時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「『深化』の魔術は危険すぎる。制御しているように見えるけど……あれは本来人間が扱えるような力じゃない。メイリーンは魔術を使うたびに魔物化するかどうかの綱渡りをしているようなものよ」
俯きながら話すデビルーナは不思議といつもよりずっと幼く見えた。
なにかに縋る子どものように、彼女は震える体を抱きしめながらなんとか言葉をつなぐ。
「あいつは自分の身を滅ぼしてでも世界の破滅を望んでる。……あたしがあのとき逃げ出したから、メイリーンは後戻りすることもできずに独りで世界を壊そうとしてるんだ。あたしの身内がまいた種のせいで」
自分に言い聞かせるように口にするデビルーナの声音には後悔の念が混ざっているようだった。
同時にどうしようもない閉塞感も。
過去に遡れたとしてもメイリーンとともに破滅の道を進むことは決してないだろうという、彼女に寄り添えなかった自分自身の
「あたしは……あたしにはなにもなかった。ずっと流れに身を任せて生きてきたから、世界を敵に回してあいつの味方をしてやる度胸なんてなかった。……いやちがうか、味方になれなくたって逃げ出す必要なんかなかったんだ。本当はあいつを引っ叩いてでもあそこで引き止めてやるべきだったのに」
その言葉を聞いて、クラウディアはなにかを悟るようにハッとなにかを言いかけた。
以前デビルーナ自身が口にしたことだ。
人類の魔術レベルの向上——そのために彼女は人類と敵対する強大な存在を欲し、キャロルにその可能性を見出した。自らも人類の敵になる未来を想定して。
なにも選べずにメイリーンを見捨ててしまったことで、子どもの嘆きを怪物の咆哮へと変えてしまった罪悪感がずっとついて回っていたのだ。
彼女自身が自覚しているかどうかはわからない。だがデビルーナの話を振り返るなかで、彼女は自らも世界を脅かす方法に手を伸ばすことで過去への贖罪を図ろうとしているのではないかと思わずにはいられなかった。
メイリーンと自分を幸せにしなかった世界を変えるために。
いまはもういない少女の幻に寄り添って、デビルーナも破滅を追いかけようとしている。
そんなことを続けても、自分の心を追い込むだけだというのに。
「わたしが思うに」
クラウディアの横に小さく座っていたキャロルがふとつぶやいた。
「あの魔術師にはもう後がない。邪神の自我を引き出しすぎている」
実際に交戦してみてわかったことだ。
デビルーナの話から考えるに、メイリーンは幼少期の時点で邪神の遺物によって肉体と精神を相当な深度で侵されていたに違いない。
だが皮肉なことに、これまでメイリーンが邪神ニグラートの自我に呑まれずに済んだのは彼女自身の世界に対する憎しみがそれを抑え込む役割を果たしていたためだ。
「仮に彼女が改心したとして、ストッパーの役割をしていた憎悪が消えれば……邪神の自我が一気に彼女の体と心を崩壊させる。彼女がヒトとしての自我を保つには、これから先も破滅へと突き進む以外に方法はない」
「で、でも……それを聖騎士が見過ごすとは……」
「そうだね。だから後がないって言ったの」
「…………やるせない、ですわ」
相変わらずお人好しがすぎるな、と狼狽えるクラウディアを見てキャロルは息をついた。
メイリーンという人間はすでに詰んでいる。聖騎士に捕捉されていることに加え、キャロルに依頼が舞い込んできた以上、粛清から逃れることはできない。
邪神教徒であることや、王都で使った人間爆弾を考慮すると手にかけてきた命の数も計り知れないだろう。
極刑に処されるか、邪神の自我に呑まれて死ぬか。現状、彼女の未来はこのふたつしかないわけだ。
「それで、文字どおり救いようがない彼女をあなたはどうしたいの?デビルーナ」
「キャロルさん、そんな言い方——」
「優しいのはあなたの美徳だけど……この場では誰のためにもならないよ、クーちゃん」
冷淡に返したキャロルに、クラウディアはつらそうに言いかけていた言葉を呑み込んだ。
メイリーンに邪神の遺物を取り込ませて「手段」を与えたのはナイトゴーン夫妻。
そしてその子どもであるデビルーナは目を背け、すべてを投げ出し生きてきた。
力を利用して身勝手に不幸を振り撒いてきたのはメイリーンだが、なにも行動を起こさなかったデビルーナがそこに罪悪感を抱えるのも不思議ではない。
つくづくヒトは気苦労が絶えない心の仕組みをしていると思う。
「……わかってるよ、あいつがどうしようもないヤツだってことくらい」
膝を抱える腕に力を込めながらデビルーナが言った。
「メイはとびっきり面倒くさいヤツだから、放っておけばこれからも誰彼かまわず怒りをぶつけるようになると思う。だからあいつがまだ人であるうちに、あたしが終わらせる」
顔を上げたデビルーナの視線がキャロルの瞳とかち合う。
「最初に依頼が舞い込んできたときから、ずっと考えてた。……メイには言わなきゃならないことがある。それが伝えられたら、あたしも……前に進める気がするんだ」
「勝算はある?」
「ある。なくても勝つ」
「そう」
正直なところこれまでの動揺ぶりから不安に思っていたが、明確な目的意識ができたいまのデビルーナなら心配はいらないだろう。
即答した彼女を見てなにか思考するように目を伏せた後、静かな表情のままキャロルが口をひらいた。
「じゃあひとまずあの魔術師の対処はデビルーナに任せる。クーちゃんは予定どおり後方支援ね」
「え?」
「急にどうしたのよ?」
いつもよりどこか慌てた調子で伝えてきたキャロルに、クラウディアとデビルーナは揃って首を傾けた。
落ち着き払った声ですぐにその疑問に対する答えは返ってきた。
「なんかやばそうなのが出てきた」
そこは遠い昔に遺棄された教会のような場所だった。
左右には合わせて二十人ほどの邪神教徒と思しき人間が待機しており、夕焼けのカーテンを隔てた先にある暗がりには長身の人影が確認できる。
アザレアと同じか……それよりすこし低い程度の背丈。
黒装束に身を包んだ出で立ちの大男は、自らが
「————やはり違うな」
重たい。言葉自体に物理的な重圧が宿っているかのようだった。
同時に感じる不可解な気配。確かにその場にいるはずなのに、この世のどこにも存在していないような。
いや、それよりも……。
(正確な座標はわからないけど……メイリーンとわたしをここまで転移させた?)
キャロルが状況整理をするなか、横で腕を組んでいたメイリーンが張り詰めた空気が漂うなかで言った。
「自分から動くなんて珍しいわねぇ。どういう気まぐれなのかしら?」
「厄介なことに我らの神は気まぐれでな。私とて自在に恩恵が行使できるというわけではない」
「相変わらず不便な力ね。……それで、『違う』ってどういうこと?」
顔は影に隠れているが、肌に突き刺さる不快な刺激から男の視線がキャロルへ戻るのがわかった。
「たしかに馬鹿げた魔力量だが、彼女のそれは個人で完結している。それはそれで貴重な存在ではあるが、少なくとも“落とし子”ではないな。声も聞こえてはいないだろう」
「あら、じゃあ無駄足だったかしら。当たりだと思ったのだけれど」
「なんの話をしてるのかわからないけど」
魔力を起こし、跳躍。
「状況的に、あなたが邪神教のボスなんだよね」
瞬間的に距離を詰めたキャロルは、異様な雰囲気をまとう大男へ神速の蹴りを振るった。
邪神教徒に情けはいらない————社会的にも常識として浸透している考え方だが、ヒトとして生きてきたこの十四年の間で、それはキャロルのなかでもひとつの判断基準になっていた。
デビルーナと一緒に巻き込まれた宿での迷宮騒ぎに、メイリーンが街中で起こしたテロ行為。彼らは行動を起こすうえでの手段として周囲を巻き込むことに抵抗がない。
邪神教はキャロル=ベルスーズが送る輝かしい自由な人生にとって確実に目障りな存在になる。日常を壊す不確定要素になり得る。
確信に近い予感が電撃のようにキャロルの体を駆け巡り、思考とほぼ同時に体が攻撃に出ていた。
「足癖の悪い娘だ」
のしかかるような男の声が漏れる。
なんらかの手段を用いて防御、あるいは耐久————その程度であれば想定内だったが、彼はキャロルの予想に反してなにも行動を起こすことはなかった。
魔力で全身を固めることも、防御姿勢をとることもしない。
ただ迫りくる少女を静かに見つめている。
直後に弾ける衝突音。だが手応えは想像していたものとはかけ離れている。
「……んん?」
男の頭部に当たる直前でキャロルの脚が静止している。見えない力に阻まれている、という表現が適切か。
「石化」を使って空間を停止し、そこに蹴りを叩き込んで爆砕。いつもと同じ手段で男を攻撃したはずが、魔術が不発したようにキャロルの蹴りはただの魔力強化を施した打撃に成り下がっていた。
加えてそれも通じている様子はない。
しかもその不可解な力、男が発生させているものではない。
第三者が施した結界のようなものが男を守っている。そんな印象を受けた。
「求めるものではないにせよ、その魂には興味がわいた。体を開けばすこしは謎が晴れるか?」
そう言って男が放った手刀を避け、後退する。
いくら観察しても魔術を使った痕跡すら見当たらない。
だがその力のタネはなんとなく掴めた。
「あなたの居る空間……ちょうどヒトのかたちに
「ほう、その程度は感じ取れるか」
感心するように唸った男が歩き出し小さな窓から差し込む光へ踏み入ると、ようやくその顔が見えた。
四十代に差し掛かったあたりだろうか。歳はそれなりにとっていることはわかったが、眼は死人のように仄暗い。
キャロルから見れば枯れ木のような様相だったが、内から感じる生命力はいまにも噴火しそうな火山を連想させた。
「生きているのに死んでいる……そこに居るのにそこには居ない、“形ある虚空”……。これはどうしようもないかな、お互いに」
彼自身が魔術を使っていない以上理屈はわからないが、どういうわけか男の存在だけがこの世界から断絶されている。
性質でいえばキャロルが有する「石化」の副産物である時が停止した異空間に近い。おそらくは現実世界に存在するあらゆるものは男に干渉することすらできない状態だ。
「石化」が不発に終わったのも納得である。すでに虚空が開いている空間に孔を開けようとしてもなにも起こりはしない。
キャロルたちを森からこの教会まで転移させたことといい……人間にしてはデタラメな規模だが、空間操作系の異能で間違いないだろうか。
「石化」で開けた孔のように世界の修正力が働かないことだけは疑問が残るが、おおむね予想は合っているはず。
「……困った、面倒ごとはさっさと片付けたい性分なのに……。決着がつけられない敵なんて、最悪だわ」
「もとより私がここにいる理由は時間稼ぎだ。貴様にはしばらくの間、ここに留まってもらう。——メイリーン」
「アレをここで試すつもりぃ?」
深海のような眼差しを注がれたメイリーンが付近にあった長椅子に触れる。
「私をここまでこき使ったんだから、ちゃんと面白いものを見せてよねぇ」
瞬間、膨れ上がる肉の塊。長椅子からはじまり教会の床、壁、天井、あらゆる物体が「深化」によって魔物化していく。
この辺一帯の土地に魔術をかけて巨大な魔物でも作る気なのか、天へ届きそうなほどの巨躯を築き上げてもメイリーンは魔術の行使を止めようとはしなかった。
「ただ大きいだけのゴミをいくら生み出したところで、わたしどころか兄さまたちにも勝てないと思うけど」
「殺し方を知っていれば、だろう」
「は……?」
「これくらいでどうかしらぁ?」
メイリーンが男に発した呼びかけにつられて不意に空を見ると、そこにはすでに山と見紛うほどに巨大な肉体を得た魔物がそびえ立っていた。
大した圧力は感じない。やはりただ巨大なだけの肉塊。
そう冷めた表情で眺めていたキャロルだったが、魔物の周囲の景色が徐々に捻れていくのを見て訝しげに眉をひそめた。
「魔物が…………別のなにかに置き換わってる……?」
空間ごと魔物の体が歪み、消失する。
再び虚空が開き巨躯が姿を現したとき、それは数秒前に在ったはずのものではなくなっていた。