時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
番外.どこの子
魔導学府——という場所がある。“プロフェッサー”と呼ばれる数人の魔術師たちが管理・運営する魔術の研究機関、大学と言い換えてもいい。
とはいえ一般的にイメージされるそれとも異なり、生徒やクラス、講義といった形式ばったものは存在しない。代わりに魔導学府では「なにを学んでもいい」のだ。
そこでは魔術を求める者たちが知識と技術、そして邪神の遺物を持ち寄り思い思いの研究に打ち込むことができるとされている。
どこの国でも基本的に腫れ物扱いな魔術師にとって、政府や聖騎士たちの監視の目を気にすることなく己の研究に没頭できるその施設は、ある意味では魔術師たちにとって楽園とも呼べる場所だろう。
「お前新参者か? よほど腕に自信があるようだが、運が悪かったな」
文字通り燃える長髪を夜風になびかせて、少女——レイニィ=アバンギャルドは返り討ちにした獲物を嘲笑った。
「う……うぅ……」
痛みと恐怖でまともに舌も回らない様子の男を見下ろす。
魔導学府は
故にプロフェッサーたちのいる学舎ではあらゆる闘争行為が禁止されている一方で、居住区と呼ばれる生活領域では法律というものが存在しない、正しい意味での無法地帯が広がっていた。
だからこんなふうに力量も読めないまま略奪に走ろうとする馬鹿が湧くし、当然のごとく体の半分を丸焼けにされて死ぬようなヤツもごろごろ出てくる。
ただ居住区唯一の決まりとして、自分で出した死体は自分で処理しなければならない。
遅れてそれを思い出したレイニィは小さく舌打ちをした後、急いでその場から去ろうと足を踏み出した。
「ま……って、こ……ころし、て」
「やだよ、いまトドメ刺したらオレが片付けなきゃいけなくなるだろ。くたばるならオレの視界の外で勝手にくたばっとけ」
鎮火した長髪が元の黒髪へと戻る。
右半身に大火傷を負った男が芋虫みたいにもぞもぞと動きながらレイニィに手を伸ばすも、彼女は振り返ることなく淡々と歩みを進めた。
その顔に同情の類は微塵もない。
魔術のためなら人生と命を捧げてもいいという連中が集まる賭博場にのこのこやってきて選択を間違えた人間にかける情などなかった。
魔導学府で長い時間を過ごして生きていられる者は身を守る実力と処世術を持つ魔術師だけ。
具体的な等級で示せば三等星が最低ラインといったところか。それ以下は虫ケラ同然だという認識を持ったほうがいい。長生きしたければ常識くらいは身につけるべきだ。
(……今日も居やがるな)
寂れた住居、というよりは廃墟が建ち並ぶ居住区の一角。
いつの時代かわからないが、かつては人々が交流する広場だったと推察できるその場所のベンチに、妖精と見紛う美貌を持った少女が腰かけている。
歳は十二〜四ほどだろうか。
上質なドレスに身を包んだ出で立ちはどこぞの姫君と言われても違和感がない。
白い顔に浮かぶ紫の双眸は宝玉のごとき輝きを宿し、黄金の繊維で編まれたかのような金髪は一本一本が高値で取引されそうなほどに美麗だ。
殺伐とした居住区と、その中心に位置する魔術師たちの黒い巨城という異界じみた風景にはあまりに似合わない。
レイニィが学舎と居住区を行き来する際に通ることがあるその広場で、金髪の少女はいつもふわふわとした眠たげな目でただ静かに座っている。
いまの拠点に移ったのはひと月ほど前。その頃から彼女の姿があった。
つまりは少なくともひと月はあの身なりと無防備さで傷ひとつ負うことなくこの居住区のなかを生き抜いている。ということは、あの少女もそれなりに腕が立つ魔術師なのだろう。
(ま、触らぬ邪神になんとやらだ)
ショートパンツのポケットに手を突っ込みながら、レイニィは広場を横断する。
怪訝に思うが、声をかけてみようなんて気は起こさなかった。
魔導学府を訪れる魔術師にまともなヤツはいない。話しかけただけで殺し合いに発展することもある。
どんなに興味を惹かれようが、面倒ごとを避けたいのであれば変な気まぐれは起こすものじゃない。
一見ひとりでは生きられないような温室育ちに見えても、その実化け物のような本性を秘めているなんてことは当たり前にあるのが魔術の世界だからだ。
そう…………だから、
(————なんだよクソッ)
こんなことは初めてだった。
居る。背後に。先ほど広場ですれ違った金色の少女が、自分の後をつけてきている。
彼女の姿を見かけることはこの辺りに棲み始めてから何度もあった。だが今までどころか、さっきだって視線を交わしたことすらない関係である。
にもかかわらず少女はなぜか自分の後ろにぴったりと付いて歩いているようだった。まるで親鳥へついて行く雛のように。
「……なにか用か?」
背後に感じた魔力へ振り向き、レイニィはその持ち主とようやく目を合わせる。
向こうに敵意があるのなら先手を打つし、別の目的があるなら状況次第で交渉する。そのための対応だった。
吸い込まれそうな、紫色の大きな瞳。
無垢な表情のまま視線を泳がせたあと、少女は外見に相応しい小鳥のような可愛らしい声で発した。
「————おなか、すいた」
「…………………………は?」
その対面で空気が抜けたような声がレイニィの口からこぼれる。
「おなかすいた」……落ち着いて思い返してみると、目の前の少女はたしかにそう言ったと思う。
自分はいつから孤児院や託児所の職員になったのだろう。
命の駆け引きが日常的に行われているこの土地では考えられない、呆れるほど呑気な戯言が聞こえてきてレイニィはわけのわからなさに表情を歪めた。
「……遺物の取引か? 悪いがオレはいま持ってない」
「いぶつ……? …………食べるもの、ほしい」
「はぁ……?」
ますます話が見えなくなってきた。
満足のいく食事とは言えないものの、学舎に行けば食料や日用品を調達できる場所はあるし、実際レイニィもそこで手に入れたものを拠点に備蓄している。
資金に関しても魔術連合の窓口があるため、好きに依頼を受けて稼ぐこともできる。
学舎では常にプロフェッサーたちからの監視を受けることにはなるが、べつに施設に入るための条件といったものは設けられていない。研究の妨げとなる戦闘行為やそれに準ずる騒ぎを起こさなければ粛清されることは滅多にない。極論誰でも踏み入れることができる。
まあ、争いを発生させることなく速やかに標的を始末する分にはなにも言われない、どちらにせよ正気ではないところだが。
各国政府の目の届かない施設ということもあって、重要指名手配を受けて逃亡しているような連中だっている。物資はあれど、決して安全な場所ではない。
おそらくはその程度の知識も把握していないのだろう。もしや予想に反して魔導学府に来てから日が浅いのか?
「意味わかんね、失せろガキ。つぎ視界に入ったら焼き殺すぞ————っておい!」
踵を返してその場から離れようとした矢先、着ていたジャケットの裾を引っ張られる感覚があった。
咄嗟に振り返ると、両手の指先でがっちりとレイニィを縫い留めている。
不安げな紫眼ははっきりと「行かないで」と訴えていた。
「放せゴラ! 食いもんが欲しけりゃ学舎に行きゃいいだろ!」
「……わから、ない…………なにも」
「知るか! お前魔術のことを学びにここへ来たんだろ? なら独りで勝手に生きやがれ! ここにいる連中で頼れる人間なんざひとりもいねえんだよ!」
「覚えて、ない……」
「なに……?」
「ずっと思い出そうとしてたけど、わからなかった。ワタシ……なんでここにいるの?」
「思い出そうとしたって……あの広場でぼんやりしてる間、ずっとか?」
「うん」
途切れ途切れに聞こえる言葉から少女が伝えようとしていることを推察する。
自分が魔導学府にいる理由……経緯を把握していない。いや、この様子だとここが魔導学府という魔術師たちの巣であることも知らないといった雰囲気だ。
このへんを無防備に彷徨いておいてそれはあり得ない。
つまるところ少女は……記憶喪失?
魔術の実験に失敗でもして脳をやられた……とかだろうか。
とにかく見かけるたびにベンチで静かに座り込んでいた少女の姿は、失った記憶を思い起こそうと集中している様子だったのだと理解した。
が、いまレイニィにとって問題なのはそこじゃない。
「ねえ、どうして?」
「オレが知るわけねえだろ。手をどけろ」
「あ……」
小さく白い手を振りほどきながら、レイニィはいまにも泣き出しそうな少女を睨む。
高級そうに見えたドレスは近くで見ると、ここいらの風に曝されたせいで薄汚れていた。
「お前、その調子だと近いうちに死ぬぞ。ここじゃ他人に弱みを見せたヤツは食いものにされるだけ。命が欲しければ離れることだ」
「……他人……ちがう」
「は?」
上目遣いで向けられた瞳に射抜かれたレイニィが硬直する。
「あなた……前からワタシと、何度も会ってる。……だから、助けてほしいって思った。ワタシを知ってて、ワタシが知ってる……人だから」
「オレとお前が話すのはこれが初めてだ」
「それでも、何度も会ってる」
どうやら向こうもレイニィの存在を認識していたらしい。
だが……通りかかっただけ。歩いたところに偶然居合わせただけだ。それを「何度も会ってる」なんて表現するのは厳しいのではないか?
「あのなぁ……」
「あなたしか……頼る人がいない」
「いやオレは————」
まっすぐに自分を見つめる少女へと改めて視線を向けたとき、レイニィが言葉を呑んだ。
敵意はもちろん打算の類は微塵も含まれていない、どこまでも純粋に救いの手を求めている幼子のような眼差し。
助ける理由はないが、べつに見捨てる理由もない。
気がつけばレイニィの頭のなかにはそんな天秤が出来上がっていた。
「チッ…………。ついてこい」
「……!」
うんざりした表情で再び帰路のほうへ振り返ったレイニィの隣に金色の少女が駆け寄る。
なぜか断りもなく左手を握ってきたが、もうこれ以上会話を交わすのも面倒なので、ポケットには右手だけ入れたそのままの状態で拠点へ向かうことにした。
本当に警戒心というものがない。生物として破綻していると思う。
「お前、名前は? ……って、記憶がないんだっけか」
「シャーロット」
「それは覚えてんのかよ!」
「ほかにも…………ひとつだけある、覚えてること」
「あ? なんだ?」
数秒考え込んだあと、シャーロットと名乗る少女はぽつりと呟く。
「————ワタシには、ママがいた」
レイニィの手をにぎる白い指先に、ふと力がこもった。
また新章突入です!初っ端から知らない子しか出てきませんでした。
引き続き今作をよろしくお願いします。