時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
面白いくらいにキャロルの目が丸くなる。
「……………………『ダメダ』?」
想定外の音の連なりが兄の口から飛び出してきて、それが否定の意が込められた言葉であると認識するまで数秒を要した。
「ダメ……ダメだって言ったの? わたしが提示したプランに対して? ダメって?」
「そうだ」
「…………ダメなの?」
「だめだ」
沈んだ表情のまま跳ね返し続けるアーサーに、キャロルはぽかんと小さく口を開けたまま視線だけ困ったようにうろうろさせる。
「……どうして?」
キャロルにとっては甚だ疑問だった。
四つ足の怪物が王都へ到達する前に倒すには、キャロルの魔術で時間を止めて弱点である心臓を破壊する方法を探るしかない。
「石化」を使えば、ほかの人間は傷つかないまま安全に事を運べる。
普通に考えてそれを実行しないなんてことはあり得ないだろう。
首を傾げるキャロルを曇る眼で見下ろしながら、アーサーは苦しそうに言った。
「……一応確認しておこう。キャロルの魔術にはどの程度の反動があるんだ?」
「普通に使う分には、なにも問題ない。強いて言えば衝撃を引き起こすとき、わたし自身も巻き添えを喰らうけど、それはすぐに治せるし」
キャロルが攻撃に用いる衝撃波。あれは魔術で空間を破壊することで世界の修正力を副次的に作用させているだけであって、修正力そのものはキャロルが操作しているわけではない。言うなればコンパクトな自爆攻撃を連発しているようなもの。
当然相対する相手と同じようにキャロル自身の肉体も衝撃波の影響を受けるため、相応の魔力強化を施して体を守る必要がある。
加えて普段至近距離で魔術を起動させる際は、同時に体内の魔力の流れをフル回転させて破壊される肉体の修復も行っている。
キャロルの並外れた魔力量だからこそ実現できる贅沢な戦い方である。
だがこれはあくまで
「でも大きなものを丸ごと効果範囲に収めて長時間『石化』を発動するとなると、それに伴う魔力の消費も増える。わたしの許容量を超えた出力での魔術行使が必要になるの。そうなったら、いま言ったような外部からの単純なダメージだけじゃない、体内にまで及ぶ損傷を負うことになる。自分の力だけで回復するのは、ちょっと大変」
ベルスーズの家ではじめて「石化」を発動したときや、邪神ケイオスの迷宮を破壊するために広範囲の「石化」を使ったときにも同様のダメージを負った。
想定以上の水が解放されれば配管や蛇口は傷む。
か弱い少女の体。前世では呼吸をするように行使していた魔術攻撃も、いまのキャロルでは命を落としてしまわぬよう慎重な調整が求められる。
「だからまあ、あの四つ足を倒したあとはすごく消耗すると思うから、できれば甘いものでも用意しといて待っててよ」
キャロルなりの冗談を交えながら続ける。
しかし当初は煩わしくもあったその足枷もまた、自分を人間たらしめている要素だと思えばあまり悪い気はしなくなった。
大切なヒトがいる世界は命を賭してでも守らなければ。
アーサーも自分の命を差し出さなければキャロルを助けられない、なんて状況になった際には迷わず自ら身を投げ出すはず。だって彼はキャロルの兄だから。
だから彼はキャロルが示した作戦にも真っ先に共感し、賛同してくれると思っていたのに。
「やっぱりだめだ、その申し出は却下する」
あっさりと提案を叩き落され、自信と余裕にあふれていたキャロルから微笑みが消えた。
意味がわからない。意味がわからないとイライラする。
状況を打破する最適な方法があるというのにどうして実行に移さないのか。
キャロルがいずれ治る傷を負うだけで不死の怪物を始末できるかもしれないというのに。
「あの……兄さまって、馬鹿なんですか?」
「ばっ……⁉︎ こら、人に向かってそんな口のききかた……」
「わたしがちょっと頑張るだけでほかのヒトは一切傷つかずに敵を倒せるんだよ? 王都だって守れる」
「最初の部分がいちばん問題なんだ。いいからまずは俺たち聖騎士に……いたっ! ちょっ……やめ、無言でみぞおちを殴るのやめなさい!」
「兄さまたちじゃ無理って言ってるの。……もしかして予算の心配してる? たしかにメイリーン確保の依頼は終わったから、ここからは追加料金になるかも。でもほら、兄さま相手なら格安で受けてあげても」
「キャロル」
久しく聞いていない声色だった。
魔術の本をこっそり持ち出そうとしたときに飛んでくる、キャロルを静かに叱るときのトーン。
「お前の仕事は終わった、ここからは我々だけで対処する。……許可なく任務に手を出すのなら、聖騎士アーサー=ベルスーズの名の下に相応の処罰を、魔術師キャロル=ベルスーズに与えることとする」
これで話は終わりだと言わんばかりに、アーサーは踵を返して馬車が並んでいるほうへと去ってしまった。
「…………」
「ま、そんなに怒らないであげてよ」
自分は不機嫌ですと表情で訴えているキャロルの隣に、布で双剣の手入れをしながらリコットがやってくる。
「どんな立場だろうが、アーサーはあなたの兄貴ってことなんじゃない?」
「わたしの身を案じているってこと?」
「そらそうよ。あいつは隠してるつもりかもだけど、以前からアーサーのシスコンっぷりは凄かったんだから。あなたのニュースが舞い込んでくるたびに大騒ぎ。アタシにもララがいるから、気持ちはわかるけどね」
「いらぬ世話だと思う。あなたも知っている通りわたしはこの場の誰より強い。先陣はわたしが切るべき」
「そういうの関係ないって」
けたけたと笑い飛ばすリコットにますますキャロルは眉をひそめた。
「アーサーの妹でもやっぱ魔術師は変わってんね」
「あなたはいいの? 兄さまが動くとなると必然的に部隊全体が巻き込まれるでしょう?」
「オイオイみくびんな。そんなのアタシたち全員覚悟のうえだっての。あんたまだ十歳とかでしょ? 黙って大人に任せなって。人を守るのは本来、聖騎士の仕事だしね」
ひらひらと手を振りながら馬車へ戻っていくリコット。
「…………十四歳だけど」
————なんなら前世も合わせたらこの世の誰よりも歳上な自信がありますけど。
その背中を見つめながら、依然キャロルは訝しむように目を細めた。
「あの、キャロルさん……なにかございましたか?」
「べつに」
「べつにというお顔ではありませんわ……」
進行方向を逆にして隊列を組み直し、キャロルたちを含めた聖騎士部隊は王都へ向かった四つ足を追って再出発した。
デビルーナが休んでいる救護車。
そのなかでいつもより目つきを悪くさせたキャロルが膝を抱えている様子を見て、クラウディアは困った顔を浮かべる。
次に彼女がなにかを尋ねてくるよりも先に、キャロルは自ら打ち明けた。
「わたしが魔術で時間を止めて標的の弱点を探る作戦を提案したけど、兄さまに却下された。わけがわからないよね」
「えっと……その作戦、懸念点などはありますの?」
「わたしが死にかける」
「却下されて当然ですわ⁉︎」
肩を震わせるクラウディアにキャロルが付け加える。
「死にかけるだけだよ? 本当に死ぬわけじゃない」
「ほとんど同じ意味だと思いますの」
「みんな騒ぎすぎだよ。わたしの魔力操作技術なら、どんな深手を負っても最終的には後遺症なんかも残さず回復できる。それなのに兄さまときたら……ほかに死人が出るかもしれない状況でとるべき判断じゃない」
「……たぶん、そういうことじゃないと思いますわ」
ついさっきリコットからも聞いたような言葉を口にしたクラウディアに視線を向ける。
荷台の床を這って寄ってきた彼女は、そっとキャロルの右手を両手で包みながら言った。
「わたくしもキャロルさんだけが傷つくことを前提にした作戦なんて反対ですわ。ほかの可能性が少しでもあるのなら、その希望を見出せるまでは足掻いてみたいと思いますの」
「…………」
「な、なんて……戦えないわたくしが言っても、説得力に欠けると思いますが……」
苦笑いを残してキャロルに隣に座り直すクラウディア。
彼女も兄も合理的じゃない。
合理的じゃないが……これもまたヒトが抱える矛盾性が発露したかたちの一つなのだろうか。
「…………悪い気はしない、かな」
「え?」
「なんでもないよ」
不思議と胸の奥があたたまるのを感じ、張り詰めていたキャロルの表情が微かに綻んだ。
「————とりあえずは隊長命令に従ったけどさ、あの子から提供された情報が確かなら正直厳しいと思うよ」
リベルタ隊が乗る先頭の馬車。
他のメンバーが様子をうかがうように沈黙するなかで、それを打ち破るようにリコットが切り出す。
邪神教が別世界から呼び出した魔力を持たない怪物。
弱点である心臓を破壊しない限り無限に肉体再生を行い、その心臓も特定の手段でしか破壊することは不可能。
そしてその破壊方法は当然ながら不明。
正攻法で勝てる見込みは限りなくゼロだ。
「……わかってるさ」
ほのかに険しい表情で腕を組んでいたアーサーが小さく返した。
「もちろんアタシにも
「私もリコットさんと同意見です」
リコットに続いて意外な人物が声を上げる。
向かいの壁際で正座し、彫像のような静謐さを漂わせていたアザレアだった。
「単に弱点を破壊すれば仕留められるのであれば魔物とさほど違いはありませんが……それを壊す方法を探る必要があるとなれば、事態は一刻を争います。キャロルさんのような少女に頼らざるを得ない状況は、たしかに心苦しいですが……」
「それもわかっている」
深く息をついたあと、やけに冷静な調子でアーサーが言った。
「俺はなにもキャロルが妹だから……わざわざまわりくどい作戦を選んでいるわけじゃない。行動を起こすよりも先に『聖騎士だけでは不可能』だと決めつけることが、本当にこの国の……ひいては世界全体のためになるのだろうかという疑問を感じたから、俺たちリベルタ主導の作戦に舵を切ったんだ」
「と言いますと……?」
「今回のメイリーンの件もそうだが、有事の際には必ずと言っていいほど魔術師の協力を仰いでいるのが現状だ。いまのような国を揺るがす非常事態においても、『そのほうが効率がいいから』と外部の人間の命を簡単に使い倒す選択が浮かんでくるほどに、俺たちは普段から
馬車のなかに緊張が走るのがわかった。
それはほかのメンバーも心の底ではうっすらと秘めていた危機感。
「本来、人々を守る治安維持は聖騎士だけで成り立たせなければいけない役割だ。キャロルやクラウディアちゃんだけじゃない、俺たちにとってはほかの魔術師だって市民と同じ守る対象でなくちゃいけないはずなんだよ。……うまく言えないけど、俺は…………そういう当たり前が消えてしまいそうな今の情勢が、とても恐ろしいんだ」
「なるほど。……大事なことだな、それは」
俯きながら話すアーサーの隣で、ずっしりと構えていたグランがつぶやく。
「俺はお前のそういうところ、好きだぜ」
「まあねぇー、気持ちはわかるよアタシも。プロさんの扱いもそうだけど、良くも悪くもできる人に全部押し付けがちっていうか」
「一理あるね。まあ僕は最終的に丸く収まるならなんでもいいけど」
「……自分の考えの甘さを恥じます。たしかに可愛らしい少女を守るのに妥協は不要ですよね」
「ああ、いや……! みんなに押し付けたいわけじゃないんだ。……こんなタイミングでする話じゃなかった」
同意してくれる仲間のありがたさを噛み締めながらも、アーサーのなかにはぼんやりとした罪悪感があった。
————たったいま自分が口にしたことは、純度百パーセントの本心だと言えるか?
数刻前、キャロルの分身体が四つ足を仕留めきれずに消滅する姿を目の当たりにしてから、心がざわついて仕方がない。
あれがもし分身ではなく本物のキャロルだったらと思うと、形容し難い不安に襲われる。
あれこれと理屈をこねたとしても、本当はただ妹を危険な目に遭わせたくないだけではないのか?
走行する馬車の揺れに向き合うべき時間が迫っていることを予感しながら、アーサーは複雑に混ざり合う心に甘えるしかなかった。