時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「——なんですの⁉︎」
鳴り響いた戦闘音にクラウディアが肩を揺らす。
自分たちで状況を確認するよりも先に、前のほうから目つきを鋭くさせたアザレアが駆けつけてきてすれ違いざまにキャロルたちへ伝えた。
「敵襲です! 直ちに戦闘配置に!」
「……ふたりとも、大丈夫?」
突然の状況変化に顔を見合わせるなか、念を押すようにキャロルが問う。
クラウディアは緊張が抜けきっていない表情で足元に置いていた剣を抱きしめた。
「わたくしのことはお気になさらず! キャロルさんはキャロルさんのなすべきことを!」
「それよりさっきの話は大丈夫なの? やばいのってなんのことよ?」
「それは————」
言い終わる前に風を切る音がキャロルの耳へ滑り込んできた。
即座に「石化」を発動し、飛び上がる。
いつの間にか隊列のど真ん中に向かって撃ち込まれていた熱線を魔力を込めた脚で左右へと弾いた。
再び世界に色が戻り着弾。隊列を挟むかたちで爆発が巻き起こる。
咄嗟に耳を塞いだデビルーナが困惑した顔でキャロルへ視線を戻した。
「なにいまの……?」
「あ、あれは一体……⁉︎」
立ち上がったクラウディアが指で示した方向を見ると、天を突くような巨大な影が暗闇に浮かんでいた。
四つ足で首の長い、黒い装甲に覆われた巨体。
ヤツの背中から放射された熱線が追尾弾のように曲がりくねり、正確に隊列を焼き払おうと狙ってきた。
「あの魔物……あんなに大きいのに、魔力を感じませんわ」
「魔物じゃない」
「え?」
渋い表情で立ち上がり、キャロルが淡々とした声で口にする。
邪神教のアジトへ向かった本体から得体の知れない巨大生物の情報が伝達されるも、魔力を一切宿していないということ以外はなにもわからなかった。
本体の
しかし遠くに見える巨影だけは、メイリーンよりも何よりも真っ先に処理すべきだと本能が告げている。
「ここから先……しばらく別行動になるけど」
流した視線でクラウディアとデビルーナをそれぞれ見やる。
一瞬、キャロルの目に心配の色が差すのをふたりは見逃さなかった。
「くれぐれも勝手に死なないように。あなたたちは……」
「世界の一部、ですわよね」
ふっと口元を緩めたクラウディアの横でデビルーナは叱りつけるような顔と声で続けた。
「ぼうっとしてる暇はないわよ。一等星のあんたがこんなとこで足踏みしてどうすんの」
「わたくしたちは大丈夫ですわ。お仕事が終わったら、また皆さんでお食事しましょうね」
ちくり、と胸に残る不安。
いくら彼女たちなら大丈夫だと考えていても、いざそのときになるとつい気にかけてしまう。
これもヒトの心が生み出す矛盾なのか。人間性の獲得はキャロルにとって喜ばしいことのはずだが、なぜだかいまは素直に受容することができなかった。
「またあとで」
それだけ言い残して、キャロルは再び魔術を起動。
ふたりの前から一瞬で姿を消した彼女は、次の瞬間には聖騎士と異形の魔物たちが交戦する戦場の上空へと移動していた。
目標である巨大生物までは百メルーほど。なにに導かれているのか知らないが、王都のある方向を目指して移動しているようにも見える。
(今のところ確認できた攻撃手段は背中からの追尾弾だけ……。それも厄介だけど、
一撃入れてみた所感としては「まったくの手応えなし」だった。
おそらくは弱点の類を叩かなければどれだけ強力な攻撃を加えても意味をなさない手合い。
メイリーンと邪神教の教皇が別世界から呼び寄せた
再生する巨体のあちこちを壊して弱点の位置を探るのはあまりに効率が悪い。
だから一撃で、
「一片残らず消し飛ばす」
石化魔術の起動とともに世界が白黒に変わり、停止した時のなかでキャロルはひとり、文字通り四つ足の目と鼻の先まで押し迫った。
四つ足の体を覆う程度まで石化の範囲を縮め、キャロル=ベルスーズの分身を構成する全魔力を脚へと集中させ、それを振るう。
空間が割れ、世界が渦を巻き、大気が崩壊する。
世界の修正力によって巻き起こった爆縮現象は、四つ足の肉体すべてを丸呑みにしながら手品のように手早くその存在を抹消してみせた。
簡単なことだ。弱点の位置がわからないのなら弱点を含めた広範囲を根こそぎ破壊してしまえばいい。
(……分身でもおなかは空くんだ)
頭から地上へ落下しながら感じた腹部の空しさに、そんなことが浮かんだ。
ケイオスが生み出したサバトは自分自身で魔力を賄えていたはずだが……いまのキャロルは本体からの魔力供給がなければそのうち消えてしまう状態である。まあ付け焼き刃の真似事ならこんなものだろう。
ともあれいちばんの障害は片付けた。
あとは本体のキャロルがさっさと教皇を倒してアーサーたちと合流すれば————
「ん……?」
消滅しかけ、朧げになったキャロルの視界が夜空に放り投げられた輝きを微かに捉えた。
発掘されたばかりの、磨かれる前の原石。そんな印象を受けるごつごつとした黒い塊が、空に浮かんだまま揺らめいている。
それが何であるのかを理解した直後、キャロルは煩わしそうに眉間にしわを寄せると舌打ちを添えながら吐き捨てた。
「……めんどくさ」
黒い塊を中心として新たに肉と装甲が形成され、再び長い首と四つ足の巨体を形作っていく。
再生している。跡形もなく吹き飛ばしたはずなのに。
いや、それは驕りか。認識が甘かった。
あの石が四つ足の弱点……心臓とも言える部位。
吹き飛ばしたのは四つ足の体だけ。肝心のヤツの心臓だけが消し去ることができずに残り、そこを起点として新たに四つ足の肉体が再生してしまった。
威力の問題ではない。おそらくは弱点である心臓自体を破壊するのに何かしらの条件……つまり決まった「壊し方」が存在するということか。
(それはちょっと聞いてなさすぎるな)
弱点である心臓を破壊しない限り即座に肉体が回復し、その心臓も何かしらの条件を満たさなければ傷つけることすらできない。
こことは異なる常識のなかで生きる別世界の怪物。
敵ながらなるほどと感心してしまった。殺し方を知る者でなければ、コレを完全に消し去ることはできない。
「さすが人間、小賢しい真似をする」
ヒトが労した小細工を前にして、キャロルは自然と口角を上げていた。
これをどうねじ伏せてやろうか、考えるのがいまから楽しみで仕方がない。
ものの十数秒で完全に再生を果たした四つ足に熱い眼差しを注ぎながら、キャロル=ベルスーズの分身体は夜空に溶けていった。
「——キャロル⁉︎」
隊列に襲いかかってきた異形たちへの対処に追われるなか、不意に炸裂した空間爆砕の騒音と衝撃にアーサー=ベルスーズは目を泳がせる。
木っ端微塵以上に粉砕されたはずの四つ足が体を再構築している正面で、銀色の少女が地上へ落下しながら消滅する様子がわずかに見えた。
王都を出発する前、事前に同行するキャロルが魔力で作られた分身体であることは聞いている。
だがそうであったとしても、妹の体が消える瞬間を目の当たりにするのはアーサーにとって十分に動揺を誘われることだった。
「隊長殿!」
「……!」
アザレアの声で我に返り、眼前まで接近していた魔物を咄嗟に切りつけ迎撃する。
人や獣とはかけ離れた不定形の肉の塊。
他の聖騎士たちと互いの動きを補いながら次々となだれ込んでくるそれらを打ち倒していくが、一向に数が減る様子がない。
(おそらく術者であるメイリーンを仕留めなければ止まらない……! この軍勢を掻い潜り、後方まで辿り着かなければ!)
移動中の奇襲に加え、魔物かも判断がつかない正体不明の巨大生物。
想定を上回りつつある状況のなかでも、部隊の隊長としての機能を失ってはいけない。そんな意地のようなものが、なんとかアーサーを突き動かしている。
しかしそれでも……冷静な分析を脳内で復唱しながらもなお、キャロルの安否から意識を逸らすことは叶わなかった。
「
膨大な魔力で剣技の威力を底上げし、魔物を屠りながらアーサーは幼き日の感情を思い出していた。
母がいなくなった日。
そして物心つく前に母を失い、その顔すら知らないまま育つ妹を自分が守らなければと決意した日。
両親の馴れ初めはアーサーもよく知らない。
だがもともと魔術には懐疑的な人だった父が魔術師の母と結婚するに至ったのだ。魔術に対する嫌悪を超えて家庭を築くほどの愛情が、父にはあったのだと思う。
母が家を去ったあと、家のなかで魔術に関する話は禁句になった。
魔術を学びたいと言うキャロルに父が厳しく接する様子も見てきた。
魔術は存在してはならないもの……子どもの頃から聞かされてきた言葉を、聖騎士になったいまなら実感が持てる。
魔物を生み出し、人を傷つけ恐怖に陥れる邪神の遺産。
目の前で自分を殺そうと迫る異形を見れば嫌でも思わされる。魔術は人を不幸にする力だと。
改めて自覚する。
自分も……アーサー=ベルスーズもまた、父と同様に魔術を嫌悪しているのだと。
だからキャロルが魔術師になると言い出したとき、全力で止めた。母と同じように妹が家を去っていくのをただ見ているわけにはいかなかった。
母のように……魔術に家族を奪われることが嫌だった。
キャロルの意思は変えられない。そんなことは彼女が家を飛び出した瞬間から理解している。
キャロルは魔術師になったし、これから先も魔術とともに人生を紡いでいくのだと思う。
自分が嫌う魔術の世界で生きて、魔術の世界で死ぬ。それがキャロルが自ら選んだ自由なのだから。
でも…………そうだとしても、やはり妹を忘れることはできなかった。
ひとりでやっていけているか。体を壊してはいないか。ちゃんと食べているか。
キャロルのことを考えない日なんて一日もなかった。いつだってキャロルが心配だった。
なぜなら、自分にとってキャロルは——————
「ここは任せたから、聖騎士!」
混乱の最中、ふと頭の上を跳んで先へと進んだ背中を見る。
黒髪の少女。キャロルの事務所に所属する魔術師だと聞いている。名前はたしかデビルーナ。
幼馴染のクラウディアとは違う、アーサーが知らないキャロルの友人。
キャロルがひとりで歩み、ひとりで築いた繋がり。
自分がいないところで、キャロルを支えてくれる存在。
「……頼んだ」
アーサー自身も気づかぬうちに、そんな言葉が自然と口に出ていた。
「変身」魔術を起こし、邪神ミゼアの力をその身に宿しながら強化された脚力でデビルーナは獣のように四肢を使い森を駆け抜ける。
交戦は避けつつ、魔物が押し寄せてくる方向と魔力の流れを感じ取りながらその発生源を特定。あとは研ぎ澄まされた嗅覚を用いて標的を直接探知する。
……いる。
依然魔術を発動して魔物の軍勢を生み出し続けている魔術師。
自分が決着をつけなければならない相手。
デビルーナが地面を抉りながらブレーキをかけて静止。
その視線の先で彼女——メイリーンはまた奇妙な作り笑いを貼りつけてデビルーナを歓迎した。
「あら、今度は逃げないのねぇ」
「あんたをどうにかしないと先へ進めないって……わかったからね」
デビルーナの言葉を聞いてメイリーンは不快げに眉を動かす。
「はっ……私を始末して自分の卑怯な思い出に区切りをつけるつもりでいるわけ? あなたらしいわぁ。……でも平気? キャロル=ベルスーズは私なんて比較にならないほどの化け物よ。私から逃げたあなたが、あの女の子と一緒に生きようだなんて無謀だと思うけれど」
「……そう、かもしれない」
デビルーナは当初、彼女を利用するつもりでキャロルに近づいた。自分の贖罪を実現するための中枢として。
けどいまはきっと違う。
なにも考えず、流されてばかりだった自分にも帰りたい場所ができた。
「ねえ、メイ……あたしはずっと考えてたよ、施設で過ごしたあの日々は……どうしてあんたの心を満たしてくれなかったのかなって。……あんたはずっと諦めてた。あたしと同じで、幸せになることから逃げてたんだよ」
「……なんですって?」
世界に、未来に希望が持てない。デビルーナ自身もそうだったからわかる。
希望が持てない世界に求めるのは残された絶望だけ。なにもかもを絶望で満たして、それが世界の真の姿なのだと思い込むことでしか正気を保てない。
そうだ。幼き日のメイリーンは、デビルーナが歩むかもしれなかった未来の姿そのものだった。
メイリーン自身もその可能性を見出して道へと誘ったように、一歩間違えればデビルーナも同じ世界を望んでいたかもしれない。
「あたし……ようやく自分がわかったよ。あたしは幸せになりたいんだ。友達とごはんを食べるでも、一緒に仕事をするでも、なんだっていい! ……実験に利用されて、痛いことや苦しいこと……不幸だった過去を塗りつぶすくらい、幸せに笑って生きていく未来を掴み取りたい」
「ねぇ……すこし黙ってくれるかしら?」
「返事にずいぶん時間がかかっちゃったけど……それがあたしの望む世界。あたしはみんなの不幸より……!自分の幸せに食らいつく!」
メイリーンの全身から立ち昇る魔力が最高潮に達する。
「黙れって…………言ってるのよッッ‼︎」
彼女の足元の土や草木が肉塊へと変わり、圧倒的な質量攻撃としてデビルーナへと殺到する。
メイリーンの怒りを体現したかのようなそれから目を離すことなく、デビルーナもまた内包する魔力を全開に叩き起こした。