時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
本物の邪神が健在であった大戦時、邪神の魔力によって生み出されその意のままに動く怪物を人々は邪神の「眷属」と呼称していた。
邪神が死滅した現代ではその呼び方は一般的ではなく、多くの魔的生命体を総じて「魔物」と呼ぶことが多い。
これらは邪神本体から生まれたか、あるいは亡骸の一部である遺物から生まれたかという違いはあるものの、本質的には何ら変わりはない。
「邪神」か「邪神の眷属」か。
この世に生まれ出る怪物は皆このふたつのどちらかに分類されると、キャロルはそう認識していた。
だが飴色の空の下で鯨に似た咆哮を轟かせるそれを見た瞬間、キャロルは自身の理解の範疇には収まらない事象が起きているのだと悟った。
(魔力を感じない……遺物の気配も。邪神でも眷属でもない、新たな生命体を呼び寄せた……?)
「単純なことだ」
怪しみながら立ち尽くしているキャロルの横顔へ投げかけられる。
邪神教……その首領と思しき男は感情が乗っていない声で続けた。
「私が
「異界……?」
「我々が存在するこの場所の外側……並行する別世界に生きる怪物。世界法則の鎖から外れた存在だ」
男が話す内容に含まれる単語をつなぎ合わせ、いま起きている事態の予測を立てる。
メイリーンが魔術で作り上げた魔物——規模だけでいえばあれは街ひとつをかるく滅ぼしかねないものだった。
その巨大な魔物が一瞬にして歪んだ空間に引きずり込まれ、今度はいままで感じたことのない気配を持つ「魔物でないなにか」が出現した。まるで辻褄を合わせるかのように。
男が言うとおり目の前にいるコレが別の世界からやってきた存在だと仮定するなら、男がやったことはつまり————
「……さっきの魔物と同じ強さの生物を、別の世界と交換したって言うの?
空間を操る男の魔術……その力で魔物を異世界へと追いやり、世界の勢力図を均等に保とうとする均衡維持機構を刺激。ほかの生物にとって同程度の脅威度をもつ生物を、穴埋めのようにその世界からこちら側へと引き寄せた。
事実かどうか疑わしいが、おおむねそんなところだろう。
男からの返答はない。正解か、あるいは少なくとも否定の言葉を付け足すほどキャロルの推測は間違ってはいないらしい。
大木のような四つ足に長い首。口元からはのこぎりのように鋭い牙が生え揃っている。
脳へ直接響くような鳴き声を発しながら、その怪物は前進をはじめていた。
「……わざわざ一手間かけて用意したなら」
キャロルはふと視線を流した先に見えた胴体へ「石化」をかけると跳躍。
弾丸のごとき速度をまといながら突き出した右足でその箇所を空間ごと撃ち抜いた。
「どうせなにかめんどくさい能力とかあるんでしょう?」
着地し、体勢を崩しかけた怪物の巨体を見上げる。
魔物が相手なら胴体を抉るいまの一撃で決着はついていたが、怪物は四つ足を用いてバランスを保つと、破壊された箇所を瞬時に再生し全快してしまった。
「……ほら、めんどくさい」
「じゃああとはお願いね、教皇さま」
不機嫌そうに唇を尖らせたキャロルの横を通り過ぎるメイリーン。
先ほどまで微動だにせず存在感を消していた邪神教徒たちを引き連れながら、怪物の後を追ってこの場を離れようと歩き出す。
みすみす逃すつもりはない——と彼女へ迫ろうとした直後、瞬きの間に背後へ移動してきた男がキャロルの腕を掴み引き留めた。
「私の役割は時間稼ぎだと、先に言ったはずだがな」
「はなせ変態」
男の手を蹴り飛ばし、半回転して勢いをつけたのち魔力強化を施した蹴撃をお見舞いする。
が、またしても攻撃は妙な手応えとともに勢いを殺されて終わった。
「何度こようと同じこと」
男の手が虚空を握り潰す。
連動するようにキャロルの右脚周辺の空間が圧縮され、果汁みたいに鮮血が飛ぶ。空間そのものを潰しているからか、魔力による防御もお構いなしだ。
さすがにちょっと驚いた。
「ゔ」
キャロルの意識が右脚へ向いた一瞬の隙を突いて次に男が放ったのは拳による単純な打撃。
薄い腹に叩き込まれた衝撃が後方まで吹き抜け、内臓と骨が粉砕された矮躯が宙を舞った。
死体のような雰囲気を漂わせているせいで印象が捻じ曲げられていたが、よくよく見るとそれなりに筋肉質だ。魔術に頼らない近接戦闘術の心得もあるのだろうか。
後ろの木に叩きつけられた後、壊れた脚と腹を魔力で治しながらキャロルは視線を上げた。
(……いままで出会った人間のなかで、いちばん殺せるイメージが湧かないな)
空間操作の魔術も厄介だが、それを差し引いても魔力の圧が尋常じゃない。ケイオスですらこれほどプレッシャーを感じることはなかった。
紛れもなく常人の域から外れた力だ。
そして男が行使する魔術と打撃を実際に受けてみて確信したが、ヤツは攻撃に自分が宿す生来の魔力とは別に、
質、総量ともに脅威になるのは当然後者。
どういう絡繰りかは知らないが、キャロルの魔力でも完全にはダメージを消し去れない威力の攻撃を放ってくる。
この男に対処できる人間が、世界にどれほどいるだろうか。
コイツだけは野放しにできない。
キャロルの分身に導かれてこちらへ向かってきているであろう聖騎士たち、クラウディアやデビルーナに遭遇させてはいけない。彼らではおそらくこの男には勝てない。
「たしかに、付き合うしかないみたい」
嫌な確信を得たキャロルがゆっくりと立ち上がる。
片足と内臓を破壊されても瞬時に回復し構え直したキャロルのしぶとさに驚いたのか、無表情だった男の目が微かに揺れるのが見えた。
「いまので止まらぬとはな」
「たまに思うけど、痛いときは泣き叫んだほうが人間らしく見えるかしら?」
つま先を地面に打ちつけて修復した脚に異常はないか確認しつつ、注意深く男を観察する。
キャロルの「石化」のように、強力な魔術は予備動作を必要としないものがほとんど。
先ほど男は虚空を握る動きを見せたが、かかる手間は一瞬なうえ、それもブラフである可能性が高い。
目に見える動きではなく男の体内と大気の魔力の変化をいち早く察知しなければ空間操作による攻撃を回避することは難しいだろう。
とりあえず頭だけは確実に守らなければならない。潰されれば即死だ。
めんどくさい。とてもめんどくさいけれど……。
「ああ、なんだか……あなたを見てると、とても安心する」
「……?」
薄ら笑いを浮かべながら、キャロルが言う。
「わたしが力を使うと、みんなこの世のものじゃない怪物を見るような目をして驚くから…………わたし、その度にちょっぴり傷つくの。わたしはこんなに綺麗で、可愛くて、愛されるべき尊い人間なのに……そのときだけは、みんながそれを否定しているみたいで」
黄金色の瞳が揺らめき、男を捉える。
心の底から嬉しそうな声で彼女は口にした。
「でもあなたみたいな人間がいるなら、わたしも自信を持ってヒトを名乗ってもいいんだよね。……うん、きっとそう。わたし、それが分かってとても嬉しい!」
瞬間、世界が虚無に染められた。
半壊した教会、それを囲んでいた自然、それらすべてが一瞬にしてキャロルたちの周囲から消失する。
「……これは」
なんの感情も宿っていなかった男の表情に懐疑の色が差した。
それはヒトの力では実現し得ないはずの魔術的特異点。
あり得ないが故にその可能性を頭から消し去っていた男は、直後に起きた異変への対応にも後手に回ることとなった。
「まさか————」
キャロルが足を振るうと同時に空間が爆ぜ、先ほどは微動だにしなかったはずの男の体が後方へ弾け飛ぶ。
見えない地面へ足を突き立て静止した男は、久しく感じていなかった全身の痛みにわずかに口元を歪ませた。
「っ…………」
「よかった、ちゃんと効いてくれて」
銀髪の隙間から怪しげな黄金色の双眸を覗かせた少女が歩み寄ってくる。
押しつぶされるような底知れない魔力の圧を感じながら、興味深そうに男が尋ねた。
「……迷宮を生み出しているのか。遺物もなしに……どうやって実現した?」
「ひみつ」
迷宮による自我の押しつけ。
どれだけ強力な魔術でも、迷宮という自意識の塊のなかに入れてしまえばその支配下に置かれる。
圧倒的な自己を理解させ、強いる力。世界法則ならぬ個人法則。
邪神同士の戦いならばいざ知らず、この空間においては男の自我をキャロルの自我が上回る。
かつて聖騎士ロイド=バハト=クルトルフがそうだったように、引き込まれた者は自然と
正体はわからないが、男が用いる空間操作は外部の存在からの魔力供給を受けて成立している。であれば、その繋がりを弱めてしまえばいい。
虚無に守られていた男の体は、より強い「無」に包まれ実体を付与された。あとはいつも通りに殴って蹴って吹き飛ばすだけ。
「わたしをヒトだと思わせてくれたこと、感謝しながら殺してあげます」
「……戯言を」
男が空を握り、キャロルが駆ける。
世界が壊れんばかりの衝撃がヒト知れず爆発した。
「————止まれ!」
遠方から迫る巨影を目視したアーサーの指示で、先頭を走っていた馬車が停車する。
王都を出てから五時間ほど。
灯りもなく夜闇が広がる景観が続いていたが、それでも異常に気がつくほど不気味な魔力の波が押し寄せてきていた。
「……! 隊長殿!」
続いて大剣を担ぎながら馬車を降りたアザレアが前へ鋭い目を向ける。
木々を押し倒しながら近づいてくる巨大な影————それよりも速く、その足元からこちらへ殺到してくる邪悪がその視界に映っていた。
「異形の……魔物の軍勢が迫っています。おそらくは魔術師メイリーンの『深化』によるものかと」
「全員に馬車を降りろと伝えてくれ。予想外の事態だが、ここから作戦行動を開始する」
「了解!」
アザレアは後ろへ、アーサーはひとり前へと駆け出す。
子どもが粘土をこねて作ったような形容し難い様相の魔物たちが言語にも似た鳴き声を漏らしながら接近。
そのど真ん中に向かって跳んだアーサーは、滞空したまま手にしていた剣を引き絞った。
「
構えた得物に黄金色の魔力が灯る。
流した魔力は剣を補強するばかりかその刃を延長させ、次の瞬間には増大された破壊力と高熱が異形の群れを薙ぎ払っていた。
「
金色が弧を描き、魔力の炎が魔物たちを焼く。
その背後に魔術師————邪神教徒と思しき人間が複数人控えていることを確認し、アーサーは緊張から眉をひそめた。