時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「石化」迷宮内の空間において術者であるキャロルを捉えることは難しい。
迷宮内のすべてが彼女であり、その空間内であれば文字どおり神出鬼没に
そして現代において、迷宮が絡む戦いの九割はそもそも勝負が成り立つこともない。
敵が生み出す迷宮への対抗策は、同程度のリソースを備えた迷宮を展開する以外にないからだ。
本来は邪神同士の戦いでしか起こることのない現象。
魔力量、肉体の耐久度ともに矮小なヒトが太刀打ちできる道理など、なにひとつ存在しなかった。
「うーん…………激辛パフェを食べたときのほうが、しんどかったかな」
ねじれた右腕を魔力で修復しながら、キャロルは黒い空間を背にして言い放つ。
対峙している男————邪神教教皇はいくら肉体を破壊しても一切止まる気配のない銀色の少女に興味深そうな目を向けていた。
「腕を捻られ、足を潰され、胴を絞られようと何事もなく活動を続けるか。さすがは一等星級魔術師、正常な精神など持ち合わせてはいないということか」
「だから、ねえ、そういうのをやめて欲しいの。……わたしはどこにでもいる可愛い女の子。心ない言葉をかけられれば傷つくし、甘いものが大好き」
男の視界からキャロルが消える。
そして痛みと衝撃とともに、彼女は男の死角で再び姿を現した。
「そして自由な暴力を愛している」
空間破壊と巻き起こる修正力による衝撃波をゼロ距離で受け、防御に用いた男の左腕がへし折れた。
体勢を立て直しつつ自らと同じように破壊された部位を魔力で治す教皇を見て、キャロルは玩具を前にした幼子のような笑顔になる。
「キャハッ! 頑丈!」
膨大な魔力を有するキャロルを絶命させるには、周囲の空間ごと頭部を圧縮し即死させる以外に方法はなかった。
だが迷宮の展開という想定外の状況に持ち込まれたことでその可能性も潰えてしまった。
魔力が残る限り無限に肉体を生成できるこの環境のなかでは、彼女よりも自由に扱える魔力に制限がある教皇の敗北は避けられない。
だが時間稼ぎが目的である教皇にとっては、この場において必ずしもキャロルを打ち倒す必要はない。それはキャロル自身も理解していた。
「本当はもっと遊んでもよかったけど、あまり時間をかけるわけにもいかないし……そろそろ終わりにしなくちゃ」
「……?」
キャロルの瞳が妖しく光る。
微動だにしない彼女を注視する教皇だったが、その直後に不自然な息苦しさを覚えて自分の体を確認した。
「これは……」
教皇のものではない魔力が渦巻いている。
右側の肺が、周辺の空間ごと「停止」していた。
「ちょっと狙いずれた」
キャロルがそう呟いてすぐ、今度は自らの視界に映る情報が極端に減っていることに気がついた。
精密な魔力操作による、一部の座標のみを指定した「石化」の発動。
キャロルはそれを使って教皇の心臓周辺の空間を停止させ、彼の全身の血流を止めるという手段に出たのだ。
「いつもはもっと大雑把に止める場所を決めてたけど、あなたの魔力操作技術を見ていろいろと学ばせてもらった。かわいいわたしに合わないやり方だから、本当はこんな勝ち方したくなかったけど」
「……なる、ほど」
本来のヒトの域ではあり得ない、巧みな魔術行使。
借り物ではない、呼吸をするかのように生来の身体機能を自然に操っている。
人間業ではない。生まれながらに魔術を有し、それをこれほどまで自在に操る生物など、この世界では一種類しか考えられない。
「そうか。……貴様のなかにあるのは」
意識が途切れる寸前に教皇が口にしようとした言葉は、それを遮るように巻き起こった衝撃波によってかき消された。
キャロルが黒い空間を踏み抜き、魔力を起こすこともままならない教皇の体を迷宮ごと跡形もなく消し飛ばす。
「ヒトだって言ってるでしょう、わたしは」
迷宮が解かれ、再び森へ戻ってきたキャロルは誰もいない虚空を睨みながら不機嫌そうに口を曲げた。
「……さて、つぎつぎ」
切り替えるように冷めた表情を取り戻したあと、踵を返してその場から駆け出す。
とりあえず、いちばん厄介な男は片付けた。
メイリーンはデビルーナがなんとかしてくれるはずだから、次の優先順位としてはやはり面倒な再生能力を持った四つ足の巨大生物。
どれだけ高火力を浴びせようと特定の方法を用いて心臓を破壊しなければ無限に肉体が再生するという情報は分身体を通じてキャロル本人に共有されている。
だが肝心なその「特定の方法」がキャロルたちにはわからない。
別の世界からやってきた法則外の怪物を殺す手段をなんて知る人間はこの場にいない。ならばやるべきことはひとつ。
(わからないなら、見つければいいだけ)
未知に対する期待と歓喜で胸を高鳴らせながら、キャロルは怪物が進行したと思しき方向へと急行した。
●
蠢いていた肉の塊が動きを止め、死んだような静けさが森を満たしていた。
無尽蔵にわく兵士としてリベルタを中心とした追撃部隊を押し留めていた異形の軍勢は、突如として糸が切れたように活動を停止させた。
それは深化魔術の打ち止め——すなわち術者であるメイリーンが魔術行使に必要な意識を保つことができなくなったということ。
アーサーは目の前の異形を斬り捨てた後、念入りに周囲を確認しつつ当初の目的が達成されたことを悟った。
警戒体勢を続けながら、アーサーはそばにいたアザレアへ目配せする。
「こちらの損害は?」
「死傷者ゼロ……外部のメンバーに軽傷者が三人」
「手当ては馬車の中でだな、すぐに移動の準備を。あの怪物……このまま進行を許せば王都に到達するぞ」
剣を鞘へしまいながら、アーサーは先ほど目撃した巨大生物を思い返していた。
邪神教徒や魔物の軍勢と同時に現れた魔力を持たない怪物。
最初に遠距離攻撃を仕掛けてきたきり大きな動きを見せないままアーサーたちの横を素通りして行ったが、どういうわけかアレは一直線に王都がある方向へと進んでいるようだった。
「クラウディアちゃん、怪我は?」
「は、はい……わたくしは大丈夫ですわ。ただキャロルさんとデビルーナさんが、まだ……」
「あたしがどうかした?」
アーサーとクラウディア付近の茂みから黒い少女が身を乗り出してくる。
気を失っている様子の何者かを背負った魔術師デビルーナ=ナイトゴーンだった。
「デビルーナさん! ご無事でしたのね!」
「……! 彼女は……」
「ウチへの正式な依頼はこれで完了ってことで。……しばらくたいした情報は聞けそうもないけど」
傷だらけのデビルーナが背に乗せているのは、同じく憔悴しきった様子で眠っているメイリーン————今回の任務における捕縛対象だ。
許容量を超えた魔術を行使したのか、彼女の腕は指先から広がるように赤紫に変色しており、邪神の自我に侵されていることが一目でわかった。
馬車のほうからやってきたロバートがメイリーンを受け取り、眼鏡越しにその体を観察する。
「体の細胞が壊れかけているな。邪神の自我……ひいては魔力そのものに肉体が負けてしまっている状態だ。高い等級の魔術師には珍しい症状だが……」
「このバカ……やっぱ無茶してたんじゃない。あんだけ乱発してたら、そりゃそうか」
「手配書と顔も一致するな。ひとまず魔術師メイリーンの身柄、たしかに確保した」
草むらの上に寝かせたメイリーンを見下ろし、デビルーナはやるせない表情を浮かべた。
そしてすぐに彼女自身も糸が切れたように地べたへ吸い込まれ、咄嗟に飛び出したクラウディアの胸元へ倒れ込む。
「ちょっ……やっぱりぜんぜん無事じゃないですわ⁉︎」
「悪いけどあたしも限界だわ。まあでも、報酬分の仕事はしたわよね……」
そう言って瞼を閉じたデビルーナは静かな寝息を立てはじめ、そのまま深い眠りへと落ちてしまった。
「彼女を救護用の馬車へ連れて行ってくれるかい、クラウディアちゃん」
「は、はいっ」
今度はクラウディアがデビルーナを背負い、その場を離れて指定された馬車へと向かった。
救護用の荷台は隊列の最後尾、作戦行動中にクラウディアが待機していた場所。
軽傷を負ったほかの聖騎士たちも集まってきていたが、デビルーナよりも重傷な者はいないようだった。
(わたくしも、前に出て戦う勇気があれば……)
荷台のなかにデビルーナを寝かせながら、クラウディアは苦い顔になる。
戦闘の最中、クラウディアはこの救護車のなかで待つことしかできなかった。
それが今回与えられた役割であることは承知している。
しかしこうして仲間や友人が傷ついている姿を目の当たりにしてしまうと、やはり後悔が勝ってしまう。
自分の道を進むために魔術師になったというのに、いまの自分はなにも成せていない。
キャロルの事務所に加わってから、その苦悩はすこしずつ募っていた。
『————————■』
焦燥感に苛まれていると、それは思いがけず聞こえてきた。
いつの間にか周囲の音が消え、代わりに砂嵐のような雑音がクラウディアの鼓膜を揺らした。
(誰かの…………“声”?)
不可解な現象を怪しむように目を細めていると、今度は唐突なノック音に意識を戻される。
弾かれるように振り返ると、そこには外に立ったまま荷台の床に手の甲を添えた銀髪の少女がいた。
「キャロルさん! ご本人……ですわよね」
「ただいま。……デビルーナ、大丈夫そう?」
キャロル自身もひと仕事終えたばかりだろうに、どこかのんびりとした調子で馬車へ入ってくる。
「状況を教えてくれるかな」
「標的の魔術師はデビルーナさんが捕まえて……身柄はアーサー様のところに。態勢を立て直したあとは、あの怪物を追跡するとのことです」
「うん、わかった」
あの怪物、というのはもちろん魔力のない四つ足のことだろう。
追いついたところでいまの聖騎士たちにアレを葬る手段はないが、まあ何もしないわけにもいくまい。
「ちょっと兄さまと話してくる」
デビルーナの介抱はクラウディアに任せつつ馬車を出る。
教皇との戦いのあと、皆のもとへ戻ってくる間に勝つための解法はすでに導き出していた。
特定の方法でしか破壊できない心臓。正解を見つけ出すにはまず「実験」が必要になる。
四つ足の体を粉砕し、剥き出しになった心臓へ有効手段と思われる攻撃を浴びせる。この工程を繰り返す。それこそ途方もない回数を。
当然だがそれは有り余るほどの「時間」を確保することが大前提。
四つ足が王都へ到達するのを防がなければならないという、一刻を争ういまの状況下では机上の空論でしかない。
しかし仮にその「時間」を用意することができたなら?
考えるまでもなく、キャロルはその結論にたどり着いていた。
「わたしが『石化』で時間を止めながらアイツの
アーサーの前にやってきて四つ足に関する情報を提供した後、キャロルは「お部屋のお掃除手伝うよ」くらいの調子で命の危険すらあり得る提案を自ら伝えた。
彼女が口にしたことの意味を十数秒かけて理解したアーサーは、心底気分が悪そうな顔色で返す。
「——だめだ」