時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「……手は出さないようにと言っただろ?」
あまり間を置かずにそう返答してきた兄を見て、キャロルの顔から感情が消え失せる。
いや、感情が消えたわけじゃない。静かに怒りの火を燃やしているのだとアーサーはすぐに察した。
「助けてもらっておいてその言い草は、ちょっとかっこ悪いと思う」
「はは……だよな。ごめん、でも言わなきゃいけないから。……! それより敵の様子は⁉︎」
「動いたらダメ」
立ち上がりかけたアーサーの額を指先で止めながら、キャロルはふと遠方にある黒い巨体を見た。
「こわいヒトが来たからかな。移動はやめて迎撃に集中しているみたい」
「こわい……?」
以前の件も含め、偶然合流したロイドのことは説明が複雑になりそうだったので黙っておくことにする。
馬車の列はまだ目視できる範囲にはいないが、聴覚のみで周囲の環境を把握している四つ足はアーサーにやられた傷が完治しているにもかかわらずその場に留まり、森林地帯への砲撃を続けていた。
おそらくロイドの存在に脅威を感じて優先的に排除しようとしているのだろう。なんであれ足止めになってくれているのはありがたい。
キャロルは視線をアーサーの方へ戻した後、その横に置かれていた剣へ意識を移した。
「この剣、借りていくね」
「……⁉︎ 待て!」
キャロルが伸ばした手をアーサーが咄嗟に掴む。
鬱陶しそうに黄金色の瞳が細まった。
「なに」
「なにをする気だ?」
「わたしなりに色々と考えてみたんだけど、破壊力が意味をなさないのなら、なにかしらの技術が絡んでくるのかなと思ったの」
アーサーに手を繋ぎ止められたまま、淡白な物言いでキャロルは続ける。
「火力にものを言わせた攻撃じゃ四つ足の心臓は壊れないけど、心臓がアイツの体の起点になってることは間違いない。だからアイツの特性に合わせた刺激を片っ端から与えてみる」
「特性……?」
「聴覚だけで世界と繋がっている生き物だって言うなら、死に方にも“音”が関係してるのかなって。アイツの心臓……歪だけど、
分身体が四つ足へ一撃浴びせたあとに露出した原石のような心臓を一目見た上でのなんとなくの推測である。正直それ以外の想像がつかないので一旦そう考えることにした。
ものは試しというもの。違ったら次の手を考えればいい。
————と、キャロルは思っているのだろうとアーサーは悟っていた。
「先に言っておくけど、止めても行くからね。兄さまとはしばらく口も利いてあげない。わたしに無断で命を投げ出そうとしたことの重大さを自覚して反省文の数百枚は持ってきてもらわないと、この気持ちはおさまらない」
「知ってたのか……」
「次はなんですか? ライセンスの取り消しとかをネタに脅しますか? やってみればいい。そうしたら兄さまのことは嫌いになるかもしれないけど。かわいいわたしに嫌われるのはイヤだよね? なのでそんな強行手段はとらないことをおすすめしておく」
「……キャロル」
「なに」
声が震える。
軋む体に鞭を打って、アーサーは目の前の妹を手繰り寄せた。
「お前が強いことも、魔術師なんだってことも、わかってる。なにを言っても止まらないことくらい、あの日……お前が家を出たときから全部わかってるんだ。————けどキャロル、お前は俺のことをなにもわかっていないだろう」
「は?」
顔を上げて視線で射抜いてきたアーサーに、キャロルは戸惑うように瞼を細める。
「さっき言っていたとおり、キャロルはかわいいよ。世界でいちばんかわいい。すこし変わっているところもあるけど、どんなときも他人への気遣いは忘れない優しい心の持ち主だ。キャロルみたいな妹を持てたことを、俺は誇りに思う」
「な、なに? 急になに……?」
「美味しいものをたくさん食べさせてやりたいし、綺麗な服を着て穏やかに過ごしてもらいたい。この世のあらゆる不条理から解放されて、幸せなものだけを見て生きていて欲しい。これから先もずっと、俺はキャロルの健やかな日々を祈っている」
「わたしを舞い上がらせてお願いを聞いてもらうつもり? 生憎だけど、どれだけ言葉を積み重ねても今回は兄さまの言うことは聞けない」
無表情。落ち着いている風を装っている————いや、実際キャロル本人は冷静に振る舞っているつもりだった。
しかしながらその頬はうっすらと朱色を帯びていて、今にもにやけてしまいそうである。褒め殺しの類にはめっぽう弱いので。
やがて逃げるように視線を泳がせたキャロルを見つめながらアーサーは続けた。
「本当は魔術なんか嫌いだ。俺は……俺は誰も失いたくない。母上がいなくなったときみたいな……あんな思いはもうたくさんだ。キャロルが死ぬかもしれない状況を見過ごすくらいなら、俺は自分の運命を放り出してでも絶対にお前を救える道をとりたい。これ以上……置いて行かれたくない」
瞬間、息が止まる。
すとん、と————キャロルのなかで散らばっていたピースがひとつの形を成していくように感じた。
ベルスーズ家にいた頃、ここまでアーサーの胸の内を赤裸々に語られたことはあっただろうか。あるいは、キャロル自身アーサーと真剣に向き合おうと考えたことはあっただろうか。
かつてのキャロルが前もって独り立ちを宣言したのは、失踪した母の話をする際に寂しそうだった兄に心構えをしてもらいたかったからだ。でもそれは最低限の礼節に過ぎない。
アーサーがこれほどまでに自分に執着する理由、その本質を見据えようと考えたことはあるだろうか。
己よりも強大な力を有する妹を守ろうだなんて身の程知らずを宣うアーサーの行動原理は、「兄だから」の一言で済まされるものか?
ちがう。きっとそんな機械的な
ヒトは感情の生き物。呼吸をするように名前のつかない衝動を孕むもの。
原色ではなく混色によって動くのが人間だ。
(————ああ、そうか)
腕を掴む兄の手に自分の手を重ね、キャロルは確信した。
これは同じなんだ。邪神の生まれ変わりである自分は、目の前で俯いている人間と同じ感情を共有している。
そうだ。キャロルが自らの「世界」を守るように、アーサーも自分の「世界」が欠けることを恐れている。
ヒトは新たな出会いと別れを繰り返し「世界」を共有する生き物なのだと、キャロルはとっくに理解していたはずなのに、どうして今まで思い出してあげられなかったのだろう。
きっとこの世にはどうしようもなく屑な肉親を持つ者も大勢いて、それと同じくらい血も繋がっていないのに強い絆で結ばれている者たちもいる。
自分に与えられた役割を正しく自覚しそれに準じている人間などいない。
アーサーは「兄だから」キャロルを守るんじゃない、「アーサー=ベルスーズだから」キャロルを愛してくれているんだ。
「——こういうこと、なんだね」
強いはずなのにどこか頼りなくて、からかい甲斐があって、剣術オタク。
そんなたったひとりの兄さま。
「わたしもあなたの、世界の一部だったんだ」
「…………え?」
深く息を吸い、晴れやかな心持ちでそれを吐き出す。
清々しい笑みを浮かべたキャロルはアーサーの背中へ手を回しつつ、肩を貸してゆっくりと彼を立ち上がらせた。
「キャロル?」
「恥ずかしいことを恥ずかしげもなく口にした胆力に免じて、嫌いになるのはやめといてあげる」
「……それは、光栄だな」
「ついでにわたしの限定ブロマイドもあげちゃう」
「まだあるのかアレ」
微妙な表情を見せるアーサーに首を傾ける。
アザレアやリコットから必死に写真を奪おうとしていたので、てっきり欲しくて仕方ないのかと思っていたが…………見当違いだっただろうか。
「兄さまの気持ち、完璧にわかったとは言わない。でも想像はできる」
「じゃあ……」
「けどそれと今の状況とでは話はべつ」
未だ目視できる位置で砲撃を続けている四つ足を観察しながらキャロルが言った。
「あの怪物を倒すにはやっぱりわたしの魔術が必要不可欠。わたしが時間を止めて弱点の破壊手段を探る」
「……でも」
「そのためにも兄さまには、覚悟を決めてほしい」
「え?」
張り詰めた空気をまといながらアーサーへと視線を戻す。
「兄さまはかわいいわたしを絶対に失いたくない。わたしも兄さまに傷ついて欲しくない。それぞれの悲劇を回避するには、わたしたちがお互いに信頼し合うしかない」
「信頼……?」
「わたしもできることなら兄さまを危険な状況に立たせたくはない。でもわたしひとりに任せることを、心配性な兄さまは許してくれないってわかったから…………ここから先ははっきりと、ひとりの魔術師として提案することにする」
薄ら笑いを浮かべていた表情を引き締め、キャロルは目の前の聖騎士に向けて言い放った。
「まずはわたしが『石化』を使って致命傷には至らない程度の時間で四つ足を殺す方法を探る。それでダメなら一度さがるから、その間兄さまは四つ足の気を引いてわたしが反動で傷ついた体を修復する時間を稼いで」
「それは……」
つまりは役割分担。
キャロルが四つ足の弱点である心臓を破壊することは変わらない。だが時間を停止させたことで起こる肉体への反動をすこしでも抑えるために、アーサーが囮を担うのだ。
互いの守りたいものを戦場へ立たせないまま四つ足を討つ確実性は減少する。だがその代わり、キャロルとアーサーに降りかかる死のリスクも同様に減らすことができる。
倒せないかもしれないし、倒せるかもしれない。
死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。
確実なものは何ひとつない。しかしだからこそ、希望はたしかに存在する。
「こうなったらもう、わたしから言えることはひとつだけ。——わたしは死なない、だから兄さまも死なないで」
冷たい表情のまま熱のこもった祈りを告げたキャロルを見て、アーサーは自分の情けなさに苛立ちを覚えた。
本来はアーサーが「ひとりの聖騎士として」同じ提案をすべきだった。
だが結局アーサーは自分の感情だけを判断材料に自らが犠牲になる結果が最善だと決めつけてしまった。
キャロルがこれまでの努力で身につけてきた魔術師としての力を信じて、より良い結果を導くべきだったのに。
自分はもう守るだけの存在ではないし、キャロルは守られるだけの存在ではない。
(できることなら、その成長をそばで見守りたかったな)
——でもまあ、いまからでも遅くはないか。
これではっきりとやるべきことがわかった。
人であり、聖騎士でもある、アーサー=ベルスーズが手を伸ばすべき結末が。
「……わかった。リベルタの隊長として、改めて依頼する。あの怪物を討ち取り、人々の安寧を守るために…………いま一度手を貸してくれ、一等星級魔術師キャロル=ベルスーズ」
「承知しました、聖騎士アーサー=ベルスーズ。互いの世界を守るために、満足のいく働きをお見せするわ」
ほっとするように微笑みを交わす。
まともな兄弟喧嘩などしたことはなかったが、一連のこれはとても人間的で「らしい」会話だったなと、キャロルは内心嬉しく思った。
「…………」
「…………」
「………………」
「……?」
「……あの、剣」
「あ、ああ……貸して欲しいんだっけか」
愛剣を受け取り、気を取り直して四つ足のいる方向へと向き直るキャロル。
その隣にアーサーは丸腰のまま並び立った。
「よく考えたら、わたしが剣借りちゃったら兄さまが戦えないか」
「いいや、問題ない」
そう口にしたアーサーが手刀を掲げると、体内から魔力が迸るのを感じた。
そのまま手で象ったそれを振り下ろすと光の刃が数メルー先まで大地を抉る。
「剣を握っているときよりイメージがブレて燃費も悪いけど、仕事に支障はないさ」
「ふうん、楽しそう。今度おしえてもらおうかな、煌獅子流」
「本当か? 剣に興味がわいたか?」
「ほら、行こ」
めんどくさい匂いを感じたので話を切り上げて四つ足へと駆け出す。
剣なんてもう二度と握る機会はないと思っていたのに……まさか実戦で、それも兄と肩を並べてだなんて、いったいなんの因果が働いているのやら。
もちろん、悪い気分ではないが。