時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
魔術とはこの世を変革する強大な力でありながら、あらゆる生物に宿す可能性が許されている“進化の兆し”である。
ナイトゴーン夫妻が目指していた研究はその理論を突き詰めた、「人間による魔術行使の限界」を探るためのものだった。
邪神教という巨大なスポンサーを後ろに、夫妻は身寄りのない子どもたちを引き取っては実験材料として利用し続けていた。
遺物を取り込ませ、その成長過程を観察する。もちろん抵抗できないようしっかりと「教育」したうえで。
邪神の自我にどこまで耐えられるのかと遺物を過剰摂取させる、なんてことは日常的に行われた。
精神が破壊されてからも「そこにある意識は誰のものなのか」と無理やりに牢のなかで生かされ、引き続き実験動物として全身を調べ尽くされる。引き取られた子どもたちは皆人間扱いをされない。
しかしながらそれでも実の娘に対しては彼らなりに情があったのか、デビルーナだけは牢に押し込まれることはなく、実験材料である子どもたちの世話係に任命されて日々屋敷の実験室と地下室を行き来する生活を送っていた。
「これ……今日のごはん。ここにあるので全員分だから、よく考えて分配して」
いつものように朝の地下室へ出向いたデビルーナは、鉄格子の隙間から携帯食料の類を挿し込むとなにも言わずにその中へ目を向けた。
地下室は常に寒くて息苦しい空間だったが、子どもたちにはそれぞれ凍えないようにと衣服や毛布が配られ、食事もそれなりには与えられていた。
いま考えてみると大昔にいた奴隷よりはマシな生活ができていたと思う。
もちろん夫妻の良心からではなく、貴重な遺物を取り込ませた実験材料に死なれては困るという合理的で無機質な考えによる行動だったが。
そんな環境のなか子どもたちの世話係であるデビルーナはというと、無気力を体現したかのような少女だった。
自分を含め、あらゆることに関心を持つことはない。その行為に意味がないことを知っていたから。
自分もほかの子どもたちもナイトゴーン夫妻からは逃れることはできない。そもそも屋敷を出たとしても行くあてがない。
物心ついたときから役割を与えられ、自らもまた実験材料として育てられたデビルーナは幼くして世界への欲求を諦めていた。
「ねえ、待って」
ルーティンを繰り返すだけの生活を送る最中、時折「変化」があるとすればそれは牢にいる子どもたちのひとりと会話を交わすときくらいなものだった。
「なに?」
地下室の奥から聞こえた声に応じ、デビルーナは立ち止まる。
「すこしお話ししない?」
鉄格子の向こう側でそう穏やかに微笑んだのは、実験体である子どもたちのなかではいちばん後にやってきた最年長の少女だった。
デビルーナの両親が孤児院から引き取った子だと記憶している。名はメイリーン。
当初彼女に抱いていた印象は「不幸」。健気とも言うのかもしれない。子どもながらに酷い有り様だと思った。
肉親を失い孤児院に流れ着いた後、新たに養子となったナイトゴーン家では実験のためのモルモットとして扱われるのだ。
もしも世界法則
だが同情はしない。
幼き日のデビルーナの頭には他人のことが入り込む余地などまるでなかった。
すべてがどうでもいいと、そう感じていた。
「あなたと話して、それでどうなるの?」
冷たく突き放して、地下室を後にする。
メイリーンが声をかけてくるたびに、そうやって拒絶してきた。
「メイお姉ちゃん……おなかいたい……」
「あら……体を冷やしちゃいけないわ。ほら、こっちへ来て。しばらくこうしてくっついていましょうね」
「あっ……! 私もくっつく!」
「僕も!」
メイリーンがやってきてからひと月ほど経過した頃、より幼いほかの子どもたちは皆彼女に懐ききっている様子だった。
毎朝の食事に加えて人体実験のために呼ぼうとする際にデビルーナが地下へ向かうと、牢のなかの雰囲気が日に日に明るくなっていく様がはっきり伝わってきた。
そこが未来のない閉ざされた世界であることを忘れるほどに、彼女たちの顔は希望に満ち溢れていた。
やがて彼女たちを見るたびに思うようになる。
体が壊れるまで魔術の実験に利用されて、いずれ捨てられるだけの存在だというのに……どうしてそんなに「生きている」って顔ができるんだ、と。
「——だって……私たちは生きているからよ、ルーナ」
あるとき疑問を投げかけてきたデビルーナに対し、メイリーンは用意していたかのように即答した。
鉄格子に隔たれた空間で彼女と背中を合わせながら、デビルーナは戸惑いからぴくりと肩を揺らす。
「……『ルーナ』?」
「親しみを込めてみたの。嫌だったかしら?」
「べつに……呼び方なんかどうだっていい」
「じゃあ私のことはメイって呼んでくれない? ほかの子たちはみんなそう呼ぶの」
「それになんの意味があるの?」
「私が嬉しくなるわ。すこしだけね」
隅のほうで眠っている子どもたちを一瞥した後、俯いたメイリーンがか細い声で続けた。
「……生きているうちは希望を抱いてしまうものなのよ。どれだけひどい環境に放り投げられても、いつかは抜け出して、好きなことができるはずだって、そう信じてしまうの」
「実現できないとわかっていても?」
「実現できないとは思っていないわ。みんな自分の可能性を信じている」
幼子に語りかけるような優しい口調で話すメイリーンだったが、その言葉の奥底にはなにか別の感情があるように思えた。
「……そう思わないと、正気じゃいられないからでしょ」
デビルーナがぽつりとこぼした直後、くすりと背中越しにメイリーンの笑い声が聞こえた気がした。
「あなたはどちらなのかしら」
「え?」
メイリーンは振り返り、鉄格子の隙間からはみ出した指でデビルーナの手を探ると包み込むようにそれを握った。
「なに……?」
「ねえルーナ、あなたはここから出られたらなにをしたい?」
「ここからって……」
「博士たちから解放されて、自由になれたら……あなたは最初になにをするのかしら?」
期待を秘めた眼差しでそう問いかけてきたメイリーンに、ただただ困惑するばかりだった。
言葉が出てこない。
この家を出た未来なんて想像したことがなかったから。
「答えられない?」
囁くようなメイリーンの声が鼓膜を撫でる。
「それなら私が…………あなたに選択肢を与えてあげる」
そんな言葉を伝えられて数日経ったあるとき、屋敷の場所が聖騎士に見つかった。
研究資料や遺物などもすべて押収され、デビルーナの両親もその場で処刑された。
言い逃れの余地はなにひとつなく、デビルーナの心も揺れ動くことはなかった。
地下室の床が不自然に
地面から外の土までに魔術を伝わせ、屋敷の外に出現させた魔物を操りナイトゴーン家が聖騎士に発見されるよう仕向けたにちがいない。
邪神の遺物を取り込んで日が浅いにもかかわらず、メイリーンの魔術はすでに三等星に匹敵する応用力を開花させていた。
それが常人から逸脱した精神の持ち主であることを察するには、そのときのデビルーナはまだ知識も経験も足りていなかった。
デビルーナを加え……メイリーン、そして四人の子どもたちは聖騎士たちが手配した孤児院へ引き取られることになった。
貧しくても人並みの生活に戻れると子どもたちは喜んだが、そこでも問題は発生した。魔術や魔物を憎悪する孤児院の子どもからの反感だ。
実験の過程でデビルーナを含めた全員が遺物を取り込んでいることは押収された資料を読んだ聖騎士たちも知っている。そして子どもたちを引き取ってもらう以上、その情報は孤児院にも共有する必要があった。
どこから噂が漏れたのか、孤児院へやってきて三日で元いた子どもたちは文字どおり親の仇のようにデビルーナたちを拒絶するようになった。
「みんなはここに来てよかったと思う? つらくはない?」
ある日メイリーンは四人の子どもたちに向けてそんなことを尋ねた。
ジャスミン、デジー、ハル、ロビン。みんなナイトゴーン家で実験材料として扱われ、当時研究されていた邪神ニグラートの遺物と魔術をその身に宿した被害者たち。
つらいに決まっている————とデビルーナは傍らで皆のやりとりを眺めながら歯噛みした。
施設のなかという小さな環境ではあるが、生まれて初めて屋敷の外にある社会に触れ、人の世界は他者との繋がりを断つことはできないように構築されているのだとデビルーナは知った。
そしてその繋がる相手が、必ずしも自分たちを受け入れてくれるとは限らないということも。
ようやく手に入れた人間らしい生活のなかでも爪弾きにされる辛さは、これまで他人を顧みた経験のないデビルーナにも理解できるほど残酷だった。
「僕は平気だよ」
「私も」
だが意外にも、子どもたちがメイリーンに返した言葉と表情は明るいものだった。
「ここにいるのはみんな、魔物にお父さんやお母さんを奪われた子たちばかりだから……魔術が使える僕らが怖いんだ。僕らも同じだから……その気持ちはわかるよ」
「でもきっと、私たちが仲良くしたいと思ってるって……きっと気づいてくれるよね」
相変わらず希望を失わない子どもたちの笑顔が、デビルーナには別世界のものに見え————同時に尊いものだとも思えた。
人間は他人なしには生きられない。外の社会を知り他人の存在を強く意識し始めたデビルーナは、やがて子どもたちのなかに自らの生き方を見出そうとしていた。
「そう。…………そうかもね」
一方でメイリーンだけは、最後まで作り笑顔を浮かべて彼らの言葉に応じていた。
次の日、子どもたちは孤児院ごと消えた。
比喩でもなんでもない。建物や土地を含め、そこにいた従業員や子どもたちは皆
デビルーナが施設内の畑で作物の世話をしている最中だった。
一瞬の出来事で悲鳴が上がることもなく、ふと目を向けたときに孤児院は直視したくないと思うような不定形の怪物へと変貌していた。
「……メイリーン?」
それが彼女の魔術によって引き起こされた現象であることは明らかだった。
「————待たせちゃってごめんね、ルーナ」
怪物の塊を背にこちらへ歩み寄ってくるメイリーンを、デビルーナはただ茫然と見つめる。
……死んだ? 子どもたちも、みんな?
「なに……やってん、の?」
わけがわからない。彼女の言動のすべてが不可解だった。
「みんなものを知らなすぎるよね」
そんな疑念を跳ね返すように、メイリーンは普段と同じ声色で話し始める。
「挨拶がわりに私を叩くような人だったお母さんが迷宮に巻き込まれて死んで、私は最初親戚だっていうおじさんのところに引き取られたの。そこでもひどい目に遭って、嫌になって……私はもう、全部壊れちゃえって思って、手元にあった瓶で……」
「メイリーン……? メイ?」
「流れ着いた施設にも同じような境遇の子はたくさんいたけど、みんなどこかキラキラしてた。おかしいよね? この世に希望を抱くほどの価値はないのに……みんなそれがわからずに叶いもしない願いを抱くの。私みたいに真っ黒な人はどこにもいなかった。会話をするだけで、私まで頭が悪くなりそうで嫌だった」
「……メイ!」
うわごとのように呟きながら近づいてくる彼女の右腕が赤紫に変色していることに気づき、デビルーナは咄嗟に駆け寄る。
両親の研究資料で読んだことのある症状。
邪神の遺物による自我の侵食に肉体と精神が負けているのだ。放っておけばメイリーンの精神は崩壊し彼女は死に至る。
目の前までやってきたデビルーナに力なくもたれかかったメイリーンは、独り言のように頼りない声音で言った。
「私は世界が大嫌い、ぜんぶ消えちゃえって思う。…………でもみんなの目は、私のほうが間違ってるって言ってくるの。どこへ行っても……みんな私をいじめてくるの」
その瞬間、デビルーナはこれまで彼女が見せてきた笑顔の意味を知った。
メイリーンは自分と同じ絶望を探していた。ひとかけらの希望も持つことはない、完璧な黒い感情を持つ“同志”を。
目の前の
「でもルーナ、
胸のなかが掻き乱されるようだった。
メイリーンの手が胸元に触れるだけで、心臓が鷲掴みされているかのように息が苦しくなった。
「ルーナは私と同じになれる可能性があるの。まだ何者でもない空虚なあなただから……私の隣にいれるかもしれない」
「……あたしは……」
「ねえ、私と一緒に行きましょう? あなたとなら、きっと……」
変色した指先がデビルーナの頬に触れる。
「——ひっ……!」
交わした視線の先にあった黒い瞳に、デビルーナは吐き気にも似た恐怖を覚えた。
気がつけばメイリーンを突き飛ばして、その場から駆け出していた。
「……まって、なんで……どうして————」
後ろから聞こえてくる声から遠ざかりたくて、肺を丸ごと入れ替えるような呼吸を繰り返して必死に四肢を振った。
選ぶことからも逃げるように。
「————それから魔術師になって、国を転々として……あんたらに出会ったってわけ」
追跡のために用意された馬車。
そのなかで膝を抱えていたデビルーナは、正面に腰を下ろすキャロルとクラウディアに話し終えると、震えたため息を吐き出した。
終わってるヒロイン、好きなんですよね。