ほどまで降り注いでいた木漏れ日が完全に止む頃、
「————これは、また珍客を招いたようだな」
闇の向こう側で、ひとりの男がキャロルを見据えていた。