時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
邪神ニグラートの「深化」は術者が触れた箇所を起点として侵食するように対象を魔物——すなわち眷属へと変貌させる魔術。
本来の性質と自我を消し去り化け物へと変えるその力は即死攻撃にも等しい。加えて練度を上げれば相手に直接触れずとも、自然物や建造物等から伝播させることで間接的に標的を影響下に置くことも可能である。
魔力による抵抗をすこしでも緩めればその瞬間に命はない。
そう理解しながら、デビルーナは敢えて正面突破を選んだ。
「避けない……⁉︎」
模倣した邪神ミゼアの力によって強化された身体能力と爪による斬撃。それらを駆使して肉の壁を破り、突貫してきたデビルーナにメイリーンが目を剥く。
「言ったでしょ……!食らいつくって!」
「っ……」
獣の姿に武装したデビルーナの鉤爪をすんでのところで回避したメイリーンが横へ転がる。
深化魔術の弱点は魔術の対象物が存在しない状況下では無力になること。
触れるものがない空中にでも打ち上げられればメイリーンは防御手段を失い、デビルーナの強化された膂力の前になす術がなくなる。
彼女が迷わず突っ込んでくるのも、まずは自分を宙へ放り投げることを目的としているからだとメイリーンは読んでいた。
メイリーンを中心として円を描くように移動しながら再度襲撃のタイミングを窺っているデビルーナ。
獣のごとき俊敏性と腕力に加え、研ぎ澄まされた聴覚と嗅覚で感知機能も強化されている。闇雲に質量攻撃を放っても当たらないどころか、メイリーン自身の視界を塞ぐだけ。
もともと「深化」は集団戦に特化した魔術。
迷いなく術者を直接叩いてくる相手との一対一は避けたかったシチュエーションだった。
「三等星……だったかしら。思ったより頑張ってるのねぇ、ルーナ」
メイリーンが視線を鋭くさせると同時に、どこからともなく大量の人影が木陰から飛び出してきた。
十人程度の邪神教徒たち。
キャロルを襲撃したときと同様、メイリーンの手足となるように肉体改造を施された人間爆弾だ。
「うっ……⁉︎」
邪神グアトゥガの魔術を暴走させた爆破による波状攻撃。
躊躇なく行われる自爆に行く手を制限されたデビルーナの動きが緩やかになった隙に、メイリーンはその左右にあった木々を肉塊へと変え彼女を挟み込んだ。
「こんっ……なもの!」
自分を押し潰さんとする肉の壁を斬り裂き、食い破る。
すぐさま離脱したデビルーナは大地を抉る勢いで前方へ跳躍すると、一直線にメイリーンへと肉薄した。
だがデビルーナの攻撃が振るわれるよりも先にメイリーンの拳によるカウンターが決まる。
単純な魔力による身体強化と、それを相乗させて繰り出される打撃。魔術師の性質上、未だ体系化されることなく一部の人間にしか存在が知られていない、古くから存在する近接格闘術だ。
「いった……!」
「わかりきった弱点なんか、克服してるに決まってるでしょ……! 相変わらず思慮の浅い子ね!」
メイリーンがデビルーナを蹴り飛ばした先に滑り込んできた邪神教徒のひとりが彼女を羽交い締めにする。
「砕け散りなさい!」
間髪入れずに命令を出し、デビルーナごと自らの体を爆破しようとする邪神教徒。
爆ぜたあとの衝撃と煙幕のなかから煤だらけの体が崩れ落ちる。
「ぐ……っ」
強化された体と魔力による防御で致命傷は避けたのか、デビルーナは全身に火傷を負いながらも震える足でなんとか立ち上がってきた。
もともとケイオスの「変身」は燃費がいい魔術じゃない。
対するメイリーンは魔術の連続行使による魔力量の減衰は見られるものの、肉体的な消耗はほぼゼロ。
このまま攻撃を受け続ければ模倣したミゼアの力も解除され、先に倒れるのはデビルーナのほうであることは明らか。
「所詮あなたはこの程度よ、ルーナ」
肩で息をしながらも自分を見つめてくる野良犬のような少女を睨み返しながら、メイリーンは怒気を孕んだ声で言った。
「今更立ち向かう気概を持ったところで実力が釣り合ってなければなんの意味もないわ。あなたにできるのはこれまで通り自分に害が及ばないよう逃げ続けることだけ」
メイリーンが地面を踏みつけると同時にまた肉の津波がせり上がり、デビルーナは苦悶の表情のまま追いやられるようにその場を離れた。
駆け回る彼女を目で追いながら、メイリーンはたたみかける。
「幸せになりたい? 幸せになることから逃げてるですって?
深化した自然物からは自立行動する異形の魔物も生成され、改造された邪神教徒たちとともにデビルーナを追い詰めていく。
「祝福されずにこの世に生まれて! 幸せがなにかもわからないで! 毎日毎日毎日毎日……気色の悪い愛想を振り撒いて! なのになにも与えてくれない世の中なんか嫌いになって当然でしょう⁉︎」
メイリーンの叫びと同調するように深化による質量攻撃が勢いを増す。
「子どもたちはあんたを必要としてた!」
もはや反撃に転ずることもままならない状況のなか、猛攻の隙間を潜り抜けながらデビルーナが返した。
「あたしにはなかった、人からの愛情をあんたは持っていたのに! それで悲劇のヒロインぶるのは贅沢すぎるんじゃない⁉︎ ちがう未来をつかみとれる可能性を自分から捨てただけのくせに!」
「どの口が……!」
一瞬、デビルーナの姿がメイリーンの視界のなかで消えたように見える。
驚くのも束の間、死角からの衝撃に頭が揺れた。
瞬間移動とはまた異なる。魔力の残滓から移動した痕跡がわずかに読み取れるものの、その過程をスキップしたかのような違和感。
通常、邪神ケイオスの魔術で他の魔術を模倣するには対象の魔力の質を分析し、理解したうえでそれを再現するための鍛錬が必要になる。
一朝一夕でできることじゃない。
それが実現できるということは、長期間デビルーナが対象のすぐ近くで魔力を観察し、自身の魔力でその力を再現できるよう技術を磨くことができる環境にいたことを意味する。
実際、邪神ミゼアの力はナイトゴーン夫妻による実験のなかでミゼアの遺物を通して使用できるようになったものだ。
先ほど見せた瞬間移動のような動きと、彼女が所属する事務所にいる一等星級魔術師……。
デビルーナが新たに習得した魔術の正体を察するのに時間は必要なかった。
「『石化』を模倣したの……⁉︎」
動揺するメイリーンに対し、デビルーナは勝ち気な微笑みで応じる。
毎日のように行動を共にしていた魔術師——キャロル=ベルスーズの魔力をいちばん近くでこっそり観察・学習させてもらったのだ。
渋々寝室がひとつしかない共同生活を送ってきた甲斐があったというもの。
(まあ、まだほんの一瞬しか再現できないんだけど!)
だがそれでも十分撹乱できる。
「石化」で一瞬だけ時間を停止させながらの移動。慣れていないその動きに翻弄されているメイリーンへ、デビルーナはすれ違いざまに何度も手足による打撃を浴びせていく。
(深化魔術を封じるためにも気絶させなきゃ捕縛もできない。このまま攻撃を続けて意識を刈りとる————!)
勝負を決めにいこうとメイリーンの後頭部めがけて走り出したそのとき、
「調子に……乗るな!」
メイリーン本人を囲むように肉の壁が突出し、彼女を覆った。
「この程度の守り……!」
デビルーナが方向転換し、一点に狙いを定めて突貫しようとした矢先、速度が落ちた一瞬を突いて肉の壁から巨大な腕が射出。
その勢いのままデビルーナを捉えると、握りしめた彼女を後方の大木へと叩きつけた。
「がっ……!」
「単純ね。速度を落としたら、そこを叩くに決まってるじゃない」
顔を上げ、身動きがとれずにもがくデビルーナを見物しながらメイリーンが歩み寄る。
「もう答えたようなものだけど教えてあげる。施設で過ごした日々も、子どもたちとの時間も……私にとってはなんの価値もない不毛な記憶よ。思い出すだけで吐き気がする。——あれを見なさい」
メイリーンが示した先に見えたのは暗闇のなかを移動する要塞のような巨獣。
天へと伸びる四つ足の首へ視線を流しながら彼女は言った。
「私たちが呼び出したあの怪物を殺す方法を知る人間はどこにも存在しない……どういう意味かわかる? この世界はなすすべなく滅ぶってことよ」
魔力の感じない正体不明の巨大生物……。
デビルーナがここへ来る途中にも妙な威圧感があることは把握していたが、それが敵の本命であることは予想外だった。
「まずは王都にアレをぶつける。次にドリスから順にキャビンテッド王国の主要都市を潰していくわ。それが終わればまた次の国ね」
「……本当に、なにもかも壊すつもりなのね」
『私は世界が大嫌い』————かつて彼女が口にしていた言葉が思い起こされる。
デビルーナが思っていた通り、メイリーンは世界を滅ぼすために魔術師となり、邪神教の幹部にまでなったというわけだ。
「爆弾たちも使い切ったことだし、私がこの手で引導を渡してあげるわ。……あの子たちと同じようにね」
余裕に満ちた表情でそう語るメイリーンを見て、デビルーナは不思議と昔の何気ない記憶を思い出していた。
そうだ。いつだって彼女はこわいくらい落ち着いていて、余裕があって、だからこそそばにいた子どもたちも地獄のような環境で安心することができていた。
子どもたちが牢の暗さと冷たさに寂しがるとき、一緒に毛布にくるまって彼らを励ます姿を覚えている。
施設へ移ったとき、「邪神の穢れが移る」といじめられた子どもたちに寄り添い理解者になってくれた姿を覚えている。
食事のとき、食べものを分けていた姿を、
孤立しないように声をかけてくれたことを、
愛称で呼んでくれたことを、覚えている。
最後に見た冷たく残酷な景色の裏で、ともに過ごした時間のなかで見た些細な、けれどとても温かな記憶がずっと光を放ち続けている。
なんてことのない……メイリーンにとっては掃いて捨てるような出来事かもしれないけど、消えることのない彼女との時間が。
「…………『知りもしないもの』……ね」
だからメイリーンを諦められないんだ。
なぜなら、すでにデビルーナにとって彼女は——————。
「幸せがどういうものか知らないから……あんたはそれを怖がったんだね」
「…………ハァ?」
巨大な手のひらに圧殺されかけながら、デビルーナはどこか穏やかな視線をメイリーンへと注いだ。
「不幸しか知らない……なにが幸せかわからない……だから幸せになることを恐れたんだ、あんたは。それに手を伸ばして自分のなかで何かが変わるのが怖かったから」
「まだ減らず口を言うの?」
「今よりももっと傷つくかもしれない……そんな可能性のぜんぶを拒絶してた。それがあんた自身を……
「ッ……!」
怒りに表情を歪ませるメイリーンが巨腕へさらなる力を込め、デビルーナの体が背中の大木との間で押しつぶされてどこかの骨が砕ける音が聞こえた。
「っ……だけどあんたは……結局ひとりきりになるのが怖かったから……だからあのとき、あたしを……!」
「的外れなことをほざかないで!」
「あんたに……メイに言わなきゃって……ずっと考えてた」
血反吐を撒き散らしながらもデビルーナはメイリーンから目を離すことはない。
「ずっと……メイを置き去りにして…………ごめんね」
その言葉を耳にした瞬間、メイリーンの脳内が一息の間に漂白された。
爆発する感情のままにメイリーンは巨大な手のひらの握力を強め、背後にある大木ごとデビルーナの肉体を握りつぶす。
「は……」
が、その感触は生の人間のものではなかった。
魔力で操作していた手のひらを分解し、その中身を見るも地面へ転がったのは粉砕された木片のみ。
そこにあるはずのデビルーナの死体が確認できない事実に呆然としていたメイリーンは、直後に感じた背後からの奇襲に気づくことができなかった。
「——分身⁉︎」
姿勢を低くして現れたデビルーナがメイリーンの腹へ槍のような蹴りを突き刺す。
鈍痛に無音の悲鳴を吐き出し転倒したメイリーンは、鋭い眼光をギラつかせて迫るデビルーナに焦燥を覚えながら身構えた。
「二度も出し抜かれるなんて、ちょっと思慮が浅いんじゃない⁉︎」
火傷の痛みを引きずる体に鞭を打ちながらデビルーナが苦し紛れに笑う。
デビルーナはメイリーンに捕まる直前、キャロルがこなしていた「変身」魔術の応用……すなわち分身体の生成を行い、それと入れ替わっていた。
メイリーンの警戒が薄れる状況をつくるために。
「消えて……ッ」
後退しながら「深化」を発動し、地面から伸びる肉塊を次々とデビルーナへ射出。
対するデビルーナは耳と鼻で肉が飛び出してくる箇所を探り当てながら、攻撃の隙間を通って確実にメイリーンとの距離を詰めていった。
互いの顔がはっきりと視認できる位置まで接近する。
咄嗟に迎え撃とうと拳を握ったメイリーンだったが、突如として
「なんっ……⁉︎」
「深化」の魔術で魔物化した大地——メイリーンが立っていた足場が変形し、ジャンプ台のように彼女を夜空へと打ち上げる。
メイリーンの意思ではない。彼女の支配下にはない「深化」魔術によるもの。
誰の仕業なのかは考えるまでもない。
デビルーナが「深化」の魔術を模倣し、メイリーンが接地していた大地ごと彼女をなにもない上空へと放り投げたのだ。
「ありえない……! この短時間で私の魔力を読み取るなんて‼︎」
「短時間……? なに言ってんの」
両脚へ渾身の魔力を流し、地面にクレーターを刻む勢いでデビルーナが跳躍する。
「変身」魔術による他の魔術の模倣には魔力の分析と鍛錬が必要になる。
通常それは数分、数時間で成し得るものじゃない。
先ほど行った「石化」魔術の模倣は寝食を共にしていたキャロルが相手だったからこそ実現できたもの。
そして————いまデビルーナの目の前にいる人間にも、同じことが言える。
「食べるのも寝るのも一緒だったのは……あんたも同じだろうが‼︎」
自らが生み出した肉の塔を駆け上がり、打ち上げられたメイリーンへと一直線に向かっていく。
地面や木々には触れられない空間で孤立したメイリーンは、怯えるように身をよじった。
「来ないで……! 来ないでよ! なんで今さら私の邪魔をするの……! どうして私にかまうのよ‼︎」
「んなもん……!決まってんでしょ‼︎」
掠れた思い出が脳裏によぎる。
気持ちの悪いつくり笑顔。それを通して得た感情。
「あんたが…………あんたが、あたしの————!」
どうしようもない矛盾が、ふたりの胸を貫いていた。
「————世界の一部だからだ‼︎」
ミゼアの魔術と単純な魔力強化。
それらによって威力を底上げされたデビルーナの拳がメイリーンの腹部を直撃した。
バラバラに砕けてしまいそうな衝撃と痛みがメイリーンの肉体を迸り、彼女の意識を一瞬で刈り取る。
神々しい月明かりに濡れながら、倒れ込む彼女をデビルーナは包み込むようにして胸のなかへと迎え入れた。